音楽雑文集


by yyra87gata

カテゴリ:アルバムレビュー( 157 )

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 私の音楽供給源はラジオ番組「山下達郎のサンデーソングブック」(TFM 日曜14:00~15:00)である。この番組はオールディーズ専門のプログラムなので、最新音楽情報というわけではないが、私の知らない古いカルトな音楽の世界が大半を占めるので非常に勉強になるのだ。そしてオールディーズはただ単に古くてよい音楽というだけでなく、達郎氏の解説からそれが現在の音楽にどのように関わっているのかといった視点から楽しむこともできる。
加えて、音楽に対して真剣に向き合っている山下達郎という人の作るプログラムということにも興味があり、オンエアされる音楽の好き嫌いはあるにせよ毎回非常に楽しく聴いている。
最近の放送で気に入った曲があり、それを収録したアルバムを購入した。それがソロモン・バークの『Don't Give Up on Me』(2002)である。
 タイトル曲は達郎氏のフェイバリットソングで、癒されると同時に静かなる奮起の作品として彼は位置付けているようだ。
厳かに始まる静寂の中の音の粒。深く幾重にも刻まれた年輪の如く一音一音を大事に歌い上げるバーク。その魂の歌声に絡むハモンドオルガンに無駄な音はひとつも無い。
振り絞るように歌うアルバムタイトル曲の「Don't Give Up on Me」。ハスキーというよりしゃがれ声に近いヴォーカルが「あきらめないで!」と歌い上げるその心の叫び。62歳でのレコーディングである。
アメリカではサム・クックやオーティス・レディング、ジェームズ・ブラウンと肩を並べ、絶大な人気を誇るソウルシンガーであるソロモン・バーク。
ライバルたちが亡くなったり、現役活動を休止する中、ソロモン・バークだけは視力が弱くなっても、足が動かなくなり車椅子でステージに立つこととなっても、現役に拘り続けた。そしてこのアルバムは彼の後期における最高の輝きを見せたアルバムとなった。
 アルバムは彼を慕うミュージシャンたちが曲を書き下ろし、レコーディングされた。トム・ウェイツ、エルヴィス・コステロ、ヴァン・モリソン、ブライアン・ウィルソン、ボブ・ディラン・・・。
曲の素晴らしさも去ることながら、バークの説得力のあるヴォーカルとジョー・ヘンリーのプロデュース能力の賜物である。そしてこの作品はバーク初のグラミー賞受賞という形で実を結ぶことになる。
そして驚くことにバークはその後も精力的にライブ活動やレコーディングを重ねていく。ザ・ローリング・ストーンズのステージにも立ち、その模様は『ライブ・リックス』(2004)にも収録された。
2010年5月には「第24回ジャパン・ブルース&ソウル・カーニバル」に出演。初の日本公演を行なった。そしてその年の10月、公演が予定されていたオランダのスキポール空港の飛行機の中で急逝した。老衰であった。
 最後の最後まで音楽と共に生きたソウルシンガー。彼をただのソウルシンガーという括りにしてしまうには口惜しい。バークは60年代のアルバムタイトルで自ら名乗った『The King of Rock and Soul』から、ロックンソウルシンガーという彼だけの称号を永遠に名乗り続けるに値する最高のヴォーカリストである。
“Don't Give Up on Me”
長年様々な苦難と栄光を繰り返した男の心の叫び・・・「あきらめないで・・・」
心に沁みる音である。

2012年6月6日
花形
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by yyra87gata | 2012-12-27 18:03 | アルバムレビュー | Comments(0)
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 15歳は不安定な年頃だ。身体と心がアンバランスとなり、不自然な行動を引き起こす。最も有名な例が「反抗期」というやつで、この時期になると何でもかんでも面白くなく、何にでも噛み付いてしまう。そして、度が過ぎると犯罪に発展し、万引きや暴力という形になる。但し、ある人に言わせれば、逆に「反抗期」がある分人間として素直なことで、「反抗期」を迎えず大人になるとその分忍耐力も無く、でかい犯罪を起こすケースもあるそうだ。
 湊かなえが2008年に発表した小説「告白」は、そういった不安定な少年を独特の世界観で描いている。少年に潜む虚栄心が担任の娘を殺めてしまうくだりは、読んでいて鳥肌が立つほどである。しかし、そういった事件が起き、犯人探しになったときでも約40名のクラスは無関心や野次馬的な反応を繰り返し、妙に白けている。まさに、現代の縮図ともいえる教室がそこにあるのだ。
奇才中島哲也が2010年に放った映画「告白」はこの世界観を余すことなく映像で表現した。そして、発表から2年も経っているというのに、私はこの映像を忘れることができないでいる。いや、映像というより、映像プラス音楽である。
 サウンドトラック「告白」は、映画を見終わった人間を再び「告白」の世界に連れ戻してくれる。
トム・ヨークのか細いヴォーカルが映像を浮遊する。メインソングとなっているレディオ・ヘッドの「ラスト・フラワーズ」は重い。
全編に流れるBORISのヒステリックなエレクトリック・サイケ・サウンドは、神経を逆なでするかのように響く。そして、そんな中に突然AKB48の作品がぽつんと1曲加わる。その混沌とした世界観。サウンドトラックでこれほど映画を表す作品は稀である。
残虐なシーンで美しいメロディ。
無邪気に見える中学生の映像に凍りつくようなピアノ。
幼児殺害で流れる小さな子供の優しい声。
これらは、ただ単に映画の中で流れていた音楽群ではないことがこのサウンドトラックを聴くと思い知らされる。それは、音楽が音楽として際立たせたこともあるが、これらの音楽は聞き手を別の世界に誘う。
しかも、改めて言おう。この「告白」はミュージカルでもなんでもない。ミステリー作品に属するものだが、私は気持ち悪いほどに心に残り、2年も経ってからサウンドトラックを購入してしまったほどなのだ。
監督の中島哲也は「映画を観ていない人にもCDだけで充分楽しめるようにした。むしろ映画を観ていない人にこそ買って欲しい」と言ったそうだがそれも頷ける。

