音楽雑文集


by yyra87gata

『チープ・トリック at 武道館』  チープ・トリック

 本国では泣かず飛ばずのグループが日本から火がつくケースがある。古くはクィーンがそうだった。今回紹介するチープ・トリックもその1つである。
 アメリカ・イリノイ州出身のリック・ニールセン(G)とトム・ピーターソン(B)は1960年後半からバンド活動を開始し、一時はヨーロッパに渡っていた。1971年頃帰国し、バーニー・カルロスをドラマーとして迎えた彼らは、最終的にロビン・ザンダーをヴォーカルに据え、バンド名を「チープ・トリック」とした。しかし、エピックと契約を結んだのは1976年のこと。かなりの下積み生活を強いられた。
1977年にファーストアルバムとセカンドアルバムを立て続けに発表したが、本国ではかすりもしなかった。しかし、セカンドアルバムから「甘い罠」と「今夜は帰さない」の2曲が日本で大ヒットした。
 これを受けてチープ・トリック側も、サード・アルバム『天国の罠』(1978)を日本先行発売、そして来日公演の模様をライブ・レコーディングし、日本中心のプロモーションを展開した。
1978年10月、日本のみで『チープ・トリック at 武道館』を発表。アメリカでは輸入盤(?)として発売されたこのアルバムがヒットの兆しを見せ始めたため、1979年5月に本国で正式にリリースし、たちまち100万枚を売る大ヒットとなった。
 
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 1980年を境にしてバンドは天国と地獄を味わう。1979年に再来日したバンドは、賞賛の言葉を浴びまくり、頂点に達していた。その後も本国でのカリフォルニア・ジャムやイギリスでのレディング・フェスティバルへの参加を果たすなどバンドとして大成長した。しかし、1980年の夏、ショッキングな事件が起きる。結成メンバーの一人であるトム・ピーターソンの突然の脱退である。
1987年に復帰するまでに4枚のアルバムをトム抜きで発表するが、精彩に欠くものであったことは誰の目から見てもあきらかだった。その間、ロビン・ザンダーはソロ作品を発表し、いつの間にかフジテレビの看板番組《F1中継》のエンディングテーマを歌うアーティストとして有名になっていた。
しかし、トムが復帰し、『ラップ・オブ・ラグジュアリー』(1988)の中の「永遠の愛の炎」が全米No1ヒットを記録、第一線に返り咲いた時は皆が驚いた。・・・まだ生きてたんだ・・・。

 チープ・トリックは美男子2人と目がギョロギョロしたオヤジ1人と太っちょ1人の4人からなるバンドであり、とても個性的なルックスのバンドである。しかし、出てくる音は正統派のポップロックが発せられる。でもその音はどこか懐かしいロックの音だ。メロディアスな旋律にビートの利いたリズムとR&Rなギターが絡む。言ってしまえば、限りなくアマチュアに近いというか、ガレージバンドのノリである。
自身の『グレイテスト・ヒット』(1991)の1曲目にビートルズの「マジカルミステリーツアー」を持ってきてしまうあたり変なバンドなのだが、その他の曲も言われてみるとビートルズの影響がここかしこに見受けられる。とにかくわかりやすいロックであることは確かで、逆に言うと個性が無い。しかし、全米でも人気のある彼らの戦略はどこにあるか。僕はプロデューサーにある、と思う。
もともと下積みも長く、ライヴ感も持ち合わせたメンバーなので、ロックの重要な要素である“ノリ”と“ビート感”は体に染み付いているはずだ。その素材を1流のプロデューサーたち(ジャック・ダグラス、トム・ワーマン、ジョージ・マーチン、ロイ・トーマス・ベイカー、トッド・ラングレン・・・)が味付けをしていった。
ただのローカルなダンスバンドも大きな夢を叶えることができる良い例なのではないだろうか。
 1978年の武道館ライヴは本当に話題になった。クラプトンも同時期の武道館公演をアルバム化している。チープ・トリックによって武道館という言葉がアメリカでメジャーになったことは事実である。
チープ・トリックの武道館ライヴを久しぶりに聴いたが、元気溌剌なロックを展開している。日本の客のノリも最高潮である。
武道館の割れんばかりの女性の声援は、ビートルズの武道館公演を彷彿させるものかもしれない。
そういえば、僕の当時の彼女はこの武道館公演に行ったんだっけ。やっぱり、懐かしい音である。

2006年4月3日
花形
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by yyra87gata | 2012-12-19 17:12 | アルバムレビュー | Comments(0)