音楽雑文集


by yyra87gata

カテゴリ:アルバムレビュー( 157 )

 久々に間近かで見た加藤和彦は素敵なおじさんに変わっていた。『ひっぴいえんど』(2009)のプロモーションで穏やかに語る加藤和彦は、すべてを達観した音楽の神様に見えた。

 加藤和彦はTHE ALFEEの坂崎幸之助と「和幸」というユニットを組み、セカンドアルバムを発表した。
『ひっぴいえんど』は、はっぴいえんど世代の音楽が凝縮されたアルバムである。もともとパロディ音楽を得意とする加藤和彦の真骨頂といえるだろう(フォーク・クルセイダースやサディスティック・ミカ・バンドでも洋楽のパロディを数多く手掛けた)。しかしそれらの作品はただのパロディではなく、日本人にわかりやすく、非常に高水準な音の構築がそこにあることを忘れてはいけない。
そうでなければ、学生が録音ギミックだけで作った「ヨッパライ」で大ヒットを飛ばせるわけがないし、日本人のロックバンドが本場イギリスでチャートインし、メインアクトのロキシー・ミュージックをくってしまうほどのパフォーマンスなんてできないからだ。

 加藤和彦は昔から「時代を1歩も2歩も先に行っているミュージシャン」という表現をよくされている。
フォーク・クルセイダースがまだアマチュアの時代に発表したシングル「帰ってきたヨッパライ」のアイディア。
「イムジン河」が放送禁止となり、それに反発しその曲の終わりからコードをつけて作った「悲しくてやりきれない」。
ソロになり様々なミュージシャンとの交流の中で作り上げられた名盤『スーパーガス』(1972)。そのアルバムに収録され、いつの間にか住宅メーカーの歌として今も歌い継がれている「家を作るなら」の普遍性。
 常に海外の音楽動向を気にし、それをいち早く取り入れる感性。また、それを自分以外のミュージシャンにも惜しげもなく使い切るプロデュース能力。
日本の音楽として海外に渡り十分に渡り合ったサディスティック・ミカ・バンドの功績など挙げていけばきりがない。そういう意味では、ミュージシャンというよりプロデューサーという方がしっくりくるのかもしれない。
それから考えると、加藤和彦はもともと大々的にソロプロジェクトを組むミュージシャンでもないが、1970年代後半から1980年代前半にかけて発表されたソロアルバム3部作は、今聞いても加藤和彦の世界観が伝わってくる逸品である確信する。『パパ・ヘミングウェイ』(1979)『うたかたのオペラ』(1980)『ベル・エキセントリック』(1981)
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 その中でも『パパ・ヘミングウェイ』は僕が中学生の頃よく聴いたアルバムだ。アーネスト・ヘミングウェイの軌跡をイメージしたトータルアルバムである。それまでの日本のミュージシャンで、こんな世界観を持った音作りを行なっている作品を僕は聴いたことがなかった。
作品発表当時の日本の音楽事情は、歌謡曲はもとより、ニューミュージックとテクノポップが街に溢れ、耳障りの良いCMソングがヒットするという方程式が出来上がっていた。そんなC調な空間に突如現れた硬派なポップス。浮遊するような加藤和彦のヴォーカルと耳に残る鋭利な音。色とりどりな曲が次から次へと飛び出し、ファッション誌が音を出しているような作品だ。
参加ミュージシャンもサディスティックス系、YMO系といった当時の売れっ子ミュージシャンが集結しており、緊張感の溢れるプレイを楽しむことが出来る。
『パパ・ヘミングウェイ』はバハマのコンパスポイント・スタジオ、マイアミのクリテリア・スタジオで収録されているためか、音色が青い。本当に青い。ちなみに『うたかたのオペラ』はベルリン録音だからちょっと影のかかった灰色の音だし、『ベル・エキセントリック』はパリのシャトゥ・スタジオだから華やかさの反面ちょっとセピアがかった色の音がする。
 音を自在に操る加藤和彦ならではの3部作。その中でも『パパ・ヘミングウェイ』は聞きやすいし、秀逸な出来だと思う。
彼の浮遊するヴォーカルが妙に心地よいのだ。

 ただ、「ジョージタウン」のイントロが高中正義の「ブルー・ラグーン」のスローテンポに聞こえるのは僕だけだろうか。ちなみにギターは高中が弾いているんだけど・・・。

2009年3月5日
花形
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by yyra87gata | 2012-12-26 14:45 | アルバムレビュー | Comments(0)
 
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再発万歳! ボーナストラック付の紙ジャケ!
よくぞ復刻してくれましたという感じ。レコードを買いそびれて私の唯一の音源であったカセットテープはとっくにベロベロに伸びてしまっていた。
ネットでは高額でレコードが取引されていたが、私はレコードコレクターではないので、とにかくまともな音で聴きたかっただけ。いやぁこの再発は本当に嬉しい。

 上田正樹と有山淳司。2人クレジット。アコースティック・ブルーズの名盤である。
もともとは“上田正樹とサウス・トゥ・サウス”のアコースティックコーナーで繰り広げられていた演奏をアルバム化したもの。
もちろん作品として残るので、ライヴで実際に歌っていた内容よりはかなり抑えられているが、それでもけっこうきわどい事をきわどい表現で素直に歌っている。この「素直」にということが非常に重要で、悪気も無く大阪の生の姿を歌っているのだ。
私は大阪人ではないが、このアルバムを聴くと埃っぽい昭和の大阪のダウンタウンが垣間見える気がするのだ。

