音楽雑文集


by yyra87gata

カテゴリ:アルバムレビュー( 157 )

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 アタシはどうしたってツェッペリン派だったから、あまりパープルというのはある時期まで真剣に聴いていなかったのよね。
もちろん代表的なアルバムは所有しているし、それなりに曲も知ってはいるが、どうも座り心地が悪いというか、なんかしっくりこなかったのよ。
 ツェッペリンとパープルは全盛期もかなりリンクしているからブリティッシュハードロックバンドとして、世間的には重要なアイコンなわけだが、何故パープルにそんなに惹かれなかったか・・・。
すげー幼稚な理由なんだけど、好き嫌いってそんなもんだし・・・。
で、誤解を承知で書くんだけど、まず、イアン・ギランのヴォーカル。
イアンのヴォーカルが破壊型というか、あのシャウトが、気持ちよ過ぎるくらい叫ぶわけで、そのシャウトにアタシが反応しないのよ。アタシはどちらかというとブルース系というか演歌というかこぶしが回るヴォーカルの方が好きなわけで、そうなるとロバート・プラントに軍配が上がってしまうのだよ。だからといってパープルがこぶしをブンブンに回すデビカバにヴォーカルを交代したときに好きになったかというとそうでもなくて、バンドのメインヴォーカルが変わるなんてことは、もうそのバンドはバンドとして成立していないなんて固苦しいことを考えてしまうわけ。たかが中2の分際で。しかもアタシが聴いた時点ではもうすでにデビカバはホワイトスネイクを結成していたんだけど・・・ね(笑)。とにかく、ヴォーカルが気に食わないとなるとバンドとしては致命的でしょ(ちなみに、ホワイトスネイクのデビカバは好きなんだけどね)。
でも、パープルは全体的にみて嫌いなバンドではないんだよ。私が聴く機会が少なかったというだけ。
だって、ベースのロジャー・グローバーなんてアタシ、大好きで、ロジャーがツェッペリンに入ったらもっとすごくなるのになんて思ってたくらいだもん。もちろん、ジョン・P・ジョーンズの寡黙さと底知れぬ音楽性には敬意を表するんだけど、ロジャーがツェッペリンにいたら・・・どうだったんだろう。リッケンの図太い音を響かせながら「移民の歌」とかやって欲しいな、なんて(笑)。やかましいか?!

 ギタリストはリッチー・ブラックモア。トミー・ボーリンじゃあない。そのリッチーだけど、どの写真見ても怖そうでしょ。いつも何か怒っているみたいで。真面目な人なんだろうと思うんだけど、もう少し笑ってくれても良いのに。もちろん、テクニックやステージパフォーマンスは最高なんだろうけど、顔が・・・怖い。その点ジミー・ペイジは笑っちゃうくらい笑顔が可愛い。特に若い頃。最近は太ってしまって大阪のおばちゃんみたいな顔になってしまっているが、手足が長く、レスポールを股間までずり下げて同じようなペンタトニックスケールをせっせと上下上下と弾きまくる姿は(馬鹿にしてんのかなぁアタシ)、中2の坊主をイチコロにするのに5秒もいらなかった。
「おーっ!カッケー!」ってな具合で、なけなしの小遣いで買ったミュージックライフのグラビアを見ながら、当時もっていたモーリスのクラッシックギターに紐を括り付けて足を広げて真似をしたもんだ。あー恥ずかしい。

 アタシは大学に入り、先輩にエレキギターの取り扱いについて教えて頂いた時に、その先輩に尋ねた。アタシは大学までエレキなんてまとも弾く環境が無かったもんで、入ったバンドの都合で突然弾かなければならなくなった。そんで、ある先輩に師事した。なんせシールドの向きすらまともに知らなかったアタシは、先輩に貸していただいたギターを手にするとおもむろにローコードでスリーフィンガーを弾いてしまった過去がある。ストラトでかぐや姫かなんか弾いた(恥)。

「先輩はミュージシャンで誰が好きなんすか? 好きなアルバムとかあります?」
その先輩は7thコードが得意でシティポップのギターなんか弾かせたら最高の人だったのだが、その先輩の口から出てきた言葉は・・・
「『イン・ロック』(1970)。パープルの『イン・ロック』じゃ。あのアルバムは聴き倒したわい」と仙人のような雰囲気で応えてくれた。
「それは何故っすか?」と聞き返すと、
「あれにはロックの全てが入っている」と話された。多くは語らない。
いつもは7thコードをお洒落に決めていたギタリストから出てきたアルバムとしてはかなり異質で、でもその異質さが妙に心に残ったのだった。
アタシは家に帰り、納戸からレコードを探し、ターンテーブルに置く。そう、とりあえず、揃えることは揃えているのよ。『イン・ロック』に加え『ファイアーボール』(1971)、『マシン・ヘッド』(1972)、『ライブ・イン・ジャパン』(1972)という黄金の時期のアルバムは中古盤屋のハンターでせっせと1枚700円で購入していたの。なんか、聴いとかなきゃいけない作品って無意識に買ってたんだよ。中2の分際で。

 先輩の言葉を心で反芻しながら『イン・ロック』を聴く。
このアルバム、パープルがハードロックバンドとして飛翔するために重要な作品として位置づけられている。
バンドには勢いというものが必ずあって、その上り調子になる時のアルバムだけに、音にその躍動感が溢れている。
ギターテクニック的に優れた先輩が教えてくれた1枚。しかし、それがヒット曲満載の『マシン・ヘッド』ではなくその成功を作り上げる序章であった『イン・ロック』であることに先輩の言いたいことがわかった気がした。
ロックは理屈じゃないということ。目に見えない勢いって一番大事なこと。
 先輩から『イン・ロック』と聞かなければ、アタシは単にツェッペリンのライバルバンドと言われている、くらいの認識しかなかったと思う。
いまだにイアン・ギランのヴォーカルはそんなに好きじゃないし、リッチーは怒りんぼだし・・・だけどアルバムは無性に聴きたくなる時があるのよ。
何か、気合を入れるとき、『イン・ロック』を取る。
『マシン・ヘッド』じゃないんだよ。

