音楽雑文集


by yyra87gata

『GOLEDEN☆BEST渡辺真知子』  渡辺真知子

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 1977年、秋。ラジオで頻繁にオンエアされていた「迷い道」。
新人歌手だったので顔も知らなかったが、印象的な歌いだしのフレーズの『現在、過去、みら~い・・・』。
中学生だった僕の第一印象は、その歌のことよりも「この人、なんて普通の名前なんだろう」と思った。失礼だと思うんだけど、ぜんぜん名前からメディアに出てくるという名前のオーラが感じられなかったわけよ。どこのお姉さん?ってな感じ。
当時は、ニューミュージックと呼ばれる音楽がテレビ、ラジオから溢れ、音楽番組花盛り。ちょっと前まではフォークシンガーやロックシンガーはテレビに出ないという暗黙の規則があったが、世良公則とツイストや原田真二、チャーなどが積極的にブラウン管から登場し、サザンオールスターズもこの頃デビューした。また、女性陣も竹内まりやや越美晴などといったポップシンガーがお茶の間を賑わし、歌番組の中でピンクレディーや山口百恵などと同じひな壇に座っていた。そんな中での渡辺真知子である。
ほんとっ、ふつーの人なんだよ。顔だって十人並みだったし、スタイルだって決して良い方じゃないし。別にアイドルじゃないんだけど、中学生だった僕はそういうところを見るじゃない。で、歌っている歌も『現在、過去、みら~い・・・』だしね。何がいいんだか当時の僕ではわからなかったんだけど、他のアイドルタレント(同期は石野真子、中原理恵、畑中葉子など)と比べると歌は上手いのかなぁ・・・なんて程度の認識だった。しかし、そんな中「迷い道」は長い時間をかけて大ヒット(62万枚)となり、この年の紅白歌合戦に出場するまでになる。
翌年、渡辺真知子は「カモメが翔んだ日」を発表。高らかに歌い上げるイントロのインパクトは相当なもので、一躍新人歌手の中で頭ひとつ飛び出した。そして「ブルー」といったボサノバ調の雰囲気のある曲で歌唱力を打ち出し、その年の新人賞を総なめにしていった。
しかし中学生の僕は、歌が上手い、ということはわかるんだけど、興味が湧く対象ではなかった。その要因のひとつは、歌が全てマイナー調で、別れの歌ばかりだったということ。当時の別れの歌の定番は中島みゆきや山崎ハコが定番であり、渡辺のそれは歌謡曲なんだかポップスなんだかよくわからないセグメントで、しかも楽器を持って歌わないという些細なことで僕の中では低評価だったような気がする。 
 そんな渡辺真知子を忘れ始めていた時、ラジオからあの声が響いた。しかも今度はメジャーな響き。ラジオCMのバックで流れる伸びやかなあの声はまぎれもない渡辺真知子。そしてその後すぐにTVCMでも大量投下された「唇を、熱く君を語れ」は43万枚の大ヒットとなった。テレビでは新人モデルの松原千明(石田純一の元奥さん)がにこやかに笑い、画面の右下には『歌:渡辺真知子』の文字。この歌はカネボウ化粧品のCMに採用され、溌剌とした女性とその唇に映える口紅とが渡辺の声量に相まってファットな印象を出していた。
たった15秒のCMだったが他の化粧品のCMよりインパクトがあり、打ち出し方もわかりやすかったのだ。(ちなみに他のCMは竹内まりやの「不思議なピーチパイ」(資生堂)、庄野真代の「Hey! Lady優しくなれるかい」(コーセ化粧品)で、2曲ともニュアンスを伝えるようなCMだった)
「唇を、熱く君を語れ」は、作詞・東海林良(田端義夫、石川さゆりから木ノ内みどりまで幅広い作風)、作曲・渡辺真知子。着目したい点は、編曲の船山基紀である。
1980年発表のこの作品。当時の流行の最先端ともいえるデビッド・フォスターの匂いがプンプンするのだ。
リズムを際立たせ、活力が溢れる楽曲。ブラスの使い方などは、この2年後に発表される「シカゴ16」でシカゴ復活の立役者となったデビッド・フォスターの編曲にそっくりである。ギターソロなどはマイケル・ランドゥばりに弾きまくっているし・・・。

 テンポ良い楽曲に声量がある渡辺真知子がその声をふんだんに使い、声で表情をつける。
いままでのマイナーで翳りのある作品と打って変わって、シンガーとしての幅を広げた作品といえるだろう。

 現在、彼女のアルバムはデビュー盤「海へ連れて行って」(1977)か、もしくはベスト盤という選択しかできないようだ。ベスト盤の中でも30周年のベスト盤は再度アレンジを施したものなので、まずは当時の音源のベスト盤をお勧めする。

 最近でもテレビやコンサートなどで歌い続けている彼女。
いつまでもあの頃のままで声を高らかに歌い上げてほしいシンガーである。

2010年6月4日
花形
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by yyra87gata | 2012-12-26 16:25 | アルバムレビュー | Comments(0)