 聴くタイミングを選ぶ作品だが、私はついつい車の中で聴いてしまう。特に流れるような首都高速。
目の前に展開するスピード感と混沌とした音が妙にオーバーラップしたとき、至福の快楽がそこに現れる。

2012年5月25日
花形
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by yyra87gata | 2012-12-27 17:58 | アルバムレビュー | Comments(0)
 
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 中学2年の頃、下校時に駅前のデパートに寄った。すると催し物会場で輸入盤フェアなるものを開催しているではないか。これは良い道草だわ、なんて思いながら友達のM君と立ち寄った。
会場にはレコードの入った段ボール箱が散乱している。暇そうな人が数人いて、そのダンボールの中からビニールパックを施された輸入盤を見ている光景・・・。普通のレコード屋には無い光景であった。
私と友達はダンボール箱の周りをぐるぐる回りながら、自分の知っていそうなミュージシャンを探していた。しかし、レコード屋のようにアーチスト順に並べられているわけではないので、出たとこ勝負みたいなもの。とりあえず知っているアーチストが出てきたら考えるか・・・なんて思いながら箱を漁り始めた。なんせ、箱をひっくり返しながらアルバムを漁っていたら、「クラプトン」というキーワードだけが目に留まり、目の前には『ノー・リズン・トゥー・クライ』(1976)『スローハンド』(1977)『バックレス』(1978)の3枚が現れたわけ。それまでクラプトンなんて聴いたことが無いんだからあとはジャケ買いですよ。この時に購入したアルバム、つまり私の初クラプトンは『バックレス』(1978)なのでありまする。一番ジャケットが格好良いものね、バックレスは・・・。後にうちの家内なんか私がアルバム持っているっちゅうのに部屋に飾るためにもう一枚アルバムを買ったくらいだからね。

 さてさて、私にとって当時エリック・クラプトンは名前だけの人だった。ロック雑誌を読んでいると忘れた頃に出てくる古いミュージシャンという感じ。その理由は当時の音楽シーンでクラプトンはレイドバックしたサウンドで、ヴォーカルを重視した作品が中心。3大ギタリストの称号はあったにせよ中学2年の私には過去の人だったのだ。なんせ、当時はレインボーやMSG、ヴァン・ヘイレンがデビューした頃で、とにかくすべての音がハードだった。
 そんな中でのクラプトンよ。私は、名前とジャケットの渋い写真に惚れて『バックレス』を買った。
そりゃそうだ。3大ギタリストの中で、唯一聴いたことがなかったのがクラプトンだったから、とりあえず聴いてみるべぇか、ってな感じで購入。聴いてみて・・・私のイメージしていた音ではなかったことが第一印象。なぜならさっきも書いたけど、その時期の音楽シーンはとにかくハード。みんながライトハンド奏法を決め、ディストーションとマーシャルでギンギンに歪んだ音なのだ。
でもクラプトンさんはいきなりのアメリカンの南部音楽。ピアノの連打。ギターの音はあくまでもクリアートーン。椅子から転げ落ちそうになった。長いソロがあるわけでも無く、すぐに歌いだす始末。ストラトのか細いハーフトーンをチャカチャカ・・・。おいおいおい。
でもね、エドワード・ヴァン・へイレンのフェイバリット・ギタリストにクラプトンの名前があがっていたことは憶えていたので、ま、こりゃ、何かあるギタリストなんだと自分に言い聞かせましたよ。
中学の先輩の言葉。
「クラプトンは最高。本気出してハードブルースを弾いたらリッチ―やマイケル・シェンカーなんて子供だよ」
どこがハードブルースやねん!って突っ込みたくなったが、よくよく聞いてみると、先輩はクリーム以外のクラプトンは評価に値しないと言っていた。なるほど・・・クリームね。
でも、私の手の中にはいくら950円という破格の安さで買ったとはいえ、ゆったりとした音楽を奏でるクラプトンがいる。ホント、レイドバックって言葉が当てはまる作品ですわ。ねむ~。
ま、そんなわけで初めてのクラプトンはなんとも中途半端な『バックレス』。
でも、この作品、聞き込んでみると音楽性は非常に高い。ディランがクラプトンに書き下ろした曲も入っているしね。ただ地味なだけ。シングルヒットも「プロミセス」というアコースティックサウンドの明るい8ビートが全英でスマッシュヒットしたくらいか・・・。
そして、それまでのディック・シムズ(K)、マーシー・レヴィ(Vo)、ジョージ・テリー(G)、カール・レイドル(B)、ジェイミー・オール・テイカー(Dr)といったクラプトンの70年代のレコーディングもライブも支えた鉄壁のメンバーがこのアルバムを最後に解散する。1979年の来日時は全員イギリス人のバンドとなり、このバックレス・ツアーが執り行われた。それが後に日本武道館で行なわれたライブ『ジャスト・ワン・ナイト』(1980)につながるのだ。このライブ、実に不思議な体験だった。何故不思議かというと、全員イギリス人でっせ。そんでもって、全員アメリカ人の制作したアルバムのツアーをやってんだから。妙なグルーヴでしたよ・・・。初クラプトンでしたが、感動より違和感ですね。

 さて、それからの私はこの『バックレス』に当時満足できず、クラプトンはこんなもんじゃないと勝手に思い込み、そこからアルバムを聴きまくりやした。『バックレス』の次に購入したのは『エリック・クラプトン』(1970)・・・ブラインド・フェイスの全米ツアーの前座だったデラニー、ボニー&フレンズの連中とアメリカに残って制作した作品。クラプトンが南部音楽に目覚めちゃった作品で、真剣にザ・バンドに加入したいとか、わけのわからんことを考えていた時期のもの。でもこれが結構いいのよね。なんか、70年代の道筋を作った作品でさ・・・で、これが『いとしのレイラ』(1970)につながるわけだからさ。
 そんなこんなでクラプトンの音楽にのめりこむわけですよ。でもね、私はクリームやその前のブルースブレイカーズにはなぜか「はまらなかった」のだよ。それはきっと『バックレス』から入っちゃったからだと思う。イギリス人がアメリカ音楽に憧れている典型的な世界。ビートルズだってプレスリーに憧れていたんだし、ツェッペリンだってシカゴブルースに憧れていたわけで、そんな世界観があのブリティッシュロックを生み出すわけですよ。であるからして、イギリスの青二才がブルースを追求し、そのまんまのブルースコピーをしても、ちぃとも感じるものが無かったわけです。ちゃんと租借して、自分の音になって初めて「ウム」と頷けるわけで、ブルースのコピーみたいな音楽ややたらと長いブルースセッションをレコードで聞くのは耐えられんのです。でも、クラプトンも歳をとり、ブルースが似合うようになった頃くらいからようやく音楽に追いついてきて形になりましたけどね・・・。
ま、偉そうなことを書いてますが、私にとってクラプトンって不思議なミュージシャンなんですわ。

