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音楽雑文集


by yyra87gata

帰るコールではなく、帰れコール

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 みんな家に帰るとき「帰るコール」ってする?アタシはする。しないと怒られるから。
じゃ、もう一つ質問ね。「帰れコール」ってしたことある?アタシは1回だけしたことがあるの。中学3年の時に単身で参加した1979年夏の吉田拓郎のオールナイトコンサート。愛知県伊勢湾の沖に浮かぶ篠島ってところで、当時新人でこのコンサートにゲストで来てた長渕剛に向けて「帰れ!」ってしたの。で、この時は周りの大人たちにつられてアタシは叫んでいたわけ。
要は「おまえなんか観たくない。おまえはいいから、早く拓郎を出せ!」というコールね。
長渕は可哀想だったんだ。きっと初めてあんなに大勢の人の前に出て歌ったんじゃないかね。とにかく彼はテンパってたよ。弦とか切ってたし。か細い声でアルペジオで暗いフォークソングなんて歌ってるから、獰猛な拓郎ファンには全然響かないのね。で、どこからとも無く「帰れコール」が鳴り響いちゃったわけ。でも、長渕は果敢に観客に向かって「帰らんぞ!」とか叫んでるんだけど、そんな抵抗をすると集団ヒステリー状態の観客には逆に火が点いてしまって・・・。30分くらいのステージだったんだけど、お互い後味が悪かったんじゃないかね。アタシはガキだったから周りの大学生の兄ちゃん達とあいつを打ち負かしたなんていい気になっていたかもしれない・・・。
 長渕は主催のユイ音楽工房の新人ということで呼ばれたんだと思うんだけど、厳しい洗礼だったね。
で、その「帰れコール」を拓郎は舞台裏で聞いていたのか。それともホテルで休憩していて、そのことを後から聞いたのか。ちょっと気になったね。

 なんでかというと、日本で一番「帰れコール」を浴びたミュージシャンは何を隠そう吉田拓郎なんだよ。だから、長渕が「帰れコール」の洗礼を受けた時、きっと拓郎は感慨深く感じたんだと思うよ。
でもそれは多分「時代は変わっちまったな」って思ったんじゃないかね。なぜなら、それは、拓郎がかつて受けた「帰れコール」と長渕剛が受けた「帰れコール」の意味が違うからよ。
 どう違うかって?
 1970年代初頭の日本のロックやフォーク好きの連中って凄く頭が固いというか拘りが強いというか。それこそ全共闘、全学連など学生運動とかで鍛えられちゃってて、「反体制」とか「30歳以上の大人は信用しない」とか真面目な顔して語るわけ。そんで、当時の反戦運動としてべ平連(ベトナムに平和を!市民連合)のデモとか・・・そういう人々が集会に集まるといろいろと総括し合い、常に「朝まで生テレビ」状態になるわけ。
そして、それが音楽集会の中でもあって、高石友也とか岡林信康とかが歌った後、観客が今の歌についてどうなんだ、とか、海の向こうのディランはどうだとか、討議しあうんだって。そりぁ、そういうユースホステルの夜のミーティングみたいなものが好きな人ならいいけど、普通は面倒くさいよね。だいたいこれが嫌で労音主催のコンサートには出たくないって言って岡林は失踪しちゃったんだから・・・。
 で、そういう面倒くさい人。つまり音楽を音楽として感じていない人がロックとフォークのファンには多かったってことなんだけど、それは「反体制」というものに属するものを支持するということだけなわけ。
1971年第3回中津川フォークジャンボリーは3日間の予定が最後まで消化できずに終了することになったのも、コンサートの運営方法とかに不満をもった観客にステージを占拠されるという事件が起きたからなんだよ。
だって当時のロックやフォーク好きは「アングラ」なわけ。
アンダーグランド・・・言葉そのままだよね。サブカルもいいところで、そんな観客の前に「風」なんていうヒット曲をテレビの歌謡番組で歌っていたはしだのりひことシューベルツなんて登場したら、そりゃ、最高の餌食なわけよ。もう「帰れ帰れ」の大騒ぎ。
現在のように演者からのベクトルではなく、観客主導で開催されているイベントだから、気に食わなかったらもう「帰れ帰れ」なのよ。
で、こん時の観客の目当ては岡林信康なわけ。「岡林を早く出せ!」ってなもん。マイノリティーの主導者というか代弁者というか。別に岡林は成りたくてなったわけではなく、祭り上げられてしまったと言うのもあるんだけど、そういった面でも出演者側もしらけちゃってるわけ。だって、メインステージとサブステージなんて風に1軍と2軍みたいに分けられちゃって・・・。
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 第3回中津川フォークジャンボリーの伝説は、サブステージの電源が落ちてしまったというアクシデントも手伝い、今までのそういった鬱積を晴らすかのように拓郎が2時間も「人間なんて」を叫ぶ暴挙に出て、メインステージがざわつくということとになり、この瞬間に中々出てこない岡林から拓郎へとリーダーが交代したと言われているのね。別に拓郎はリーダーになりたくて歌っていたわけでは無いんだけど、結果的にそうなっちゃったわけ。ほら、ここでも騒いでいる人たちは拘りの強いフォークファンやロックファンだから・・・。
でも、ここから拓郎の苦悩が始まるわけよ。
 拓郎ってフォークソングが大嫌いな人なのね。もともとリズム&ブルースの人だし、アメリカンポップを好んで聴く人だから。でも妙なことから時代の寵児にされてしまい、奉られるんだけど、「結婚しようよ」「旅の宿」という大ヒットを発表したが最後、面倒くさい連中が「拓郎は体制派になった。けしからん!」ということで「帰れコール」が始まるわけ。女の子はキャーキャー、男は「帰れ!帰れ!」。
 ま、付け足しで言うと拓郎はベビーフェイスだったから女を取られた男の嫉妬という意見もあったけど、とにかく出るコンサート出るコンサートで「帰れ!帰れ!」の雨あられ。拓郎が出るから入場料を払って「帰れ!」を言いに行く人も多かったとか。

