音楽雑文集


by yyra87gata

オイラはドラマー・・・

 僕はびんぼうゆすりをする。嫁さんにいつも注意されるが直らない。それと、机やひざをパシパシ叩く癖がある。何かしらリズムを取ってしまう中学時代から続く癖だ。

 僕がドラムに興味を持ち始め、実際にスティックを握ったのは、中学2年の頃だ。たまたま、隣に座ったE君がドラマーだった。彼はいつも机の端に両手の人差し指を連打していた。足を見るとしっかりキックしている。ドコドコうるさいけど、なぜか格好よく見えてしまった。E君はバンドを組んでおり、アリスやチャー、レインボーなんかを叩いていた(メチャクチャだね)。中学生のバンドだから、今思うとたいしたことではないかもしれないが、ホールを借りて自主コンサートを開催していた。僕はそんな彼を見ながら、ロックやフォークを演ずることに目覚めていったのかもしれない。
僕はその頃エレクトーンを習っていたので、音楽には係わっていたが、ロックというよりムード音楽や映画音楽、クラッシックなど、中学生の男がやる音楽かぁ?というものばかりで、少々飽き飽きしていた。しかもエレクトーンはメロディ、リズム、ベースを独りでやってしまうので自己完結型の楽器であり、仲間が増えない。流行歌を弾いていても、自分で勝手にアレンジして弾いていても、発表の場が無く、友達に聞かせてもフーンって感じだ。
そこへもってきて、世の中はニューミュージック・ブームとテクノ・ブームが入り乱れ、イギリスからはパンクやパブロックなど新しい形態の音楽が入ってきていた。もう、榊原郁恵ちゃんやキャンディーズの音楽を聴いている場合ではなかった。親戚の女の子からよしだたくろうやかぐや姫のLPを借りまくり、深夜放送を聴き始めたのもこの頃だ。自然と「僕もバンドがやりたい!」と思うようになっていった。
ギターは中学1年から音楽の時間で習っていたが、のめりこむことは無かった。それよりも、バンドが組みたいと思っていたところへE君の登場である。僕は見よう見まねで彼をコピーした。彼も快く教えてくれた。
「これ、8ビートね。これ、基本だから。右手は一定のリズムだよ。左手は間に入れるんだよ・・・。」なんていいながら、僕とE君の席はいつもうるさかった。
ドン・パ・ド・ドンパ  ドン・パ・ド・ドンパ ドン・パ・ド・ドンパ
「これ、ツーバスね!コージーかっきー!(コージー・パウエル 格好いい!)」
ドコドコドコドコ・・・・タタンタタンタタタタタ!
休み時間になると机で特訓。授業が終わると、音楽室にある小太鼓と大太鼓を駆使して簡易ドラムを作り、叩きまくりの毎日。
そのうち、ブラスバンド部がドラムを購入したので一気にヒートアップ。ブラバンの練習が終わると、
「俺達が片付けるから貸してくれ・・・。」と言って毎日叩いていた。
僕はエレクトーンを習っていたから、手と足がバラバラに動くということはある程度理解できていた。しかし、頭でわかってはいても実際にやってみるとこれがなかなか難しいもので体がついていかない。
「何か簡単な曲をコピーすればいいんだよ。スローなバラードより8ビートの方が叩きやすいよ。そうだな・・・甲斐バンドの『ヒーロー』なんか簡単かもよ。」
僕の課題曲は『ヒーロー』になった。
ドン・パ・ド・ドンパ  ドン・パ・ド・ドン ドコドコドコ 「ヒーロー!」ってな感じ。

 8ビートをマスターするとバラードの課題曲が与えられた。アリスの「遠くで汽笛を聞きながら」だ。
E君は一生懸命教えてくれた。右手は4つで足がシンコペーションをしながらキックする、なんてことは練習あるのみである。リズム感は決して悪くは無いので本当に練習漬けになった。

 文化祭でE君は引っ張りだこだった。ドラムを上手に叩けるやつはそんなにいない。ましてや、僕が中学の頃の文化祭はハードロックを演奏する環境が無かったので、フォークソングに毛がはえた軽い音楽が主流だった。E君は3~4つのバンドをかけ持ちしていた。
文化祭の当日、僕はE君のドラムを客席から見ていた。すると彼が曲間に出てきてマイクで言った。
「すいません。僕、ドラムばっかりなんで、たまにはピアノを弾きたいんですよ。というか、ピアノも弾けるんだぞ、っていうところを見せたいんだよね。んでもって、今からピアノを弾きます。曲はアリスの『遠くで汽笛を聞きながら』です。はーなー!(僕のこと)いる?叩いて!」
「?!」聞いてないよ・・・。
手招きされて、ドラムに座らされた。バンドのメンバーはE君がこの曲をやることに同意しており、練習もしていた。知らないのは僕だけだった。
E君が一生懸命この曲を教えてくれたのは、こういう裏があったんだとその時になって思った。
戸惑っている僕をよそに、ピアノはもうイントロを弾き、そしてヴォーカルが歌い始めた。
えーい、もうどうにでもなれ!という気持ちで一生懸命叩いた。
E君の指導が良かったのか、何とか間違えず、1曲叩ききることが出来た。
しかし、ひどい話だ。もし、僕がいなかったらどうしていたんだろう。
こうして中学2年の秋に僕はドラムデビューを果たした。

