音楽雑文集


by yyra87gata

『そうかな』  小田和正

 
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 中学時代、僕はオフコースが嫌いだった。いや、オフコースを歌っている先輩が嫌いだった。その先輩達は、野球部だった。学園祭のために即席に作ったバンドでオフコースを演奏していたのだ。坊主頭で普段はガラガラ声なのにその時は、裏声なんか使ってコーラスしていた。僕の学校は男子校だったので女の子が校内にいるということは文化祭ぐらいで、その非日常に我々はがんばってしまう。野球部の先輩もがんばってしまったのだろう。
僕はその時、吉田拓郎一色だったので文化祭でも拓郎を弾き語りしていた。しかし、当時の人気はオフコース、松山千春、アリスであって、拓郎の“た”の字も出てこなかった。
野球部のへったくそな演奏には、女の子が群がり、中には泣いている子もいた。“あの演奏とあの面で泣くかね?”と友達のW君と話していた。ちなみにW君は、頭脳警察を演奏していた(誰も知らネェよ)。 つまり、“オフコースの歌の魅力が素晴らしいということなんだろう”とその時は納得していたが、自分でやろうとは思わなかった。
 
 僕がオフコースを真剣に聞くようになったのは、彼らが5人になってからで、ロック色が強くなった頃だ。小田と鈴木の2人だけのオフコースは、今聴くとすんなり入ってくるが、中学時代の当時は良くわからなかったのだ。小田自身も言っているが“女々しい、暗い”といった印象でしかなかった。5人のオフコースは「さよなら」の大ヒットで売れっ子の仲間入りをしており、武道館公演も成功させていた。ヒット曲を立て続けに飛ばしているそんな頃、小田がラジオで話していたことで僕は小田が好きになった。
“野球チームを持っているんだけどね、もちろんアマチュアでさ。でも試合は真剣なんだよね。だから相手方のチームが遊びで女の子がライトとかに入っているとするじゃない・・・。もう駄目なんだよ。やる気がしなくなる。帰れ、って女に言ったことあるもん”
女々しいイメージのあった小田の言葉としては意外な感じがしたと同時に、僕は“これだ”と思った。オフコースはライブでレコードを再現できる完璧なバンドとして当時話題になっていたが、この小田のこだわりが、完璧なパフォーマンスを作り上げていると確信した。妥協を許さないというか・・・。だからこだわる物への探究心は並外れており、音楽にしても鈴木康博とよくケンカしていたらしい。客はもちろんイベンターも感動しているステージの後でも、“あそこのコーラスは少しずれていた”とか“あそこはやり直そう”とか、やりあっていたそうだ。その頑固さがずっと第一線を走る原動力になっていったのだろう。
 
 オフコースは人気の絶頂期に鈴木を失う。『THE BEST YEAR OF MY LIFE』(1984)は、4人のオフコースで制作した。曲調は、新生オフコースに相応しく、全体的に前向きな作品が多い。「緑の日々」や「君が嘘をついた」など佳曲が揃っているが、何故か違和感のあるアルバムである。やはり鈴木康博の存在が大きかったことは誰の目にも明白だった。

 オフコース解散後、小田はいろいろなことにチャレンジしている。テレビCMへの出演、映画制作、プロゴルファー(青木功)のキャディー、東南アジアのツアーなど。そして、テレビドラマ主題歌のヒットが活動に拍車をかけた。最近では音楽番組のレギュラーを持ち、様々なゲストを迎え新たな音楽の模索を始めている。とにかく元気な58歳である。

 2005年9月22日。日本武道館で小田のコンサートを見た。アリーナに伸びる3本の花道、武道館の幅いっぱいにとった舞台の上を小田は走り回って歌っていた。オフコースの頃の寡黙な小田からは想像もつかないほど活発で饒舌だった。舞台を降り、ファンサービスをする小田を見て、これも徹底的にファンを楽しませるという小田のこだわりなんだろうと思った。
 『そうかな』(2005)を中心にコンサートは進んだ。オフコース時代の歌も混ぜながら3時間のステージは圧巻だった。アルバムとして『そうかな』は漫然とした印象だったが、ライヴで体感すると非常に心に沁みる作品ということを再確認した。きっと小田の生の声の持つ説得力と演奏のこだわりかと思う。
 何気ない日常に感謝する・・・。今の時代、心に沁みる言葉である。

2005年9月26日
花形
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by yyra87gata | 2012-12-16 22:09 | アルバムレビュー | Comments(0)