音楽雑文集


by yyra87gata

存在

 彼についてはいろいろな人がいろいろな事を書きまくっているので、真っ向勝負する気もないし、他人の意見は意見として受け入れようと思う。というか、気にしないようにするといった方が確かか・・・。何故こんなに回りくどく言っているかというと、それくらい賛否両論が激しく、それでいてデビューから今までずっとスーパースターであり続けているアーティストだからだ。
ボブ・ディランという。
ディランの人となりを紹介するつもりもない。彼の偉業は「計り知れない」としか言えない。
僕は彼についての個人的な印象のみを語ろうと思う。
僕のボブ・ディランの第一印象はとてつもなく格好良かった。最初に聴いたアルバムは『BEFORE THE FLOOD』(放題:偉大なる復活)。1974年にザ・バンドを引き連れて行なったツアーのライブ・アルバム。こんなアルバムを何故突然高校生が聴いたか。答えは簡単。吉田拓郎のラジオで、拓郎が1974年のツアーのバックバンドが9割方「ザ・バンド」に決まっていて、最後の最後にディランに横取りされたと言っていたからだ。拓郎は悔しくてLAに飛び、ディランのライヴを見たそうだ。それはそれはすごいライヴで、「こんなライヴをやられてしまっては、諦めるしかなかった」とラジオで言っていた。僕は、どんなライブパフォーマンスをしたんだろう、という思いでアルバムを購入した。
 全米3位を記録。13曲がディランで、8曲がザ・バンド。いずれも代表曲がずらりと並んでいる。ディランは3曲のアコースティック・セットを除いてザ・バンドをバックバンドにして唄う。ザ・バンドの曲にはディランは参加していない(当然か)。ディランはこのツアーについて、「しんどかった。よい印象をもっていない」と話していたそうだが、僕はたとえようも無いくらい格好良く見えた(聴こえた)。とにかく素晴らしい。当時としては大音量のコンサートだったようで、観客の感動も「うねり」のように伝わってくる稀代のライヴだ。例えば「見張塔からずっと」はイントロを聴くだけで、これから始まるすごいことを予感して興奮してしまう。そしてハイライトは「ライク・ア・ローリング・ストーン」。力強い演奏、気力溢れるボーカル、そして観客の盛り上がり、こんなパフォーマーとオーディエンスの交歓はめったに聴けるものではない。「how does it feel?」と歌うときの観客の歓喜は必聴である。

 ボブ・ディランのライヴにはあたりはずれがあるという。確かに1986年のトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズをバックに従えパフォーマンスしたライヴは未だに僕のディラン・ライヴのトップだが、1994年のパフォーマンスはかったるい印象のものでしかなかった。アレンジが単調で、やる気があるんだか無いんだかわからなかった。その後、2回の来日公演を観たが、どの公演もいろいろな味付けがされてはいたが、一概に良い悪いと言えないどこか超越した内容だった。しかしそんな中、最近(といっても4年前)のライヴは何故かかなり盛り上がった。伝統芸を観に行く気持ちというか、次はもう再び会えない(死んじゃう)のではないかという恐怖観念というか義務感というか・・・。言い方を変えれば人間国法的な尊ささえ感じてしまう。そんな存在になってきたのか・・・。そんなディランだから、どんなライヴを展開しょうが、愚痴は言いたくなるが文句は無い。きっと僕のような人が大勢観に行くから無理やり盛り上がっているだけなのかもしれない。ちょっと言い過ぎかもしれないけど・・・。
 ディランのライヴは、ヴォーカルが始まるまで何の曲だかわからないことのほうが多い。ほぼ全てにおいてアレンジがなされており、ヴォーカルが始まっても歌のタイトルがわからないこともある。レコードとライヴを完全に分けて考えているようで、ファンにとっては2度おいしい。ファンで無い人が聴くとみんな同じに聴こえてしまい、3曲で飽きる。
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 ディランはいつもしかめっ面だ。苦虫をかんだような顔をしている。そんな顔からこれまた猫を踏んづけたようなヴォーカルが音程も無く出てくる。こんなアーティストに何故惹かれるのだろう。ある人は、「ディランなんてベトナム戦争や公民権運動の時代、つまり60年代の忘れ物だよ・・・。」という。
あながち間違いではないかもしれないが、70年代以降のディランはそれまでのフォーク歌手(プロテストソングの騎士)からロック歌手へ転向し、時代を切り取ることよりもキリスト教へのアプローチや内省的な歌詞も数多く発表された。一言一句ディランの発する言葉は、注目を浴びるので、彼はうんざりしてしまい、あの顔立ちになったと推測される。なぜなら、初期のディランのポートレートは笑っているものが数多く見つけられるからだ。当時の恋人スーズと一緒に撮影された『THE FREEWHEELIN'』(1963)のジャケット写真にいたっては、屈託の無い笑顔で冬のグリニッジビレッジの路地を腕を組みながら歩く普通の若者だ。いつからディランは笑顔を失ったか・・・。彼から笑顔を取ってしまったのは他でもないマスコミを筆頭とした我々ファンかもしれない。
彼をフォークの神様と呼び、プロテストソングの代表者として崇め、上げるだけ上げて時代が変わり、音楽のトレンドが変わると何の未練も無く捨てる。時代遅れだ、という。
クリエイターにとってファンの存在は自分の存在意義を保つことでは表裏一体の存在だ。それを若いうちから体験してしまったディランだから、あんな顔つきになってしまったんだろう。厭世的というか懐疑的というか・・・。ミステリアスでもあり、孤高の存在に仕立てられてしまった。

 ディランは「もう新曲は作らない。もういい。たくさん作ってきたんだから、あとは今までの歌を歌い続けるさ。そんなに簡単に歌なんて出来るもんじゃないんだよ・・・。」と言っていた。
歌手に定年があるのか、才能が枯渇したのかよくわからないが歌を作らないと言い出した。しかしその後、周りのスタッフからけしかけられ、ゴリゴリのフォークアルバム『TIME OUT OF MIND』(1997)を制作したらその年のグラミー賞のベストアルバム賞を受賞してしまった。このこともディランは気に入らなかったらしい。
「俺は何も変1年もすればみんな忘れてしまうんだろう。」
彼らしいコメントだ。

 ディランはいつからか「ネバーエンディングツアー」と称したツアーを開始した。言葉どおり「終り無き旅」である。最小編成のときもあれば、6人編成のときもある。曲は当日に決められ、ディランのおもむくまま展開される。アレンジもヘッドアレンジが施されているだけなので、ディランの感情がそのまま音に反映されている。

クラプトンよろしくリードギターを弾きたがるディラン。独特な3連府を延々弾くことがディランソロの特徴だが、何かに取り憑かれたように弾く姿は滑稽を通り越して圧倒される。たいして上手いソロではないが圧倒される。
そうだ、この存在だ。
ディランという存在。
ボブ・ディランは存在で勝負しているアーティストなんだ。

若くして神様になった男は、自らの存在に悩まされ続けたが、今は存在を消すことや存在を堅持することがディランの生き様という気がする。

次にいつ来日するかわからないが、その時は彼の存在を確認しに会場へ足を運ぶだろう。
ディランがそこにいるから。
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2005年4月23日(土)
花形
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by yyra87gata | 2012-12-14 01:13 | 音楽コラム | Comments(0)