音楽雑文集


by yyra87gata

『つづれおり』  キャロル・キング

 友を唄う歌でサイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」に並ぶ名曲のひとつにキャロル・キングの「君の友だち」という作品がある。友を勇気づけ、また、自らを元気づける唄として歌い継がれる名曲である。もともとはジェームス・テイラーに贈った歌だが、自らもセルフカバーし、名盤『つづれおり』(1971)に収録された。この日常性がこのアルバムのキーワードである。

 レコードの総売上が10億ドルを越えた1967年、アメリカの音楽界はまだシングル中心の業界であったが、その売上が20億ドルを越えた1973年、たった6年で倍の売上を計上するに至った要因はアルバム実績の向上があげられる。シングルからアルバムへとリスナーの購買傾向が変化した。大ヒットアルバムが次々と発表され、売上を伸ばす牽引役となった1枚にキャロル・キングの『つづれおり』(1971)があげられる。通算二千数百万枚のセールスを記録しているこのアルバムは、いったいどれだけの利益をレコード産業にもたらしただろう。では、なぜこんなにまでヒットしたのか。

 ヒット曲(アルバム)の背景には、必ず時代の動きが大きく反映されるものだ。ベトナム戦争はくだらない行為として毎日のようにテレビから悲惨な状況を伝えていた。世界中で厭戦気分が充満し、“普通の生活”“個々の幸せ”への関心が高まってくる。戦争のくだらなさが明らかになるにつれ、大げさな政治論議よりは“個人の幸福”への関心がはるかに優勢になる。だからウーマンリブなどという風俗もこの時に生まれ、日米両国で個人の尊重を声高に叫んだのだ。
そんなとき、『つづれおり』は発表された。このアルバムがヒットを記録した背景は、この時代性があげられる。時代が劇的に進んでいるからこそ日常のなにげなさや個々の幸せを祈る作品に人々は心を打たれた。
ラブソングでも友を唄う歌でも、私小説のような、日記のような、そんなどこにでもある風景を感じることで人々は共感していった。

 キャロル・キングは1942年、ニューヨークのブルックリンに生まれた。1958年にジェリー・ゴフィンと出会い、2人で曲作りを始める(後に結婚)。シュレルズによって歌われた「ウィル・ユー・ラブ・ミー・トゥモロー」が全米1位を獲得し、注目を浴びた。この時キャロル・キングは18歳!10代で売れっ子作曲家の仲間入りを果たす。その後日本でも大ヒットした「ロコモーション」も全米1位を獲得した(この曲は2人の子供のベビーシッターのリトル・エヴァがたまたま歌った!)。その後もドリフターズやビートルズへと曲を提供し、そのいずれもヒットを記録していく。キャロル・キングとジェリー・ゴフィンのコンビは不動のものと思われた。
 しかし、1967年に離婚。彼女はロスアンゼルスに移り、音楽活動を始める。そして来るべきシンガーソングライターブームの火付け役としてアルバムを発表していく。ウッドストック、ヒッピー、ベトナム戦争、公民権運動など激動の時代であった。そして、1971年、『つづれおり』を発表。全米1位を15週も記録し、グラミー賞でもベスト・アルバム、ベスト・シングル、ベスト・ソングなど主要4部門を独占した。
 
 彼女のルックスは人並みだし、歌声も声域が広いわけでもなく、歌唱力が特別にあるわけでもない。女性らしい声にも聴こえないので、どこか中性的な感覚である。
では、どこに魅力があるのか。
 キャロル・キングの曲はロックからポップス、カントリー、ソウル、R&Bなど幅広いジャンルに亘っている。それは器用に作品を作り分けているのではなく、彼女自身の人生観や経験によりにじみ出てくる歌を多彩な音符で形作るだけだ。それは彼女自身のソウル・ミュージックともいえる。そんな彼女の作品に我々は自分の生活を投影する。普通であることの幸せをかみしめる。
『つづれおり』は派手な音もなく淡々と進む。その静かな音の波がつづれおられ、大きな波となる。
ダニー・ハザウェイが名盤『ライブ』(1971)でカバーした「君の友だち」。人々のコーラスは大きな波となりあの名演を生んだ。
 
『つづれおり』は、人々の幸せがつづれおられた名盤なのである。

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2006年6月8日
花形
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by yyra87gata | 2012-12-22 08:13 | アルバムレビュー | Comments(0)