 クラプトンには『バックレス』みたいな地味なアルバムってけっこうあって、それがまた意外とよかったりするんですよ。
傾向として、話題になったアルバムの次の作品ってこういう作品が多いね。
例えばヘロイン中毒からの復帰作『461オーシャンブールバード』(1974)は全米No1になったけど、その次の『安息の地を求めて』(1975)なんてレゲェに狂ったイギリス人てな感じだけど、けっこう落ち着くし、全編ブルースナンバーを収めた『フロム・ザ・クレイドル』(1994)・全米No1から4年後に発表された『ピルグリム』(1998)は結構ヒットしたが、作品的に内省的なものが多く、「リバー・オブ・ティアーズ」なんていい曲が入ってるけど地味だもんね。

ま、そんなこんなの『バックレス』ですよ。

アルバムを見開くと大勢の観衆を前にギターを下げたクラプトンのバックショット。
コレがまたえらく格好いい。躍動的。でも、何度も書くけど、音はぜんぜん大人しい。レイドバックサウンド。うーん。

土曜の昼下がりに聞くか、夜、ワインでも飲みながら流すか・・・それはあなたの自由であります。

平成24年2月3日
花形
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by yyra87gata | 2012-12-27 16:17 | アルバムレビュー | Comments(0)
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 リンゴ・スターって下手ウマ的な言われ方をしているけど、歌心のあるリズムを出す天才なのではないだろうか。それは、あのビートルズの屋台骨だったということもあるが、彼のソロアルバムからもそれが伺うことができる。
「テクニックじゃないよ、ハートだよ」的なアプローチ。
リンゴの発表したアルバムは数あれど、私は誰がなんと言っても『RINGO』(1973)を推す。
1970年にザ・ビートルズが解散し、毎年のように再結成話が持ち上がっていたが、この作品発表の時ほど盛り上がったことは無いそうだ。
それは、この作品にジョンもポールもジョージも参加し、誰の目から見てもリンゴのような包容力のあるキャラクターに神経質な他の3人が少しでも素直になれたのではないかと希望的観測で噂が飛び交ったのだと思う。ハートだよ、ハート。
 作品はいきなりジョンの作品「アイム・ア・グレーテスト」から始まる。この作品、リンゴの飄々としたヴォーカルだから活きたのであって、ジョンがそのまま歌っていたらいつぞやの田原の俊ちゃんのような空気が読めない人(「俺はビッグ」発言)か、いつぞやのジョン自身の「私はキリストより人気がある」発言といったことと同じ過ちを犯していたかもしれない。でも、リンゴである・・・。みんな笑って聴いてくれた。
 ポールは「シックス・オクロック」。バラードの名曲だ。ポールがリンゴに対して心情を伝えているような歌詞。そしてステキなメロディラインである。
ジョージは、このアルバムから最初にシングルカットされた「想い出のフォトグラフ」を提供。リンゴとの共作でこのアルバムからのファーストシングル。大ヒットした。もう、この時期のジョージは音楽創作意欲がハンパ無い時で、アドレナリン出まくりの頃。ビートルズが解散して1975年あたりまでのジョージは毎年何かしらの話題があり、音楽生活も一番充実していたのではないだろうか。ビートルズという亡霊からいち早く脱皮したのがジョージだと思う。そんなジョージはこのアルバムに3曲も作品を提供している。そして他にもリンダ・マーカットニーやザ・バンドのメンバー、マーク・ボラン、ニルソン、ビリー・プレストン、クラウス・ブアマン、ジム・ケルトナー、スティーブ・クロッパーなどが参加。この参加メンバーを見ると、音楽性がバラバラだからどんな作品が収録されているのだろうと思ってしまうが、そこがミソ。
ただ単に元ビートルズが集まったモニュメント的な作品なんかではないのだ。
次から次へまるでおもちゃ箱をひっくり返したようなバラエティに富んだ楽曲が飛び出してくる。こういう五目飯的なアルバムは音楽が散漫になりがちだが、そこはリンゴのヴォーカルが全てを包み込んでしまう。なんと説得力のあるヴォーカルなのだろう。
 また、このアルバム・・・、私が注目したいのは曲のバラエティさも去る事ながら、リンゴの叩くドラムの音がいいのだ。ビートルズ時代のちょっと湿ったようなスネアの音やキックの音が非常にクリアに聞こえる。もともとあまり輪郭がはっきりするようなスタイルではないのだが、この作品のドラムの音はそれまでのアルバムのどれよりもいい。
 ヴォーカルではなく、ドラムの話になったのでついでに書くと、結構ミュージシャンの中にもリンゴファンは多いと聞く。私が知っているだけでも名手・村上ポンタ秀一、高橋ユキヒロなんてどの雑誌を見てもリンゴ・スターを好きなドラマーの第1位に挙げている。ポンタなんて卓越したテクニシャンドラマーなのにリンゴかぁなんて思ったものな。
その理由は・・・。ポンタ、ユキヒロ、両者共に共通してリンゴのテクニック面ではなく楽曲に則した奏法を指摘していた。
高橋ユキヒロ・・・ラディックの3点セットをあれだけ表情を付けて演奏できるミュージシャンは数少ない。
村上ポンタ秀一・・・リンゴのリズムはしっかりヴォーカルに溶け込んでいるからステキだし、自分もそうありたい。
 私も中学時代にドラムを触り始め、ビートルズをコピーしたことがある。しかし、思い描くように叩けず悩んでいた。その時、友達はツェッペリンやパープル、MSGなどをコピーしていたので、私がリンゴのコピーをしているのを知ると、「そんな簡単なエイト、初歩の初歩じゃん!それよりコージーだよコージ!」なんていいながらツーバスの足まねをしながら私を挑発してきた。私は素人だったので、リンゴのドラミングを彼にやってもらおうと思い、一緒に音楽室でドラムを叩いてもらった。
レコードを流しながら、彼はリズムを刻み始めたがどうもしっくりこない。友達の焦り始める顔・・・。
そしてとうとう満足のいく演奏なんてできなかったのだ。彼は不思議そうにビートルズの演奏を聴いていた。
私は常々リンゴのリズムは特徴があると思っていた。それはビートルズのグルーヴって誰がやってもできるものではなくて、特に初期から中期にかけてのロカビリーやロックンロールのビートはリンゴ独自のリズムで形成されているのだと思った。だから、リンゴとポールが作るグルーヴは彼らを無敵のロックンローラーに仕立て上げることができたという仮説だ。ポールのカールヘフナーから繰り出す箱物のベース音とバタバタとしたリンゴのスネア。これぞビートルズのビートであり、それに憧れたミュージシャンは星の数ほどいるだろう。そういう意味でいくと、リンゴは飄々としながらも、計り知れない演奏技術があるのではないか。
 
