音楽雑文集


by yyra87gata

エコーズの問題提起

 子供達が危険信号を出しているが、大人達はそれに気づいていない。家庭は円満に見えていても、実はひずみが生じ、最後は修復不能に陥る。そんな叫びをビートに乗せてエコーズは、問題提起していた。
 エコーズは活動していた7年の間、ヒット曲に恵まれなかった。活動していた1985年から1991年は、世の中はバブルに踊り、TV番組《いか天》などのバンドブームが音楽界を席巻しており、決して活動しづらい環境ではなかったが、何故か売れなかった。社会派すぎたのか、歌詞が分かりづらかったからか・・・。その当時売れていたボウイやレベッカ、ブルーハーツとは確実に色が違った。
 
 辻仁成は今でこそ芥川賞作家で、中山美穂と結婚した人という認識で一般人には理解されている。しかしもともとは、生粋のロック少年だ。函館生まれで、親の都合で転校を繰り返し、何度も「いじめ」という洗礼を受け、「かぎっ子」で独り寂しく親の帰りを待つ少年だった。ラジオだけが心を開ける友となり、そのラジオから流れてくるロックに魅了されるようになる。大学進学とともに上京し、直ぐにバンド活動を始め、いきつけのスタジオにメンバー募集広告を出し、何度もオーディションを繰り返しながらエコーズを結成した。
 
 ドラム以外は素人同然のメンバーが集まり、練習と都内のライブハウスで多くの時間を費やした。辻の思いはライブに表れ、レコードデビューの話へ発展する。CBSソニーでレコーディングをしたが、最初のテイクは全てお蔵入りになった。ディレクターは言う。「難解すぎる。」
辻は、全て詞を書き直し、『welcome to the lost child club』(1985)を発表する。「ひきこもり」や「親の無関心」「いじめ」など現在社会問題化している状況を歌にしている。この先見性については驚かされる。そしてセカンドアルバム『HEART EDGE』(1986)を発表。ファーストからの流れを汲むこの作品は、より具体的に子供達の声にならない叫びを表現している。音楽性も井上鑑をプロデューサーに迎え、ただのビートバンドの音ではなく、繊細さも加わっていった。パンキッシュな鋭さを持つファーストとそこにブライアン・イーノばりの空間が広がり、メッセージが突き刺さってくる。是非聴いて欲しい1枚である。
 
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 その後『NO KIDDING』(1986)、『Goodbye gentle land』(1987)、『HURTS』(1988)と発表していったが、セールス的には話題にも上らなかった。少し話題になった作品は永井真理子や川村かおりがカバーした「ZOO」が収録された『DEAR FRIEND』(1989)だろう。
 
 エコーズには音楽的な問題以外にもう一つ問題を抱えていた。ギタリストの伊藤浩樹である。急性白血病で入退院を繰り返していた。バンドは、その度にサポートメンバーを入れたり、キーボードを補充したりと苦労していた。辻は弘樹を捨てなかった。もともと演奏力で組んだバンドではない。人間性で組んだバンドなので、音楽ではないところのつながりがメンバー間にはあった。

 そんなエコーズは、1990年にたった1回だけ日本武道館でコンサートを行なっている。『EGGS』(1990)発表の為のコンサートだった。アルバムとしては、これが最後のオリジナルアルバムになった。コンサートは会場に入りきれないファンが武道館を取り囲んでいた。叫び声がコダマした。
翌年の5月、日比谷野外音楽堂でエコーズは解散した。
解散のコメントで辻は、「音楽でメッセージを伝える限界を知った」と答えた。
解散でうなだれるファン。よりどころを失くした喪失感が野音を埋めつくした。

2000年のTVドラマ「愛をください」の主題歌で「ZOO」は甦った。大ヒットを記録した。11年前の隠れた歌がブラウン管から流れた時、エコーズは存在していなかった。

2005年9月8日
花形
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by yyra87gata | 2012-12-16 13:20 | 音楽コラム | Comments(0)