2015/10/7
花形
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by yyra87gata | 2015-10-07 13:05 | アルバムレビュー | Comments(0)
  
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 「こういう音楽は自分には合わなかった・・・」ってアルバムを発表してからコメントしてしまう潔さというか何と言うか。
やはりジョンは天使の子供なのだ。

澄み渡るエンジェル・ヴォイス。
バッキングはドラマチックあり、変拍子ありの曲者YES。そのヴォーカリスト、ジョン・アンダーソンが1988年に発表した『イン・ザ・シティ・オブ・エンジェル』は当時の流行であったAORを取り入れた意欲作だ、と思っていた。
冒頭のインタビューを聴くまでは。

 当時、私は心待ちにしてこのアルバムを聴いたわけでもなかった。ただ何となくレコード屋に行き、何となく手にとってみただけだった。ほんの気まぐれ。
ジョンが西海岸のミュージシャンとどんなアルバムを作ったんだろうか、くらいの軽い気持ちだったと思う。
なんせ、霧雨の降るロンドンのジトジトした地下室のスタジオでガッチャンガッチャンと変拍子を刻んでいるイメージのYESのヴォーカリストが西海岸でTOTOのメンバーとどんな音を出すんだという興味本位だけだったかもしれない。

 YESは当時『ビッグ・ジェネレーター』(1987)を発表しており、トレヴァー・ラヴィン色の強いアルバムでジョンはどこか居心地が悪そうだった。実際ライブのセットリストでも揉めることがあり、バンドに対してフラストレーションが溜まっていたのではないかと思われる。だからソロアルバム制作ということもわからないではないが、今までの曲調と180度違う音楽ともいえるAOR。いくら時代がそうであってもブリティッシュ・プログレの雄であるYESのフロントマンが・・・と思うのだが、私はとにかく軽い気持ちで聴いた。

 これが実に気持ちよいのである。
ジョンのハスキーハイトーンヴォーカルが一つの楽器の如く、乾いた軽快なブライトサウンドに溶け込む。
なんせ、アメリカ西海岸の一流どころのミュージシャンが集まって制作したアルバムだ。クォリティ的に悪いはずが無い。あとは好みの問題。
ついでに言えば、ヴォーカリストとしてのジョンが好きなのか、YESのジョンが好きなのかと問われそうだが、どちらの音楽性にも音はフィットしているということは、私はきっとジョンの声が好きなんだろうなと思うのだ。
 
 今、改めてアルバムを聴くとシンセサイザーの音色やリズムパターンに多少の古臭さは感じるが、80年代ポップスのフォーマットに則った上質なアルバムである。
跳ねるようなジョンのヴォーカルが、お気楽なリズムに適用し、YESでは出すことのできないシーンを私たちに体感させてくれる。
世間的には名盤とは言い難いかもしれないが、決して侮れない作品であるし、少なくとも私は発表されてから何度も聴きなおしているので、私にはとてもフィットした作品だ。

 偉大なバンドのヴォーカリストがソロアルバムを出すと、比較対象が有る分余計な感想を持たれる。
ストーンズのミックやキース、フロイドのギルモア、ビートルズのジョンやポールだってそうだった。
私は、バンドではできないことをソロアルバムに託すミュージシャンが結構好きなのでこのアルバムもすんなり入ったのかもしれない。たとえジョンが冒頭のコメントのように失敗作だと言ったとしても!
だから、バンドと同じようなことをされるとゲンナリすることもある。
誰とは言わないが、それバンドでやれば良いじゃない!って突っ込みを入れたくなる。
そういう意味でこのアルバムは満足である。


2015年9月25日
花形
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by yyra87gata | 2015-09-25 19:26 | アルバムレビュー | Comments(0)
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貧困、親との確執、犯罪、人種差別、チャンス、一攫千金、金、金、金、名声、王様、プライド、嫉妬、欺瞞、傲慢、裏切り、孤独、実力、栄光、孤高・・・。

 ジェームス・ブラウン(JB)の映画が話題になっている。2006年に星になったファンクの神様の人生を綴る作品で、50年代から死ぬまで歌い続けた黒人のシンガーは山と谷を経験しながら孤高の人となっていく。
JBの人生を綴りながらも、バンドメンバーや家族ら周囲の人々の生き様も合わせ、JBの影の部分にも、敢えて踏み込みながら映像は進む。このスケール感のある人生、日本人では理解できない世界だ。
戦後、焼け野原になり貧困にあえぎ、栄光を掴んだアーティストがいるかもしれないが、日本人の中で肌の色は関係ない。差別はあっても肌の色で交通機関に乗れないということは無いし、ましてやプールに入る制限もない。

