音楽雑文集


by yyra87gata

『アルティメイト・コレクション』  ビリー・プレストン

 
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 先日、ビリー・プレストンが亡くなった。一般紙でも取り上げられていたので御存知の方も多いと思うが、“第5のビートルズ”という紹介をされていた。『レット・イット・ビー』(1970)でキーボードを弾いていたソウルフィーリング溢れる黒人のプレイヤーである。
ビートルズ解散寸前の状況下、その雰囲気を打開するべくポールはテレビ番組の特番企画で“ゲット・バック・セッション”に取り組む。リハーサルの全てを見せ、最後はアップル社の屋上でライブパフォーマンスを行なうというもの。しかし、4人の心はバラバラで、ポールだけがビートルズ建て直しに躍起になっていた。
そんなセッションで最初にキレてしまったのは、ジョージだった。ビートルズ脱退を口走った。辛らつなジョンのジョークや脳天気なリンゴ、音楽にストイックすぎるポールに嫌気がさしてしまったようだ。そんな中、呼び出されたプレイヤーがビリー・プレストン。
4人は、ギスギスした関係を続けるより1人増やして中和させる方法で最悪の状況を避ける形をとった。
 このセッションで、ビリーはのびのびと演奏を行なっている。フェンダー・ローズを巧みに操り、ビートルズに溶け込んでいった。「ドント・レット・ミー・ダウン」のソロや「ゲット・バック」のバッキングなど名演を披露してくれた。
 ビリーは1962年、リトル・リチャードのバッキングでリバプールに赴いた時に、くすぶっていたビートルズの面々と出会っている。リトル・リチャードの大ファンだったポールやジョンを彼に引き合わせたことで彼らとの交流が始まったと言われている。それから数年後ジョージからの誘いで“ゲット・バック・セッション”や『アビーロード』(1969)への参加、そしてジョージのソロアルバムへの参加と交流は深まっていく。中でも、ジョージの主催した大イベント“バングラデシュ・難民救済コンサート”への参加により、他のミュージシャンとの交流も広がる結果となった。
 
 ビリー・プレストンは、10代の頃からリトル・リチャードやサム・クック、レイ・チャールズらのバッキングプレイヤーとして名を上げた。天才キーボードプレイヤーとして引っ張りだことなり、自らもアルバムを発表していった。しかし、そのサークルはあくまでも黒人の中の出来事であり、60年代という閉鎖的な殻が中々破ることが出来なかった。しかし、60年代も後半になると音楽の多様性により、ジミヘンやオーティスが白人と肩を並べるほどのムーブメントを起こし、ビリーもその渦中にいたミュージシャンの1人となった。

 ビリー・プレストンは、僕が黒人を認識した最初の人だ。小学生の頃、学校で《レット・イット・ビー》の映画を見た時、黒い顔に白い歯が印象的な黒人がビリーだった。その時の印象がとても強く、黒人プレイヤー=ビリーのような人という図式になってしまったのだ。あとから知るスライやラリー・グラハム、スティービー・ワンダーなどみんなビリーをベンチマークとして特徴を掴んでいたように思う。なぜならビリーは、黒人プレイヤーの特徴を全て持ち合わせていると思うからだ。
 大きなアフロヘアー、ド派手な服装、アクセサリー、ソウルフルなグルーヴ(演奏)、ブレスを強調する歌唱、そしてなんともいえない笑顔・・・。
そのキャラクターに僕は憧れてしまった。だから、僕は今でも周りが許すならいつでもアフロヘアーをしてみたいし、ファッションにおいても白いスーツに赤いYシャツででかいサングラスをかけて会社に通勤してみたいと思っている。

 ビリーのアルバムはアップルの時のものとA&Mに移籍してからのものに大きく分けられるが、どれも非常に水準が高いアルバムばかりである。最近、ユニバーサルからベスト盤『ビリー・プレストン・アルティメイト・コレクション』(2003)が出た。このアルバムの選曲は通年の名曲が満遍なく網羅され、聴き応えがある。そして、ソウルフルなビリーの歌と演奏が楽しめる。お勧めである。 

 ビリーの訃報により喪に服す意味も込めて、僕は、世間が許す範囲でプチアフロヘアーにしてみた。家族からは不評であったが、気にしない気にしない。

2006年6月14日
花形
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by yyra87gata | 2012-12-22 08:16 | アルバムレビュー | Comments(0)