 最後に演奏能力について質問された際にリンゴの答えはイカしていた。
インタビュアー「ストロベリー・フィールズのドラムは上手すぎて、リンゴのプレイではないのでは・・・?」
リンゴ 「たいしたことはないよ。二度と同じようには叩けないけどね。でも、皆と一緒に終わるくらいならできるぜ」
『RINGO』は、ハートで叩くリンゴの最高傑作アルバムである。

2012年1月23日
花形
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by yyra87gata | 2012-12-27 16:13 | アルバムレビュー | Comments(0)
 私はいろいろな楽器をやってきた。エレクトーンに始まり、ドラム、ギター、ベース・・・中学生の頃は音楽の授業でトランペットもあったが、どうも唇がマウスピースに合わなくてユーホニュウムなんて楽器に回されたこともある。また、ギターといってもエレクトリックとアコースティックではぜんぜん違うし・・・。
楽器を始めるきっかけって様々だが、始めてから上手くなるまでの(楽器を面白いと思うようになるまで)間ってかなり重要で、ここで間違った方向に行くと偏った技法になったりする。だから基礎を学べって言うんだろう。
 前に書いたかもしれないが、私はエレキギターを本格的に始めたのは大学からで、殆どよくわからないまま「エリック・クラプトン奏法」という本を見ながらフレーズを覚えた・・・つもり。また、本人のレコードやビデオなんかを見ながら一緒に弾いたりもしたが、いまいち共感できないでいた。つまり、相手がでかすぎちゃって違う星の人に見えたのかもしれない。
 そういう意味で言えば、私には好きなミュージシャンは星の数ほどいるのだが、自分の音楽演奏について影響を受けた人というのは皆無で(人から似ているといわれたことは確かにあるよ・・・鈴木茂さんとか・・・)、一番影響を受けた人は実は身近な人だったりする。
例えば、ギターについて言えば一番私が影響を受けたのは大学の先輩であったり、友達であったり・・・。自分と同じ歳の人間が何でこんなにいい音を出すんだろう・・・なんて単純に思ったりしてね・・・。
だから、間近で見る友達の指使いなどは食い入るようにして見ていた。ドラムもしかり。友達がさばくスティックの動きを見ながら自分の頭にそれを焼きつけていた。
そんな私が影響を受けた「友人ギタリスト」のバンドが飛車角である。
もともとはアコースティックギター2本のやかましいデュオだったが、いつしかバンド編成になり、もっとやかましくなった。
 
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 そんな彼らのデビュー盤が『飛車角ライブ』(2003)だ。
彼らはとにかくライブが良かった。
この「良かった」というのは、現在彼らは活動を休止してしまっているのであえてこの言葉を使ったのだが、とにかく「男」のライブバンドだった。
毒を吐くようなシニカルなフレーズもあれば、プロテストな内容を独特のグルーヴで押し切ることもする。新田真也の描く世界はどこか世の中を達観し、「ふざけんなよ」という鋭い視線を向けている。そんな、尖った無骨な言葉をアレンジし、音楽的にしているのがギターの小澤祐介である。
私はこの小澤のギターが大好きである。思いっきり弾いている彼のギターが大好きである。
アコースティックを弾いてもエレクトリックを弾いても同じテンションで弾きまくる。
きっと彼ならアコースティックをエフェクター無しで歪ませることができるだろう。
 私がエレクトリックからアコースティックにギターを持ち替え、活動を始めたとき・・・、弦の硬さに苦労し、なるべくテンションの弱いオベーションを使っていたとき・・・、彼はギブソンのJ50DXをかき鳴らしていた。しかもマホガニーのそんなに高価なギターでもないそのギターが悲鳴を上げるように鳴り響いていた。そんな彼の弾き方を見て、私は感動し、アコはこうやって弾くんだという気持ちになったものだった。
それから、私はギターをテンションの強いマーチンに持ち替え、どうやったら「箱鳴り」するかといった音の探求に励んだのだ。もちろん、他にもアコースティックを上手に弾く友達が何人かいて、彼らの演奏も食い入るように見ていたから、私は自分のスタイルというものをどこに持っていくかを模索し続け、現在に至っている。モノマネから入ることはとても重要だが、それに終わるとそれだけになってしまうからね。小澤くんのコピーになってもねぇ~。

 さて、小澤くん・・・今は冬眠中だが、いつ目覚めるのだろう・・・。
彼とは数回一緒にバンドを組んだことがあったが、それは結婚式での生演奏バンドだったので(イベントバンドですわ)、音楽を追及するというものではなかったが、彼のリハの真面目さと本番での大胆さにかなり驚かされたものだった。
ちなみにそのバンド・・・九州・小倉でのステージでお互いに立ち姿を見て笑ったこと・・・彼はギブソンのエクスプローラーを下げ、私はギブソンのSGをぶら下げている。そして、演奏する曲は「結婚行進曲」に始まり、余興ではピンクレディから「君の瞳は10000ボルト」、最後には和太鼓との競演で北島三郎の「祭」をしっかりツインリードで決める。
いくらなんでもエクスプローラーとSGの組み合わせってないだろ・・・もうちょっと考えたほうがいいんじゃねえの・・・なんてお互いに言ってたなぁ。でも、このバンド、懲りずにホテルオークラでも演奏したんだっけ・・・。