人種差別・・・。
レイ・チャールズの映画も同様であったが、とにかく黒人が立身出世する物語に人種差別は避けて通れないのだ。それはアフリカから奴隷を輸入した国であれば必ずついて回る問題だからだ。そしてその差別を正常化するための礎を築いたキング牧師やマルコムX、ブラックパンサーなど物騒な団体も登場するが、これもブラックパワーの尊厳のために必要だったという見方も認識されている。
 JBの生い立ちは様々な資料が発表されているので割愛するが、日本では商業的な成功という印象が薄いので過小評価もしくは誤解を招いていると私は思う。
特に「Get on up !」のシャウトが「ゲロッパ」となり、“派手派手しい前時代的なエンターテイナーのおじさんが変な言葉を叫んでいる”という断片的な印象がメディアから流されている気がする。いや、あえてイロモノ的に紹介していたCMや映画など・・・。だから日本人にはファンクもソウルも理解できていないんだ。
そんなJBだが、私はミュージシャンというより当初はご他聞に漏れずエンターテイナーもしくはパフォーマーという概念で捕らえていた。しかし、この「アポロシアターのライブ」を聴き、その印象が180度変わったのだ。
私の持論は、JBはタイガー・ジェット・シンなのだ。
 タイガー・ジェット・シンと聞いて反応する人は40代後半の男性だと思うが、とにかくめちゃくちゃなプロレスラーだったのだ。リングに登場するときは観客の中を縦横無尽に練り歩き、サーベルを振り回し、危険極まりない。凶器攻撃やチョーク攻撃など当たり前で、戦う相手をみんな血祭りに上げた。アントニオ猪木はシンと戦ったことにより正統派のレスリングスタイルから闘魂のストロングスタイルに変わったとも言われている。しかし、このタイガー・ジェット・シンはただのヒールではなかった。ここぞという時は正統派のレスリングで猪木にだってフォール勝ちしてしまう。凄腕のテクニシャン。観客が求めるヒールを演じ、肝心なところでは自分のプライドのため勝負に出る。
つまり真のエンターテイナーなんだと思う。
 JBも一緒。
 ど派手な舞台や生活面での立ち振る舞いに目がいきがちだが、実は最高のヴォーカリスト。スローバラードを切々と歌い上げるハスキーヴォイスとマイクパフォーマンスを行いながらステージアクションをするJB。
ワンコードミュージックを延々と続けるが、その中に強弱だけではなく、グルーヴを作り出す妙技。ホーンセクションをまるでオーケストラの様に操り、絶対的な存在で音楽を組み立てていく。バンドをしっかりと統制するには、専制君主でなければ出せない技であるし、そのスキルが無ければ、あのような表情豊かなヴォーカルにはつながらないのだ。

 JBのホームグランドはニューヨーク・ハーレムのアポロシアターだ。
この劇場で何度となく名演を残している。JBがデビュー公演を行なったこの地。2006年に亡くなった際もこの劇場に棺は運ばれ、ファンと永遠の挨拶を行なった。そして、アポロシアターの裏通りの名称がジェームス・ブラウン・ウェイとなったことからもこの劇場は特別と言うことがわかる。
やはり、私はJBのアルバムではこのシアターの音源が一番しっくり来る。
 
 2013年にこれまでリリースされたジェームス・ブラウンの3枚のアポロ収録ライヴ・アルバムを1枚のアルバムにまとめた作品が発表されたが、私は何よりも最初のアポロをアナログで聴くのが好きだ。
勢いがあるソウルミュージックは、JBの真骨頂であると同時に彼の生き様でもある。
JBという巨星が放つ強烈な光は、後世のミュージシャンに継がれているし、ショービジネスとエンターテイメントに多大な影響を与えている。映像は見えないが、このレコードからはなんだか見える気がするのだ。
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 JBの映画を見終わり、さっさと家に帰り、針を落としたのがアポロのライブ。
やっぱ名演だわ。

2015年6月25日
花形
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by yyra87gata | 2015-06-26 08:46 | アルバムレビュー | Comments(4)
 80年代はキーボードが一番発達し、音楽が変わった時代である。
シンセサイザーの発展が一番の理由だが、そもそもデジタルという「連続性で無く単一のデータを組み合わせた」概念が芸術を変えてしまった。
それは、テクノサウンドというわけではない。すべての音楽がデジタル化し、作品の定義が変わってしまったのだ。
 「打ち込み」や「サンプリング」、「シーケンサー」などといった語句が生まれ、音楽の作り方をも変わり、今まででは再現できないような音の構成が簡単にアウトプットされるようになった。
ドラマーは廃業に追い込まれ、生ギターは前時代の化石と言われ、楽譜も読めない素人がパソコンソフトで音楽を作り出す時代に変化していったのだ。これに異を唱えるかどうかはここでは避けるが、そんな1980年代半ばに前時代的なテイストで、且つ、新鮮な風が吹いた。
 ブライアン・アダムスの登場である。もちろんブライアンは1980年代初頭から活躍はしていたが、全世界的に名を馳せたのは自身の誕生日である11月5日に発表された名盤『Reckless』(1984)である。このアルバムは、全米アルバム・チャート1位を獲得し全世界で1200万枚以上の売り上げを記録した。
 前述のとおり、無味乾燥なお気楽な80年ポップスの中でいきなりアナログチックなこの作品。はっきりいって異質であった。それは、間違えて女子専用車両に飛び乗ったと同じくらい違和感がある(経験者は語る、まぁそれはさておき・・・)。
その異質な状況・・・ブライアンの若さゆえ、まっすぐな歌がギミックとフェイクに溢れたお気楽なシンセサウンドに喝を入れた形となったのではないか。
正直、私もレコードに針を落とした瞬間、ストーンズやスプリングスティーンのような重厚感あるドラムの音で背筋を伸ばしたものだ。
おっ、やる気にさせるね。誰かね・・・ミックスは・・・レコーディング・エンジニア・共同プロデューサーのボブ・クリアマウンテン、マスタリング・エンジニアのボブ・ラディック・・・なるほどね。やっぱりの音だわ・・・。ただ単に古臭くなく、80年代の音でしっかりロックしている音。
パワーステーション系の音が80年代ロックのアイコンであることも付け加えておこう。
 
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 アルバムに針を落とす。
1曲目に相応しい・・・スタートダッシュの表現がぴったり合う「One Night Love Affair」、3曲目の「Run To You」から「Heaven」に続く最初の盛り上がり。高揚する展開。
裏面に進めば「Summer Of '69」で郷愁のロックンロール、B面3曲目の「It's Only Love」でのティナ・ターナーとのゴージャスなデュエット。そしてラストの「Ain't Gonna Cry」まで突っ走っていく。
これ、CDで聴くのとレコードで聴くので比べたら断然レコードの方がドラマチックな展開なわけ。つまり、盤面をひっくり返すところも音楽の一部と言うくらい、間(ま)が合う。

