音楽雑文集


by yyra87gata

カテゴリ:コンサートレビュー( 20 )

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本当にユーミンのチケットは取れなかった。まだチケットぴあも出来る前のこと。会場付近のプレイガイドに並んで直接購入するという頃の話。

中学生や高校生の頃の私は知り合いにコネがあるわけでもなく、朝日新聞の社会面の下段を毎日監視し、コンサート情報を得るしかなかった。そしてひたすら並ぶ・・・。

それまでの邦人アーティストの大御所プロモーターはキョードー系列や日音、労音であったのに対し、1980年前後、ディスクガレージやスマッシュ、フィリップサイドなどといったプロモーターがタケノコのように生まれた。その頃からコンサートチケット争奪戦はあちらこちらで勃発し始めた。コンサートがビジネス化したのだ!

それまでのチケットの取り方としては、良い席で見たければそれなりの会費を払いキョードーや労音の会員になり、先行予約などという飛び道具による取得が一番の近道であった。しかし、中学生や高校生の分際でそんな金があるわけでなく、いつも残り物の集まるプレイガイドに並んでチケットを得るという基本的なやり方が主であった。だから、並んでいても5人くらい前で予定販売枚数が終了するなんてことは日常茶飯事で、ユーミンのコンサートチケットを取った時などは3年目でやっと自分にまで回ってきたのだった。

高校3年の夏休みが始まった日、夜8時、私は友達と関内の駅に集合していた。

日中の照り返しを吸収した路面は生暖かく、蒸し暑い夜であったが、私は友達と2人である建物を目指していた。キョードー横浜の事務所である。

翌日の朝9時に「松任谷由実コンサート リ・インカーネーションツアー1983」の前売りチケットを購入するための行動である。もちろん、徹夜で並ぶのである。

この頃は、プレイガイドやプロモーター事務所に販売予定日前から徹夜で並ぶと言う行為が一般化しており、「甲斐バンドの武道館公演では新宿のプレイガイドに2週間前から徹夜組が出た」とか「オフコースの武道館公演は徹夜で並んだのにも係らず、購入できなかったファンがプレイガイド前で小競り合いになった」などという情報が錯綜していた。

そのような状況であったから、徹夜でもしなければユーミンなんて一生観ることはできないと思ったのだ。

夏の朝は早い。徹夜組は50名ほどだったろうか。当時はコンビ二も携帯電話も無く、家から持ってきた弁当やお菓子で食いつなぎ、交代で近所の公衆便所に行く。前後に並ぶファンとは共通の話題となるユーミンの話をすれば、妙な連帯感も生まれてくる。私の前後はOLさんの2人連れと女子大生の2人連れだったので、お姉さんたちと話す感じがたまらなく甘美な時間であった(そりゃそうだ、男子校だもんな!)。

そして、チケットを手にしたときは単純に嬉しかった。思わずチケットカウンターで友人と快哉をあげた。なんせ3度目の正直だったから。

1983年9月21日・神奈川県民ホール。1階30列目。1階の後ろから2番目という位置だが、中央の位置だったので全てが見渡せる良い席であった。

ユーミンはこのツアーからそれまでのバンドメンバーの何人かを入れ替えていた。今はキーボーディストの重鎮であり、ユーミンのツアーには欠かせない存在となっている武部聡志はこのツアーからバックに起用されたぺーぺーであった。また、ベースの田中章弘も同様(田中章弘は鈴木茂&ハックルバックの印象が強かったので、目の前でユーミンと一緒にステップを踏みながらチョッパーベースを弾いている彼を観たときはびっくりした)。

ギターはお馴染みの市川祥治だが、もう一人のギターは窪田晴男。のちにパール兄弟を結成するのだが、この頃は近田春夫とビブラトーンズのメンバーだった。とにかくカッティングが上手いギタリストで16ビートは当り前、32ビートを織り交ぜながら世界観を作り上げる天才。後にTM NETWORKの大ヒットソング「Get Wild」の疾走感溢れるギターも窪田晴男によるもので、職人である。コンサートでもエッジの効いたカッティングがバンドサウンドを引き締めていた。

さて、そのようなメンバーにガッチリと固められ「リ・インカーネーションツアー」は幕を開けた。電飾フロアが輝くシンプルなステージでオブジェなどまったく無い。そのステージ上をテニスルックやレオタード姿のユーミンがスポーティーに走り回り、歌いまわる。

天井からのライティングは一切無く、ステージ後方から人的作業でバリライトのような動きを演出する。通常のピンスポットと後方からのあおり、地面の電飾という3方面からの光でユーミンが浮き上がって見えることがしばしばあり、幻想的であった。

曲はアルバム『リ・インカーネーション』(1983)を中心に演奏。もちろん荒井由実時代の歌や弾き語りを交えながら巧妙なMCで客を飽きさせない。

MCで「私に無いものは、生活感と歌唱力なのよね~」とぼやいていたが、コンサートにおける歌唱はその会場に宿る観客との呼吸もあるので、上手い下手というものを超越する。だから、歌唱力はたとえなくても、説得力は100%以上であった。

特にエンディングに向けての「キャサリン」~「埠頭を渡る風」~「カンナ8号線」~「REINCARNATION」は、その後のアンコールがいらないほど(アンコールも良かったです)、完成されたパッケージだった。

私は、このコンサートを生録をしており(そういうこと、良くやってました)、何度も聞き返しているが、何回聴いても飽きない。

私はこのツアーのあとも数回ユーミンのコンサートツアーに足を運んでいるが、このコンサートツアーのインパクトは大変大きなものであった。

理由はシンプルである。華美な演出が無く、歌に集中して観る事ができたからである。

歌唱力ではない説得力である。

それが生録した音から伝わってくるのだ。

そういえば、このコンサートの翌年からチケットぴあは電話によるチケット販売システムを構築し、徹夜で並んで席を取るという方法が無くなっていった。

我々は並ばずしてチケットを購入できるようになったが、良い席と悪い席の振り分けが不透明となり、徹夜すれば良い席だったという努力はまったく報われない結果となっていく。

もしかしたら、当時のファンは良い席を取るために並ぶところからコンサートは始まっており、その苦労をコンサート会場で発散していたのかもしれない。

だから、私もチケットぴあが出来るまでのコンサートの方が記憶が鮮明だったりする。

リ・インカーネーションでは無いが、もう一度チケットをプレイガイドで一斉販売する形式を取る方法にしたらどうなるだろう。ネット社会における逆流のコミュニケーション。

・・・混乱して終わるだけか。

2017/8/2

花形


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by yyra87gata | 2017-08-02 09:24 | コンサートレビュー | Comments(0)

清志郎のSF

 
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 SFって苦手なんだよ。夢が無い人と思われるかもしれないけど。SFって科学的な空想を模索しながら架空の世界を構築してるわけだけど、なんだかよくわからないんだよね。
アタシのSFなんて小学生の頃に見たウルトラセブンで止まってるし(今、再放送してて、たまに見ることがあるんだが、あれは人間ドラマだね。子供の見るドラマでは無いよ)、宇宙戦艦ヤマトだって御伽噺の世界だわ。だいたい空を飛ぶのに空気抵抗がハンパ無い船の格好という荒唐無稽さに当時の小学生の頃のアタシは苦笑してたから。
 だから同時期に流行ってたスターウォーズなんていまだに見たいと思わないし、みんながその話題をしていても「オイラは放っておいてくれ」ってな感じ。
超現実主義だから宇宙人がやってきてドンパチする映画なんて、途中で飽きちゃうから見ないようにしてるもん。だいたいSF映画を撮り始めてから何十年経ったかわかんないけど、相変わらず宇宙人って人間の姿をしていたり、蛸のお化けみたいだったりで、想像力が乏しすぎやしないかと思うわ。
ま、こういう文を書いているとなんてつまらないヤツだと思われるかもれないが・・・、音楽についてのSFはちょっと敏感になるのね。
 