 さて、音の話だが、有山が奏でるアコースティック・ブルーズに上田のハスキーヴォイスが絡む。ソウルフルな上田のヴォーカルはサウス・トゥ・サウスで見せるパワー全開のそれではない。どこか乾いたヴォーカルで、いい意味で力が抜けている。反して有山がヴォーカルを取る曲は、有山のハイトーンが曲をまろやかにしており、女性ヴォーカルと間違えるかもしれない。
 そんな2人の歌で大阪の真髄を歌い上げる。
労働者の悲哀、いつかは成功して北新地に呑みに行くことをサラリと歌う。
この作品を聞きながらウンウンと頷いた人も多いだろう。
特にこのアルバムが発表された1975年は、まだ“日本のロック”はサブカルチャーであり、一部の人間だけのものだった。その中でもこのアルバムは、特定の人だけ(関西人もしくは上田正樹ファン)しか理解できないものだったのではないか。
(私も中学時代に甲斐よしひろのラジオで聴いたのが最初。最初はぜんぜん理解できなかった)
70年代中盤の日本の軽音楽事情は、フォークブームの翳りによりニューミュージックへの移行が音を立てて行なわれていた。その中で日本のロックだけは混沌としており、相変わらずのマイナーリーグだった。商業的に一向に花開かない“日本のロック”の中で関西といえばブルーズだったのだ。
なぜ関西でブルーズが流行したのかは疑問だが、関西弁とブルーズの音感が非常にマッチしているからだろうか。それとも、もともとのブルーズ=黒人の労働歌という図式が、関東と比べて飾らない本音勝負の関西人に合ったのか。
また、関西ブルーズは本場アメリカで例えるなら、シカゴブルーズというより、ミシシッピ・デルタ・ブルーズのような土臭い音。
歌い上げる歌詞も生活感の溢れるものばかりで、好き嫌いもはっきり分かれるだろう。だからそんな関西の生活臭がラジオから流れてきても、関東に住んでいた中学生の当時の私にはよくわからなかったのだ。今でこそ、お笑いブームで関西弁がTVから日常会話のように流れ出て、流行語のように関東人がめちゃくちゃな関西弁を使うなんてことが普通となっているが、30年前では考えられないことだった。
 だから当時、友人の家で「ぼちぼちいこか」を全曲通して聴いた時、半分も理解できなかった。但し、何を言っているのかわからないが、とにかく関西弁で何かしょうも無いことを訴えているだな、ということだけがわかったと思う。
でもそれで十分だった。あんなグルーヴはきいたことが無かったから。いや、後にも先にもあのグルーヴを出している作品は聴いたことが無いかもしれない。
「ぼちぼちいこか」・・・なんて気の抜けたタイトルだろうと当初は思ったものだが、上田と有山のデビュー作というこの作品。「もうそろそろ、本気出すよ!」とも聞こえる。

 話は変わるが、この作品、ジャケットにも映っている「食いだおれ太郎」と一緒に大阪の文化的遺産として永久に残しても良いのではないか。
新聞社とケンカしている場合じゃないよ、府知事!

2008年10月26日 
花形
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by yyra87gata | 2012-12-26 14:35 | アルバムレビュー | Comments(0)

『Superfly』  Superfly

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 いやぁ困ったものだ。
たまたまつけた音楽番組“僕らの音楽”。Superflyが歌っていた。携帯の小さな画面で、しかも音も内臓スピーカーという小さいものだったが「I Remember」という歌を聴いて、私はSuperflyの虜になった。
翌日、したり顔で中学1年の長女に
「お前、Superflyって知ってるか?あれ、良いぞ。」と言うと
「あっ!いいよね、パパ持ってないの?私、ラジオでエアチェックはしているんだけど・・・
ちゃんと聴いてみたいんだよね。テレビドラマの主題歌とかCMソングになっているやつとか・・・。」
私は「I Remember」しか聴いたことがないというと、不思議そうな顔をして
「Superflyって結構有名だよ。アルバムが新人初登場1位、しかも2週連続は記録らしいよ。」

私は急いでSuperflyのファーストアルバム『Superfly』(2008)を手にした。

アルバムジャケットからして音が見えてきそうだ。HIPなスタイル。細いヘアバンドや花をちりばめていて、どこか懐かしい。ジャニスやフラワーチルドレンの香りが漂う。

“Superfly”は越智志帆のソロユニット。当初は2人組のユニットだったが、ギターの多保孝一がコンポーザー・アレンジャーに専念するという理由でソロユニットになった経緯がある。
影響は「1969」という作品もあるように、あの頃の音楽をオマージュしたものが多い。
一瞬、ひと昔前の「ラブサイケデリコ」を想起させたが、Superflyのほうがストレートなサウンドだ。
時代は廻るとよく言うが、30年の歳月の中であの当時のサウンドを現代のアレンジに施すことで、今のリスナーに受け入れられたのだろう。

 1984年生まれの越智がティーンエイジャーだった1990年代の半ばは、小室哲哉に代表されるレイブ系のダンスミュージックが日本の音楽界を席巻しており、街中テクニカルなサウンドで溢れていた。
海外でもグランジやヒップホップがトレンドで、そんな音の洪水の中、高校3年の時に聴いたジャニスの声は彼女の心にストレートに入って来たに違いない。
シンプルな音の中で一本筋の通ったヴォーカル、愛と自由を訴えた1960年代後半の音は、混沌とした1990年代後半とオーバーラップするものがあったのかもしれない。

