音楽雑文集


by yyra87gata

『竹田の子守唄』  赤い鳥

 僕は人から好きな歌は何?という質問を受けた時、必ず答える歌がある。
赤い鳥の「竹田の子守唄」である。その曲名を言うと、質問者はみんな笑いながら、「そんなウケを狙うような答をして・・・。本当は何?拓郎?クラプトン?」などと聞き返してくる。いやいや、僕はいつでも真剣に答えている・・・。
 赤い鳥の「竹田の子守唄」という歌を御存知だろうか。僕は中学生の頃、フォーク好きの従姉妹が口ずさんでいたのを聴き、その歌に惚れてしまった。なんと美しいメロディーとコーラスだろう、と。早速従姉妹から赤い鳥のアルバム『竹田の子守唄』(1971)を借り、家で毎日のように聴いていた。大分県竹田地方の子守唄という噂が流れたこともあったようだが、実際は京都地方の歌というのが真相のようだ。
そして、この京都地方の歌ということが広まり始めた時、この歌の運命が変わった。実際は、京都府伏見区竹田という場所で代々歌い継がれた歌だった。
歌詞を紐解いていくと、そこには被差別部落に生きたおばあさんが子守をしながら歌ったという真実があり、このことがこの歌をテレビやラジオといったメディアの舞台から徐々に退かせることになっていった。しかし、この歌を世に広めた赤い鳥のリーダー後藤悦治郎は、メロディーと歌詞のバランスの良さに惚れ、何の先入観も無くレパートリーに取り入れたそうだ。
 僕はこの歌を高校2年生(1981年)のラジオで聞いて以来、メディアを通して聞いたことがない。放送禁止の対象。正確に言えば、放送自粛という措置がとられているようだ。このことは、《放送禁止歌》知恵の森文庫・森達也(著)に詳しい。
 
 赤い鳥は男女混成の5人組。1969年のヤマハライトミュージックコンテストでグランプリを取り、デビューした(ちなみに2位はオフコース。入賞にフォーシンガーズ・・・後のチューリップ)。
 2年後、シングル発売した「竹田の子守唄/翼をください」が大ヒットし、全国的に知名度が上がった。同時期に発売されたセカンドアルバム『赤い鳥』(1971)は、3曲(「誰のために」「希望」「小さな歴史」)
が日本語で、残りの10曲はS&Gやビートルズ、B・バカラックのカバーで占められていた。サードアルバムの『What a beautiful world』(1972)に至っては全曲英語。その1年後には、新メンバーとして大村憲司(G)や村上秀一(Dr)が加入し、どんどんポップス色が強くなっていった。
コーラスグループとして売り出したかったのかどうか定かではないが、後に“紙ふうせん”というフォークデュオと“ハイ・ファイ・セット”というポップス・グループに分かれる歴史から見て、音楽性の相違があったことは明白だ。そしてその分裂の真相はなんと「竹田の子守唄」に隠されているという証言もあるようだ。
 後藤悦治郎は、「竹田の子守唄」に出会ったとき、単に楽曲の良さだけを表現するのではなく、その歌の背景をも理解するべきだと主張。しかし、他のメンバーはそこまで歌に入り込まなくてもいいのではという意見もあり、この後藤のストイックさが解散への道につながっていったという。
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 なにはともあれ、「竹田の子守唄」はいまだにオリジナルアルバムは未CD化であるし、まともなベスト盤からも外されている(CDボックス等の企画もので復活したことはあるが、かなり高価)。さびしい限りだ。
竹田の老婆が証言している。“「竹田の子守唄」を歌ってくれることに全然抵抗はありません。むしろ、放送禁止や発売禁止という措置をとられているほうが差別を受けているようで、私達は悲しい”と。

2006年3月8日
花形
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by yyra87gata | 2012-12-19 12:57 | アルバムレビュー | Comments(0)