音楽雑文集


by yyra87gata

カテゴリ:コンサートレビュー( 19 )

Blues・・・アレ!?

 ライヴアルバムを聴いてその臨場感が伝わり、感動することがよくあるが、タネを明かすとほとんどのライヴアルバムは手直しされているのが現実だ。ライヴではギターが1人だったはずなのになぜかライヴアルバムになるとリードギター・パートでバッキングが入っていることも珍しくない。妙なパーカッションやシンセサイザーが追加されることも良くある。だから、本当の演奏力という面では実際に現場に行ってみないとわからないものだ。
 私は以前にも書いたことがあるが、ライヴ会場で個人的に隠し録りを行なうことがある。もちろん自分で楽しむために録音をするのだが、聴きなおしてみるとプロのステージでもバランスが悪かったり、ミスタッチやコーラスが音を外すなんて場面も意外と多いものである。当然この音源を使用してライヴアルバム制作ということになれば、手直しのためにスタジオでその部分の録り直しが行なわれるのである。
演奏力という面で考えると、私が今までに体験したライヴの中で、完璧なパフォーマンスを行なうバンドは、ここ10年くらいの山下達郎のバックミュージシャンたちである。
このバンドは、9人編成の大所帯・・・青山純(Dr)、伊藤広規(B)、佐橋佳幸(G,Vo)、難波弘之(Key)
重実徹(key)、土岐英史(sax)、佐々木久美(Cho)、国分友里恵(Cho)、三谷泰弘(Cho)。
幅広いジャンルに対応できる演奏能力、ソロパートの能力、そして音楽に対するバランス感覚がこれほど醸成されたバンドを私は他に知らない。私はコンサート会場で生録をするのだが、その音源でライヴCDが出来るのではと思わせるほど完成されているのだ。
また、このバックバンドは別名「ネルソン・スーパー・プロジェクト」といい(名前の由来はライヴ会場に足を運ぶとMCで教えてくれる)メンバー間が非常に仲良しで、達郎抜きでライヴ活動やCD『ネルソン・マジック』(2002)の制作まで行なっている。
ライヴでは本人たちのオリジナルと彼らの好きな曲を持ち寄り、普段ヴォーカルをとることの無いミュージシャンが意外なノドを聴かせてくれる。
 
d0286848_1173076.jpg

 昨日、「Blues・・・アレ!?」というバンドを観てきた。このバンドは、前述のミュージシャンたちとMISIAのバックミュージシャンが融合して出来たバンドである。目黒ブルース・アレイ・ジャパンで、年に1度だけのイベントを行なうときのバンドだ(バンド名はこのライヴハウスをもじっている)。
このイベントも今年で4回目を迎えたようだ。当初は自分の好きな曲を持ちよってドンちゃん騒ぎを行なっていたが、最近はヴォーカル&オルガンの佐々木久美が選曲を行い、譜面を起こしてミュージシャンに配っているようだ。ほとんど強制的に譜面が送られているらしく、佐々木久美の道場のようだというコメントもあった。「試練」とか「ハードルが高い楽曲」とかみんな笑いながらしっかりプレイする・・・。
ブルース、ジャズ、ソウルを中心に60年代から80年代の渋い選曲のアレンジ&ソロパートは、芸達者なミュージシャンの腕の見せ所で、ミュージシャンも客も一緒になって盛り上がる。
 鈴木明男のサックスを中心に佐々木久美のハモンドが唸り、ドラムの青山純、ベース種子田健のリズムが地を這う。鈴木健治のハードなギターサウンドに対し森竹忠太郎のジャージーなギターが空間を埋める。このベースメンバーを軸に伊藤広規、難波弘之、重実徹、三谷泰博といった山下達郎バックミュージシャンも加わりあらゆる曲に対応していく。
JBやラスカルズ、スィートソウルの名曲、ブッカー・T&The MG's、憂歌団、ダウンタウンブギウギバンド、果ては左トン平のナンバー(明男ちゃん最高!)までしっかりとした演奏で客を楽しませてくれる。
佐々木久美の味のあるヴォーカルは、達郎のバックでコーラスに徹している時のそれとは大違い。非常に表情豊かな歌声である。
そして、彼らにゆかりのあるヴォーカリストが何人も出演する。
クラウディア、Tiger、三谷泰弘、CHAKA、アスカが普段見せないヴォーカルをリラックスしながら歌い上げる。みんな実力派ヴォーカリストなので、ノドも楽器となり、ミュージシャンと会話しているようにプレイする。アンコールでは佐々木久美、難波弘之、重実徹にピアノの安部潤が加わり、4人のキーボーディストがハモンドとピアノに分れ連弾を始める始末。途中鍵盤から手を離さずソロとバッキングを入れ替える曲芸的な演奏も見られ、大盛り上がりを見せた。ミュージシャンがリラックスしながら普段の仕事とは違った顔を見せるこのイベントは、演奏能力あっての賜物だ。

 ライヴは大騒ぎの中、3時間半にも及んだが、上質な音楽をリラックスした雰囲気でみんなが楽しんでいたので、あっという間の出来事だった。演奏終了後、佐々木久美が挨拶に降りてきてくれた。ハモンドに向かうひたむきな顔が一変し、全部出し切った充実した顔をしていた。
今日のメンバーからのメッセージをまとめるとしたら・・・プロの演奏家は、他流試合ができてナンボ。その上で客をどれだけ楽しませながら自分も楽しめるか・・・ってとこかな。(敬称略)