 時は1985年夏。ブライアンがノリノリで全米ツアーを行ない、そのままの勢いでLIVE AIDに参加。「Kids Wanna Rock」と「Summer Of '69」が世界に生中継された。
大御所たちが出演する中、若さあふれる、さわやかなロックンロールを灼熱のJFKスタジアムに奏でていた。
そしてその年の秋には来日公演を果たす。大盛り上がりで武道館が揺れたという伝説もあるらしい(私は1991年、全日本プロレスでジャンボ鶴田が三冠ヘビー級戦を当時最も勢いのあった三沢相手に防衛した時、武道館が揺れた体験をしているが・・・関係ないか!)。

 話がとっちらかってきたが、ブライアン・アダムスの『Reckless』は、80年代の中でも飛びっきりなロックンロールアルバムで、この先、いつの時代でも聞き手を若々しくさせる作品となるだろう。
ちなみにReckless・・・訳すと「むこうみずな、無謀な・・・、意に介さず」。
これじゃあんまりなので、「青春の暴走」とでも訳そうか。

2014年10月21日
花形
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by yyra87gata | 2014-10-21 17:05 | アルバムレビュー | Comments(2)

「21」 アデル

 音楽を趣味としていても、私はなかなかに最近のヒットチャートに疎い。邦楽洋楽問わず、あまり興味が湧かないのだ。ラジオでたまたま流れていた音に耳を傾け、反応することはあるにせよ、昔ほどリサーチしようなどとは思わなくなった。それは歳のせいかもしれないが、自分の心地よい音だけを聞いていたいという本能的な反応なのかもしれない。
但し、片方の自分で「それじゃいけない」と警笛を鳴らす。そう、自分は音楽を作るという趣味があるのだから、様々な音を取り入れ、肥やしにしなければならないのだ。多少苦手な音にも耳を傾け、自分の音楽の幅を広めなければ自分の中の音はマンネリで陳腐化していく。創作するとはアイデアが湯水のように湧いて出てくるだけでは成立しないもので、特に現代音楽は周りの音との調和も考えなければならない。

 今回取り上げるアルバムだが、アデルの『21』(2011)を紹介したい。何を今さらアデルなの、と思う方もいらっしゃると思うが、私はアデルというシンガーを今まで知らなかった。この『21』もたまたま社有車の中にセットされていたから聞いただけで、自分の意思で聞いたものではないのだ。そう、それは私が車を走らせ、ラジオも面白くないからザッピングのようにCDボタンを押した瞬間、スピーカーから流れ出た生々しい音に眩暈を覚えた。何の先入観も予備知識も無く、流れてきた音楽。妙に老練な歌い回しが気にかかり、後から調べるとそれが21歳時の歌声と知った時、2度目の眩暈が私を襲った。
ジャンル的にはポップスになるのだろうが、今風の言い方だとR&Bという括られ方もするのだろうか・・・ま、そんなことはどうでもいいか。
妙に生々しい楽器の音。ミックスがガレージロックっぽい。しかし、歌はハスキーがかった情念の表現力もある。
情念・・・つまりこの『21』は、「離別」の内容がコンセプトにあるアルバムで、アデルの感情がもろに反映されている。自らを切り売りしながら創作活動をするシンガーということはアルバムタイトルの『21』からも容易に判断される。
ファーストは『19』セカンドは『21』。ともにレコーディングされた時の年齢という。つまり、その時点での自分を表現するに一番シンプルなタイトルである。
 私は昔から売れ線という言葉が好きである。ヒットパレードを追っていた時期もあるし、どんなに嫌いなアーティストでも売れるからには何かしら要因があり、そこには人を魅了する何かがあるのだと思うのだ。だから、一時期は好きでもないアーティストのCDをしこたま購入し、譜面に落とし、聞き込んだこともあった。しかし、感性的に許せない音楽はいくら売れていても理解不能に陥るだけで苦痛な時間を過ごすことがわかり、その行為はもう何年もしていない。そんなわけで、そういう耳を持っている自負もあるから社有車の中で聞いたアデルは自分の中で久々のヒット要因をもつアーティストと合致したのだ。
CDを2回繰り返し車の中で聞き、信号待ちでプロデューサーをチェック。リック・ルーヴィンの名前を見つけ妙に納得。エアロとRun-D.M.Cのコラボヒットである「ウォーク・ディス・ウェイ」を手掛けたことで有名となり、レッチリやメタリカなどのビッグネームを扱うプロデューサーで名を馳せている。

 ヒットする要因が分かれば何の苦労もない。誰もがそのメソッドを実行すればいいだけだ。しかし、ヒットは時として気まぐれであり、一筋縄でいくようなものでもない。プロモーションを無尽蔵にかけても結果につながることは保証されないし、ヒット曲の作家やプロデューサーを用意しても同様だ。
そこに人を惹きつける魔法が無いとヒットは生まれないものだ。
 『21』を社有車の中で聞いた時の胸のざわめきは、きっと惹きつける魔法の一つだったに違いない。だって、私はあの時、本当にアデルのことなど何も知らなかったのだから。
調べてわかったことは2012年第54回グラミー賞で主要6部門を受賞し、全世界で約3,000万枚近いセールスを記録したということである。

