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音楽雑文集


by yyra87gata

『いとしのレイラ』  デレク&ザ・ドミノス

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 親友の奥さんを好きになって、公に愛を叫び続けた男がいる。愛を告白し、でもそれが叶わぬ恋と知る。ひざまずき、声を枯らして、女の名を叫ぶ。そんな歌が70年代を代表するロックの名曲になった。
「いとしのレイラ」である。
『レイラ』(1970)、正式名称は『Layla And Other Assorted Love Songs』。直訳すると“レイラとラブソングの詰め合わせ”とでも言おうか。
 このアルバム、冷静に聴くとひとりの女のために自分のソロアルバムも放ったらかして、エリック・クラプトンはドミノスなどというバンドを結成し、世に送り出したものだ。本来であれば、ソロアルバムの『エリック・クラプトン』(1970)を主に置き、プロモーションを行なうことが普通なのだろうが、当時のクラプトンはそんな精神状態ではなかったように思える。恋に狂ってしまっていたのだ。しかも、親友の奥さん。
だから、このアルバムには数多くのラブソングや女々しい男の歌がたくさん入っている。
 それまでのブルース・ブレイカーズやクリーム、ブラインド・フェイスといったスーパーグループを渡り歩いてきた男が出した出世作は、それまでのキャリアとは180度違った大変美しいメロディラインを持つ曲が数多く収録された。2枚組に収められた濃い内容の詩は、クラプトンの心情を吐露している。
「ベルボトム・ブルース」は歌詞だけ見ると情けない男の求愛の歌だが、それを切々と歌う。
「愛の経験」やタイトル曲に至っては説明の余地もない。
“こんなに好きなのにどうしてわかってくれないの”“僕は君のためなら何でも出来る”くらいのことを歌う。ブルーズギタリストとして、インプロビゼイションを全面に出し、ギターの神様とまで言われた男が、ギターを捨てて、歌で勝負している。
それは、タイトル曲のリードギター部分をデュアンに任せ、クラプトンはリズムギターに徹していることからも十分に伺い取れる。クリーム時代のクラプトンからは考えられなかったことであろう。
しかし、俯瞰からこのアルバムをとらえると、ギターの神様が安息の地を求めてデラニー&ボニーと一緒にツアーを行い、彼らのバンドメンバーを借り、リラックスした中で作られたものである。そのテーマがジョージの奥さん、パティ・ボイドに向けられたものに過ぎない。そして、そのセッションにクラプトンが今まで出会ったことのないギターの名手、デュアン・オールマンがいた。クラプトンは大感激の中、セッションを楽しむ。その模様は「キー・トゥ・ザ・ハイウェイ」からこぼれる興奮したクラプトンの掛け声で確認できる。

 このアルバムについてクラプトンに与えられていたプレッシャーは、音楽を作ることではなく、パティへの一途な気持ちだけであれば、平和に済んだかもしれない。なぜなら、音楽を作ることに関しては十分楽しんでいたからだ。プレッシャーは別の要因からクラプトンを襲う。
天国からの招待状が男たちに届く。
親友の1人で、このアルバムでもカバー曲として取り上げた「リトル・ウィング」の作者、ジミ・ヘンドリクスである。しかも、このアルバムに収められた「リトル・ウィング」は偶然にもジミの死の9日前に録音されたものであった。そしてアルバム発表の翌年には、このアルバムのリーダー的な役割を担ったデュアン・オールマンが事故死。クラプトンはせっかく出会えたデュアンやセッション仲間のジミを失い、精神状態はどん底に落されていった。そしてそんな悲しみの中、自分を癒してくれる物は、はかない恋のパティではなく、ヘロインという最悪の道を選んでしまう。
この時期から1974年までの3年間はアルコールとドラッグ漬けの日々である。死亡説まで流れ、それまで所有していたギターもドラッグ代へと形を変えていったという。

 こんなに裏がある名盤も珍しいのではないだろうか。
要はクラプトンもまだ若く(25歳)、感情の赴くままに音楽製作を行なった結果といってしまっては見もふたも無いが、それだけ全身全霊をかけて作られたということもいえる。
僕はクラプトンが好きだし、『レイラ』は名盤だと思うが、誰もが知っている「レイラ」のイントロは重々しく響き、叫ぶクラプトンの悲痛な叫びを聴いていると、そこまでして恋焦がれたパティを何故手放したかを考えてしまう。
そうなのだ、パティは最終的にクラプトンの奥さんになったのだ。中睦まじく来日したこともあるし、名曲「ワンダフル・トゥナイト」のモデルにもなった。しかし、その後2人は、もろくも別れてしまった。

 クラプトンは代表曲として「レイラ」や「ワンダフル・トゥナイト」「ベルボトム・ブルース」などをコンサートで取り上げ、力いっぱいパフォーマンスするが、歌っている時にパティの顔は浮かぶのだろうか・・・。
歌を単純に聴いていればいいものを、ファンっていうのは余計なことまで考えてしまうものなのだ。

2006年4月25日
花形
by yyra87gata | 2012-12-20 13:17 | アルバムレビュー | Comments(0)