 変な思い出話だが、さてさて・・・飛車角が再起することを願いつつ・・・。
現在では小澤の張り切った演奏を聞くことができる音源は『ライブ飛車角』とセカンドアルバムの『雲と泥の間』(2008)だけである。両方とも骨太なロックアルバムであるが、生の息吹を感じるなら滅茶苦茶オーバードライブしている『ライブ飛車角』を推す。

2012年1月13日
花形
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by yyra87gata | 2012-12-27 16:09 | アルバムレビュー | Comments(0)
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 「収穫」とは種を撒き、水をやり、栄養を蓄え、太陽の恵みの結果、人々にもたらされる天からの恵である。その「収穫」をアルバムタイトルにもってきたニール・ヤングの作品。1972年発表の『ハーヴェスト』に収録された作物・・・天からの恵というにはあまりにもシニカルである。
初期のヤングの作品は疑問形が多い。それはプロテストソングの割合が多い事や彼の詞がディランに影響を受けていることからもわかる。難解な歌詞に綴られた政治や人種問題などあのハイトーンで線の細いヴォーカルが歌い上げる世界は、静かなサウンドに乗ればガラス細工の様でもあるし、ディストーションの効いたハードサウンドであれば、悲痛な叫び声にも早変わりする。
 バッファロースプリングフィールドやCSN&Yを経て完成した『ハーヴェスト』は、それまでのヤングの集大成とも言える。
ファーストソロアルバム『ニール・ヤング』(1969)、セカンドアルバム『ニール・ヤング・ウィズ・クレイジーホース』(1969)、サードアルバム『アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ』(1970)と進み、CSN&Yの活動と平行しながらヤングのネームバリューは高くなっていった。そして詞も曲もサウンドもどんどんハードに変わっていく中、『ハーヴェスト』は一転し、ナッシュビルで録音されたカントリー風の作品が全体の7割を占め、アコースティック色が色濃く、その中でも「孤独の旅路」のシングルは商業的にも成功し全米ナンバー1を記録した。
 しかし、それまでのヤングの作風で言えばアコースティックは繊細なサウンドであり、エレクトリックと対峙するものであったが、このアルバムは全体的に埃っぽく、いままでのそれとは違う。そして、その内容は何度も繰り返すが決して「収穫」と呼べる内容ではない。
 これを「収穫」とするならば、それは絶望と不安を刈り取り、何も残らないやせ細った地に咲く一輪の花だ。「ダメージダウン」は、ドラッグで苦しむ友に捧げ、「アラバマ」ではCSN&Yの作品「4ウェイストリート」にも収録された「オハイオ」に匹敵するプロテストソングである。人種差別の激しいアラバマ州を徹底的に非難しているのだ。
「孤独の旅路」は愛の歌である。しかし、歌詞には「love」の言葉はない。

金色の心を求め、人生を旅する、それはあなたを愛するために私は生き続ける。
金色の心=純粋な心
その心を求め続け、わたしは年老いてしまった。

 この時期の歌詞にはこういった作風が多かった。
長生きするために金の心が欲しいとか、錬金術師が出てきて永遠の命を求めるとか・・・。
ツェッペリンの「天国への階段」の冒頭も
「光るものはすべて黄金だと信じている女がいる
彼女は天国への階段を買おうとしている」
とある。

 ヤングは敏感に時代を感じ取り歌詞を創作したかどうかは疑問だが、絶望としか思えないこのアルバムの中で唯一救える歌がこの「孤独の旅路」かもしれない。
いくらジャック・ニッチェの壮大なオーケストレーションがあったとしても、音が厚くなればなるほどそれに負けまいとするヤングの悲痛な叫びが我々の耳に響く。
 
 だいたい人はヤングのどこに惹かれるのか。
それは、ディランのそれと似ているかもしれない。歌詞、独特なヴォーカル、世界観、ハーモニカホルダー、下手うまなギターソロ、ピアノ・・・。
私はニール・ヤングをいつかやめようやめようと思いつつ、聴き続けてしまっている。CSN&Yの中では断トツにスティーブン・スティルスのファンだし、もちろんディランも大好きだし・・・ニール・ヤングなんて・・・と思いつつ毎回聴いてしまっている。
『ハーヴェスト』の後に発表された新曲だけのライブアルバム『タイム・フェイズ・アウェイ(時は消え去りて)』(1973)のような実験的な作品や1980年代のテクノサウンドを試みた『トランス』(1982)など常に自分を新たなステージに追い込んでいるヤング。そんな姿勢が若手のミュージシャンからリスペクトを生んでいるのかもしれない。歳を重ねるに従って過激になっていく・・・。そういったミュージシャンは存在するかもしれないが、ヤングほど世間から注目を受けるのは何故だろう。
 彼は変わらないからだ。彼は全然変わっていない。それこそバッファロースプリングフィールドの頃のグレッチ・ホワイトファルコンでいまだにファズをかき鳴らす。マーチンD45を惜しげもなく弾き倒し、ビグスピーの装着されたブラックレスポールでチューニングの狂いなど気にもせず、40年前と同じフレーズを奏でている。
その鬼気迫る真剣勝負が人の心を動かすのだ。

 2001年のフジロック出演。2003年の来日公演。それぞれライブでは観客を興奮の坩堝に追い込んでいった。

Rock’n Roll Never Die !