 アタシの知ってるSFの音楽って2つあんの。
まずひとつは、1975年、リチャード・オブライエン作のロック・ミュージカル『ロッキー・ホラー・ショー』の代表曲「Science Fiction, Double Feature」。この曲は往年のSF作品の代表的な事柄を書き並べた不思議な曲。おどろおどろしいロック・ミュージカルの素敵な序章なのよ。
往年のSFへのオマージュであり、ポップ&サブカルチャーな作品として1970年代当時の社会規範、道徳観、通念をぶち壊しながら表現した。
「様々な不思議な世界がありますよ~これから2本立て(映画館)で始まりまっせ~」って感じ。ま、往年のSF作品を知っていたらもう少し楽しめたかもしれないが、アタシはそんなものよりカルチャーパワーの方に重きを置いてしまうので良しとするのだ。いいの、いいの。
 で、もうひとつのSF。
1986年3月にシングルで発表された「忌野清志郎&ジョニー・ルイス&チャー」の「SF」。
「県立地球防衛軍」というアニメのテーマソングを何故かこの面子でやっている。で、アタシは何故か1985年の11月と12月の2回、こいつらを観ているのだ。
 1985年11月24日、一ツ橋大学文化祭(小平祭)、兼松講堂。アタシの目当ては、泉谷しげる。BOOWYは「暴威」から「BOOWY」に名前を変えてメジャーデビューしたばかりだったが、6人から4人になってビートバンドっぽくなっているという情報。でも、あまり気に留めていなかった。布袋がギターを弾いているから聴いていたけど、どうしても氷室のヴォーカルが「ヒデキ感激!」に聴こえてしまって・・・ま、いいか。そんで、ゲストに忌野清志郎とクレジットされていたが、きっと泉谷のステージに乱入して2曲くらい歌って毒づいて帰っていくのだろうな、と思っていたからこれもあんまり期待していなかった。
 当時の泉谷のバックは最強で、ギターは布袋寅泰、ベースは吉田健、ドラムは友田真吾(SHI-SHONEN)。185センチクラスの身長のギタリストとベーシストに挟まれた泉谷は、捕まった宇宙人みたいだったけど、パワフルな演奏と今までに聴いたことも無い布袋の宇宙的な空間の音作りが泉谷のメッセージにフィットして新しい音の塊になっていたのだ。
 で、寒い中、彼女と2人で開場を待ってたの。あ、彼女って今のうちの家人だけど、当時から泉谷が好きな変な女子大生で、みんながサザンとかユーミンとか騒ぎ始めると不機嫌になる人なのね。今でもそうだけど、大っ嫌いみたい。だからうちの娘たちもサザンとか全然聴かないし・・・同世代の中で浮くって言ってた。あ、話が反れたね。
で、とにかく寒くて震えながら待ってたのよ。そしたら、文化祭(小平祭)の実行委員みたいな大学生がメガホン持って出てきて、「BOOWYは来れなくなりました。でも泉谷しげるはあります。BOOWYご希望のお客様はチケットの払い戻しします!」って。
「なんだよ、BOOWYが来れないなら布袋も来れねぇのか?泉谷の弾き語りなんて観たくねぇな~」と思い、アナウンスしていたそいつに聞いたの「泉谷ってちゃんとバンドでやりますか?」
「あ~はい。バンドでリハーサルしてました。BOOWYの人も来てましたよ」だって。
「じゃ、観るべぇか」みたいな感じ。
 で、開場。
程なくして・・・いきなりJL&Cが出てきたのね。もうクリビツテンギョー。
「おっ!これは得した!やった~!」なんて言って彼女と小躍りしたのよ。そしたら例の地を這うような声と共に清志郎も出てきたわけ。
「イエ~~~!オマエら!よーく聴け~!泉谷なんか聴かなくていい!俺を聴いて帰れ~!」
なんだこの挨拶。
 驚きましたよ。大好きなJL&Cと清志郎が一緒にやる。
演奏曲はRCのレパートリーからカップスまで(ルイズルイスに敬意を表して)。で、新曲の「SF」とフォークソングみたいな「かくれんぼ」という歌も披露したの。
なんで、こんなバンドが出来たんだろうってみんなが首を傾げていたら清志郎は
「俺のな、可愛い可愛い、ミニちゃんのタイヤが減ってきて・・・車検も通さなくてはならなくて・・・で、しょうがないからジョニー・ルイス&チャーにお願いしてシングルを作ることになった!だからレコードが出たら必ずみんなは買うように!」って言ってた。
いや~演奏はスリリングだし、清志郎のヴォーカルは圧倒的だし、ささっと50分くらいやって帰っちゃったけど、インパクトはもの凄かったね。
もちろんその後に出てきた泉谷も凄く良かったけどね。
リハの詰め方は置いておいて、演奏のインパクトでは清志郎、JL&Cだったね。
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 時は1ヵ月後。
武道館でイベントがあって、チケットが只で手に入ったから当時のバンドリーダーと2人で行ったのね。
資生堂ギャッツビーという商品のお披露目イベントだったと思う。「ギャッツビーライブIN 武道館The Day of Rock 」っていうイベントだったから。
出演者はBOOWY、シーナ&ロケット、ARB、そして清志郎、JL&C。
そこで感じたこと。
清志郎のヴォーカルの凄さだったの。
当時の武道館って今ほど音も良くないし、ぐるぐる回ってしまうからアリーナの後ろの方だとはっきりと歌詞が聞き取れなかったりしたんだよ。で、案の定BOOWYの氷室は何言ってるかわかんないし、シーナのヴォーカルも浮遊してた。石橋稜のヴォーカルはバリトンなんだけど、逆にコモッてしまって通らないわけ。
バンドリーダーと「何言ってるかわかんないね」なんて話をしながら帰ろうかと思っていたらようやく清志郎たちが出てきたわけ。相変わらずの高圧的な態度で。笑っちゃうんだけど。
で、いきなり「イエ~~~!」って叫んだのよ。
もう、アタシとリーダーはひっくり返りましたよ。
すげ~。ちゃんと声が通っている・・・。
バンドの音もしっかり筋の通った音。チャカポコしてないわけ。チャーなんて歪みものとワウくらいしか使ってないんじゃないかね。とにかくシンプルな音だったし、マーちゃんのベースもゴリゴリしてたから(チューンだったかね)、とにかく耳障りなわけ。で、清志郎のヴォーカルも耳障りなわけ。
で、あの巨大な風呂場のような武道館に入るとしっかりクリアに聞こえたわけよ。
いや~参ったね。もう。
 でも、そん時のライブでは「SF」は演奏してないんだよ。まったく商売っ気の無い人たちで、自由だわ。そういえば「自由」って曲が最初の曲だったかね・・・。
だっていきなり出てきて「俺は付き合いにくいぜー!誰の言うこともきかね~!」って叫んじゃうんだもん。
笑うしかないね。
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 しかし、この頃のライブってFMとかでオンエアしていて、エアチェックしたから手元に音源はあるんだけど、「SF」とか「かくれんぼ」はCD化されないのかね。切望するわ。

