音楽雑文集


by yyra87gata

『ウェーヴ』  パティ・スミス・グループ

 
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 ランボーやフランス文学、ジム・モリソンやストーンズに狂った少女時代。
子供を生んではみたが、経済的理由で里子に出してしまった19の頃。
小銭と不安を抱えてニューヨークに移り、そこで出会った写真家ロバート・メイプルソープと恋におちたチェルシー・ホテルでの生活。
1970年初頭からパティはポエトリー・リーディングを始める。
自分の虚弱な身体や女であることの疑問。本能と戦う自分。空想と妄想が入り混じり、現実が交差する時の不快感など、パティ・スミスの世界は鋭い詩となって空へ散開していく。
当時のチェルシーは、ベルベット・アンダーグランドの連中やアンディ・ウォホールなど前衛芸術家の溜まり場だった。
その中でパティのポエトリー・リーディングのバックでロック演奏を融合させたことは、徐々に話題となり、数社のレコード会社からの誘いを受ける。
なんとアリスタ・レコードは社長自らがチェルシーに足を運び、パティを口説き落とした。
 『グローリア』(1975)はジョン・ケイルやトム・ヴァーラインの協力で発表された。商業的にもそこそこの結果に終わったが、パティはカーラジオから流れてくる自分の歌を聞き、音があまりにも貧相に聞こえ、愕然としたという。自分を支持してくれるリスナーは、リビングのステレオで音楽を聴く層ではないことを知っていた彼女は、次作の『ラジオ・エチオピア』(1976)は前作よりハードな演出を施し、貧弱なカーステのスピーカーからでも迫力が伝わるようにした。3作目の『イースター』(1978)は、アルバムの中からスプリングスティーンとの共作「ビコーズ・ザ・ナイト」がベスト10ヒットとなり、全米中に名前が知れ渡るようになった。各著名人からも絶賛の嵐で迎えられ、彼女はちょっとだけ自信が持てた。そして自らのバンド「パティ・スミス・グループ」を率い、ワールドツアーに出るようになる。
『ウェーヴ』(1979)はお別れのアルバムだ。全体に漂う匂いは以前の尖った刃のような雰囲気ではなく、大きな河の流れに身を任せる安心感が漂う。MC5のギタリスト、フレデッド・スミスとの結婚も彼女を安息の地へと導いていったのだ。彼女は女に戻り、再び母となっていった。
1988年に突然アルバムを発表した時、パティは強い母になっていた。『ドリーム・オブ・ライフ』と名付けられたアルバムに70年代のパティを探すことはできない。良いとか悪いとかの問題ではなく、全然別物として考えないと聴くことはできないくらい変貌している。
幸せの時間を謳歌し、笑顔がパティに何をもたらしたか・・・。

 “幸せなんてそんなに長くは続くものじゃなかった。私はやっぱり戦うために詩を書くんだ”
『ドリーム・オブ・ライフ』から8年、愛する夫やバンドメンバーを次々と失い(死)、どん底を経験したパティは再び詩を書き始め、『ゴーン・アゲイン』(1996)・・・すごいタイトル!・・・を発表した。喪失感とやり場の無い怒りは、前作の安堵感を吹き飛ばし、デビュー時の苛立ち以上の荒波が押し寄せる作品となった。そして初来日。
 鬼気迫る想いでステージを展開し、時に祈り、時に狂人となり、時に慈愛の表情を覗かせる。
短い日本ツアーだったが、初日と最終日とでは別物と思えるくらい出来が違っていた。最終日のパティのはじけ方といったら、表現できない。スーツ姿の僕は恥ずかしくなってネクタイを緩め、ジャケットを脱いだ・・・。
 パティは今でも新作を発表している。その後、フジロックにも出演した。第一線で自分を表現しているアーティストである。しかし、僕の中でパティは『ウェーヴ』で終わっている。誰にも止められない鋭いナイフのような存在は70年代のパティ・スミス・グループでしか味わえないからだ。パティ・スミス・グループの完成形として『ウェーヴ』をお勧めする。

2005年8月17日
花形
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by yyra87gata | 2012-12-16 08:28 | アルバムレビュー | Comments(0)