と高らかに歌い上げ、天に召したジミやジャニスと会話するヤングに観客は惜しみない拍手を送る。
そういえば、1970年代にパンクロックが世界を席巻し、「ロックは死んだ!」とジョン・ライドンが叫んだ時もいち早く反応したのはヤングだった。

 今、1960年代のロックを体現できる数少ないミュージシャンがニール・ヤングだ。
そんな彼の「絶望」と聴こえる『ハーヴェスト』は本当に「収穫」なのだろうか。
全米ヒットを喜ばなかったヤング。常に言いたいことは次作にして前を向き続けるヤング。
何年も聞き続けた『ハーヴェスト』だが、いまだにしっくりこないアルバムである。しかし、一番聴き易いアルバムでもある。
 1970年を締めくくる意味で発表された『ライブ・ラスト』(1979)は、当時のヤングの集大成のライブアルバムだが、このアルバムと一緒に聴くとヤングの伝えたい音楽が分かるかもしれない。自分に素直すぎるヤング。それが音として表現されている。
・・・難解だけどね。

2012年1月2日
花形
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by yyra87gata | 2012-12-27 16:07 | アルバムレビュー | Comments(0)
 
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 ロッド好きの芸能人ってけっこう多いと聞く。ビートたけしも歌手として歌を歌っていた頃があったが、まるっきりロッドだった。あんまりイメージ湧かない?

 ブロンドのロングヘアーをなびかせ、いつも両手にいい女がいるプレイボーイ。
男が憧れる世界を地でいっているシンガー。
ハスキーボイスもセクシーだから、女もメロメロ(死語)になっちゃうわけ。
でも、よーくロッドの顔を見るとたいして美男子(イケメン)でもない。体の割りに頭がでかくて個性的な顔をしているだけ。多分、あのハスキーな声が女性にはたまらなくセクシーに聞こえるのだろうな。
1970年代の若者はああいったわかりやすいロックスターに憧れていた。見るからにスーパースター。ロングヘアーにサングラス。女をはべらせ、いい車に乗っていて、ま、所謂ロックスターのアイコンだな。ステージも華やかだし。でもって、私生活を含めて、それはそれですばらしいエンターテイメントの演出なんだよな。
例えば、ロッドはスーパースターだからど派手なステージングを行なう。どんなに跳ねたり飛んだりしても平常心を保ったヴォーカルがスピーカーから流れてくる。・・・ま、あれが口パクと気づくのにそんなに時間はかからなかったけれど。大枚はたいて武道館まで見に行ってロッドが口パクだった時は、正直ずっこけたが、それでもロッドだからってんで許しちゃったしね・・・。
何年か前、矢沢の永ちゃんが日本人で初めてロンドンのウェンブリーアリーナに立った時、ロッドも一緒だったな。あん時のロッドは、腹は出てるは顔はむくんでいるわ・・・ちょっとひどかった記憶がある。やっぱり、人前に出るなら鍛錬をしなければね。さすがにあん時は口パクではなかったようだがね。

 なんだか悪口っぽいことが続いているが、実は私、結構ロッドの事が好きなのである。スーパースターを地でいっているところに憧れを感じるし、そういう世間からかけ離れている人って魅力的なのだよね。ちょっと古い話だけどF1界でいったら間違いなくネルソン・ピケだよ。世界中の美女と浮名を流し、大型高級クルーザーで暮らし、七つの海を渡りながらF1サーカスを転戦していた。勝手に一夫多妻制を取り入れて何人子供を認知したかも分からんし・・・。それでもみんな幸せなんだからすごいことだわ。
つまり、ロッドもそういう人なわけですよ、私の中では・・・。
でも、ロッドにしろ、ネルソンにしろただの「女ったらし」じゃないわけで、甲斐性があって、仕事も一流なわけですよ。そうでなければスーパースターにはならんもんね。
 
 そんなロッドも最近ではめっきりお歳を召しまして、ここ数年はアメリカのスタンダードばっかり歌うAOR歌手に鞍替えしちまってるね。『ザ・グレイト・アメリカン・ソングブック』はなんと第5集まで出ている。
古いスタンダードをカバーしていて・・・そりゃあんな上手いヴォーカルでスタンダードなんて歌おうもんなら、単純なアメリカ人は即買いだわな。しかもダイアナ・ロスやチャカ・カーンとのデュエットといった鉄板のネタもあるし。
・・・でも、私は嫌いだね。
 ロッドはストーンズまではいかなくても、常に女に対して強いビートに乗りながら挑発的であってほしいし、スタンダードを歌うにはまだ早いって!
グダグダの女ったらしを死ぬまで続けてほしいわ。
そういう意味で、私の一押しはロック不遇の1980年代の初頭に発表した『Tonight I’m Yours』(1981)である。もちろん、1970年代の名盤『Atlantic Crossing』(1975)、『Foot Loose & Fancy Free』・・・邦題「明日へのキックオフ」(1977)とかあるんだけど1960年代後半からジェフ・ベックと喧嘩しながら走ってきて、1970年代でヴォーカリストの地位を築き上げ、一気に昇華した作品が『Tonight I’m Yours』なわけですよ。
これ、もうこのタイトルだけで買いでしょ!
あーた、こんなこと言ったことありますか?
こういう台詞をさらっと言ってしまうロッドってやっぱり格好良いわけですよ。