 アルバム13曲を通して聴くと、なるほど音は60年代70年代のテイストに溢れているが、肝心のヴォーカルはことのほか素直であることに気づかされた。しかもソウルフルである。これは簡単なようで、とても難しいこと。ジャニスが好きなヴォーカリストは当然物真似の歌いまわしがあるもので、せっかくのサウンドに水をさしてしまうことが多い。そのヴォーカルを聴くくらいなら本家本元を聴いていた方がいいと言う判断になるのだ。例えば、ビートルズが好きでプロミュージシャンになったチューリップや矢沢永吉がなぜ確固たる地位を築き上げることができたのか、という答がそこにあると言うものだ。
(最近のミュージシャンで言うならミスチルはビートルズを上手く浄化したと思う)

 Superflyのファーストはとにかく聴きやすい。但し、次回作の方向性をどこに持っていくのか、非常に難しい選択を強いられるだろう。このままHIP路線で走り続けるのか、新たな道を作るのか。
懐かしいテイストが散りばめられたSuperflyは、ティーンエイジャーから私のような40代まで幅広い層のフォロワーを作り出した。これは紛れも無い事実である。

この先、流れの速い女性ヴォーカルの世界でどこまでいけるかが楽しみなミュージシャンである。


2008年6月6日
花形
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by yyra87gata | 2012-12-26 10:03 | アルバムレビュー | Comments(0)
 実はキャロル・キングについては、『LOVE MAKES THE WORLD』(2001)発表の時にレビューを書こうと思っていた。なぜなら彼女が59歳の時に発表したこのアルバムは、慈愛に満ちたとても幸せになれる音が溢れていたからだ。名盤『TAPESTRY』(邦題:つづれおり)(1971)の時のような躍動感は抑えられているが、歳を重ねなければ出せない音、声、表現力など・・・自分も歳を重ね日々生活をしている中で非常に共感する部分が多かった。

何も特別なことはいらない・・・お互いを認め、世界に愛を溢れさせる・・・

 18歳から職業作曲家として活動し、世界中の音楽ファンから愛され、私生活でも数々の出会いや別れがあり、それでもミュージシャンとして常に現役でフロントラインにいるキャロル・キングが歌うから意味がある。そのキャロル・キングが2枚組みのライブアルバムを発表したのは2005年のことだった。
居間でくつろぎながら聴くことが出来るコンサート・・・。キングはそのような依頼を数回受けてサロンコンサートを幾度か行なっていた。そして、それはとても好評で、数々の公演依頼を受けることになった。そして、このサロンコンサートをコンサートツアーという形で実現できないか、という企画がもちあがった。2004年のことである。舞台は本当にキングの居間に招待されたかのようにグランドピアノのバックには家具が並べられ、そこで生活をしているかのようだ。そこで招いたお客様相手に和気藹々とキングは歌う。その模様を2枚組みのアルバムとして発表した作品が『ベスト・ヒッツ・ライブ~リビング・ルーム・ツアー~』(2005)である。
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 “私のリビングルームにようこそ・・・何もおもてなしはできないけれど、楽しい音楽を聞かせることはできるわ。でも私も62歳のおばあちゃんだからあまり張りきって歌うことはできないけれどね・・・”と茶目っ気タップリに歌いだす「Welcome To My Living Room」からステージは始まる。
もうこの時点で観客はコンサートという概念を超え、とてもくつろいだ雰囲気に心が満たされる。
そしてそれはCDからも伝わり、無機質なスピーカーから暖かいキングの歌唱や演奏を間近で聴いている気分になる。
バッキングのミュージシャンもでしゃばりすぎず、キングを盛り上げ、絶妙なギターやコーラスを添える。
一人目の夫、ジェリー・ゴフィンとの間に生まれた長女であるルイーズ・ゴフィンとのデュエットも飛び出し、会場は熱気に包まれていく。
キングはヴォーカリストとして絶頂期があるのか(あったのか)どうかは疑問だが、昔と変わらぬヴォーカルを聴かせ、たまに声が枯れる瞬間があるがそれもひとつのライブ感ということで納得できるものだ。
またMCも面白く、会場をいじくることも忘れない。どんどんキングの世界に引き込まれていく。

 アルバムではアンコールを含めて全21曲がクレジットされている(メドレー含)。得てしてエレクトリックギターもドラムもないアコースティックライブは、アレンジが似通うため中だるみが生じるものだが、このアルバムは一気に聴くことが出来る。2枚組というヴォリュームがあっという間だ。その基本路線は、キングは客を楽しませることに全神経を集中させており、演奏に緊張感がある。少ない編成の難しさを克服し、逆に強みにしている。その重要なポイントは、なによりもキングのピアノが絶品なのである。こんなに上手い弾き語りがいるのか・・・しかも62歳!
脱帽である。

