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音楽雑文集


by yyra87gata

『アメリカン・バンド』 グランド・ファンク

 1980年代のMTVブームの中心に位置したテレビ音楽番組に《ベストヒットU・S・A》がある。僕は、毎週土曜日の深夜11時過ぎになるとテレビの前に陣取り、目を皿のようにして画面に見入っていた。
この番組は、海外の音楽事情を映像で確認できる貴重なものだったので、自分の趣味ではない音楽が流れていても決して席を立つことはなかった。
そして、外タレの貴重なインタビューやランキングなど、いろいろなメニューがある中で僕のお気に入りは“タイムマシーン”というコーナーだった。
このコーナーは、時代を彩ったオールディーズを紹介するコーナーで、時代的にビデオではなく、ほとんどがフィルム制作されたものだった。演出もあまり練られておらず、どちらかというとノンフィクションの実録映画を見ているようなのだが、これが当時の臨場感を醸し出しており、妙に新鮮だった。
ツェッペリンの「コミュニケーション・ブレークダウン」(モノクロ映像)やクラプトンの「タルサ・タイム」(‘77年あたりのコンサート映像)、ディランのローリング・サンダー・レビューなどの映像が僕をわくわくさせた。
ある日の《ベストヒットU・S・A》。
いつものように小林克也の低い声で“タイムマシーン”というコールのあと、飛び出てきた映像は、なんとインディアンだった。
ロングストレートのブラックヘアーを細い紐のバンダナできっちりまとめ、Gジャンはザックリと袖が落とされ、そこから太い二の腕が出ている。力こぶの部分にも細い紐が巻かれていた。そしてギターを叩き壊さんばかりにストロークし、叫ぶインディアン。
僕は、テレビ局が映像を間違えたかと思った。
映像は、コンサート会場を捉えていた。野外コンサート。みんな上半身裸になり、踊り狂っている。何なんだこのバンド・・・しかも、よく聴くとどこか聞き覚えのある歌。
“カモン・ベイビー・ドゥ・ザ・ロコモーション・・・”
これは、リトル・エヴァの「ロコモーション」ではないのか(キャロル・キングとジェリー・ゴフィンの作品)。
日本では伊藤ゆかりがヒットさせた有名な歌だ。それをこのインディアンが何故?

 このインディアンとは、マーク・ファーナー。グランド・ファンク・レイルロード(以降GFR)のヴォーカル&ギタリストだ。3人編成(後期は4人)のこのバンドは、アメリカを代表するバンドで、日本でも相当な人気だったようだ。1971年の初来日、雷雨の中、後楽園球場で行われたコンサートは伝説となった。漏電するマイクに感電しながらマークは歌い続け、新聞沙汰にもなった。あまりにも爆発的な音で、遠く早稲田でも曲が聴けたという噂。かつてギネスブックに、世界最大音量を出すバンドとして認定されていたくらいなので、真実かもしれない。
 
『アメリカン・バンド』 グランド・ファンク_d0286848_12444575.jpg

 GFRの人気を決定づけたアルバムは、誰が何と言おうと『アメリカン・バンド』(1973)である。
カウベルのカウントと基本の8ビートリズムを刻むドラムソロから始まるノリの良いタイトル曲は、堂々全米1位に輝いた。ギミックを使わず、ストレートなロックを展開するこのバンドの特徴はひと言で言って“わかりやすい”と言うことだ。風貌や音楽性を述べるならば、アメリカの片田舎の兄ちゃんが集まってロックンロールに夢中になっている、としか言いようが無いのだが、これぞ本来のロックンロールかもしれない。
 『アメリカン・バンド』はそれまで発表してきた田舎っぽいロックとは違い、キーボードを入れた4人編成期の作品である。3人の頃の荒削りな分は多少減ったかもしれないが、音楽的にはそれまでのアルバムよりも幅が広がり、聴き易くなったことがヒットの要因であろう。また、その聴き易さを引き出したプロデューサー、トッド・ラングレンの力も大きいと思う。音の魔術師であるトッドにかかれば、シンプルなロックを洗練されたロックに変えてしまうこともたやすいことなのかもしれない。
しかも、「ロコモーション」を取り上げるなんざ、並大抵のセンスではない。
「ロコモーション」発表当時でさえ、この曲は立派なナツメロで、若いバンドが取り上げる作品ではない。この曲を採用した経緯は、レコーディング中にマークがスタジオに入る際に鼻歌で「カモン・ベイビー・ドゥ・ザ・ロコモーション・ウィズ・ミー」と歌っていたところをマネージャに呼び止められ、真剣にレパートリーにしないか、と説得され、アレンジを施したという。当初、メンバーはこの作品を扱うことに抵抗したという。なぜ、ロックの懐メロをやらなければならないのか、と。
「ご機嫌な新しいダンス・ロコモーションを踊ろう」という古臭いフレーズのこの曲を今さら歌えといわれても、それは納得のいくものではなかったのだ。しかし、そこは、プロデューサーのトッド・ラングレンの腕の見せ所。彼はハンドクラップにのせたアカペラの導入部を作り、強弱を付け、ハードロックにこの曲を消化させ、古くささを一掃した。
レイルロード(線路)にロコモーション(機関車)はあまりにもはまりすぎだが、ひとつ間違えればめちゃくちゃ格好悪いところを、ギリギリのラインで収め、パワーに変えることができたのだ。

 GFRは1980年代半ばに再結成後、再来日した。1980年代のお手軽な音楽に真っ向立ち向かっていたが、時代の音ではなく、懐古趣味で集まったファンに迎えられる。マークは一人、気をはいていたが、音楽は変わりようが無い。「アメリカン・バンド」は「ロコモーション」のように力強く海を渡ったが、「インサイド・ルッキングアウト(孤独の叫び)」を続け、最後は「ハート・ブレイカー」になった。
 『アメリカン・バンド』のジャケットはゴールドに黒い文字でタイトルとグループ名が記されているのみ。
あくまでもシンプルである。

2006年12月28日
花形
by yyra87gata | 2012-12-24 12:45 | アルバムレビュー | Comments(0)