好きか嫌いかというより今のヒット曲のスタンダードとして記録される作品である。

 
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2013年7月12日
花形
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by yyra87gata | 2013-07-12 19:53 | アルバムレビュー | Comments(2)
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 ライノがアッパー40に向けたロックエイジへの叩き売り企画であるオリジナル・アルバム・シリーズ。70年代や80年代の名盤を紙ジャケに無造作に突っ込んでBOXセットで販売。その価格が2,000円台という破格の安さ!もう、CDというメディアの終焉を予測したレコードメーカー側の最後の儲けどころとしか言いようがない企画なのだ。
サイモン&ガーファンクル、イーグルス、キャロル・キング(この企画は泣かせる。なんと「タペストリー」を除くその近辺で発表されたアルバム5枚組。もちろん「タペストリー」みんな持っているよね的な配慮なのねん)、ブルース・スプリングスティーン、ボズ・スキャッグス、ジャーニー、ジョニ・ミッチェルに至っては10枚組で2,887円!1枚287円ですよ。もうこれはダウンロードミュージックに対する最後の反撃てな感じか。
 さて、今回取り上げるアルバムはそんな中「即買い」してしまったフォリナーのBOXである。1枚目の『Foreigner』(1977)から5枚目の『Agent Provocateur』(1985)までのアルバムが紙ジャケで収録。洋盤なので歌詞カードなんてついていないが、1枚1枚楽しみにして購入していた中学、高校のあの頃のLPが5枚で1,982円という価格(ちょっと寂しい気持ちになった)。
 こういったライノのBOXシリーズは、昔アナログで所有していた人が再度聞いてみようという気にさせるための企画であり、アナログ盤のライナーなどを眺めながらこのCDを聞くというのが効果的なのかもしれない。昔、レコードが購入できず、テープでしか持ってなかったという人もいるだろう。ま、聞き方は買った人にそれぞれお任せするとして、音楽に罪は無いのでスピーカーからは当時の音ががんがん響き渡る。ミック・ジョーンズの古臭いフレーズやルー・グラムの泣き節。イアン・マクドナルドのアナログシンセに時代を感じるが、もう35年も前のことだから仕方ないか。
 私の中学高校時代、フォリナーはもっとも売れていたバンドの一つで、うるさがたの音楽評論家たちからは「産業ロック」と揶揄されていた。しかし、当時の私には「それがどうした」と不思議な気分で聞いていた記憶がある。売れる前が良かったとか、売れたら迎合しているとか、そんな声はどうでもよくて、聞き手の気持ちひとつなんじゃねぇの心の中で叫びながら聞いていた思い出がある。
確かにまだあの頃はプロモーションビデオも無く、「ベストヒットUSA」も無かった。洋楽はよっぽどヒットしなければお茶の間まで届かない音楽だったのだ。
しかし、そんな中フォリナーは突然やってきたのだ。
当時の洋楽音楽雑誌といえば「ミュージックライフ」か「ロッキングオン」なのだが、確か「ミュージックライフ」が大々的に取り上げており、私も中学生ながらちょっと興奮したものだった。
“クリムゾンのイアン・マクドナルドがスプーキートゥのミック・ジョーンズとニューグループ結成!”なんてデカデカと掲載されていたのだ。しかもその佇まいはイギリス、アメリカ混成のバンドとは言いつつも限りなくイギリスに近く、ファーストのアルバムのジャケットデザインもヨーロッパのギルド職人の集まりのような雰囲気だったのだ。
 当時流行していた他のバンドはキッスが火を噴きながら「ラブガーン」と叫んでいたり、エアロは「ドローザライン」で腰をくねらせていた。ボストンはファーストからの流れを組んだ「ドントルックバック」をワンパターンリズムフィルで大ヒットさせていたっけ。フレディはちょうど伝説のチャンピオンに輝いた頃だ。片や日本では中島みゆきが「道に倒れて誰かの名を呼び続けたことがありますか」という恐ろしい情景描写を歌にしてヒットを飛ばしていたあの頃、フォリナーは「Cold as Ice」の印象的なピアノイントロで鮮烈なデビューを飾ったのだ。キッスやエアロが悪いわけではない。ちょうど売れ始めたチープトリックなんてものあったし、下着姿で股を広げながら「チェリーボム!」と叫んだお嬢さんもいたが、フォリナーと比べるとみんな子供っぽく見えたのだ。
中学生の分際でまだ大人の恋愛も知らない僕がフォリナーのファーストで大人っぽくなったのだね、きっと。
だって「Cold as Ice」を「つめたいお前」と訳すその感覚。中学生の私は痺れたねぇ。

 さて、僕の中学校の文化祭。クラスの出し物は「ロック喫茶」だった。ロック好きの友人数人が家から何枚もレコードを持ってくる。事前にアメリカン系、ブリティッシュ系と打ち合わせを行ない、ダブらないようにしていたはずだったが、フォリナーのファーストとセカンドアルバムの『Double Vision』(1978)は4枚もだぶってしまった。みんなフォリナーにいかれていたのだ。



2013年6月21日
花形
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by yyra87gata | 2013-06-21 22:55 | アルバムレビュー | Comments(0)
 定番だが『ムーンダンス』を推す。ヴァン・モリソンである。
アイリッシュのブルー・アイド・ソウルのコアを担っていたゼム。その中心的存在のヴァン・モリソンが1966年にソロとなり、『アストラル・ウィークス』(1968)は時代に合わない名盤として有名になってしまったが、その後R&B路線に回帰した『ムーンダンス』(1970)を発表。わずか21歳の時の作品で、ゼム以上の人気を博すことになる。
 当時の音楽を見ると1960年代の終焉、つまりビートルズの解散やニューロックと呼ばれるサイケデリックやプログレの登場、ブラックミュージックの台頭など様々なジャンルの音が巷に溢れていた頃、アイドルポップに嫌気がさし、一時期はジャズ方面に動いたモリソンだったが、もともとのソウルフルな歌声や音楽性を活かしロック、ソウル、ブルースを融合し世界的なブルー・アイド・ソウルの一人者となっていく。

 『ムーンダンス』は「捨て曲が無い」「名曲揃い」と数多くの方に支持されているアルバムである。特に1曲目から4曲目の流れは秀逸で、その4曲で満足される方もいる。
思いっきり跳ねるわけでもなく、キャッチーなフレーズがあるというわけでもない。ただそこにはひたむきに音楽と対峙している若者の声があるだけだ。
よく聴きこめばミキシングも稚拙であり、音の分離についても悪い。サックスとピアノが左右のスピーカーに分かれ、今の技術からしてみるとバランスなんてあったものではない。ヴォーカルの位相も決して良いとは言えないが、そのような次元でつっこみを入れてもビクともしない音楽の完成度がそこに存在する。しかもそれが21歳の時の作品なのだ。老成しているというか、なんというか・・・。
 僕はザ・バンドが好きだ。つかみどころのないあの老成された音楽。妙な落ち着きを持ち、この道何十年という顔をして若い時から活動していた彼ら。ヴァン・モリソンを聴いたときに同じ匂いがしたのだ(ちなみにザ・バンドの4作目『カフーツ』(1971)にモリソンは参加している)。
時代に流されない不変さといえば聞こえは良いが、頑固一徹の音楽という方が言い得ていると思う。とにかく「筋が通っているというのはこういうこと」という典型で、「本物は華美な演出はいらない」と黙っていても顔がそう訴えてかけてくる。もちろんフロントラインに立つアーティストは容姿も大切なファクターだが、マイク1本で声を出せば、本物かどうかの見分けは誰でもつく。そんな本物のアーティストなのだ。