 スーパースターなんて音楽やヴォーカルがいいに決まってるんだから、あとはどれだけ格好をつけることができるかなんです。最近、そういうスターっていなくなったね。



2011年10月26日 
花形
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by yyra87gata | 2012-12-27 14:05 | アルバムレビュー | Comments(0)
 80年代はロック不毛の時代と言われている。録音技術や楽器、特にシンセサイザーの技術革新により音楽自体が変化した。
シモンズのドラムやシーケンサーなど、打ち込みとペラペラなシンセが軽い音楽となって街にあふれていた。ちょっとでも70年代風のロックテイストがあろうものなら、「古臭い」と全否定されてしまうのもあの頃の風潮だった。
あの泥臭い声のスプリングスティーンだって「ボーン・イン・ザ・USA」での軽さは時代の流れによるものだし、クラプトンだってフィル・コリンズと蜜月だった80年代はブルースシンガーというより恥ずかしいくらいのポップシンガーになっていた。
所謂60~70年代の確固たるアーティストがハードの技術革新により音楽性をも変えられてしまうというところに私は不満があった。私は、往年のアーティストは古臭い音の方がいいと言っているわけではない。技術に溺れ、自らの音楽が浄化できていないのでは、と感じていたのだ。
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 では、80年代の音楽は軽くて最悪かということだが、そんな中でも名盤はちゃんとある。
フリートウッドマックの「タンゴ・イン・ザ・ナイト」(1987)である。
前作の「ミラージュ」から5年の年月が経っており、当時のグループはフロント3人のソロ活動により実質冬眠状態。特にスティービー・ニックスのソロは華々しいものがあり、グループの解散を何度も噂されていた。そこへきて突然のアルバムリリース。
特に騒がれもせず、往年のビッグバンドがアルバムをリリースしたという事実しか報道されていなかったが、実際に音を聴くと・・・これがすごい。リンジー、クリスティーン、ニックスのバランスが絶妙であり、70年代の「噂」(1976)「牙(タスク)」(1979)を彷彿とさせるポップ感覚は、長年やっているだけあっていつの時代になってもちゃんとフリートウッドマックの音になっていた。
録音技術の革新はあるにせよ、音楽性が変わることなく音が跳ねている。そして、なによりも「聴きやすい」というところが一番の良さである。
 フリートウッドマックはもともとブリテッシュ・ブルース・バンドとしてデビューした。ピーター・グリーンというブルースギタリストが輝いていたが、ドラッグによる体調不良も手伝い戦線離脱。ボブ・ウェルチというアメリカ人のギタリストが加入し、ジャズロックのテイストとなるもセールス的にはイギリス国内に留まっていた。
 全盛期となる70年代半ば、バンドはアメリカ人とイギリス人の混成グループとなりコスモポリタンの音を奏で始めた。リンジー・バッキンガム、スティービー・ニックスそして初期からずっとフリートウッドマックのボトムを支え続けたジョン・マクビーの妻であるクリスティン・マクビーのフロントラインは、バンドを昇華させ、最高のポップグループを完成させた。
 70年代半ばからの彼らの活躍を見ればわかることだが、バンドにも良い時もあれば悪い時もある。しかも男女混成、夫婦関係など音楽とは離れた部分のコミュニティは時として複雑な事象を生み出し、活動が休止することもあった。
誰かがソロアルバムを発表すると「やれ、解散だ」と周りが騒ぎ立てることなども彼らは飽き飽きしていたに違いない。
そんな時に彼らの出した答えが『タンゴ・イン・ザ・ナイト』だったのだ。
前述したが、本当に最初はそれほどプロモーションも無く、突然発表されたように記憶している。当時愛読していた音楽誌のアルバムレビュー欄にも小さく掲載されていたし、「あのフリートウッドマックが復活!」なんて仰々しいコピーなどひとつもなかった。
レビューも冷静に感想を述べていたし、華が無い印象であった。
私は「それは、どんなマックだよ」という好奇心でアルバムを購入したと思う。
そして実際に聞いて見ると・・・。

ファンタスティック!マック!

2011年9月16日
花形
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by yyra87gata | 2012-12-27 12:58 | アルバムレビュー | Comments(0)
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 1977年、秋。ラジオで頻繁にオンエアされていた「迷い道」。
新人歌手だったので顔も知らなかったが、印象的な歌いだしのフレーズの『現在、過去、みら~い・・・』。
中学生だった僕の第一印象は、その歌のことよりも「この人、なんて普通の名前なんだろう」と思った。失礼だと思うんだけど、ぜんぜん名前からメディアに出てくるという名前のオーラが感じられなかったわけよ。どこのお姉さん?ってな感じ。
当時は、ニューミュージックと呼ばれる音楽がテレビ、ラジオから溢れ、音楽番組花盛り。ちょっと前まではフォークシンガーやロックシンガーはテレビに出ないという暗黙の規則があったが、世良公則とツイストや原田真二、チャーなどが積極的にブラウン管から登場し、サザンオールスターズもこの頃デビューした。また、女性陣も竹内まりやや越美晴などといったポップシンガーがお茶の間を賑わし、歌番組の中でピンクレディーや山口百恵などと同じひな壇に座っていた。そんな中での渡辺真知子である。
ほんとっ、ふつーの人なんだよ。顔だって十人並みだったし、スタイルだって決して良い方じゃないし。別にアイドルじゃないんだけど、中学生だった僕はそういうところを見るじゃない。で、歌っている歌も『現在、過去、みら~い・・・』だしね。何がいいんだか当時の僕ではわからなかったんだけど、他のアイドルタレント(同期は石野真子、中原理恵、畑中葉子など)と比べると歌は上手いのかなぁ・・・なんて程度の認識だった。しかし、そんな中「迷い道」は長い時間をかけて大ヒット(62万枚)となり、この年の紅白歌合戦に出場するまでになる。
翌年、渡辺真知子は「カモメが翔んだ日」を発表。高らかに歌い上げるイントロのインパクトは相当なもので、一躍新人歌手の中で頭ひとつ飛び出した。そして「ブルー」といったボサノバ調の雰囲気のある曲で歌唱力を打ち出し、その年の新人賞を総なめにしていった。
しかし中学生の僕は、歌が上手い、ということはわかるんだけど、興味が湧く対象ではなかった。その要因のひとつは、歌が全てマイナー調で、別れの歌ばかりだったということ。当時の別れの歌の定番は中島みゆきや山崎ハコが定番であり、渡辺のそれは歌謡曲なんだかポップスなんだかよくわからないセグメントで、しかも楽器を持って歌わないという些細なことで僕の中では低評価だったような気がする。 
 そんな渡辺真知子を忘れ始めていた時、ラジオからあの声が響いた。しかも今度はメジャーな響き。ラジオCMのバックで流れる伸びやかなあの声はまぎれもない渡辺真知子。そしてその後すぐにTVCMでも大量投下された「唇を、熱く君を語れ」は43万枚の大ヒットとなった。テレビでは新人モデルの松原千明(石田純一の元奥さん)がにこやかに笑い、画面の右下には『歌:渡辺真知子』の文字。この歌はカネボウ化粧品のCMに採用され、溌剌とした女性とその唇に映える口紅とが渡辺の声量に相まってファットな印象を出していた。
たった15秒のCMだったが他の化粧品のCMよりインパクトがあり、打ち出し方もわかりやすかったのだ。(ちなみに他のCMは竹内まりやの「不思議なピーチパイ」(資生堂)、庄野真代の「Hey! Lady優しくなれるかい」(コーセ化粧品)で、2曲ともニュアンスを伝えるようなCMだった)
「唇を、熱く君を語れ」は、作詞・東海林良(田端義夫、石川さゆりから木ノ内みどりまで幅広い作風)、作曲・渡辺真知子。着目したい点は、編曲の船山基紀である。
1980年発表のこの作品。当時の流行の最先端ともいえるデビッド・フォスターの匂いがプンプンするのだ。
リズムを際立たせ、活力が溢れる楽曲。ブラスの使い方などは、この2年後に発表される「シカゴ16」でシカゴ復活の立役者となったデビッド・フォスターの編曲にそっくりである。ギターソロなどはマイケル・ランドゥばりに弾きまくっているし・・・。

