音楽雑文集


by yyra87gata

そして僕は途方に暮れる・・・新しい日本の軽音楽

 日本でハスキーボイスといえば、歌謡曲の時代から哀愁の声である。
酒に焼け、潰れかけた声・・・。演歌にもハスキーボイスは多い。そして、ブルースシンガーもハスキーボイスでなければならない。
ブルースの女王「青江美奈」しかり(古っ!)、内藤やす子しかり(古っ!)、もんたよしのりしかり(ひらがなっ!)
 ブルースや演歌の世界にはどこでも転がっているハスキーボイスだが、1980年代のお気楽なポップスシーンに突然現れた大沢誉志幸はそれまでのハスキーボイスのセグメントと異なっていた。それは、ファンクでありポップだったからだ。
 大沢誉志幸は1978年にクラウディスカイというバンドでデビューする。宇宙服みたいなコスチュームを着て、どうみても売れる要素はないただのロックバンドのヴォーカルだった。そして大沢はその後バンドを解散し単身渡米する。そこで1年かけて本場のファンクを体感している。
 帰国後、彼はアイドルへの楽曲提供とロックミュージシャンとの二足の草鞋の中、精力的に活動していく。しかし、作曲家としての彼の取り上げ方の方が多く、そこに注目されていった。
なぜなら彼の作曲法はそれまでの歌謡曲とは異なり、それがいつの間にか日本の軽音楽(Jポップって言葉、だいっきらいなんだよ)を変えていったからだ。
 例えばそれまでの歌謡曲は、Aメロ Bメロ サビ がひとつの塊となり、2番か3番まで同様に進んでいく。そのフォームに慣れた日本の流行歌たち・・・。
それはテレビの音楽番組におけるテレビサイズの作りやすさであったり、ラジオでのオンエアのし易さであったり。
歌詞も七五調や、いくつかの決まった字数で収められており、それが職業作詞家の作る作品であり、彼らの技量の一つとされていた。だから作詞家の作る歌詞は均一的で、字余りなどタブーだった。しかし、1960年代後半から若者が自分の言葉で歌を作り始め、新しい流れが流行歌を変えていく。字余りソングなどが登場してくるのである。
 また、作曲方面でも変化が見られた。
歌の構成上、1番や2番という概念(フォーマット)に囚われない歌の作りが登場してくる。そのことは、作り手の思いがより自由に表現されることとなり、1番と2番でメロディーが異なる歌も登場してくるのである。
但し、1970年代後半まではそれらは亜流とされており、「フォークだから」「ロックだから」「ニューミュージックだから」という形容がなされていた。
 相変わらず演歌は古き日本の歌のフォーマットであったし、アイドル歌謡も同様である。
そして、その方程式が本格的に崩れ始めたのが1980年代の軽音楽である。
特に大沢誉志幸の「そして僕は途方に暮れる」(1984)はまさにその代表だ。

 イントロからシンセの響きとエコーが掛かった空間系の音。そこにドラムビートはリズムとして存在せず、厳かに大沢のかすれたヴォーカルが重なる。

「見慣れない服を着た君が今出て行った・・・」

 この一行で2人の関係がすべてわかる。この情景描写は秀逸である。
時代の音はシンセのリズムのみでAメロBメロを走り、サビもなく2番に入る直前で突然スネアビートが響く。
起伏が無い歌かと思いきや大沢のハスキーボイスが静かなる起伏を作り上げていく。
そして、Cメロの
「あの頃の君の笑顔で・・・この部屋は満たされていく・・・窓を曇らせたのは何故・・・」の盛り上がりのあとの16小節におよぶ起伏のないシンセの響きが情景を作り上げていく。

最後は再び
「見慣れない服を着た君が今出て行った・・・」
で終わる。

 ブライアン・イーノのような環境音楽に大沢のハスキーボイスが絡むこの楽曲は明らかに当時の日本の軽音楽に一撃をいれた。
世間的にはカップヌードルのCMソングとして知られているが、これがTVから流れた時の衝撃は今でも忘れられない。これほど楽曲と詞の世界がマッチし、それまでのフォーマットを変えたものはないのではないか。
ハスキーボイスが厳かに歌い上げる魅力は新しい時代が生んだヒット曲なのかもしれない。
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2013年2月2日
花形
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by yyra87gata | 2013-02-02 00:35 | 音楽コラム | Comments(0)