 彼が動いている姿を日本で見た人はいない。未だに来日していない大物シンガーのひとりである。飛行機嫌いというもっぱらの噂だが、何か別な理由もありそうだ。多分、期を逸してしまったアーティストなので、彼を収容する箱とギャランティのバランスが取れないのかもしれない。彼の音楽性からして東京ドームや日本武道館という箱ではない気がするし、かといって洒落たライブハウスというわけにはいかないだろう。気難しいというモリソンのお眼鏡に叶う箱とモリソンの人気がリンクしていればいいのだが、まず来日は望めないだろう。

 さて、『ムーンダンス』の中で僕はなんといっても「クレイジー・ラブ」を推す。ザ・バンドのラストステージで弾けながら歌った「キャラバン」や確実にスティングの音楽性に影響を与えている「ムーンダンス」なんていうのも良いのだが、若干21歳の男が老練な歌唱を響かせる「クレイジー・ラブ」は秀逸なのだ。
 
1000マイル先からでも彼女の鼓動がわかる
それから、彼女が微笑むたびに天国が開ける
それから、彼女のもとに行く時はそこが僕の居る場所になる
流れる川のように
僕は彼女のもとに 流れていってるんだ
彼女は僕に愛、愛、愛、愛、夢中になるほどの愛をくれるんだ
彼女は僕に愛、愛、愛、愛、夢中になるほどの愛をくれるんだ

 一番の歌詞だけでも狂おしいほどの愛の感情が湧き出ている。そして、彼女が微笑んでいるかのような優しい音が曲全体を包んでいるのだ。モリソンのヴォーカルも秀逸。
これほどのラブソング。そうは見たことがない。

 何回も書くが、ヴァン・モリソン21歳の作品だ。
脱帽。
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2013年5月17日
花形
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by yyra87gata | 2013-05-17 15:36 | アルバムレビュー | Comments(2)

『HANDS UP』  THE MODS

 ふと口ずさむ曲がある。
THE MODSの「バラッドをお前に」だ。
この曲は1983年に発表され、ドラマのエンディングソングにも起用されたので、知っている人も多いかもしれない。
 ドラマは《中卒東大一直線 ~もう高校はいらない~》。坂上忍主演、菅原文太、由紀さおりが脇を固めた連続ドラマで、高校の体制に対応できない主人公が高校を中退し、家族の理解の中、大学入学資格検定試験(略して大検)を受けた後、東大理Ⅲに現役合格する、というようなドラマだ。制服の私服化や髪型の規制など当時の学校の規則に対する問題が取り上げられ、金八先生とは違った味の学園ドラマだった。また、実話をもとにしたものだったので、主人公の親が書いた本がベストセラーになり、大検がクローズアップされた。なんせ、この家族、次男と長女も京都大学合格、次女は大検最年少合格という結果だったので、世の中の親達はこぞって読んだのだろう。

 ドラマの中で、やり場の無い主人公の怒りが、エンディングテーマに溶けていた。僕も丁度高校を卒業してブラブラしている時だったので、主人公まで熱くは無かったが体制側に巻かれる反骨精神みたいなものが少しはあり、共感したものだった。ただ、そんな気持ちをこの曲はなだめるでもなく、鼓舞するわけでもなく、ひたすら静かにやり過ごす。そんな突き放し方がまた良かったのかもしれない。
そういえば、同時期に大沢誉志幸の「そして僕は途方にくれる」という作品が同じような気持ちにさせてくれたっけ。
 
 THE MODSはこの歌の前に「激しい雨が」でメジャーの階段を上っていた。この歌は、マクセル・カセットテープの宣伝に起用され、本人達も登場したTVCMでは男のギラギラした躍動感と尖がった音がブラウン管から飛び出してきた。
 森山達也の鋭いヴォーカル、つんざくような苣木のギター、お茶の間で聴いてはいけない匂いがプンプンしていた。
1980年頃、彼らはテクノサウンドに疲れた日本の音楽に雷を落とした。映画《狂い咲きサンダーロード》で使用された「うるさい」は彼らのデビューのきっかけとなった。
そして、ロンドンレコーディングの『FIGHT OR FLIGHT』(1981)でメジャーデビュー。「崩れ落ちる前に」「TWO PUNKS」を収録。今でもこのアルバムから取り上げられるライヴナンバーは多い。

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『HANDS UP』(1983)は「激しい雨が」「バラッドをお前に」「HONEY BEE」を収録し、商業的にも一番成功したアルバムである。ホーンセクションや女性コーラスの起用を良しとしないモッズファンもいたようだが、僕は彼らの音楽の幅の広さを感心しながら聴いた記憶がある。
 
「バラッドをお前に」を口ずさむ。
 “俺はポツンと部屋にいる イラダチが鼻歌をさそう”・・・と歌い出す。
 “お願いだBaby そばにいて笑って その顔を見たくて 俺はボロボロになる”・・・何とも言えない虚脱感が全身を包む。
 そして2番の、“知らぬ間に 手を汚したぜ お前の嫌いな 仕事をしてる”・・・というところがモッズらしい。

 この曲を聴くことだけでも『HANDS UP』は買い!
 
