音楽雑文集


by yyra87gata

『シュール・レアリスティック・ピロー』  ジェファーソン・エアプレーン

 よし姐はサン・フランシスコ帰りのヒッピーだ。いつもタバコを片手に何か作業をしている。シルバーのブレスを作ったり、ペンダントを作ったり。それを優しい目で見ているタケオはよし姐の男で、一緒にシスコもインドも行っていた。タケオは旅行代理店に就職したが、1年でドロップアウトして自らが人生のツーリストになってしまった。ワコは看護学校の学生。医療関係を目指している割には、酒とタバコは人並み以上。わけのわからん薬も常備していていつも目が飛んでいた。トンは、住まいが鎌倉だったがいつも渋谷にいた。彼もロス帰りのヒップだ。渋谷・道玄坂のBYGか宮益坂のディスクロードに行けば誰かに会えた。

 渋谷は今のようにガキの溜まり場でなく、もう少しマシな街だった。闇市の跡があったり、ちょっと裏道に行くと怖いお兄さんがいっぱいいた街だったが、新しい波やエナジーが感じられる大人の街だった。僕はよし姐の作る指輪やペンダントに名前を彫るバイトをしていた。道玄坂や原宿の同潤会アパートの前にゴザをひいて路行く人にアクセサリーを売っていた。売上が良い日は代々木公園でパーティー。宇田川町の肉屋と八百屋で生ハムとレタスを買い、ワインやビールで酒盛りだった。もちろん未成年だったから公にできないこともあったけど、もう20年以上も前の話だ。ラジカセをいつも持ち歩いていたトンは、こういったパーティーでいつもジェファーソン・エアプレーンをかけていた。エアプレーンがかかるとみんな体に何か宿ったかの如く、踊りだす。グレイス・スリックの力強いヴォーカルが安いラジカセのスピーカーを震わせていた。

 『シュール・レアリスティック・ピロー』(1967)はジェファーソン・エアプレーンの代表作である。アルバムからは「サンバディズ・ラブ」「ホワイト・ラビット」のヒットが出た。彼らはサイケデリックロックの先駆者でありドラッグ肯定の反体制のバンドであった。そしてラブ&ピースを心情に、世間を巻き込んでいった。いわば60年代のオピニオンリーダーだったのだ。音楽的にもマーティ・ベイリン(Vo)、ポール・カントナー(G.Vo)、ヨーマ・カウコネン(G.Vo)、グレイス・スリック(Vo)といった主要メンバーがバンドのフロントラインを占め、とても存在感のあるバンドだ。サン・フランシスコのフラワームーブメントが彼らを後押しし、時代の寵児に仕立て上げられたという見方もあったが、実際にフィルモア・ウェストで彼らを見てきたタケオの話だと、演奏力や表現力は素晴らしいものだったらしい。ライトショーやドラッグというイメージ先行で見ていたが、3人のヴォーカリストのハーモニーは、ただのドラッグバンドではなかったそうだ。
 
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 タケオはエアプレーンに非常に影響を受けており、エアプレーンの面々が行なっていたコミューンの構想をいつも熱弁していた。コミューンとは、エアプレーンのメンバーが1968年、サン・フランシスコ市内に豪邸を購入し、彼らの事務所を置いたり、仲間に開放したりしながら共同生活を始めたのである。そこで自由に音楽の構想を練ったり、瞑想に耽ったり・・・。実際にタケオの友達は横須賀の米軍ハウスを借りてコミューンを作って暮らしていたし、鎌倉から通っているトンに向かって共同生活の良さを語っていた。僕はコミューンから高校に通えるのか悩んでいたが、よし姐は高校より大切なことを教えてあげる、と言って笑っていた。
よし姐もタケオもワコもトンも、みんなそんな夢ばかり語って毎日を過ごしていた。

 ある日僕が渋谷の溜り場に行くと、トンがぼんやりタバコを吸っていた。ワコがパクられた、と遠くを見ながらつぶやいた。よし姐もタケオも消息不明だそうだ。コミューンと称して住んでいた都営アパートはトンが独りで住んでいると言う。
ジェファーソン・エアプレーンのマーティ・ベイリンはいつのまにか、ソロシンガーになっており、「ハート悲しく」(1981)のヒットをとばしていた。そんな秋の日のことだった。

2005年10月19日
花形
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by yyra87gata | 2012-12-16 23:37 | アルバムレビュー | Comments(0)