2017/4/4
花形
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by yyra87gata | 2017-04-04 11:41 | コンサートレビュー | Comments(0)
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チャーとの出会いはTV。
チャーは、アイドルが沢山出演している番組に居心地悪そうに出演していて悪態をついていた。
当時私は中学生。「チャー」と言う響きが一昔前のグループサウンズの匂いがして、ちょっと引いた。私はあだ名でバンド内の人間を呼び合うバンドを毛嫌いしていた。
アマチュアバンドでありがちな行為。
それはビートルズのコピーバンドに多かった。ライブのMCでいきなり・・・
「最近のポールはどうなの?パチンコ勝ってる?」
「おいおい、ジョン、そんなことこんな場所で言うなよ。ハハハ」なんて具合。
格好悪いったらありゃしない。
私は当時、邦楽では、男っぽいよしだたくろうや矢沢永吉、洋楽ではビートルズ、フリー、ザ・バンド、ディランといったコテコテの60年~70年代の音楽家を好んで聞いていたので、 いきなり“チャー”はないだろ・・・という印象だったのだ。
また、同時期にレイジーなるバンドも存在していて、ポッキーだファニーだスージーだ、なんて騒いでいたから余計に「アホ臭いなぁ」なんて思いながらブラウン管を眺めていた。
それに加えて、白いパンタロンにフェンダー・ムスタング。ムスタングって中途半端なギターだなぁなんて思いつつ・・・。
チャーは「気絶するほど悩ましい」って歌っていた。作詞・阿久悠。こりぁ職業作詞家の歌だ。まさにグループサウンズのノリ。「長続きしないだろうなぁ」なんて思いながら、チャンネルを変えようとした。と、その瞬間、間奏のギターソロが始まった。
歌のコード進行にはそぐわない、そこだけ独立した展開。チャーのギターが活き活きと旋律を奏で始めた。こんな展開のギターソロか、と思いつつこれには、けっこう衝撃を受けた。たった12小節のことなのだが、それだけで好きになった。
チャーの歌唱は演歌みたいにこぶしをつけるし、鼻が詰まったような声にも聞こえたが、ギタープレイは今まで見たことが無かった(特に当時のTV音楽番組で日本人のロックギターが登場なんてしていなかったし、あったとしてもGS絡みでブルコメの三原やカップスのエディくらいだったのだ。クリエーションとかTVなんて出ないし、ツイストはロックと言うより歌謡曲に近かったし・・・)。そんな中でチャーはギターをギュンギュン鳴らしていた。

  それからのチャーは「逆光線」「闘牛士」「GIRL」と順調にシングルヒットを重ねたが、突如シーンからドロップアウトした。当時の新聞では芸能人のマリファナ疑惑を大々的に報じており、その騒ぎに巻き込まれたようだ。

  ある日、中学の友人が下北沢のレコード屋にあったフライヤーを持っていた。
「ジョニー・ルイス&チャー(仮) デビューコンサート 日比谷野外音楽堂 1979年7月14日(土)  16時開演。フリーコンサート(無料)」
白い紙にマジック。手書きで書いたようなチラシ。味も素っ気も無く、急遽作りましたという感じが出ていた。
私の中学はその当時から土曜日は休みだったので(土日休みの学校って珍しかった)、コンサートに行くか行かないか迷っていた。
しかも、フリーコンサートと明記してある。金の無い中学生でも観ることができる。うむ。
友人に当日の朝、電話をかけ誘ってみたが、「雨の中で観るのは嫌だ、俺は行かない」とつれない返事。大粒の雨が朝から降っていたのだ。
 私は別の友人を半ば騙す形で連れ出した。アイドルが出るかもよ、なんて言ったかもしれない。
 雨の日比谷野外音楽堂。その周りには大勢の人が集まっていた。入り口まで続く長い列。白い合羽とこうもり傘の川が入口に向かって何通りも出来上がっていた。
私も友人も雨合羽に着替え、列に並んでいたが、野音の中からはリハーサルの音が外にこぼれていた。
遅々として前に進まない列。
15時30分。開始時間が迫っていたが、会場内にたどり着けない。
空を見上げても一向に止まない雨。

16時過ぎ。
野音の中で、ゴニョゴニョとPAを通して誰かが話しているようだが、外にいる私たちには聞き取ることが出来ない。するとその直後、会場の方向がピカッと光った・・・
そしてドカーンという落雷のような音が響き渡った。
列をなす我々はどよめきの声。
チャー独特のギターの音。「君が代」が流れ始めた(最初は何の歌だかわからなかったが、誰かが君が代じゃねぇか!なんて叫んだ)。
「始まっちゃったよ!」「なんだよ!入れろよ!」「どーなってんだよ!」
会場に入れない私たちから怒号が一斉に沸き起こった。
列の先頭はスタッフともみ合っている。
私と友人はその雰囲気に飲まれてしまい、そこに立ちつくすのみ。すると、私の後ろに並んでいた男が何人かで入口とは別の方向に走り始めた。
友人は私の袖を引き、そして、私たちはその男たちの後を追った。
野音の下手側に走る。曲はジミヘンの歌に変わっていたが、よくわからなかった。しかし雨の中を走りながら「そうだ、チャーは3人のバンドを組んだんだ。ジミヘンみたいな曲を演奏しても不思議じゃないな」などと思いながら、とにかく走った。金網が破れ、コンクリートが割れた少しの隙間に男たちは消えていくのが見えた。友人は笑いながらその男の後に続いた。私も続いた。被っていた雨合羽が金網に引っかかり、裂けてしまい頭を覆う部分が無くなったが、そんなことを気にしている暇は無かった。

Tシャツを販売している裏手に出た。その時、スタッフから睨まれたが、友人が一言、「あとで買います!」と言ったら笑ってくれた。

人の流れの中で右へ左へと身体を委ねた。しっかり立って観る事などできる状態ではなかった。そう、会場内の観客は一種のヒステリー状態となっていたのだ。そんな中、チャーはいたって冷静だった。ジョニーは笑うだけ。ルイスは無表情だった。

ステージの進行はショーというより、公開リハーサルを見ている感じ。リハの時間も中々取れなかったのか、チャーはルイスへのフォローが多かった。しかし、そこには活きた3人の姿があったし、ジョン山崎のキーボードや金子マリのコーラスも3人の門出を祝っていたのだ。
客はチャーの親衛隊みたいな女の子も多少いたが、殆どが男だった。彼らは「闘牛士」を期待していないだろうし、「気絶するほど悩ましい」を聞きたいと思っていない。チャーのアルバムに収録されていた「表参道」よりも3人が醸し出す新しい曲を好意的に受け止めていたように思う。
私もその時、「表参道」や「風に吹かれてみませんか」などを聴いた時、ちょっと違和感があったんだよね。フォークっぽいなぁ・・・英語で歌って欲しいなぁなんて。歌謡ロックを卒業し、ハードなチャーを求めていたのかもしれないが、本人はどう思っていたんだろうか。少なくとも、野音にいたずぶ濡れの客は、
「もうパンタロンを履いて歌謡曲とロックの中間みたいな音楽をやらなくてもいいんだよ」と言わんばかりに3人を受入れていたと思うし、チャーのやりたいことをやってくれ、と言う感じだったかな。
ま、チャーは人に言われて態度を変えるような人では無いけど。

コンサートも終了する頃、雨は小ぶりになり、最後は上がっていた。

その15年後の1994年9月17日(土)。前日、日本武道館でピンククラウドは最終公演を行なった。そして、ジョニー・ルイス&チャーは日比谷野外音楽堂でフリーコンサートという形式のもと、最終公演を迎えた。
15年前と一緒の場所。そして天気まで一緒。
大雨の中、公開リハーサルは続き、チャーは「去年の雨」を「1979年の雨がまだ降り止まない」と叫んだ。
野音は雨に伝説を生む。

そしてそのコンサートも15年前と一緒・・・コンサート終了時には雨は上がっていたのだ。

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2016年5月11日
花形
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by yyra87gata | 2016-05-11 14:38 | コンサートレビュー | Comments(0)
ネタバレしていますので、公演をご覧になっていない方はご注意ください!

