音楽雑文集


by yyra87gata

映画『アメイジング・ジャーニー』  ザ・フー

 
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 いま、音楽映画が面白い。
でかい画面、大音量で2時間の時を過ごすことは非常に贅沢な時間。
映画館という外から遮断された空間の中で観るから興奮度も増すものだ。

 私は音楽DVDを何枚か所有しているが、ほとんど家のテレビでまともに観たことが無い。 “面白い”“面白くない”という問題ではなく、まとまった時間に家の陳腐なAVシステムで音楽を楽しむことできないのかもしれない。例えば、なにかのついでに流しておくということはあるかもしれないが、家で音楽DVDに集中するということがない。きっとそれは、すばらしいAVシステムがあったとしても同じだと思う。なぜなら、家という環境がライブ会場になりえないからだ。音楽映画を見慣れ、楽しさを知ってしまうと家の空間では満足できないし、ひいては、コンサートと同じ環境下になければ、楽しむことができなくなっているのだ。
だから、家にあるDVDは観賞用というより確認用(演奏や歌唱はもちろん、ステージや機材など細かく観る)として存在している。
 
 さて、今回はレイトショーで『ザ・フー アメイジング・ジャーニー』(2007)を観覧した。客は私1人。貸しきり状態。
でかい画面で観るロックミュージックは・・・興奮する。

 今回この作品で改めて私はザ・フーのファンになった。もともとザ・フーの音楽は好んで聴いてきたつもりだったが、この作品により歴代マネージャーの証言でメンバーの人物像が深掘りされ、メンバー間の絆が浮かび上がった。そして、ザ・フーの新たなる発見が随所にあった。
ロックドキュメンタリーの名作『キッズ・アー・オール・ライト』(1979)ではキース死亡までのザ・フーが描かれていたが、新ドラマー、ケニー・ジョーンズを迎えてから今日までの彼らの生き様をこの『ザ・フー アメイジング・ジャーニー』で確認できる。
特にバンドの音の要であったジョン・エントウィッスルの死亡もザ・フーの活動に水をさしたが、今でもやり続けるロジャーとピートは前へ前へと突き進んでいる。

 誰かが「パンクが終わり、ザ・フーが終わり、70年代が終わる。ロックが70年代に突き当たったもの、その壁自体がロックの原点である」と言った。
世紀も変わり10年が経とうとしている現在、今や70年代の老いぼれたロックはクラッシック化している。今の音とあの頃のロックは何が違うのか。ロックがロックとして存在していた事実を真摯に抱えることが今のミュージシャンにできるのか。いや、そんなことを考えること自体がナンセンスかもしれない。
しかし、この「アメイジング・ジャーニー」ではロックの持つ誠実さを生身の音でわれわれに突きつけてくるのだ。
60年代から70年代にかけてロックの王道であるセックス・ドラッグ・ロックンロールを地で行ったやんちゃな4人。
特に死んだ2人は破壊行為、奇行、偏執狂、ドラッグなど本能の赴くまま行動した。その行為はライヴ中でも続き、客を興奮させていった。
しかし、スピーカーから出る音はゴリゴリとしたハイ・チューンなロックンロールからロックオペラ(ザ・フーが作り出した音楽といっても過言ではないだろう)まで、時代を突き抜けたものだ。

 70年代に入ってシングルヒットよりもアルバム制作に力を入れたザ・フー。来日もせず、おかしな行動ばかりが伝わってきていたので、日本ではつかみどころの無いバンドと思われたに違いない。
だから、一部のロックファンにはものすごい影響力を持っていただろうが、一般的には浸透せず、過小評価されてきたバンドであると思う。

 再び言おう。この作品でザ・フーを体験し、名盤「フーズ・ネクスト」や「ライブ・アット・リーズ」「四重人格」を聴いてみるといい。
人生(命)をかけたエンターテイナーたちがそこにいるはずだ。

2009年3月9日
花形
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by yyra87gata | 2012-12-26 15:34 | 音楽コラム | Comments(0)