音楽雑文集


by yyra87gata

『フィンガー王国』  フィンガー5

 d0286848_2152303.jpg小学校低学年のとき、友達のT君の家に行くと必ずしていたことがある。レコードをかけて踊りまくるのだ。それこそ、メチャクチャに体を動かすだけなのだが、本人達は一生懸命ノッているのだ。では、何の音楽をかけて踊っていたか。
 フィンガー5である。T君はフィンガー5のシングル盤を全部揃えていた。フィンガー5は当時全盛期で、「個人授業」「恋のダイヤル6700」「学園天国」「恋のアメリカンフットボール」など、発表する歌すべて100万枚を超える大ヒットを記録。そして彼らは沖縄アイドルの元祖で、南沙織と人気を二分していた。確かシングルジャケットのデザインはドカベンで有名な水島新司が書いていたと思う(関係ないか・・・)。
 しかし、僕は違和感を覚えながら踊っていた。ノリの良い音楽だけど、それでも妙な気分だった。
その違和感とは・・・。僕は当時エレクトーンを習っていて、海外の映画音楽や軽音楽を「メロディー」として捉えていた。軽音楽にはムードミュージックもあれば、ロックやソウルもあった。特にモータウン系は小さいながらも弾いていてワクワクしたものだ。独特のビート感や黒人独特の旋律が、「メロディー」として頭に入ってきていた。フィンガー5で踊っている時、この「メロディー」がエレクトーンで弾いていたメロディーとリンクしていたのだ。どこかで聞いたことのあるメロディー・・・。

 フィンガー5は兄弟のグループである。最初はオールブラザーズと名乗り、沖縄から東京へ出てきた時は全然売れなかった。仲宗根美樹の事務所でコーラスなんかを手伝っていたが泣かず飛ばずだった(ベイビーブラザーズと改名)。
そして、転機が訪れる。沖縄本土返還(1972)の直後、傷心で沖縄へ帰る準備を始めた7月、彼らの才能に目をつけた当時のレコーディングディレクター井岸義測との出会いだ。井岸はキャロルを世に出したばかりの人物で、ノリにノッていた。彼らのキャラクターをジャクソン5になぞらえて、グループ名もフィンガー5に変えた。自分が発言権のあるレコード会社である“フィリップス・レコード”に移籍させ、戦略を練る。これまたキャロルがらみの“銀座NOW”の月曜レギュラーに据え、ティーンエイジャーに売り込みをかけていった。あとは、大ブレイクが彼らを待っていた・・・。フィンガー5は、ヒット曲、コンサートツアー、映画出演とスターの仲間入りを果たした。
ブレイクから1年半、長男の一男が抜け(マネージャーになる)、いとこの実が加入し、ジュリーとの合同リサイタルを行なったり、「バンプ天国」のヒットはあったが、人気は翳りを見せていた。原因はいろいろあったが、晃の声が声変わりと共に高音が出なくなったこと。実が兄弟ではなく、あまりにも小さすぎること。時代は歌謡曲からニューミュージックに移っていったことなど・・・。
1978年でフィンガー5は実質解状態になった。その後タエコ、ミノルを除く3人で“フィンガーズ”という3ピースバンドを組みライヴハウスに出演していたが、自然消滅する形になった。
 小泉今日子がドラマの主題歌で「学園天国」をヒットさせ、フィンガー5人気が甦ったことがあるが、KYON2のそれは、あまり魅力的ではなかった。晃の声のような艶が無いからだ。

 僕の違和感が解けたときには彼らは解散していた。マイケル・ジャクソンの歌い方が晃に似ていると思ったときに疑問が解けたのだ(おいおい逆だよ)。ビートルズに対抗してモンキーズが出来たように、フィンガー5はジャクソン5を明らかに意識していた。実際ジャクソン5のカバーもしていたし・・・。
しかし今の冷めたアイドルや、変にアーティストぶったやつらよりもよっぽど高い娯楽性と芸術性を彼らは持っていた。30年の時を経ても彼らの音楽が色あせずに聞こえる事ということは、大衆音楽の要素が凝縮されている素晴らしい作品だからだと思う。
『フィンガー王国』(1999)はフィンガー5のベスト盤である。お手頃な収録数で飽きることなく聴くことが出来る究極の選曲だ。40歳以上の方は歌詞を見なくても歌えるよ。

2005年9月16日
花形
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by yyra87gata | 2012-12-16 21:53 | アルバムレビュー | Comments(0)