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私は恋の病を患っている
きみになんか会わなければよかった
私は恋なんかにはもううんざりなんだ
必死になってきみのことを忘れてしまおうとしている
何をすればいいのかまるで見当がつかないんだ
きみと一緒にいられるというなら 私は何もかも投げ出してしまうよ 
・・・「LOVESICK」(1997)

 1992年にディランは「もう、新曲は作らない」とマネージャーに言ったという噂が流れた。
「これまでに何百曲も作ったから、ファンだって混乱するだろう・・・」
1990年発表の『Under The Red Sky』以降オリジナル曲が発表されなくなった。
アルバムは毎年の様に発表されたが、トラディショナルのカバーであったり、コンピレーションであったり、ライブ盤であったり。
 そんなディランが、ダニエル・ラノアと再度タッグを組んで真剣に勝負したアルバムが1997年発表の『TIME OUT OF MIND』である。
そして、アルバムの1曲目に収録されている「LOVESICK」。生々しいまでのライブなディランのヴォーカルは、それまでの彼の表現力とは異なる凄みがあり、一気にワールドに引き込まれていく。
ボブ、56歳の頃の作品である。
 こんな切ない失恋の歌を今年の5月で75歳になろうとしている男が、コンサートの最後に歌い上げている。
そして、演奏が終わり、客に頭を下げるわけでもなく、仁王立ちでいる。そしてバンドメンバーを従え、スタンディングオベーションの中、表情一つ変えない。
踵を返し、ステージ裏に去っていくときの格好良さといったら・・・。

 本当にここ最近のディランは凄いとしか言いようが無い。
「音楽」なのだが、出てくる「音」はまるで読み聞かせをする親のような「言葉」なのだ。
それは歌い方を言っているのではなく、彼の「言葉」が浮き出て我々に入り込んでくるといった方が適切か。
今回のステージ(2016年4月19日・Bunkamuraオーチャードホール)では、古い作品は3~4曲で、2012年発表の渾身のオリジナルアルバム『TEMPEST』とフランク・シナトラが歌った曲のカバー集『SHADOWS IN THE NIGHT』(2015)からの選曲を中心に進められた。
 しかし、『TEMPEST』を生み出す伏線には2001年発表の『“Love And Theft”』の存在が大きいと思料する。なぜなら、現在のステージスタイルを確立したアメリカントラディショナルの作品は、このアルバムで余すことなく表現し、昇華したからだ。ロカビリー、ブルース、ジャズ、カントリーなど・・・。アメリカ音楽のルーツをディランが彼の目線で表現している。これもまた興味深い。
 つまり、1960年代にアコースティックギター1本で時代の寵児としてもてはやされ、オピニオンリーダーだった男の50年後の作品が、アメリカンルーツミュージックだったというところに時代の縁を感じる。
しかし、そうやって時代とともに生き、その中でも自己変革を繰り返しながら変わっていくところがディランらしい(本人はこんなことを憶測で書かれることも良しとしないだろうが・・・)。
 
 2016年のディランのステージは恐ろしいまでに無駄を排除したものだ。
長いギターソロがあるわけでもなく、ディランの声が客に届けばそれ以上のことはあるか、と言わんばかりに歌い上げて終る。それまでのしゃがれた声で音程を気にしながらナーバスに歌う彼を想像してはいけない。彼はなんと歌の上手い表現者か!

 そう、本当の歌の上手さとは、表現力である。聞き手を圧倒する表現なのだ。
ディランは今回のステージで『SHADOWS IN THE NIGHT』から「枯れ葉」をセレクトしているが、この「枯れ葉」は、フランク・シナトラやイブ・モンタン、エディット・ピアフ、ナット・キング・コールなど数多くのミュージシャンにカバーされている曲だ。しかし、ディランのそれはスウィングするわけでも無く、寂しげなうつろいを表現するわけでもない。
我々に恐ろしいまでの緊張感を、植えつけていく。長旅の途中の74歳の男が、真正面から歌い上げてくる。その枯れ葉は、ディラン自身であるかのように。
男の生き様が見えた瞬間だ。

 コンサートはアンコールの「LOVESICK」が終了し、バンドメンバーがステージ前方で横並びになり、ディランは微動だにせず、我々を見つめる。
踵を返した瞬間、ふと笑った気がしたが、気のせいか・・・。

2016年4月21日
花形
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by yyra87gata | 2016-04-21 15:02 | コンサートレビュー | Comments(0)
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2016/04/14
今回はネタバレしてますので、まだ公演をご覧になられていない方は決して読まないでください。
絶対に。


パンフレットの冒頭に記載されたECの挨拶文

また皆さんのもとに戻ってきました!
すでにツアーからの引退を表明しているので、おかしな話かもしれませんが、じつはまだ、それがどういうことなのか理解できていません。だったら、きちんと受け止めてしまう前に東京に向かい、友人たちと再会するのもわるくない。そう思ったのです。

 武道館の椅子に腰掛け、パンフレットを開くとこんなC調の挨拶。あ〜典型的なB型人間だ、と思いつつページをめくる。ギターを構える姿は相変わらずカッコいい。ただ、顔の張りは無くなり、おじいちゃんの顔になってきたが、よくぞ、日本に来てくれましたよ。ツアーを引退し、大々的に世界を回らなくなったECですが、日本には来てくれた。ま、素直に喜びましょう。
ページをめくる。
ドラムがヘンリー・スピネッティじゃないか!
クリス・ステイントンのピアノ、これ、まさしく俺が最初にECを武道館で観た『ジャスト・ワン・ナイト』(1979)時のメンバー!
いい加減、スティーブ・ガットのドラムには辟易していたから(スティーブ自体は悪くないのよ、ただ最近のスティーブはロックビートが叩けないので、おっさんがやる横ノリのビートになってしまうのよ。だからECとは全然合わない。れーいらぁ〜ってコブシまわっちゃうかんね)、このドラムは良い選択ですよ、EC!
アンディ・フェアウェザー・ロウのギターか…。ま、地味だけど、しっかりバッキング出来る人だから良しとしよう。
ベースのデイブ・ブロンズもブルース的なアプローチが得意な人なのでOK。
オルガンにポール・キャラック。なんか、嫌な予感。前回の来日公演にも参加しているが、ヴォーカルを取るんだよ、この人。ま、イギリスではヒット曲持ってるし、知る人ぞ知るといった玄人受けするミュージシャンね。でも、ECのコンサートなんだからちょっとは考えたら、と思ったのが前回の来日公演の感想だったのだ。だけど、ECが認めた人なんだから、ま、いいか、と自分の中で処理したんだけど…また、いるね。
マンドリン持っているダーク・パウエルって誰?お初の人だね。
しかし、パブロック臭が漂う面子だわ。
おっ、客電が消えた!
始まるよ〜。