 ぜひ、コーヒーでもゆっくり飲みながらリラックスして聴いてほしいアルバムである。
またひとつ私のCD棚にひとつの名盤が加えられた。

2008年5月28日
花形
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by yyra87gata | 2012-12-26 10:00 | アルバムレビュー | Comments(0)
 日本のフォークソングは1960年中期よりカレッジフォーク、1960年後期より関西系フォークなどのムーブメントが起き、程なくしてよしだたくろうや井上陽水といったメガセールスが日本を席巻した。そして、かぐや姫やガロがセールスを伸ばし、一大フォークブームに発展していった。
荒井由実が命名した「四畳半フォーク」という言葉も世になじみ、フォークは若者の象徴として1975年の「吉田拓郎・かぐや姫 つま恋オールナイトコンサート」で昇華した。
しかし、その1975年を境に音楽の多様化に伴いフォークは事実上ニューミュージックに名前を変えることになる。但し、その中でも「叙情派フォーク」と言う言葉だけは残っていた気がする。
特にヤマハ主催の「ポプコン」から登場するミュージシャンにこの傾向が強く、シティポップやクロスオーバーといったジャンルと双璧を成していた。NSPやふきのとうはその代表格である。
また、数あるフォークシンガーやグループが時代と共に音楽性を変え、エレクトリック色が強くなっていく中、この叙情派フォークのミュージシャンはかたくなにアコースティックに拘っていた。その音楽性は音の氾濫する最新の音楽の中でとても潔く聴こえてくる。

 私とふきのとうの出会いは、私が中学生でラジオ少年だった頃に遡る。勉強をしながらラジオをつけていると、毎日のようにふきのとうの「風来坊」がオンエアされていたのだ。刷り込みというものは恐ろしいもので、顔も見たこともない得体の知れない「ふきのとう」なるグループの歌を登下校時に口ずさむようになった。
自転車に乗りながら“この空どこまで高いのかぁ~”なんて具合。
しかしそれ以上は発展することも無かった。レコードを買うわけでもなく、ライブに行くわけでもなく、気がついてみるといつも“この空どこまで高いのかぁ~”という具合だった。

 時は過ぎ、1987年8月。休業していた拓郎が復活するというニュースを聞きつけ、九州・海の中道まで出かけ、南こうせつのサマーピクニックに参加した。このオールナイトイベントの会場には、こうせつファンと拓郎ファンが詰め掛け、雨上がりのグチャグチャになった地面の上で異様な熱気に包まれていた。その中で、拓郎が登場する前に何人かのミュージシャンが登場したが、その中にふきのとうがいた。
その時のふきのとうは、「緑輝く日々」のツアー中であり、武道館公演も7月に成功させていた。
彼らの演奏が始まった時、客席は当初ざわざわと騒がしかったが、曲が進むにつれて彼ら2人のコーラスに魅了されていった。バックバンドの演奏も無駄が無いもので、整理された音が2人の歌を盛り上げた。私は不謹慎ながらも、後で出てくる拓郎登場のためにふきのとうや伊藤かづえなど他のシンガーの出番では体力を温存させようと休憩の体勢をとろうと思っていたが、聴こえてくる演奏があまりにすばらしいので、結局40分の彼らの出番をじっくり堪能してしまった。彼らのステージが終了した時には感動に包まれていたし、この日のイベントでいまだに記憶として残っているのは、拓郎でもこうせつでもなくふきのとうだったのだ。

 細坪の高音と山木の低音。字にしてみるとなんて単純な、と思われるがこれこそがふきのとうの音なのである。
正確に書くと、細坪の高音の主旋律に山木は6度下のコーラスをつける。つまり3度上のハーモニーの1オクターブ下のコーラスということだ。このちょっと変わったハーモニーがふきのとうの特徴である。そして、詩の世界は山や風、雨などの自然を歌い、親や友へ飾らない自然な言葉をつむいでいる。
控えめな印象のグループで、ヒット曲に恵まれたわけでもないが、コンサート会場は全国的に盛況だったと聞くと、なんだかメガセールスで踊らされている音楽業界の鼻をあかしているようでとても興味深い。
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 『2000 BEST ふきのとう』(2000)は初期から中期までのベスト盤。
彼らのデビュー曲「白い冬」の音源を捜していたところ、たまたま手に取ったベスト盤であるが、これがなかなか良い。
彼らの大切にしている音と世界が凝縮されているアルバムである。

追記。
「白い冬」をコピーしているが、山木のコーラスは難しい。3度上のコーラスで慣れているととんでもなく高い声になってしまうし、低音で歌いきるには出しづらい音域だし。
高音の主旋律という点においても、歌いきる人も少ないだろう。
あの雰囲気を出すのは並大抵なことではないのだ。

2008年5月27日
花形
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by yyra87gata | 2012-12-26 09:56 | アルバムレビュー | Comments(0)
 “この道何十年”なんてこの人には全然当てはまらない。出すアルバムごとに表面的な音楽性の変化がこれほど激しい人も珍しいだろう。それだけ引出しがたくさんあるのか、それとも飽きやすい性格なのか・・・。もちろん才能が無いとこの変化は昇華しないわけで、今回改めてベスト盤を聴きなおしてみてこの人の才能を確信した。
オリジナル・ラブ=田島貴男である。
 いろいろな音楽性(ネオGS、ポストパンク、民俗音楽、アシッドジャズなど)を次から次へと発表し、“渋谷系”などのくくり方をされたこともあった。これはそのサウンドが、ファッション界やクリエイターと呼ばれるカタカナ業界に多かったことにも起因している。そういえば、ブティックなどでBGMとして頻繁に使用されていたことを遠い昔に思い出す。
その“おしゃれなサウンド”もオリジナル・ラブがバンドとして存在していた時と現在とでは大きくその音楽性を変えている。クラブサウンドに狂ったかと思いきや、いきなりアコースティック・サウンドに変幻。こういった雑食系な才能はミュージシャンからも熱い信望を得ている。ミュージシャンズ・ミュージシャンということだ。
 本人は“渋谷系”と呼ばれることにかなり抵抗があり、その表現を否定している。その気持ちは十分理解できる。彼のこぼれんばかりの音楽性を一括りにされるのはいかがなものかという気もしないでもないからだ。

