「人生が二度あれば」 井上陽水
2012年 12月 26日
そして、ポリドールレコードに移籍し再デビューを果たす。
再起を賭けたデビューが「人生が二度あれば」・・・ちょっと斜に構えた陽水らしい選択ではないか。アイロニーな彼の笑顔が浮かぶ。
3年前のツアーで弾き語りを多く採用した陽水のコンサート。そのツアーで演奏された弾き語りはアルバム化された。当初は2008年のツアー会場で発売される限定的なものであったようだが、ファンからの要望が強く一般発売になった。それが、『弾き語りパッション』(2008)である。
70年代を中心とした選りすぐりの名曲が弾き語り集として発表された。
その中でふと「人生が二度あれば」を聴きながら考えてしまった。
陽水はこの演奏時(2007年)で59歳。現在は62歳だ。
この歌を書いた歳は発表年月日から換算しても24歳以前の彼である。
父は今年二月で 六十五
顔のシワはふえて ゆくばかり・・・
母は今年九月で 六十四
子供だけの為に 年とった・・・
24歳の彼が見た当時の65歳や64歳の像が親とともに描かれている。現役を終え、家族のために体をはって生きてきた両親に対し、人生が二度あればと歌うこの歌。レコードでは歌のエンディングに父と母の人生を想う陽水が嗚咽をもらしながら歌い続けるといった情熱的な展開になる。
その歌の歳に近づいている今の陽水は・・・なんと精力的なのだろう。毎年のように活き活きとステージをこなしている。しかし、同じ60代でもあの頃の60代に見えないのはなぜだろうか・・・。
当時の日本の平均寿命は男70歳、女75歳であった。2008年時点の平均寿命は男79歳、女86歳である。医療の進歩や生活環境が変わり、36年の間に約10歳も寿命が延びていることがわかる。
だから、今の歌詞で歌うなら、
父は今年二月で七十四 ということになる。
陽水がこの歌を子供に歌われる時はまだまだ先のことなのだ。
3番の歌詞では・・・
父と母がこたつで お茶を飲み
若い頃の事を 話し合う
想い出してる
夢見るように 夢見るように
人生が二度あれば
この人生が二度あれば
とある。
今の65歳は若い頃を夢見るようにしながらコタツに入って思い出話をしないだろう。どちらかというと、まだまだこれからも思い出を作る努力をしていきそうだ。
還暦を過ぎて結婚する人もいるし、早めに会社をリタイアして趣味に生きる人もいる。もちろん生涯現役とばかりに、精力的に仕事に励む人もいるだろう。
今の60歳は若いのだ。
3年後、陽水はこの歌の父親と同じ歳になる。その時、陽水はこの歌をどういう気持ちで歌うのだろうか。
きっと陽水のことだから、シニカルな笑いを蓄えながら、
「この歌の父親と同じ歳になってしまいました。・・・ま、別にそれがどうしたってわけじゃないんですけどね・・・」
なんて言いながら、歌いだすのだろう。
2010年4月20日
花形