 アンディ・フェアウェザー・ロウもポール・キャラックもアコーディオンやフラットマンドリンを弾いてたダーク・パウエルも途中で出てきた小僧(ちゃんと紹介しろよ、調べたらエド・シーランという若手シンガーソングライター)も悪くないよ。
何が悪いって、全てECと、このステージの演出を考えた馬鹿のせいだね。
全く前回と同じ展開。
「エリック・クラプトン」という名前で客を呼んでるなら、最後は本人がちゃんと締めなければ!
前回もアンコールの最後がポール・キャラックだったしな。
正味1時間30分のステージ(これ、今までの中でも最短に近い)で、クラプトン以外の人が4曲も歌っている。そんな演出、誰が望むんだ?みんな、クラプトンを観に来てるんだろ。
俺は、「クラプトンがそこにいればいい」とか「神様だから何でもいい」とか「ギター弾いてくれていればなんでもいい」なんていう人を相手に書いてないからね。クラプトンをいちミュージシャンとして捉えて書いてるからね。
連れて来たバンドメンバーはそれぞれみんな良い面子だと思うよ。それぞれヒット曲を持っているかもしれないしね。でも、こういう構成にするんだったら「クラプトンファミリー」という名前でステージをやってくれよ。そういう目で観るから。
 過去、エルトン・ジョンやマーク・ノップラー、ジョージ・ハリスン、ジェフ・ベック、スティービー・ウィンウッドなどと来た時はちゃんとクレジットしてたでしょ。ロバート・クレイだってオープニング・アクトってちゃんと書いてあったよね。書いてあれば、そういう目で見るし、そういう心構えがあるのよ。EC単体のステージでなければ、もしかしたらコンサートに行かない人だっているかもしれないし。
 少なくとも日本では、知らない曲が出たら、殆ど英語なんて通じてないから、みんな雰囲気で聴いてるわけ。増してや知らない人が歌っていたらどうよ。
でも、それがクラプトンが歌っていれば、まだ納得するわけ。新曲かなぁ〜なんて思いながら。新しい曲との出会いだから喜ばしいことですよ。
だから、「知らない曲ばかりでつまらなかった」と評する客は論外。そういうやつは「家でヒットソング聴いてろ」って言いたいのです。
ま、100歩譲って、クラプトンに来てる大半の人は、「レイラ」や「ティアーズ・イン・ヘブン」や「チェンジザ・ワールド」というヒット曲やクリームの時代の曲を期待してることは心理でね。当り前じゃん、そんなこと。ヒット曲を持つミュージシャンの宿命なんだけどさ。
だから、前にもブログに書いた事あるけど、年がら年中ECは来る訳でもないし、増してやツアー終了宣言までしている人で年齢を考えてもこの先、あと何回観れるんだろうなんていう人ですよ。そんな人が日本のこの不況下で13,500円も取って、このステージか?ってことになるわけよ。
前回来日のステージは、ポール・キャラックがやたらと目立っていて、ちょっとどうかな、なんて思ってたけど、今回はアコーディオンやバンドネオンも入って音楽が全然ロックじゃないのよ。それでいてブルースにもなって無いのよ。
いつからクラプトンはパブロックになったんだ?って叫んでた人もいたね。

 今回のステージは、ゆったりと始まり、アコーディオンの響きからして、何処かザ・バンドを彷彿させる音でした。
懐古趣味としてクラプトンを聴きたいなどとは決して思わないし、新曲を書き続けるミュージシャンは尊敬もします。
しかし、ステージングは、客と共に作り上げていくナマモノで、何度も言うけどグチャグチャとメインヴォーカルが変わる「クラプトンのコンサート」ってどうなのよ!ということ。
こうなってくると不満がどんどん出てくるわけ。ECはミスタッチだって多かったしね。もう殆ど手癖で弾いてるだけ。ジェフ・ベックのようにいまだに成長している同年代のギタリストもいるのに。
ギターの音だって相変わらず、ブオブオした下品なストラトのレースセンサーで歪ませた音と、ピエゾマイクのエレアコみたいなマーチンと思えないやっすい音。
これでECはOK出してんのかね。黒澤楽器、いいのかこれで。こんな音、マーチンの音じゃねぇぞ。こんなんでマーチンと思われるとマーチンユーザーが悲しくなる。

 俺はクラプトンのステージ見始めて40年近くなるけど、今回だけは我慢ならんね。
前回は最後のツアーという言葉の割には最後の歌がポール・キャラックなの?という適当な演出に開いた口が塞がらなかったけど。
そうだ、思い直した。ポール・キャラックも悪いよ。
クラプトンのコンサートの最後が俺なのか?って何故ECに言わないのか?
いくらECに命令されても、ポール・キャラックは身を引くべきだったんじゃないのか?
逆らえないのか?
クラプトンも70歳過ぎてんだし、もう老害の域だわ。
だいたい、なんだあのステージ衣装。
白いラインが入ったトレパンとTシャツ。
あれじゃゲートボール場にいるおじいちゃんだよ。
ホント、服のセンスが無い。昔は、スーツ着たり、細くて長い足が強調されたジーンズなんか履いてきちんとしてたのになぁ。
1990年代半ば辺りから、ローディーと間違われる様なダサいダブダブのパンツにユニクロみたいな(ユニクロもスポンサーしてたな)安っぽいチェックのシャツなんかを着だしたんだ。
マジでギター持って出てきた時、ローディーと間違えたわ!
今回のバックミュージシャンだって、スーツ着た奴もいれば、農夫みたいな格好のやつ、イギリスのバルかなんかで1日中黒ビール飲んでそうな奴など、バラバラのいでたちでさ。
総じてこういうバンドを「オヤジバンド」って言うんだよ。なんか、スゲェ格好悪いバンドを観たって感想だよ。
ステージディレクターはいないのだろうか。
いくらお人好しの日本人だって、こんなの見せられたら次は無いよ。
まずは、ステージングを見直さないと。

 整理すると、ヒット曲をやれとは言わない。但し、客はECを観に来ているということをもう少し自覚して欲しいのね。で、この形態にするなら、「エリック・クラプトン」というネーミングでコンサートを開くなということ。ウドー!
 一つ付け加えるとすると、同じミュージシャンでもストーンズはどう?
彼らのセットリストは往年のヒット曲満載。新曲を出してもちゃんと散りばめながら1曲目かアンコールでは「ジャンピング・ジャック・フラーッシュ!」って叫ぶし、途中キースのコーナーでミックがいなくなったと思ったら、どこからかアフロビートが木霊し、「悪魔を憐れむ歌」が始まるんだよ。絶対。
キッスだって相変わらずだけど、ジーン・シモンズは火を吹くし、ポール・スタンレーは「ラブガーン!」って叫びながら客の上をワイヤーにぶら下がって浮遊するんだよ。
もう、水戸黄門が印籠を必ず出さないと物語が終わんないのと一緒。それがあることで、客も安心して楽しい夜を終えることが出来るのね。
だから、クラプトンに毎回「レイラ」やれとは言わないが、ちゃんとクラプトンらしさを出した演出にしてほしいわけよ。
 今回、俺はかなり、一般大衆に寄せた意見を書いていますよ。自分も音楽をやる人間だからミュージシャンの気持ちもわかる。予定調和的なアンコールには飽き飽きすることもわかるし、新曲を披露したい気持ちもわかる。
だけど、客の喜ぶことも少しは考えてもいいんじゃないの、ということ。
前回と同じ展開で客電が点いた時は、マジで笑っちゃいました。おいおいってね。
知らない曲が多すぎて、「レイラ」が聞けなかったから文句言ってるネットへの書き込みが溢れてますが、そんなことじゃないんだ。
長いことクラプトンを観てきているファンだから、ちゃんと言いたいんですよ。
もう少し考えたらって?
一生のうち1回しかクラプトンを観ることができない人だっているんだよ。
一生懸命チケットを取って楽しみにしている人だっているんだよ。
次回に期待。