 16ビートの軽い刻みとソウルフルなブラスが満ちた音の中からバリトンの効いた田島のヴォーカルが浮かび上がると、そこはもうオリジナル・ラブの世界である。あの声はあの体と彼の骨格からくるのだろうな、と思う。いつも半分目を閉じたような薄目で、時より不適な笑いを口元に持つ田島貴男は、独特な雰囲気を持って歌う。ミュージシャンというよりどこか悟りを開いた宗教家のようでもある。その彼が魔術師のように音を組み上げて行く様は、音楽がパズルのように感じられる。そういった中で詞をどう活かすかが課題となるのではないか。
なぜなら、耳あたりの良い音楽と心に残る音楽は同一とは言い切れないからだ。
だからこのことに意識して、田島は意識し「プライマル」(1996)を発表したのではないか。
ユーザーにしてみれば、新たな一面を見ることが出来たという満足感はあるが、作品の出来があまりにも“はまって”しまったのでオリジナル・ラブ=バラードという安直なイメージをつけられてしまうのだ。器用な田島ならではの悩みが再び噴出してしまう。

 現在もオリジナル・ラブは独自のスタンスで作品を発表している。いろいろな音楽を実験的に行なってきているが、あくまでも田島に流れるポップスのセンスの結晶が作品として昇華されるのだ。
あまり考え込んで聴く音楽でもないのかもしれないし、考え込み始めると抜け出せなくなるような気もする。そんなミュージシャンである。
今回紹介する『ベリー・ベスト・オブ・オリジナル・ラブ』(1995)はオリジナル・ラブの初期4年間分の作品が中心で、様々な音楽がシャワーのように降り注ぐ。
深みにはまる前のカタログ的なアルバムとしては最適である。

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2008年3月15日(土)
花形
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by yyra87gata | 2012-12-26 09:54 | アルバムレビュー | Comments(0)
 先日、マイケル・ジャクソンの「スリラー」を久々に聴いた。完璧なアルバムだと再認識したのだが、あることを思い出した。
私が大学に入学した頃のこと。当時うちの学科では入学してすぐに、新入生と有志の先輩で1泊2日の懇親旅行なる企画があった。先輩たちの計らいで「とにかく仲良くなっちゃおう」という軽いノリの企画だ。
新入生、約120名は10組ほどの班に振り分けられ、そこにオブザーバーの先輩が5人ほど付いてくれる。良き相談相手である。新入生は大学生活への不安と期待が入り混じり、先輩を頼りにする。先輩たちもいろいろと便宜を図ってくれた。
 新入生は自己紹介などを行ないながら男女入り乱れての今にして思うと合コン状態であった。しかしそんな中、各班に変わり者の新入生が1人~2人まじっていた。
「やくざの息子」「おかま」「スポーツバカ」「電車オタクな女」「マスコミにコネのある金持ちのおぼっちゃん」「やたらと声のでかいやつ」・・・・。新入生の中でも浮いてしまうやつである。
バスハイク中でもこの連中はやたらと問題を起こした。中には喧嘩をはじめる始末。
私は面倒くせぇなぁと思いながら、一応年長者だったので(どうせだぶって入ったよ!)仲裁に入ったりしていた。
その騒ぎは宿に着いてからも止まらず、夜の新入生歓迎パーティーの時にピークを迎えた。とうとう、見かねた先輩とその新入生は大喧嘩を始めてしまったのだ。
ところが、である。
暗転し、「スリラー」のテーマが大音量で食堂に鳴り響く。
すると、私と同じ班でさっきまで私の太ももを触っていたおかまちゃんがすくっと立ち上がり舞台の方に歩いて行くではないか。周りを見渡すと白いスーツのやくざの息子も、車掌の帽子をかぶった電車オタクな女もみんな舞台に向かってゆらゆらと歩き始めている。
そして横一列に並ぶと、例のスリラーのゾンビダンスを完璧に踊っているのだ。
 新入生たちは大いに盛り上がり、今まで騙されていたことを気づかされた。先輩が新入生のふりをして我々に潜入していたのだ。大学生らしい企画ではあるが、班を作ってから1週間後の懇親旅行なので、潜入していた先輩たちは1週間ずっと新入生になりきって、我々と話をしていたことになる。アホもここまでやれば面白い。
私は「スリラー」を聴くとトラウマのようにこの先輩たちのダンスを思い浮かべてしまうのだ。しかし、本当に上手かった。バスハイクの責任者なんて赤いGジャンに赤いピチピチの革パンツを履いて、マイケルばりにムーンウォークしてたよ。
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 さて、この『スリラー』(1982)であるが、この作品はマイケル・ジャクソンのスター性が遺憾なく詰め込まれており、ダンスミュージック、ディスコサウンド、ソウルミュージックなどという範疇では語れない次元の作品となっている。また、MTVで大々的にプロモーションが行なわれたので、音を聴くだけで自然とマイケルのダンスシーンを想起する人も多いだろう。それだけインパクトのある映像だった。
「ウェストサイド物語」ばりの展開が見られる「ビート・イット」、ゾンビが墓場で復活し、全員でダンスする「スリラー」、ポール・マッカートニーとの共演による「ハート・オブ・マイン」など。このMTVは、映画並みのクオリティの作品で(監督:ジョン・ランディス)、アルバムヒットの原動力になっている。つまり「スリラー」は音と映像が見事にマッチした傑作であり、それまでの音中心の音楽から映像を含めた音楽を築き上げたエポックメイキングな作品である。音を聴くだけで映像が甦るというMTVの効力を十分理解し制作されたものだ。
だから、「20世紀、最も評価された作品」と評され、グラミー賞7部門獲得。発売当時から現時点で1億400万枚も売れ続けている(世界記録)。全9曲中、8曲がシングル・カット(シングル7枚)され、いずれも大ヒットを記録。37週全米1位を獲得した。ちなみに「スリラー」のビデオクリップは、100万本の売り上げだそうだ(ギネスブック掲載)。