 それからというもの、みんなの中で僕は「ドラマー」という認識になった。
バンドの誘いもあり、多いときでは3つのバンドに在籍していた。いろいろな音楽も聴くようになり、ドラムを中心に聴くようにもなった。当時の人気ドラマーは、コージー・パウエルであったり、イアン・ペイスであったり、みんなハードロックのドラマーだった。しかし僕はどちらかというと、当時から古いロックを好んで聴いていたので、サイモン・カーク(FREE)やレボン・ヘルム(THE BAND)、デビッド・ガリバルディ(TOWER OF POWER)など、同世代では誰も知らないようなドラマーが好きだった。
僕のドラマーの好みは、ちゃんとドラミングが歌っている、という日本で言えば村上ポンタのようなドラムだ。テクニックがいくらあっても、歌っていないドラムを聴くと、興ざめしてしまうからだ。

 Gパンの後ポケットにスティックを2本さして歩くと何か格好良い気がしたものだ。友達を待つ間にちょっと手すりかなんかを叩いていたりして・・・(そんなCMが昔あったなぁ)。
結局、僕は中学2年から高校2年までずーっとドラマーだった。本当は高校3年の文化祭でもドラムを叩きたかったが、バンドのヴォーカルがあまりにも下手だったので、僕がヴォーカルをとる事になった。その時のドラムは迷うことなくE君に頼んだ。E君は快く引き受けてくれた。僕との友人関係もあったんだろうが、それよりも今まで誰も叩いたことの無い体育館でコンサートが出来るという企画(前コラムを参照)が彼の心を動かした。

 僕は大学に入っても、ドラマー志望だった。大学のクラブ活動であるフォークソング倶楽部の入部手続きの時も「ドラム希望」と記入した。
倶楽部では1年生(初心者)の為に楽器講座という「簡易的な楽器教室」が開催されていた。当然、僕はドラム講座を選択し、ドンパンドンパン叩いていた。
楽器講座はある意味、1年生の力量を試す空間でもあるので、欠員補充をしたい先輩バンドは鋭い視線を送りながら1年生の演奏を見ていた。僕はそんなことも気にすることなくドンパンドンパン叩いていた。先輩のNさんからもっと丁寧にタム回しをした方がいいよ、とか、同期のAさんからは肩の力を抜いて叩かないと疲れるよ・・・とかアドバイスを受けていた。
先輩のMさんが
「俺のバンド、ドラムがいなくなっちゃったから、お前、入らない?好きな音楽やってもいいぞ。俺達はチューリップとか世良公則とかやってるんだよ。」
「はぁ、僕はFREEとかTHE BANDとか好きなんすよ。」
「?」
会話にならなかった。

新入生歓迎コンパでは、必ず1年生は潰される。そして、2年生の下宿へ運ばれることが慣例となっていた。僕も御多分に漏れずしっかり運ばれた。自然反芻運動を繰り返しながらすっぱい気分で先輩の下宿で寝かされていた。
朝方、気分もだいぶ良くなってきたので、倒れている同期の男の横で立てかけてあったエレキギターを爪弾いていた。そこに、家主である先輩のNさんが帰ってきた。
僕はたわいない話をしながら、ギターを弾き続けていた。先輩はそれをじっと見ていた。
次の日、二日酔いの頭で学校に行き、倶楽部練習を始めようとした矢先、4年生のT先輩(女性)に声をかけられた。
「花形君ってギター弾くんだってね。うちのバンドで弾かない?」
「えーっ、でも、僕はドラムがやりたくて・・・。」
「えーっ、そうなの?でもギター弾けるんでしょ?うちのバンド、ギターがいなくなっちゃったから、探してるのよ・・・。やってよ!」
僕を誘ってくれたT先輩は、後にプロデビューするくらい上手なドラマーだったのだ。僕も倶楽部のバンドをいろいろと見てきた中で、上手だなぁと思っていたバンドであった。そこへギタリストとして加入することは僕にとって大変なプレッシャーだった。

 結局僕はドラマーの道を諦め、ギタリストになった。
しかし、どうしてT先輩は僕がギターを弾けるとわかったのか・・・。
答えは簡単だった。僕がギターを弾いているところを見ていたN先輩とT先輩が付き合っていて、情報が流れていたらしい。

 あれからずーっとギターばかり弾いている。
でも、今でもドラマーにはあこがれてしまう。
コンサートに行っても、ドラマーやベーシストに目がいってしまう。ギタリストなんて実はあまり興味が無かったりして・・・。いやいや・・・。
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2005年3月10日(木)
花形
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by yyra87gata | 2012-12-12 21:20 | 音楽コラム | Comments(0)