花形
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by yyra87gata | 2016-04-14 11:22 | コンサートレビュー | Comments(18)
 ラジオから流れる最近の音楽。テレビから溢れるお笑いとジャニーズの薄ら笑い。そんなメディアに慣らされている日常。久々にレコード棚からパティ・スミスを取り出し、ファーストアルバム『HORSES』(1975)に針を落とした。
曇っていた目の前が開けた。耳を劈くノイジーな演奏だが、勢い、躍動、そして大らかさも兼ね備えたなんとすばらしいアルバムか・・・。
このアルバムが私とパティの出会いのアルバムであったが、初めて聞いたのは私が中学3年の頃だから1979年か・・・。
どちらかと言うと、もともとはパティ・スミスというよりアルバムジャケットを撮影したロバート・メイプルソープの方に興味があって、私は彼の写真を見ることが好きな少年だったのだ。その中の1枚がこの『HORSES』ジャケット写真。それがアルバムの購入動機だった。
 当時パンクはセックスピストルズの崩壊後、テクノサウンドに押される形となり停滞し始めていた頃だった。日本でパンクといえばイギリスで、ニューヨークパンクはどちらかというとわかりやすいイギリス人の労働者階級の怒りというより、「人種的」「性別的」「人間の根源」「観念」といった詩の世界を表現するマイノリティな音楽と捉えられていたのではないだろうか。それは、ベルベットアンダーグランドやルー・リード、MC5、テレビジョンあたりのことを示しているが、正直日本では流行らない音楽のひとつだった。なにせ、混沌とした詩の世界の中、キャッチーなメロディがあるわけでもなく、ポエトリーリーディングに即興で音を乗せたような音楽は、英語のわからない日本では受けるはずがないのだ。であれば、ピストルズのようにカミソリをピンセットで括って「アーイ・アム・ア・アンチ・キリストーッ!」って叫んでいる方がわかりやすい。
 さて、そんなわけでパティ・スミスなのだが、私は今まで多くのコンサートに足を運んできたが、コンサートを見てあまりにも感動し、その場でそのツアーの残りの公演のチケットを手に入れる。そしてもう一度、同内容のコンサートを観るという経験をしたのはこのパティ・スミスだけである。
最後の伝説の来日というふれこみであった。1997年1月8日、初来日公演を中野サンプラザで観た。
中学3年から待ち焦がれたパティの最初の姿を見たく、初日の公演を取った。
舞台に現れたパティはスリムな黒いスーツでふらふらとセンターに。そしていきなり復活の歌「People Have The Power」を声高らかに歌い上げたのだ。
ノックアウト!あんなに細い身体から倍音のような高音や男のように太い声も自在に出てくる。
詩の朗読やスクリーミングなど様々なパフォーマンスを経験しているパティだから表現力の幅がものすごいのだ。
私はシャウトしながらも、とにかくジッと観た。頭の中に焼き付けようと・・・。そして約2時間、脳内興奮状態に陥っていた。デビューから22年目の初来日であり、ベテランの域に達しているパティのステージは、ただの懐メロ歌手でなかったこと、それは新作『GONE AGAIN』(1996)の中から5曲、それに加え、新曲を5~6曲も演奏したことに尽きる。
 50歳を過ぎたパンクロッカーなんて、と思う人はあの空間には1人としていなかっただろう。私は50歳の少女がいると思ったくらい魅力的だったと記憶している。
そして、追加公演が発表され、すぐさまチケットをゲットした。
1月16日は私の誕生日。そんな日にパティの追加公演が恵比寿ガーデンホールで行なわれた。
もう、最初からキレキレのステージ。
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細身のスーツ姿。あの細い体から筋の通った太い声が良く出るなと改めて感心していた。
パティの音楽は多種。決して叫び続けるだけのパンクだけではないし、どちらかといえばそういう楽曲は少ないかもしれない。言葉を紡ぎながら切々と歌うタイプである。どちらかと言えば、ディランやモリソンに近い歌唱であろう。
 しかし、ビートががっつり入るとそこにはパティの世界が広がり、細い手をいっぱいに広げ慈愛に満ちたヴォーカルは聴衆を包み込んでいくのだ。
私は、ガーデンホールのだだっ広いフロアに独り立ちすくんでいた。
目の前の伝説は、シンガーだが、詩人であり、ミュージシャンであり、恋するオンナであり、母であった。
パティの壮絶な生い立ちをここで披露しても何の意味も成さないが、少なくとも自分に素直に生きてきた人であり、その人の言葉には説得力があり、そのパフォーマンスに嘘は無いと言うことだけは確かだ。

冒頭に緩い現状の日本の日常を書いたことを後悔した。
そんなものと比べちゃパティに失礼だわ・・・。

2014年7月21日 花形
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by yyra87gata | 2014-07-21 18:20 | コンサートレビュー | Comments(2)
 もうそろそろ書いてもいい頃か。
2014年4月6日から全国ツアー「岡村靖幸 LIVE TOUR 2014 将来の夢」がスタートし、5月4日のZepp DiverCity TOKYOの公演を観戦した。
全国ツアーといっても追加公演(赤坂BLITZ)を合わせても6ヶ所8公演だから本当に見ることができてラッキーであった。
 実は私、岡村靖幸のライブは1996年の日本武道館以来18年ぶり。生れた子供が高校を卒業しちゃうくらい長い年月、彼を生で見ていなかった。
それは、彼が活動年月のわりに寡作なミュージシャンであるということにも起因しているし、アルバムを制作してはプロモーションツアーを行なうそれとは一線を画しているからということもある。そして、何より例の刑事事件もあり、中々そんな状況でもなかったということもあるのだろう。
今回のライブも、私はたまたま会社の休み時間にネットで“eプラス”のサイトをぼんやり見ていた中で見つけたもので、彼が最近社会復帰してアルバムを制作したり、イベントやライブツアーを行なっているということなど全然知らなかったのだ。
懐かしさという感情と同世代のミュージシャン(生れ年は一緒)が、また再起しているんだということ、そしてなにより、彼の天才を再確認するために購入ボタンをポチッと押してしまったのだ。
 
 岡村靖幸を知っている人は、「良い、最高、天才!」という人と、「きもい、生理的に合わない、プリンスの真似じゃん」という人に大別される。
どっちがどうかということではなく、こういう大別をされるミュージシャンは・・・実は大物ということを私は言いたい。
そこらへんの曖昧な音楽をやって悦に浸っているアホミュージシャン、全国の皆さんに愛される音楽を作りますよ~なんて言って、また、それを真に受けて聞いているアホ共に岡村靖幸は理解されないんだろうなとつくづく思うのだ(どっちがどうかって言ってるか!)。
まぁ、生理的に合わないと言われたら元も子も無いのだが、ミュージシャンとしてぶっ飛んでいるというところだけは理解していただきたい。

 さて、ライブ。
とにかく笑いが止まらなかった。音がでかい!マニュピュレーターを通じて組み上げられた岡村ワールドを構成する音の粒がスピーカーから溢れ出る。それに合わせてドラムやベース、ギターが世界を広げていく。トランスワールドの世界に入り込むくらい音がでかく、サンプリングの音の洪水に溺れそうになる。でもそれが快感へと変るのだから、もう大変。男はアドレナリンを放出、女はスプラッシュすること間違いない。
岡村靖幸は、そんな音の洪水を身振り手振り、体全体を使ってオーケストラの指揮者の様に音楽を操る。全ての音を把握している彼は、その一挙手一投足がすべて音のキメとなり、それはまるで彼の身体から音が排出されているかのようなパフォーマンスを行なう。
笑いもしない、MCもしない。とにかく、パフォーマンス中の彼はその歌の世界に生きる言霊そのものとなる。

 彼は来年で50歳。
その50歳になろうとしている少年が臆面も無く青春ソングを歌う。青春の郷愁を歌う。女の子にもてたい!と歌う。ここが彼の真骨頂だ。
以前、チューリップの財津和夫は「チューリップの歌は皆さん(ファン)の青春ソングだから、60歳を過ぎた僕らが歌うことが果たしていいのかどうか・・・」と言うことを悩み、解散を決意したコメントを発表した。
岡村靖幸にはそんなことは一切ない。
いつだって彼は、バスケットボール部だし、家庭教師だし、ベランダに立って胸を張っている、と声高々に歌うのだ。切ない恋を、あからさまな愛を、真正面から歌うのだ。そしてそこには何の衒いもなく、最終的にエロくなってもそれは男と女の自然の流れでしょ、とお構い無しにプッシュしてくる。
もう、ナルシストの度を通り越してあそこまで行くと天才としか言いようがない。
例えば、及川光博(ミッチーなんて言っちゃってさ)、GACKTとかって、ナルシストなのか色モノなのかわからない2人だが、私から見て彼らはその色モノを演じている気がするわけ。本当の色モノは自分を色モノと思ってないからね。だから私は彼らを岡村靖幸の亜流としか見えないのだ。そして、岡村靖幸はいつだって孤高だ。あのキャラは誰の真似でもないし、天然モノだからだ。