 では、なぜこんなに彼らは神経質だったのか。
 俺たちの大切なフォークやロックをグループサウンズの二の舞にしたくないと言うのが本音なんだよね。
1965年、ビートルズやベンチャーズが日本で大ヒットし、誰も彼もがエレキギターを手にし、テレビでは「勝ち抜きエレキ合戦」が高視聴率を記録。なんせ人気絶頂の若大将もエレキを弾いて「しあわせだなぁ~」なんて生ぬるい台詞をつぶやいていたわけですよ。
で、当然、歌謡曲の世界はここぞとばかりにエレキバンドを生み出していき、最初はオリジナル重視だったスパイダースや尾藤イサオのバックバンドから独立したブルーコメッツ、内田裕也から独立したタイガース、横浜本牧の不良バンドのゴールデンカップスなどが注目されたわけだが、そのうち金になると思った芸能事務所がちょっとルックスが良ければ職業作詞家と作曲家に歌を作らせ、華美な衣装を着せてすぐにデビューなんてことをやっちゃったわけ。金になるから。で、1965年からタイガースが解散する1968年までがGSブームと言われているから、それはそれは嵐のような音楽ブームだったわけよ。アタシ、ガキだったけどうっすら覚えているもん。オックスの真木ひでとがでかい口を開けて叫んで、そのあとぶっ倒れてたもんなぁ。あれ、何だったんだろう。
 で、フォークやロックが好きな人は拘りが強いから、金儲けのための音楽は歌謡曲(体制)と一緒だ。ヒット曲=体制だ、ということになり、女に受ける音楽=歌謡曲=体制ということになるわけよ。
で、GSは金儲けに走った芸能界にしゃぶりつくされて衰退してしまったわけですよ。
とにかくそんなようなことがあるから、マイナーなやつがメジャーになると、とたんに牙を剥くんだよ。音楽性で拒否し、しかもそれがヒットしたら怒る。「あいつは体制側だ!」とか言っちゃって。
 でもさぁ、こういう客が好むミュージシャンって売れたら駄目なわけだから、当然生活できなくなるよね。その生活補償を彼らはしてくれるんだろうか・・・なんてくだらないことをアタシは考えちゃう。
 
 時代のせいにしてしまうことが一番簡単だけど、拓郎は貧乏くじを引いたよね。
でも、その洗礼を受け、「関係ねぇよ!俺は自分のやりたいようにやる。テレビに納得がいかない内容なら出ない!マスコミ?音楽雑誌以外取材はお断り!」なんてことで、我を出して自分を守っていきながら逆に歌謡界やマスコミを操作したことで拓郎は周りを納得させていったんだよね。だから、今の今まで一線なわけだ。そういう意味で言ったらあの「帰れコール」は彼の血になったのかもね。本人は嫌がると思うけど。
 つまり、篠島で長渕が受けた「帰れコール」はお前なんか見たくないという単純な帰れコール。ま、今の時代に「帰れコール」があるのかどうかわかんないけど、たいていがお前なんか見たくないから「帰れ」だよね。だから拓郎が受けたのとはちょっと違うのよね。
 で、拓郎って言ったらディランでしょ。
ディランも「帰れコール」受けたね。
1965年、ロックバンドを従えて観客の前に立ち演奏を始めたら、
「おいおい、ディランがそんなやかましくてどうすんだよ!いままでのフォークソングを歌ってくれよ!裏切り者!」ってな具合でブーイングの嵐。
この場合も観客は裏切られた感が満載なんだけど、自分の思い描くディランじゃないから怒っているわけでディランがその観客のためにフォークギター1本で歌ってやればその場はおさまるよね。ディランの気持ちはおさまんないけど・・・。
でも、このパターンも拓郎とは違うよね。
こうやってサンプルで紹介するとどう見ても拓郎の「帰れコール」は理不尽な気がするね。
やっぱり女に受けたやっかみかな?
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2017年5月9日
花形

by yyra87gata | 2017-05-09 19:09 | 音楽コラム | Comments(0)