音楽雑文集


by yyra87gata

レンタルスタジオ

d0286848_20432459.jpg
 僕が初めて入ったレンタルスタジオのこと。
中学2年の春にいきつけのレコード屋の奥にスタジオはオープンした。そのスタジオはわずか4畳半から6畳くらいの広さしかなく、今から考えるとよくあんなに狭い中にドラムやギターアンプ、キーボード、ベースアンプなどが入っていたものだ。音の分離などあったものじゃない。テープ録音をすると、すべて「ひずんで」いた。でも、思い出の詰まった場所だ。今はもう影も形もない。

 当時(1970年代後半)は、ニューミュージック全盛で、空前のギターブームであった。世界的なギターメーカーのマーチンの生産台数が最高を記録したことからも、このことが裏付けられる。だから町で唯一のレコード屋もこのブームに便乗とばかり、ギターを並べ、スタジオを作り、小銭を稼ぎ始めたのだ。
中学生の僕たちは、学校帰りにそのスタジオを覗き、大学生とおぼしき兄ちゃんが長い髪をふりみだしながら演奏している姿を見ていた。
「あいつ、生意気にフェンダーなんて弾いてんじゃん。」
「あのドラム、タムまわし、すげ~。」
なんて、音も聞こえないスタジオ内を覗いてはどうでもいいようなことを話していた。
 
 親友のMが中学2年の夏にギターを買った。モーリスのフォークギター。スーパースターを夢見たかどうか知らないが(僕らの世代はモーリスを持つとスーパースターも夢じゃない、とアリスに教えられた)、彼の手の中には新品のW30という機種があった。
僕はそんな彼を誘って、スタジオに入った。生意気なワリには1人でスタジオに入る勇気が無かったし、ドラムを1人で叩いていても学校で練習しているのと同じだから、環境を変えてみたかったということもスタジオを体験してみたかった理由だ。しかも、「スタジオ」という響きが格好良かったことも拍車をかけた。
 誘われたMは困惑した顔でフォークギターとドラムで何やるの?と言ってきた。
僕は何でも良かったので、
「お前の歌える曲をやればいい、俺は何でも合わせて叩くから。」とだけ言った。

 2人は緊張した。重たい2重扉を開け、デッドな音響状態に保たれた異質な空間に非日常を感じた。マイクをセッティングし、ハウリングと戦いながら、2人で音を合わせていった。当時流行っていたフォークやロックをアコギとドラムのへんちくりんな編成で合わせた。音楽になっていなかったかもしれないが、非常に興奮した。
学校の音楽室で叩くドラムの雰囲気と全然違い、自分があたかもスタジオミュージシャンになった錯覚に陥った。また、根が単純なので、ドラムが上手くなった気分にもなった。
 
 翌日学校でスタジオの自慢話に花が咲く。
みんながそれを興味深そうに聞き、僕のクラスでは一大スタジオブームが起きた。みんながそのスタジオの会員になり、学校帰りに覗くと、誰かが利用するようになった。
そのせいか、たくさんのバンドが僕の周りに生まれた。3つのバンドをかけもちするやつも出てきて、バンドブームが起きた。
そのレコード屋は隣の駅にも店舗を広げ、そこにスタジオを3部屋も作った。
そして、みんなそのスタジオを利用した。

 ニューミュージックブームが陰りをみせ、多様な音楽が生まれていた1980年代。打ち込みが主流となり、バンドからパーソナルへの変換、自宅録音が注目され始めたとき、僕の周りのバンドは片手程度になっていった。
 高校3年でもバンド活動をしていた僕は、相変わらずそのレコード屋のスタジオに入っていたけど、文化祭も終わった秋にそのスタジオの閉鎖を店長から知らされた。
 スタジオの維持費、大手楽器店やスタジオ専門店が続々と生まれており、片手間のスタジオ仕事は出来ないという。そして、3年後にレコード屋もレンタルビデオ屋へと変わった。
スタジオの施設はそのまま、カラオケボックスになった。
その場所に行くと今でもあのドキドキ感が甦る。そして同時に時代の流れを感じる。

2006年8月2日
花形
[PR]
by yyra87gata | 2012-12-22 20:43 | 音楽コラム | Comments(0)