 相変わらずライブは、岡村靖幸の変なダンスとゴージャス過ぎるファンクチューン。格好なんてつけているのではなく、彼のパフォーマンスはいつだって彼独自の岡村ワールドを正々堂々と展開している。
例えば、「あの娘ボクがロングシュート・・・」なんて、中年の私でも鳥肌立つくらい格好よかったもんな。
とにかく、日本の現ポップスのメソッドを作り上げたミュージシャンの1人だと思うし、音の魔術師はCDでもライブでもハイクォリティのアウトプットを約束してくれるのだ。

 1980年代にティーンエイジャーだった男は今、働き盛り。
業界のあちこちで実は岡村ファンは存在していて、テレビ番組やラジオ番組、映画の挿入歌など彼のアルバム『家庭教師』から引用される率は非常に高い。
ライブを見ていても、岡村靖幸は、いかした女、ダンサブルな男、老若男女、素人、玄人・・・幅広いオーディエンスに向かって・・・
「ぶーしゃからからか!」って叫んでる。
「ほうをうおうおーっ!」って雄たけびを上げている。

 
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 ラストの「Out of Blue」で、不覚にも泣きそうになった。
音楽は自分史を投影することがある。岡村靖幸の歌で自分の人生が変ったとは言わないが、
学生時代のほろ苦い思い出や楽しい思い出がオーバーラップしたのか・・・。
アレンジも当時のライブのまま。それが良かった。
岡村靖幸のライブは、何かを思い出しに、そして何かを探しに行く場なのかもしれない。
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by yyra87gata | 2014-05-26 21:44 | コンサートレビュー | Comments(2)
 私はエリック・クラプトン(EC)のコンサートを1979年から欠かさず観ている。それは、アルバムのプロモーションでの来日やジョージ・ハリスン、エルトン・ジョン、ジェフ・ベックなどとの競演来日もあり、ECは毎回毎回我々を楽しませてくれる。
今回はあのスティーブ・ウィンウッドとの競演で、ブラインドフェイスの再演もあるとのこと。これは行かねばと武道館に駆けつけた。

 武道館のアリーナを歩きながらの感想は、天井から垂れ下がった白いカーテンはきっとロンドンのロイヤルアルバートホールを模しているんだろうな、と思った。 ゴージャスと言うより厳か。
そして自分の席へ・・・それにしても満杯の会場。自分を含めてだが、年配者の多い事多い事。平均年齢50歳は絶対越えているのでは・・・(ECも66歳だしね)。チケットも12,000円もするので金持ちのシルバー世代ならすんなり行ける。
私が中学時代に初めてクラプトンを観た時は3,800円だったからこの物価上昇率を考えても今の中学生が12,000円を払えるとは到底思えないので、自然と年配者ばかりになるのか、などとわけのわからん事を考えつつ席についた。

 セットリストについては何のコメントもないのだが、いかんせんスティーブ・ガッドのドラムがいまひとつ私は好きになれない。 もちろん、スタッフやガッドギャング、ナベサダのバックなどで演奏していた頃のガッドはテクニシャンで好きなドラマーであったが、1995年あたりからECのバックを務めるようになり、妙なグルーヴを生み出すようになる。あの頃ベースはネイザン・イーストだったしピアノはジョー・サンプルだったからバッキングメンバーが“もろフュージョン畑の人たち”だったわけで、ま、コレもいいかななんて思いながら観た記憶がある。しかし、今回はブリティッシュ・ブルースとロックであり、ウィンウッドに至ってはブルーアイドソウルの類であるから輪郭がぼやけがちになるのは致し方ないにしても、ガッドのグルーヴがロックに全然なじんでいないのだ。それは非常にかったるいビートであり、ちょっとガッカリ。アンコール曲の“コカイン”なんて「よいしょ」ってなリズムで完全に横ノリ。あれじゃそこら辺の上手いオヤジバンドのほうがよっぽど良いグルーヴを出す。前々回のスティーブ・ジョーダン、前回のエイブラハム・ラボリエルJrなどのビートは非常にグルーヴが出ていい感じだったが・・・どうなんだろ・・・。
それから、ウィンウッドはいろいろと楽器をこなし、声も非常に良く出ていて観ていて感心する事ばかりであったが、ECは相変わらずワンパターンのギターの音色とフレーズ。しかし、マーチンの主催ということもあってアコースティックコーナーでは気合の入った演奏を聴かせていた。とくに“ドリフティング・ブルース”のソロは私が今まで観たアコースティック・クラプトンの中でベスト1だった。でもでも、エレキギターを弾き始めるととたんに無難路線に行ってしまう・・・。所謂手癖というやつ。しかも、あのブラックのクラプトンモデルの音色、なんとかならないかなぁ。ストラトからあんなに太いウーマントーンを出す事自体馬鹿げているのであって、太い音が欲しかったら回路のギミックに頼らずちゃんとしたハムバッカーのピックアップを搭載したギブソン系のギターで弾いてもらいたい。下品な歪み音なんだよ・・・クラプトンモデルのギターの音色って。ウィンウッドのストラトの方がよっぽどストラトらしい音を出していて良かったな。
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 なんだか文句ばっかり書いてしまったが、観終わった感想としてはいいものを観たな、と思っている(ホントかよ!)。
長年ECに付き合っているので自分の中のEC像がある程度出来上がってしまっていて、注文も多くなってしまうのかもしれない。クラプトンを最初に観た感動や伝説のブラッキーやブラウニーを生で体感したあの感動・・・すばらしいバックミュージシャンたち・・・あの頃の感動を求めるなんて私も相当歳を取ったと言うことだ。ミュージシャンは常に新しい方向を向かなければならないから辛いね。
でも、今回のステージはちょっと特別か。やはり歴史のある2人が同じ舞台に立っているというある意味歴史的な瞬間に立ち会えたような、そんな歴史の証人になった瞬間か。

最後に・・・一緒に行った家内が一言。
アリーナでECを最後まで座って観たなんて初めて。みんな歳を取っちゃったんだね。
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2011年12月9日
花形
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by yyra87gata | 2012-12-27 16:05 | コンサートレビュー | Comments(0)
 
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 11月8日、9日と2日連続でSuperflyのコンサートに行ってまいりました。
8日は渋谷C.C.Lemonホール(渋谷公会堂)、9日は道を挟んでNHKホールであります。
偶然見たテレビでの歌唱が忘れられないものとなり、即CDを購入したのが今年の6月頃。
7月のライブハウスツアーのチケットを取ろうにもNet抽選には外れるし電話予約はぜんぜんつながらない。これはもうファンクラブ入会しかないと思い、43歳にして初めてファンクラブなるものに入会、その甲斐あってか、秋のツアーの東京公演のチケットが入手できました。恐るべしファンクラブ!

