音楽雑文集


by yyra87gata

SHINING SKY  TINNA

 空港に行き、全日空の飛行機を見るたびに思い出す歌がある。
1978年発表TINNAの「SHINING SKY」だ。1979年就航した当時最大の旅客機ボーイング747SR-100(スーパージャンボ)が就航するにあたってキャンペーンソングとして採用された歌で、CMには森繁久弥が機長の格好で登場していた。
さわやかな女性ヴォーカル(2人組)の透き通るメロディが青空にとける白い機体にマッチしていた。

 航空会社のCMソングは星のようにあるが、その中でもなぜ私がその曲を思い出すかというと、私が一番最初に乗った飛行機がこの機体で、しかも名誉なことに初就航の便だったのである。
当時私は中学3年生で、修学旅行のため羽田から熊本までこの便を利用した。興奮する我々はめったやたらと大きな機内を歩き回り、他の乗客から顰蹙をかっていた。加えて機長アナウンスでも「当機、スーパージャンボは今日から運行開始となりました」なんて我々を煽るから機内は大騒ぎとなった。
そして、機内には静かな音で「SHINING SKY」が流れていた。
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かかえきれない光を抱いて 空は空は希望の海
かかえきれない光を抱いて 青い世界へ
さあさあ 
SHINING SKY 見上げれば未来
SHINING SKY 見つめれば自由
SHINING SKY 青い空の果て
SHINING SKY はばたけ 心よ~♪

 SHINING SKYからのサビの部分は我々の大合唱である。それは迷惑な客だ。

 さて、TINNAだが、惣領智子と高橋真理子の女性デュオである。しかし、TINNAを語る上ではその前に作曲家であり編曲家である惣領泰則を紹介しなければならないだろう。惣領は第1回ヤマハポピュラーソングコンテストでグランプリを獲得し(第2回のグランプリは“赤い鳥”“オフコース”“チューリップ”の前身バンド“シンガーズフォー”が出場していた)、音楽界にデビュー。その後アメリカに活躍の拠点を移し高橋真理子とともにブラウンライスを結成。アメリカのレコード社とアーティスト契約を行ない、さらにミュージシャンズユニオンカードを取得する。そして、かのポール・マッカートニーから「Country Dreamer」という曲をプレゼントされたことも話題になった。知られざるグレートな日本のミュージシャンだったのである。
 日本ではあおい輝彦の「あなただけを」、シグナルの「20才のめぐり逢い」、海援隊の「贈る言葉」などの編曲を行なうことで頭角を現し、惣領泰則グループやTINNAへとつながっていくのである。
歌謡曲からフォーク、ニューミュージック・・・そしてJポップという変遷の中で「ニューミュージック」という曖昧模糊とした、それでいて郷愁漂う独特な日本の音楽は確実に存在し、一時代を築いたことは間違いない。その中で活躍した惣領泰則は隠れたミュージシャンズ・ミュージシャンであった。
 TINNAは活動期間も短く、バンドブームやインディーズブームなどに押され消えていってしまった。あの頃、 “ハイ・ファイ・セット”“ラジ”“松原みき”といったシティポップと呼ばれた音楽。現在では皆無となってしまったが、TINNAはその中でも実力派の女性デュオだったことは間違いない。

 そういえば、この「SHINING SKY」って歌、ニッポン放送のANA提供「ミュージックスカイホリデー」という番組のテーマソングでもあったんだ。だから、毎週日曜の23時頃になると私の部屋のラジオから流れていたから特段ヒットしていなくてもずっと私の心に残っていたのかもしれない。

2014/3/5
花形
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by yyra87gata | 2014-03-05 20:02 | 音楽コラム | Comments(0)