音楽雑文集


by yyra87gata

ザ・スカイ・イズ・クライング  スティーヴィー・レイ・ボーン

  
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  スティーヴィー・レイ・ヴォーンは、1980年代初頭に煌き、その10年間を駆け抜け伝説となったブルースギタリストである。
  スティーヴィーはテキサス生まれのコテコテのブルースマンだったが、陽の目を見るきっかけを作ったのはグラムロックやポップミュージックの雄であるデビッド・ボウイやウェストコーストサウンドのシンガーソングライターであるジャクソン・ブラウンに見出されたからで、それまでのブルースには収まることができない強烈な個性があったと思われる。特に1980年代初頭はMTVの影響からかビジュアルと音楽がシンクロしており、ブルースといったプリミティブな音楽は下火であった。到底商業的に成功できる土壌(ジャンル)ではなかったが、その中でもスティーヴィーのパフォーマンスは一流のミュージシャンたちを唸らせる何かがあったのだ。
その勢いの中、スティーヴィー2作目の『Couldn't Stand the Weather』(邦題「テキサス・ハリケーン」)(1984)はゴールド・ディスクを獲得。
ブルースという偏ったジャンルの中、このヒットは後世に対し非常に大きな役割を果たしたと私は思う。
ロバート・クレイのデビュー盤『STRONG PERSUADER』(1986)のヒットやボニー・レイットのグラミー賞受賞作の『Nick of Time』(1989)など軽いお手軽なポップソングが華やかだった80年代に、スティーヴィーが火を点けたモダンブルースの道筋は確実に実を結んでいったといえる。
なにせ、あのエリック・クラプトンでさえ『Behind the Sun』(1985)では80’sポップの波に呑まれ軽いシンセサイザーのサウンドの中、前時代的なソロを爪弾いていたのだから。
そういう意味でも初志貫徹した演奏のスティーヴィーは、白人として本来黒人のソウルミュージックであるところのブルース・ミュージックに挑み、昇華することができた稀有な存在である。

  そんなスティーヴィーに起こった悲劇。
1990年8月。ウィスコンシン州アルパイン・ヴァレイ・ミュージック・シアターで開催されたブルース・フェスティバル。そこではエリック・クラプトンやバディ・ガイらと共演。堂々とギターバトルで渡り合った。クラプトンは新たな親友ができたと喜び、公演終了後、スティーヴィーの次の仕事先であるシカゴ行きのヘリコプターを見送ったほどであった。スティーヴィーがそのまま還らぬ人となってしまうなんて誰も想像できなかったであろう。あまりにも突然すぎる別れ。
スティーヴィーにとってもまさにこれから・・・という時であった。

  『The Sky Is Crying』(1991年)は彼の死後、残されていた未発表音源を集めたコンピレーションである。未発表の弟の作品を兄のジミー・レイ・ヴォーンが選曲した。発売後3ヶ月以内に150万枚以上の売上げを記録、プラチナ・レコードになった。
そして、このアルバムに収録されているジミ・ヘンドリックスの「Little Wing」はスティーヴィー最初のヒットを記録したアルバム『Couldn't Stand the Weather』制作時にレコーディングされたもので、ノリに乗っている時期の演奏。スティーヴィーの中でも名演中の名演の1曲と言っても良いだろう。
その他にもライブでの定番曲もあり、未発表音源のアルバムというよりしっかりと作り込まれた内容の作品となっている。

  「タラレバ」の話はしてもしょうがない。
ジミヘンが下戸でよく眠れる人だったら・・・レノンがあの日スタジオで徹夜のレコーディングでもしていたら・・・あの時デュアンがオートバイに乗らなければ・・・ボンゾがオレンジウォッカを2杯でやめてれば・・・
それが運命という人もいる。
スティーヴィーがヘリコプター墜落という痛ましい事故で亡くなって四半世紀。
名演が残されていたというだけでも音楽の神様に感謝しなければならないか・・・。

2015/12/09
花形
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by yyra87gata | 2015-12-09 08:30 | アルバムレビュー | Comments(0)