 さて、公演ですが・・・2日間参加することができて本当に良かったと思っております。
渋谷C.C.Lemonホールにおいては(言いづらい!私の頃は渋公です!)、初めて観るSuperflyに対してミュージシャンの側から見ておりました。一緒に行った幹ちゃんもミュージシャンなのでそういう気持ちになっていたのかもしれませんが・・・。
もちろん鳥肌もののヴォーカルやしっかりとしたリズム隊に深く感動はしておりましたが、久しぶりのロックンロールショーに期待しながらもどこか妙に構えて見ておりました。まぁ、志帆さんやオーディエンスが自分の娘といっても良いくらい歳が離れているわけですので、見守る気持ちもあったかもしれません。
ただ、そんな中でも何度となく鼻の奥がキュンとなり、感涙の場面もしばしばありました。
今年一番聞き込んだアルバムである「Superfly」が目の前で再現され、想像以上のパフォーマンスに満足した夜でありました。
但し、残念だったことはホールの音がいまいち。こんなに悪かったかと思うくらい音像がはっきりしていないのです。ベースのパワフルな音がみんなつぶれて聞こえてしまい、ちょっともったいないかなぁと。また、下手側のギター(巧さん)のギターの音量もちょっと小さかった気がします。
しかし、そんなことよりもすべてを包む志帆さんのヴォーカルは最後まで圧巻でしたね。
44歳と43歳の男は歌を上手く歌うことはもちろん、体力をつけようと誓った夜でした。

 NHKホールは長女と行きました。彼女は小学1年生の頃、山下達郎をこのNHKホールで観ております。しかし、それは私に連れて来られたコンサートなので達郎が好きだったというわけではないかもしれません。長女には、せいぜいラジオでお誕生日メッセージをくれるおじさんという印象しかなかったようです(達郎さんはラジオでお誕生日メッセージを贈るコーナーを持っており、うちの家族は毎回読まれるのです)。

 さて、そんな長女ですが今回は自分が好きになったミュージシャンの最初のコンサートです。NHKホールでのSuperflyは昨日の渋谷C.C.Lemonホールと比べると撮影も入っていたせいか、落ち着いた演奏という印象でした。もちろんグルーヴはマックスですが、要所要所をしっかり押さえた演奏だった気がします。
音についても段違いに良く、ベースラインがクリアに聴こえましたし、巧さんのフレーズがグッと押し出されてロックしてました。
 奇もてらいも無くピュアなロックンロールショー。プレイヤーもSuperflyの世界観をしっかりと表現していました。あの頃のロックに必要なアイテムは全て拘って揃えていたことにも満足しました。ギブソン系とフェンダー系にはっきり分かれたエレクトリックギター。アコースティックはマーチンではなくギブソン。ベースはプレシジョン。キーボードはハモンドオルガンにレズリースピーカーをぶんぶん回し、フェンダーローズやウーリッツァーの音がそこかしこに聴こえます。ドラムもでかいタムが目立つ3点セットにやる気が感じられました。
舞台セットもバックのワインカラーのカーテンはサンフランシスコのウィンターランドを思わせました。もうあの頃の雰囲気がビンビン伝わってきます。ここまでやって決して古臭くないヴォーカルが最高なのであります。ここで古臭い歌い方をされるとただの懐古趣味のバンドになってしまいますからね。
私も長女もアホになって盛り上がっておりました。やっぱりロックは騒いでナンボです。
ラストの「I Remember」は、私がSuperflyを初めて認識した歌。寝床の中で携帯電話の小さな画面から出てくるあの声量に度肝を抜かれ飛び起き、正座して小さな画面を凝視したあの日を思い出しながら聴いていました。
必死に何かをこらえながら歌う志帆さんが最後の「Thank you everybody・・・!」とソロで歌い上げ、無音になる大会場にロックの醍醐味を見ました。
そして最後の音が決まった瞬間にあふれ出した涙は、長いツアーからの緊張が解けた安堵の涙とともに怒涛の1年を駆け巡ったSuperflyの成長の証だったのではないでしょうか。

 帰り道。中学1年生でこんなすばらしいコンサートに行ったら、この後どうなるんだろうと、本人が上気した顔で言っておりました。半端なコンサートじゃ満足できないかもしれません。
因みに私も中学1年がコンサート初体験でしたが、「榊原郁恵のデビューコンサート」だったもんなぁ。あ、決して郁恵ちゃんが悪いって言っているわけではありません。とても良いものでしたよ。握手もしてもらっていい思い出。

 こうやって今は少し冷静に書いておりますが、コンサート直後から私は長女以上に盛り上がってこの2日間ずっとSuperflyしか聴いてません。早くニューアルバムが聴きたいですね。
そして、次のツアーが楽しみであります。

2008年11月10日
花形
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by yyra87gata | 2012-12-26 14:37 | コンサートレビュー | Comments(0)
 中学時代によく聞いていたラジオ。オフコースの歌はニッポン放送の日曜夜11時からオンエアしていた《全日空ミュージックスカイホリデー》でしか聴いたことが無かった。ヒットに恵まれていなかったが、特定の女性ファンに支えられていたオフコース。
当時のヒット曲という世界からは、かけ離れていた静かな男性デュオ。
私の心の片隅に記憶されていたグループのひとつに過ぎなかった。
その要因は詞の世界だった。小田の書く詞はあまりにも素直すぎて15歳の中学生が聴くには、気恥ずかしさを感じたのだ。それに増して、あの高い声で歌われたら、拓郎や泉谷を追いかけ、ツェッペリンだ、キッスだ、なんて言っている当時の私に残るはずもない。
もちろん、オフコースが嫌いだったわけではない。名曲がたくさんあることも知っていたが、優先順位の問題だった。
 時を経て、オフコースも解散し、小田がソロワークを始めたとき、偶然に聴いた小田の声。それは、オフコースの焼き直しアルバムを作っていた頃・・・。私は小田が嫌いになった。
オフコースの歌を何故アレンジし直すのか、と。
何気ない思い出の中に当時の歌は存在していて、その歌やフレーズを聴いたときに昔に戻れるあの感覚・・・。
『LOOKING BACK』というアルバムは、新しい小田の解釈で作られたオフコースの歌たちなのだろうが、私には理解できなかった。しかし、このことがあって、逆に小田和正のソロワークスに興味を持った。
私は小田和正を聴くようになった。そして、そこから小田和正の音楽に魅了されていった。
『個人主義』は最高のアルバムと確信しているし、『そうかな』もそれに匹敵するアルバムだと思っている。だから、3年前のコンサートで観た小田和正に素直に感動した。

 2005年秋に観た小田和正のコンサート。
元気な58歳だなぁという印象が残った。武道館のステージを走り回っていた。
あれから3年経った。

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 私は43歳だ。もう人生も折り返し地点を過ぎた。
だから、今回の小田和正のコンサートは非常に考えさせられた。なんていうのかなぁ。
あの優しい歌詞って・・・。
2008年6月19日 代々木第一体育館。小田和正のツアーを観覧(最近よく参戦という言葉を使う人がいるけど、何だろね、アレ。戦争じゃあるまいし・・・)した。
観覧した位置が丁度舞台の裏にあたり、歌詞がモニターではっきり見える位置だった。
だから余計に感じたのかもしれない。
小田和正の書く詞の妙。
私は家内と知り合ってもう26年になる43歳だが、普通に過ごしてきた家内との生活、彼女との出会いや昔の頃の思い出がとても素直な気持ちで体感できた・・・。
19日のコンサートで、歌詞のスクリーンを見ながらそんなことを思ってしまった。
小田和正を含め僕も人生の折り返し地点を過ぎている。

 今回、小田和正が最後に言った言葉
「こんなこと今まで言わなかったけれど、いつまで続けられるか。若い人たちはほっといても元気に生きていくでしょうが、僕と同じくらいか、僕より上のかたがたは、どうぞ、体を大切にして、いつかまた必ず会いましょう」

心に沁みた。

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2008年6月20日(金)
花形
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by yyra87gata | 2012-12-26 10:22 | コンサートレビュー | Comments(0)