 アルバムの制作面ではクィンシー・ジョーンズが再びプロデュースを担当し、それまでのソウル&ファンクビートが強かったマイケルの作品を見事に流行の音に仕立てあげた。例えば、ヴァン・ヘイレンがギターを弾いたことで「ビート・イット」はそれまでには無かったロックテイスト溢れる作品となり、当然のようにアルバムは全米1位を獲得した。そのため、ヴァン・ヘイレンは、「ジャンプ」「パナマ」といった大ヒットシングルを擁したアルバム『1984』でさえも全米1位に輝くことができなかったという皮肉な結果も生み出している。
この作品が巻き起こした事象を挙げていたらきりが無い。とにかくスリラーというよりモンスターと言えるアルバムである。
 最近、CDでこの作品を聴く機会があった。音の緻密さは、来たるデジタル世代の先鞭となり、その正確無比なサウンドメイキングとブラックミュージック特有のグルーブのミクスチャーは脱帽せざるを得ない。
前作の『オフ・ザ・ウォール』(1979)は、クィンシー・ジョーンズとの初タッグ作品でマイケルのソウルミュージックやファンキーな一面を整理された音で表現し、十分な成功作品に仕上げた。そしてこの「スリラー」は、表現力が一層広がり万人に受け入れられた。売れるからには何らかの理由があるわけだが、まさに時代を作った音がそこに存在している。

でも、「スリラー」を聴くとマイケルには悪いが、先輩たちのダンスを思い浮かべてしまうんだよなぁ。

2007年10月26日 
花形
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by yyra87gata | 2012-12-26 08:42 | アルバムレビュー | Comments(0)
 実は私、よく車の中で落語を聴きます。ラジオであったり、CDであったり・・・。
あの絶妙な間と江戸情緒あふれる話は、日本が世界に誇れる文化だと思います。
最近は「お笑いブーム」と呼ばれ、漫才やコントが主流です。それはそれで良いでしょうが、「お笑いブーム」というなら、もう少し落語にもスポットを当ててみてほしいものです。
そんなわけで、私は昔から贔屓にしている噺家がおります。
私が聴き始めた頃はもうすでに鬼籍に入られており、生で観たことは無いのですが、テレビの録画やラジオの音源でよく楽しんでおりました。
 その落語家とは、五代目古今亭志ん生であります。
メチャクチャな人生を歩まれた芸人の芸は、言葉ひとつひとつに説得力があります。
志ん生は、声、間、技が一体となった完璧なまでの話をする正統派の噺家というよりも、貧乏暮らしと酒におぼれ、その実生活がすでに落語であるという強みがあります。
明治23年生まれの気骨のある人物と思いきや、その日暮らしの酒飲みという噂もありますが、なにせ人柄が幸いして借金取りもあきれ返るくらい人に恨まれなかった人のようです。
そして、そんな志ん生にはたくさんのエピソードがあります。(ウィキペディア抜粋)
エピソード①
 関東大震災のときに、酒が地面にこぼれるといけないと、真っ先に酒屋へかけこみ、酒を買おうとした。
エピソード②
 東京が空襲にあっている頃、漫談師大辻司郎(初代)に「ビールを飲ましてあげるからいらっしゃい」と招かれて数寄屋橋に出かけ、しこたま呑んだ後、お土産にビールを詰めた大きな土瓶を貰った。帰宅中に空襲が始まり「どうせ死ぬならビールを残してはもったいない」と全て飲み干し、酔っ払ってそのまま寝入ってしまった。あくる朝、奇跡的に無傷のまま目覚めて帰宅。家では「志ん生は空襲で死んだらしい」とあきらめられていた。
エピソード③
 満州にて終戦を迎えたものの、混乱状態の満州からの帰国の目処がつかず、昭和21年頃の国内では「志ん生は満州で死んだらしい」と噂が流れていた。実際本人も今後を悲観して、支援者より「強い酒なので一気に飲んだら死んでしまう」と注意されたウォッカ一箱を飲み干し、数日間意識不明になったことがあった。その後意識を回復した志ん生は、「死なないのなら少しずつ呑めばよかった」と言った。
エピソード④
 ある日、志ん生は酔っ払ったまま高座に上がって、そのまま居眠りを始めてしまった事がある。それを見た客も怒るどころか粋なもので、「いいから寝かしてやろうじゃねえか。」「酔っ払った志ん生なんざ滅多に見られるもんじゃねえ。」と言って、寝たままの志ん生を楽しそうに眺めていた。