2006年8月19日
花形
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by yyra87gata | 2013-01-08 22:08 | アルバムレビュー | Comments(3)
 太ったロックミュージシャンって中々想像できない。チープトリックのドラマーのバーニーとかかなぁ。ミュージシャンでなければツェッペリンのプロデューサーであるピーター・グラントとか思いつくんだけど・・・。でも、昔から巨漢ギタリストという形容をされているレズリー・ウエスト。こりゃ何者だ?という感じで高校時代にプレイバック。
 私の高校時代の友人K君。彼はクリームのジャック・ブルースにしびれてしまい、勢いでギブソンのEBベースを買ってしまった。今思うと高校生にしてはかなり無理をした買い物だった。んでもって、彼の手の中でショートスケールのそのベースはブインブインと細切れな音を連発し、ジャック・ブルースを気取ってフリージャズのような音を速射していた。しかし、そんな彼に誰も合わせることができず、結局はいつもの緩い(彼にとっては・・・)ロックを演奏するしかなかったのだ。
K君は「んじゃあ、わかった。フェリックス・パパラルディを知っているだろ?そう、かのクリームのプロデューサーだ!そのフェリックスが組んだマウンテンというバンド、これやろう!」
なんという変わり身。クリームからマウンテン。フェリックスつながりでバンドの選曲をしちゃう彼。
私は唖然としながらもK君から借りたマウンテンのアルバムを聴きまくった。

 マウンテンは1968年にギターのレズリー・ウエストとベースのフェリックス・パパラルディが知り合ったことから始まった。1969年のアルバムデビュー後、グランド・ファンク・レイルロードなどとともに、70年代のアメリカンハードロックの代表的なバンドとして知られている。日本でマウンテンの名が知られるようになったのは、1971年の「ベートーヴェンをぶっ飛ばせ」(「ロール・オーバー・ベートーヴェン」として知られているチャック・ベリーの曲)がヒットしたことであろうか。この「ベートーヴェンをぶっ飛ばせ」だが、原曲はチャック・ベリー。ビートルズのカバーで有名な曲だが、マウンテンのそれを聴いてしまうとあのビートルズが可愛い虫に見える。やっぱりこれくらいでかい音でぶっ飛ばさないと!・・・ビートルズはぶっ飛ばしてないもんなぁ・・・。
さて、マウンテン。K君が一押しだったアルバムは1971年『ナンタケット・スレイライド』である。
タイトル曲の「ナンタケット・スレイライド」は18分にも及ぶ大作でジャック・ブルースとは正反対のどっしりしたそれでいてロックの真髄というベースラインが格好良い。筋の通ったベースに粘りつくようなレズリー・ウエストのギターとスティーブのオルガンが絡みつくまさに70年代ロックなのである。
テクニック面で名が知れるベーシストは大勢いるだろうが、そんなものは関係なく、フレーズが心底格好よいというシンプルなベースラインはこのフェリックスの右に出る者はいないだろう。ベーシストというより有能な作曲家というべきか・・・。
てなわけで、K君とのバンド・・・。
私は「ナンタケ~」もいいのだが、このバンド・・・演奏するより聴いている方がいいなぁなんて思ってしまったのだ。つまり長々と演奏する意味がわからんということ・・・これは上手いバンドが鬼気迫る演奏を時も忘れて続ける良さというものがあるが、素人の高校生が長々と演奏しても誰も喜ばないと我ながら悟っていたんだな。だから、長いジャムって自分ではぜんぜんできないし、興味も無いのだ。ましてやドラムなんて疲れるだけだし・・・。
ということで、K君のアイデア(思いつき)もすぐにポシャッてしまった。
しかし、私にとってはマウンテンを教えてもらったということは儲けもので、その当時アルバムを結構聴いた。
私のお気に入りは彼らの4作目である『マウンテン・ライブ 暗黒への挑戦 (Live - The Road Goes Ever On) 』(1972)である。
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 このアルバムの聴きどころは、やはり18分にも及ぶ大作の「ナンタケット・スレイライド」なのである。
メルビルの小説「白鯨」で知られるかつて鯨の捕鯨基地であったナンタケット島を舞台にした巨鯨モビー・ディックとエイハブ船長を題材にした作品。
スレイライドの、スレは(SLEI) 「ソリ」のこと。そして RIDE は「乗る」でソリに乗って引きずられることを言う。
つまり、この小説は人生を海、善と悪をエイハブとモビー・ディックに当てはめ、人生の機微を思索した作品で、この小説の内容を詩にまとめたのはフェリックス・パパラルディの奥方であるゲイル・コリンズだ。才女であり、アルバム・ジャケットのデザインも手がけていたゲイル・コリンズ・・・しかしこともあろうか1983年、そのゲイルがフェリックスを射殺してしまうという事件が勃発!びっくりした!

 さて、この『マウンテン・ライブ 暗黒への挑戦 (Live - The Road Goes Ever On) 』は、M-1「Long Red」は69年のウッドストック・フェスティヴァル、M-3「Crossroader」とM-4「Nantucket Sleighride」は71年のニューヨーク、アカデミー・オヴ・ミュージックでの録音。M-2「Waiting to Take You Away」は詳細不明の新曲である。なんだかまとまりのないアルバムに聞こえるが、とにかくレズリー・ウエストの体が示すとおりマウンテンはでかい壮大なアメリカンロックを体現したバンドであり、弾くより聴くバンドなのであるから、いちいち細かいことは気にしてはいけないのだ。痩せていて長髪で足の長いロックスターが多い中で相撲取りのようなレズリーがギターをウクレレのように抱えて弾くシーンはアメリカンサイズな音楽そのものなのだ。ながーい演奏をうだるように聴くってのも最近の音楽ではお目にかかれなくなってきた。今時マウンテンを好んで聴く人がいるかどうかわからんが、レズリーはいまだに弾いているらしい。

