音楽雑文集


by yyra87gata

『イマジン』  ジョン・レノン

 
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 ジョン・レノンが射殺されたことを知ったのは、NHKの7時のニュースだった。家族で夕食をとっている時、僕はそのニュースをみて驚き、お袋は声を上げた。死に方が射殺という衝撃的な内容だったので、団欒の時間が暗いものとなったことを記憶している。
ジョン・レノンが射殺され、世界中でビートルズとレノンの特集が組まれた。レノンの死に対して著名人がコメントを求められ、一様に“遺憾だ”“残念だ”“これでビートルズは終わった”などの言葉がメディアに載った。犯人は偏執的なレノンファンということで僕達を複雑な気分にさせた。
僕はレノンの死を知らされた夜、部屋でありったけのレコードを聴いた。特にその年に発表されたばかりの『ダブル・ファンタジー』(1980)はヨーコの部分をカットして何回も聴きなおした。別に涙は流れなかったが、レコードを聴きながらビートルズの本や古い音楽雑誌を見返しながらレノンの歌を聴いていたら止らなくなってしまい、朝方4時頃『ヌートピア宣言』(1973)が流れている時に学校を休もうと決意した。その後もレコードを聴きながら過ごしていたが、何故こんなに悲しくなるのかを考えた。レノン=マッカートニーがもう二度と聴けなくなった、という残念な気持ちと時代を切り開いてきたオピニオンリーダーがいなくなったという寂しさか。いや、そんな一般的な感想ではなかった。
 僕が唯一レノンに救われたことは、めがねをかけるということだった。
僕は丁度この頃から視力が落ち、めがねをかける機会が増えた。めがねをかけるということはその頃の常識ではビジュアル的に劣るイメージがあり、僕は、弾き語りやバンドでドラムを叩いている時は、わざわざめがねを取ってプレイしていた。しかし、レノンのライヴビデオを見たとき、めがねをしっかりかけて堂々とプレイしている飾らない彼が格好よかった。めがねが初めてファッショナブルに見えた瞬間だった。そして、あんな格好良いアーティストを生で見ることが出来なくなったという単純な理由が僕を悲しくさせたのだ。僕は高校を2日休んだだけだったが、友達のW君は10日間休んで先生から心配されていた。
“風邪をこじらせた”という理由でW君は休んでいたが、彼が登校したとき、先生はW君の目が尋常でないくらい赤く腫れていたことを見逃さなかった。
「Wも花形も気持ちはわかったから、俺に休んだ時に考えたことをレポートしろ。」とだけ言った。
僕は素直にレノンが死んだから休んだと言っていたので素直に彼の詩や曲について思うところを書きなぐり、世界の財産がまたひとつ減ったと締めくくったが、W君はレノンが死んで直ぐにダコタハウスに飛び、セントラルパークの集会に出てきたツワモノであった(親父がパイロットだとやることが違う)。
彼のレポートは克明に当時の現場が記されており、先生もビックリしていた。なお、ずる休みをした2人には教務室の掃除1週間という懲罰も下った。
 
 僕がレノンで一番聴いたアルバムは『イマジン』(1971)である。詞の明快さから入りやすかったことが要因だが、レノンのその時の素直な気持ちが多様な音楽に乗っている秀作だと思う。付録のポスターは、グランドピアノに向かうレノンが写っているが、平和を主張する白を基調としたデザインが彼の気持ちを表しているように感じる。
久々に針を落としてみて気が付いたが、レコードはペラペラで、擦り切れる寸前になっていた。

2005年12月6日
花形
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by yyra87gata | 2012-12-17 13:22 | アルバムレビュー | Comments(0)