酒以外のエピソードでも、
エピソード⑤
 TBSラジオの専属時代に他局に出演し、それを指摘されたときの科白、
「何かい、専属ってえのは他に出ちゃいけないのかい?」と訊ね、TBS側も「志ん生だからしょうがない」といって諦めた。
実に愛すべき噺家です。
そういえば、先日亡くなったフォークシンガーの高田渡も同様の人でした。

 志ん生の落語は、CD全集も出ておりますので比較的簡単に手に入ります。持ちネタも多いので、選ぶのに一苦労しますが、「らくだ」「火焔太鼓」「親子酒」「鮑のし」などはすんなり志ん生の世界に入れます。
『名演集』(1994)は昭和31年から35年までのニッポン放送の専属時代の音源が収められており、一番油の乗った時期の話術を聞くことが出来ます。昭和36年に脳溢血に倒れ、その後奇跡的に高座に戻ってきたが、《病前》《病後》と形容されるくらい勢いは変わってしまったようです。但し、《病後》の落ち着いた志ん生のほうが良いというファンもいるので、一概にどちらが良いとはいえないかもしれません。

絶妙な語り口から出るキップの良い江戸弁は、聴いていてついつい真似をしてみたくなりますが、慣れない人がやるとただの野蛮人になってしまいますので、注意しましょう。
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2007年6月16日
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by yyra87gata | 2012-12-26 08:12 | アルバムレビュー | Comments(0)

『Denim』  竹内まりや

 日本の軽音楽、特にロックとカテゴライズされる音楽について歴史は非常に浅い。それはGSブームの終焉とそれに続く新たな日本のロックが、せいぜい1965年から1970年にかけての出来事で、商業的には全くといっていいほど認知されていなかったからだ。
これがポップスになるともう少し歴史は長くなる。洋楽の焼き直しが主流だった日本のポップスは、1958年から1971年まで続いた日劇ウェスタンカーニバルがその歴史を紐解いてくれる。
コニー・フランシスやリトル・エヴァなどの曲に日本語の歌詞をのせて歌ったことが、日本ポップスの黎明期の事象である。テレビでも<夢で逢いましょう>や<シャボン玉ホリデー>を欠かさず見ていた世代が現在の50歳アッパーだ。その世代の中で今でも第一線で作品を発表し続ける竹内まりやが6年ぶりの新作を発表した。
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『Denim』(2007)である。(2007年5月23日発売)
彼女は古くからある日本のポップスを上手く継承しているポップス・シンガーである。自分のスタイルを変えず、洋楽・邦楽問わず畏敬の念を持ちながら自分のオリジナリティでカバー曲を発表する。もちろん彼女のオリジナルもアメリカン・ポップスやヨーロピアンなテイストを上手く浄化し「竹内まりや」というジャンルとして確立されたものである。

 今回の竹内まりやの新作は、今までの彼女の集大成とも言える出来ではないだろうか。特にまりや自身が50歳を数え、人生を振り返り始めた大人のポップスを真正面から訴えかけてくれることが、ここにきて新たな音楽の幅を広げたようにも思えるからだ。
世代交代や2007年問題(団塊の世代のリタイヤ時期に抱える諸問題)を抱える日本の中で、同世代に対しこれほど前向きな音楽作品を投じた竹内まりやに拍手を送りたい。
拓郎や陽水が20代の頃、人生を語る歌を歌い、それに鼓舞され元気付けられたことはそれで成立するもの。しかし、20代や30代では理解できなかった歌が、この歳になって初めてうなづける瞬間もある。それをロックやフォークのようなメッセージ色の強い音楽性ではなく、ポップスとしてサラリと歌いきってしまう『Denim』は、非常に意味深い作品だ。
アルバムの曲順もこれ以外考えられないというくらいの完成度。1曲目から洋楽ビッグバンドのスタンダードで竹内まりやの世界にいきなり引き込まれる。2曲目からはオリジナルが並び、そこかしこに重い言葉がちりばめられ、軽快なポップスに踊る。
最初のヤマは、7曲目の「Never Cry Butterfly」である。6曲目「哀しい恋人」の無機質なデジタルサウンドから一転しバンドサウンドで歌い上げる。もともとはピカデリーサーカス(杉真理、伊豆田洋之、上田雅利、風祭東、松尾清憲を中心としたバンド。ビートルズに影響を受けたメンバーなのでサウンドはブリティッシュ・ポップ)が1999年に発表した作品。竹内まりやはこの曲を聴いたとき、「私が歌う曲」と確信したという。それくらい彼女自身が気に入った曲だ。歌詞の中性的な表現が、竹内まりやの中域のヴォーカルに見事にマッチしている。また、演奏もピカデリーサーカスが担当しているのでバンドのグルーヴがそのまま伝わり、躍動感に溢れている。
そしてこのアルバムの肝は12曲目の「人生の扉」である。人が歳を重ね、それぞれの生き方をデニムの色あせとオーバーラップしながら歌い上げる。歳を重ねる不安は誰でも持つものであるが、いくつになってもその歳を受け入れ、前向きに生きることを支えてくれる歌である。もし、センチメンタル・シティ・ロマンスの奏でるカントリー調のサウンドが郷愁の音に聴こえたら、このアルバムを受け入れた証となるだろう。

 竹内まりやのプロデューサーは、周知の通り山下達郎である。今までの彼女のアルバムのほとんどを手が け、時には達郎のコーラスも相まって誰のアルバムだかわからない時もあったが、今回は非常にバランスの取れた仕上がりになっている。
そんな訳で、私にとって『Denim』は、MOONレーベルにおける竹内まりやのベストアルバムである。

