音楽雑文集


by yyra87gata

洋楽が楽しめない国民

 むずかしいことはよくわからない。国の問題、宗教の問題、人種の問題など僕たち日本人には「はかり知れない」何か大きな問題を抱えている国々がある。そういった国の音楽と日本の音楽を簡単に比べることは出来ないし、比べようとも思わない。ただ、日本人はそういった「国や宗教などのバックボーン」なんて持ち合わせていないから無責任にノルこともできるし、時として無責任な発言もする。
 
 もともと1つの国が2つに分かれてしまったとき、祖国を離れざるを得ない状況に置かれた人の気持ちはいかばかりか。増してや、分かれた国に恋人がいた場合はどうか。そんな心情を歌った名曲がある。
U2の「with or without you」である。
U2を世界レベルで押し上げた1987年発表の『THE JOSHUA TREE』からのシングルカットである。もちろん世界的に大ヒットを記録した。
君といる、もしくは君なしでは・・・。
国がまっぷたつに分かれた恋人の歌である。何と切ないラブソングであろう。
アイルランドは北アイルランドとの紛争で常に一触即発の状況である。IRAが暗躍し、テロにおびえる毎日である。『WAR』というアルバムに収録された血塗られた日曜日=「Sunday bloody Sunday」(U2の代表曲)は、実際に起きた事件(テロ)を痛烈に訴えている。鋭いビートで、まだU2がパンキッシュだった頃、みんな拳を振りながら歌っていた。どれだけの日本人が意味をわかりながら拳を振っていただろうか。
 
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 U2は、『THE JOSHUA TREE』を境にパンクからアメリカンロック(ルーツミュージック)へのアプローチを行う。そしてテーマを「メディア」や「POP」など、アルバムごとに変え、最新アルバムは『How to Dismantle an Atomic Bomb』(原子爆弾の解体方法)という直球が出てきた。アイロニカルな内容の詩が多いボノだが、常に「平和」をベーステーマにしてきている。それが、今回は直球でやってきた。
音楽性をどうこう言うこともできない程、ピュアな出来である。

 僕たち日本人は3重苦である。
言葉の問題、宗教の問題、人種の問題について欧米社会の国々の歌が通じないことがある。いや、本質が通じない。「文化の違い」などという簡単な言葉では言い尽くせない。言葉が障害になり、宗教観が理解できなければそもそも洋楽など心底楽しめるものではないのだ。映画もしかり。
英語圏はアメリカとイギリスとオーストラリアぐらいかもしれないが、ヨーロッパ圏にしても他の国々にしても宗教観は独自のものがあり、それぞれの神が存在している。
日本は無宗教(多神?)で、神様への感謝などという文化が国民性として根底に無い。常に「神にご加護を・・・」という精神で作られている洋楽や洋画を心底楽しめない国民なのである。哀しいものだ。
それでは欧米人は日本の演歌を楽しめないか・・・いやいや、これが実に楽しんでいるらしい。
言葉の意味さえ理解できれば十分楽しめるということなのだが、つまり、障害は言葉だけでそれ以外の問題(宗教や国や人種)が日本の歌にはあまり関与していないからということだそうだ。日本の歌ってそんなに薄っぺらなんだっけ、と思うがヒットチャートを見直すと納得する。
最近の日本の歌を聴いていても、日常を歌っている歌詞が非常に多いし、「君が好き」だとか「別れる」だとか「君を守り続ける」とか昔からある「シチュエーション」を、「言葉」を変え、「品」を変え表現しているだけだ。「ナンバーワンじゃなくてオンリーワン」なんて歌もあったけど、聞き手も作り手も同じ国民レベルだから何をやっても仕方が無いのかもしれないけど。

 アメリカの人種差別は今でも続いているらしい。そもそもソウルチャートが出来たきっかけは人種差別からきている。
僕はスライ&ザ・ファミリーストーンというファンクグループが大好きだ。彼らはブラックパワーを武器にしてアメリカ音楽界へ真っ向勝負していった。ウッドストックでも強力なキャラクターでステージを展開し、僕はジミヘンよりも印象に残っている。しかし、そんな彼らでも音楽で文化を変えるまでには至らなかった。そんな生易しいものではないということだ。
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 1970年代に入ると、愛と平和を謳うリベラル勢は敗北、そしてベトナム戦争は継続。同時に、保守権力による黒人ゲットーへの弾圧が激しくなる。当然の結果、全米各地で黒人達は暴動を起こす。だがそれは往々にして、自らのコミュニティーの破壊、という結果にのみ終わっていった。ヒッピーカルチャーの全盛に作られた『Stand!』の陽気さと溌剌さは、1971年発表の『There’s a Riot Goin’ On』(邦題:暴動)にはない。スライ・ストーンは自己の内面を凝視するようにつぶやき、時に唸る。サウンドは壊れやすいガラス細工のように繊細だ。もうそこには以前のようなパーティーで踊る類のファンクはない。独り部屋に閉じこもり聞く音楽だ。これほど綿密なファンクが作られることはもうないかもしれない。余りに影響力の大きい、そして音楽史上忘れられてはならないファンクの曲がり角であったのだ。でもそれは、内容もじっくり聞き込んで、いろいろとニュースを聞きかじりながら出せた僕の結論である。リアルタイムで何の情報も無いまま『There’s a Riot Goin’ On』を聴いていたら、
「スライにしてはずいぶん暗い音だなぁ。もう以前のような明るさは無いなぁ。このファンクじゃノレないなぁ・・・。」なんて思っていただろう。やっぱり3重苦である。

 ボブ・ディランやヴァン・モリソン、ニール・ヤング、ルー・リードなんて聞いていると、時々がっくりくる。
音を楽しむ前に詩で苦しんでしまう。でもそこまで聴かなければ、作者に失礼だろう。だから、一生懸命聴く。特にディランとルー・リードは難解だ。ディランは呪文のような詩もあれば、アレン・ギンスバーグやアルチュール・ランボーのような詩もある。アメリカのサブカルチャーもあれば、神に近づいた詩もある。難解である。しかし、読み込んでいくと面白い。時間がかかるけどね。
ルー・リードも同様。ルー・リードはディランの内容に、ゲイやSMといったアンダーグランドな世界が加わる。もう、文化なんだか、性癖なんだかわからない。
まだジャクソン・ブラウンのようにプロテストが明確なものであったり、ブルース・スプリングスティーンのように映画の断片のような男と女の世界、貧困の世相を歌い上げてくれるくらいならわかりやすいのに。
そもそも音楽とは、ひとつの伝達手段だから「音だけで楽しむもの」や「詩を合わせて楽しむもの」なので聞き手が選べばいいものだが、折角送り手が意志をもって発信しているのだから、聞き手(僕)は、出来る限り送り手に近づきたい。

しかし、そう考えると音楽だけをとってみても、日本は平和な国なんだなと再確認した。これは皮肉もこめてね・・・。

2005年3月25日(金)
花形
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by yyra87gata | 2012-12-14 00:27 | 音楽コラム | Comments(0)