 テンポ良い楽曲に声量がある渡辺真知子がその声をふんだんに使い、声で表情をつける。
いままでのマイナーで翳りのある作品と打って変わって、シンガーとしての幅を広げた作品といえるだろう。

 現在、彼女のアルバムはデビュー盤「海へ連れて行って」(1977)か、もしくはベスト盤という選択しかできないようだ。ベスト盤の中でも30周年のベスト盤は再度アレンジを施したものなので、まずは当時の音源のベスト盤をお勧めする。

 最近でもテレビやコンサートなどで歌い続けている彼女。
いつまでもあの頃のままで声を高らかに歌い上げてほしいシンガーである。

2010年6月4日
花形
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by yyra87gata | 2012-12-26 16:25 | アルバムレビュー | Comments(0)
 聞くところによるとシカゴの初来日公演(1971年6月)の第1曲目は、ビートルズの「マジカルミステリーツアー」だったそうだ。
観客はヒット曲の「長い夜」などを期待していたそうだが、いきなりの選曲にみんなぶっ飛んだらしい。

 シカゴは、「ブラスロック」というカテゴリーに属するバンドで、シカゴデビュー時(1969年)にはそういったバンドが竹の子のようにいくつもアメリカ各地でデビューした。
奇才アル・クーパーが率いるブラッド・スウェット&ティアーズ(BS&T)、タワー・オブ・パワー(TOP)、ブラス・セクションがトランペットのみの4人編成であるチェイスなど。

 このような形態は、もともとは1960年代後半に起こった軽音楽の多様化により、ロックとジャズの融合から生れたものだ。エレキギターやキーボード(ハモンドなど)が主役であったロックの中でそれまでは演奏の引き立て役であったブラスが主旋律をとることは当時珍しかったようで、これらの音楽はニューロックの象徴とされた。しかし、ブラスプレイヤーがギタリストのように神格化されなかったことや、誰でも気軽にプレイできる楽器ではなかったこと。そして、インプロビゼイション主体の音楽の衰退などが原因でブラスロック自体が長続きしなかった。

 そんな中で、メンバーチェンジはあれこそ、解散もせず現時点まで活動を続けているシカゴというバンドはまことに不思議なバンドである。
初代ギタリストの死亡、リードヴォーカリストのチェンジなどいくつもの苦境を乗り越えての活動維持は、見上げたものだ(意地?惰性?いやいや情熱でしょう)

 シカゴの活動時期は大きく3つに分けられる。
デビューから1980年あたりまでのブラスロック主体の時期。
デビッド・フォスターをプロデューサーに迎えバラード路線主体に移行した1980年代。
そして、メインヴォーカリストを換えビッグバンドカバーなど新たなチャレンジをしている1990年以降から現在までと、まさにどの時代もシカゴはそれぞれの顔を持っている。
名前だけ生き続け、全然別物というわけではなく、シカゴのエッセンスがどの時代にもある。それゆえ、リスナーは安心しながら演奏を楽しむことが出来る。だから、デビュー以来12回も来日しているし、ここ最近は2年連続の来日だ。

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 私は名曲が多いシカゴの中で意外と地味なアルバムが好きだ。1979年発表の『ホット・ストリート』である。この作品は私がちょうど中学3年でブラスバンド部の友達と遊んでいたときに学校の音楽室で聞き、その「真似事」をした、というのも大きい。このアルバムからスマッシュヒットになった「アライブ・アゲイン」は、当時音楽の方向性がいまいち定まらなくなってきたシカゴ自体が自ら「もう一度!」と鼓舞しているように聞こえるのだ。
軽快な8ビートにブラスが絡み、エンディングでは長いワウギターが続く。
このギタープレイは往年の「長い夜」のエンディングを思い出す(マイナーとメジャーの違いはあるが・・・)。
当時の私たちは、ブラスロックの真似事をしていただけなので、単純に生(ブラス)と電気音(エレキギター)の絡み合いに非常に興奮したものだった。もちろん、当時の私は全然ワウギターなんて弾くことは出来なかったが、重厚なブラスの上で奏でるエレキギターのソロはとにかく気持ちよかった。
そして、『こりゃ、テクニックがあればあるだけ楽しいんだろうなぁ』なんてことを考えていたように記憶している。
ちょうど同じ時期のことだが、前述の「ブラスロック」の衰退の要因のひとつに世の中はフュージョンという新しいジャンルの音楽が流行しはじめていたことも挙げられるだろう。
 フュージョンサウンドは、同じブラスでもサックスがメインとなり、重々しいバスドラのリズムと16を刻むハイハットが強調され、その上にスラップベースが重なるといった音楽で、同じブラスを使用している「ブラスロック」とは全く異なるもので、たちまち「ブラスロック」は「古臭い音楽」に成り下がってしまったのだ。
そしていつしか「ブラスロック」というくくりさえなくなってしまった。
 こういったこともあって、この頃のシカゴは本当に迷走していたのだ。当時はそんなことも良くわからずにブラスとエレキで遊んでいた私は幸せだったのかもしれない。

2010年1月9日
花形
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by yyra87gata | 2012-12-26 16:20 | アルバムレビュー | Comments(0)