2007年5月24日
花形
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by yyra87gata | 2012-12-25 11:07 | アルバムレビュー | Comments(0)
 僕らの世代(40歳前後)でベンチャーズに影響を受けた人は少ないと思う。日本にエレキブームが起きたのは1965年過ぎ。加山雄三の映画、若大将シリーズにも<エレキの若大将>なんて作品があるくらいで(ちなみにこの作品の主題歌は「君といつまでも」だ)、日本中がテケテケやってたのだ。
テレビでは<勝ち抜きエレキ合戦>なんて番組もあり、東京ベンチャーズや東京ビートルズとかいうグループも出ていたらしい(何でわざわざ東京なんて付けるのかね?)。
日本のエレキブームの火付け役はもちろんザ・ベンチャーズ。江戸末期の黒船同様、エレキギターは当時の若者たちにセンセーショナルに広がっていった。衝撃の音はそれまでに聴いたことの無いものだったようだ。そしてそこに目を付けた日本の歌謡界は、グループサウンズという文化を作り上げてしまったのだ。また、ザ・ベンチャーズは渚ゆうこと組んで「京都の恋」」「京都慕情」なんて歌もヒットさせたかんね。恐るべしベンチャーズですよ。
ザ・ベンチャーズは、1965年の初来日からつい最近まで毎年のように来日している。夏になるとやってくる季節労働者のように言われていたが、最近は冬にも来るのだ。しかも夏のリードギタリストはジェリー・マギー、冬のリードギタリストはノーキー・エドワーズと言った具合に編成を変えてくる。なんちゅうバンドと思うが、曲ありきのバンドなんだろう。名曲アワーの如く、次から次へとヒット曲のオンパレードになるわけで、その曲が楽しめればそれはそれでいいのではないだろうか。

 成毛滋が昔、音楽誌に寄稿していたが、1970年前後の日本の軽音楽なんて、欧米と比べたら化石時代だった、と。レコードで聴く音を表現することなんてできない。グィーングィーンと唸る音はどうやったら出すのだろう、と真剣に悩んだらしい。実際、成毛はアメリカに渡り、フィルモアウェストでエリック・クラプトン率いるデレク&ザ・ドミノスを目の当たりにして全て理解したそうだ。クラプトンが、いとも簡単にチョーキングというテクニックで音を伸ばしている事実。また、ギターを見るとやけに細い弦が張られている・・・ライトゲージの発見。そして、マーシャルで音を歪ませていることなど・・・。
成毛はGSの衰退を肌で感じていたので、新たなるロックを探し始めたわけだ。しかし、当時は成毛のように海外に誰でも行けるわけではなく、一般人は相変わらずベンチャーズを見てエレキギターを学んだ。
今では当たり前のライトゲージ弦や、各種エフェクターも積極的に使用して、それらをメジャーにしたのもベンチャーズだし、エリック・クラプトンも、ノーキー・エドワーズには一目置いているとも聞く。日本では、ブルーノートスケールやチョーキング、ハンマリングなどのテクニックも、ノーキーがやるまでは、誰も知らなかった。
わかりやすいメロディで、しっかりとしたテクニックのもと、人の心を魅了することは並大抵のことではない。いくら速弾きや、アクロバットな奏法ができたとしても、人の心に残るメロディでなければ、通り過ぎてしまう。“ふーん、うまいね。”で終わってしまうのがオチなのである。
 そこへいくとザ・ベンチャーズはメロディ重視だかんね。ライブで聴くと意外と骨太なロックらしいし・・・。そうなのだ、私はまだ生で見たことが無いのだ。是非今年は彼らのライブを観てみたいと思っている。
 
 私にとってザ・ベンチャーズは、中学時代に教会のバザーで「10番街の殺人」のEPを手にして以来、いつも心に引っかかっていたバンドだった。昔の音楽雑誌で私の好きな日本のギタリストたち(鈴木茂、Char、徳武博文・・・)がみんなノーキー・エドワーズに影響を受けたと書いてあったこともひとつの要因。
それでは、ノーキー・エドワーズってどんなギタリストなんだろうと中学時代に思ったものだ。
後にビデオで確認したとき、ピッキング、運指ともに基本に忠実!ギターってぇのはこうやって弾くもんだ!って光線がバリバリ飛んできた。しっかりと構え、メロディアスなフレーズを奏でていた。
そう、ザ・ベンチャーズは侮れないのだ。
また、ザ・ベンチャーズはエレキ・インスト・バンド・・・ギター中心のバンドと思われがちだが、僕が一番感心したのは、ドラムである。メル・ティラー(故人)の叩くビートは、ハードロックのそれとなんら変わりない。かの山下達郎もメル・テイラーの大ファンだとか。
『ベスト・オブ・ベンチャーズVol.1+Vol.2』(1999)は、1960年代に日本独自で編まれたベスト盤2枚をリマスターし再発したもの。ボーナス曲を含む全29曲は聴き応えがある。
音の好き嫌いは別にしても、よくできたアレンジとパワフルなリズムを聴けば、テケテケなんてイメージは吹っ飛ぶ。
 今年こそライブで確認しないと、逝ってしまう人も出てきそうだ。・・・それでもメンバーを代えて歌を承継していくんだろうな~。

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2007年2月7日
花形
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by yyra87gata | 2012-12-24 13:32 | アルバムレビュー | Comments(0)