因みにK君はマウンテンを諦めたあとベースを買い換えていた。はは。

2012年9月11日
花形
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by yyra87gata | 2012-12-27 18:14 | アルバムレビュー | Comments(0)
 ハードロック好きの友達はすぐに裸になりたがった。酒を飲んでいるとやたらと全裸になりたがるやつもいた。あれは何なんだろう・・・たいした肉体美でもないし、さほど立派なモノを持っているわけでもないのに・・・私の周りには何故か脱ぎ始める人が多かった。もちろん学生時代のことであるが・・・。
かくいう私も野外コンサートなんかで素っ裸になって周りを驚かせたことが多々あるが、なんか開放的になりたいという気持ちは非常に理解できる。自由だなぁなんて勝手に思い込んで、普段、陽の光が当らない部分に光を当ててやって、ちょっとのんびりとした雰囲気になってみたりして・・・。でも、これはレッキとした犯罪行為であり、わいせつ物陳列罪で逮捕されても仕方がないのだ。中には裸を女性に見せてその反応を楽しむといった変態さんもいるが、私の周りのロッカーはそういう類の人たちではなかった。とにかく自分が気持ちよくなりたい・・・って同じこと?
 60年代から70年代のロックミュージシャンは自由と反体制を掲げ音楽を商売にしていた。もちろん、そういった傾向はその当時の時代背景に委ねられたものなのだが、とにかくロックは社会に対する若者のアイデンテティであった。だから、「常識を覆す」とか「大人の言うことは信用してはいけない」なんてことが当り前に存在していた。
そしてアメリカには「ヒッピー」という文化が生まれ、イギリスでは「モッズ」という生き方が形成されていく。特にアメリカのそれはベトナム戦争の影響から「愛と自由」を唱えるようになり、音楽的に言えば1969年のウッドストックでその終焉を迎えることになる。
愛と自由を求め音楽の祭典を3日間繰り広げたウッドストック。そのイベントの中にはヒッピーが溢れ、全裸で水浴びをし、水溜りで遊ぶ映像がスクリーンから飛び出した。
同じ頃、カリフォルニアの青い空とは対照的なダークサイドにジム・モリソン率いるドアーズが活動していた。彼は感情の赴くままパフォーマンスを繰り広げ、時には全裸となって衆人の前で逮捕されるという事件を起こす。
ジョン・レノンは愛と平和を訴え、ビートルズとは別にソロ活動を開始し、ヨーコとアルバム作りに没頭する。そのジャケットは全裸だった。
そう、あの時代は文化や時代のカリスマたちがこぞって全裸になった。
平和主義という観点から全裸イコール「武器を持たない」ということ。そして、全裸イコール「ありのままの自分」を表現したのだろう。
そんな先人たちの行動を見てきた我々の全裸への想いは・・・何か。

 最近の裸族バンドはなんと言ってもレッド・ホット・チリペッパーズ(略してレッチリ)だ。こんな紹介ではなく本来なら音楽性を語らなければならないのだろうが、まずは彼らこそ現代の裸族ロッカーであることを伝えなくてはと思ったからこんなに長いイントロを取ってしまった。。
彼らは靴下を男のシンボルに履かせ、練り歩き、演奏する。
一見馬鹿馬鹿しく見える彼らだが、その演奏力は高く、ハードロックとファンクとヒップホップを合体させたミクスチャーである。
そして90年代以降のロックを語る上で最重要なバンドであることは間違いない。
歌詞の内容は推して知るべし。騒々しい楽曲の中でアンソニーがドラッグやアルコール、アナキズム、快楽主義、刹那主義、性的描写、そして男のシンボルを叫ぶ。
つまり、自由を表現しているといってしまえば、60年代や70年代のロッカーたちと大差はないということだ。しかし、大きくずれることは時代背景がぜんぜん違うということ。
黒人もゲイもレズビアンもドラッグも30年前と比較すると90年代は全てにおいて市民権を得ている。そんな中での彼らのパフォーマンスを先人達は天国からどう見ているのだろうか。
1969年から30年経った1999年に開かれたウッドストック99に出演した彼ら、そしてそのパフォーマンスを見たファン・・・。ファンの一部が暴徒化し、放火騒ぎが起きる中のライブであったが(ベースのフリーはそんな時でも全裸!)、盛り上がり方が異常というかなんというか。もう、時代性なんて飛び越して刹那的に走っている潔さがある。馬鹿もここまでやれば大したもので、アンコールでは遠くに燃える炎を見ながら”Fire”を演奏するセンス。最高な時間だったと思う。

 彼らはパフォーマンスや言動、奇怪な行動ばかりが目立つが、本職である演奏を聴けばそれまでの彼らへの見方は180度変わるだろう。特にベースのフリーのリズム感とアンプを歪ませながらリードギターのように弾き倒す奏法は、レッチリの音楽性を方向付けている。
1995年発表の『ワン・ホット・ミニット』ではギターがデイヴ・ナヴァロに変わり、レッチリのアルバム史上一番ハードロック寄りとなったが、それもアルバムプロモーションツアーを終えるとさっさと脱退し、ジョン・フルシアンテが1999年発表の『カリフォルニアケーション』から復帰した。
たった2枚のアルバムでレッチリを語ることはできないが、この2枚に集約された音楽性が彼らの大部分を占めていると確信する。特に『カリフォルニアケーション』は、タイトルからして彼らの持つユーモアが炸裂している。
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「彼らの昔からの活動拠点であり、資本主義の象徴であるハリウッド映画産業を抱える" California"と「姦淫する」という意味を含む"fornicate"を合わせた造語であり、一種のレベリズム的なタイトルになっている」ウィキからの抜粋。
レッチリのド派手でハードファンクな内容を踏襲しつつメロディアスな面も見せた本作はセールス面でも成功を収め、グラミー賞も受賞し、名実共に頂点に上り詰めたバンドとなった。
こんな書き方をすると大顰蹙を浴びるが、彼らはただの裸族ではなかったのだ。私は親愛なる想いを込めて言いたいが、魂の開放を求めた裸も立派なアピールであるしそれがまかり通る世の中は平和な証拠なのかもしれない。ただ、それが刹那的に見えてしまうところがレッチリであるし、真のロックバンドというものだ。


平成24年7月30日
花形
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by yyra87gata | 2012-12-27 18:05 | アルバムレビュー | Comments(0)