楽しい夜でありました。
久美さん、ありがとうございました。

2007年6月1日
花形
[PR]
by yyra87gata | 2012-12-25 11:10 | コンサートレビュー | Comments(0)

斉藤哲夫を観てきた

 
d0286848_13465991.jpg
 新宿・曙橋バック・イン・タウンで、約20年ぶりに哲夫さんのライヴを見ました。20年前は吉祥寺のぐぁらん堂でよく観ていました。今回は、昨年末のテレビを観たことがきっかけで、久しぶりに聴いてみたくなったのです。
観て思ったことは、何よりも哲夫さんの音楽に対する真摯な態度とずっと歌い続けていることに感動しました。そして、昔と変わらぬ歌声が良かったです。
 ピアノを入れての弾き語りは、哲夫さんの歌に表情を付け、良い味を出していました。さがみさんのピアノは、哲夫さんの作品にマッチしてとても聴きやすかったです。

「もう春です」で始まり、エンディングも同じでした。
MCでは昨年末のテレビ出演の話、和田アキコさんが「悩み多き者よ」をカバーしたことで、「盆と正月がいっぺんにきた」と喜んだことや、URCからソニーに移籍したときの話など歴史を振り返るMCなどとても面白い内容でした。
「今ピカ」で突然売れてしまった時の感想・・・「流行りものは、せいぜい半年だよ」の言葉が印象的でした。
そして一貫して言えることは、哲夫さんが音楽に対して真摯に向き合ってきたということでした。1950年生まれの57歳。1970年頃から歌い始め、37年歌い続けている人の言葉は重いです。

「グッドタイム・ミュージック」「バイバイグッドバイ・サラバイ」「斜陽」「まさこ」「吉祥寺」「さんま焼けたか」「野沢君」「悩み多き者よ」「君ピカ」(これにはびっくり!)といった懐かしい歌から「君が気がかり」「昨日・今日・明日」「GOOD MORNING」と言った最近の歌まで22曲を歌いきってくれました。満足満足。

 私は自分のレビューでも書いていますが、「グッドタイム・ミュージック」というアルバムが大好きです。あの頃は、バンドでのライヴも行なっていました。今年の活動にバンドサウンドで哲夫さんの歌を聴いてみたいと思いました。
2/15 新宿・曙橋バック・イン・タウン
1.もう春です(古いものはすてましょう)
2.グッドタイム・ミュージック
3.僕の古い友達
4.甘いワイン
5.昨日・今日・明日(金森こうすけの歌)
6.バイ・バイ・グッドバイ・サラバイ
7.長屋の路地(高田渡のうた)
8.さびしい気持ち
9.斜陽
10.まさこ
(休憩)
11.セレナーデ
12.吉祥寺
13.さんま焼けたか
14.野沢君
15.僕が詩人になろうとした理由(永井宏のうた)
16.いすの生活(永井宏のうた)
17.GOOD MORNING
18.君が気がかり(野澤享司のうた)
19.悩み多き者よ
20.あなたの船(渡辺勝のうた)
21.いまの君はピカピカに光って
22.もう春です(古いものはすてましょう)
ピアノ:さがみ湘        ※7~14までは弾き語り

d0286848_13473262.jpg


2007年2月15日
花形
[PR]
by yyra87gata | 2012-12-24 13:48 | コンサートレビュー | Comments(0)

U2来日公演

 U2のコンサートには初来日から毎回毎回足を運んでいて、その度に驚かされるのだが、今回もまたアドレナリンがジャバジャバ出まくったコンサートだった。
 当初は、今年の4月4日に日産スタジアム4日限りの予定だったが、The Edgeの娘さんの病気で公演が延期になり、会場がさいたまスーパーアリーナに移り、3日間公演になった。
しかも、今回の公演についてアリーナは全て立ち見。席が最初から用意されていない。まるで海外のビッグコンサートのようだ。それだけでも観る方をやる気にさせる。
もちろん、僕はアリーナを希望していたが、諸事情によりスタンドからの観戦となった。残念。
さいたまスーパーアリーナの会場に入ったとたん、僕の目に飛び込んできたものは、アリーナで蠢く人の群れだ。開演まで小1時間はあったが、ステージ前方中央はオシクラ饅頭状態であった。きっとU2が登場したら、人の河が何個もでき、それは渦を巻くだろうな、などと勝手に想像していたら、めちゃくちゃ興奮した。やっぱりアリーナだったかな・・・。
大きなフロアは、総立ち。眼下には大きなライブハウスが広がっているようだ。みんな声を上げて興奮状態。大人数が暴徒となる可能性もある。そんなことも考えていたらもっと興奮してきた。
 薄暗い会場にBGMが響き渡り、それまでの音とは明らかに違う音が観客を戦闘状態に促す。
会場暗転、The Edgeの印象的なエコーのフレーズが会場に充満する。そして、オン・ビート!3人のメンバーは演奏に集中。しかしBonoはステージ上にいない!視線をずらすと、なんと上手花道で日本の旗を振っているではないか!(へっぴり腰で、あまり格好良くなかったけど・・・)
「City Of Blinding Lights」の伸びやかなフレーズと疾走感溢れるリズムは、一瞬にしてスーパーアリーナをU2ワールドに染めてしまった。
すかさずLarryのドラムで「Vertigo」へ。冒頭のカウントを「Unos, Dos, Tres・・・」ではなく「いちぃ、にぃ、さーん!」と日本語にするBono。
おっ!今日のBonoは親日家だね、と思いながらも最新のU2ロックを体感した。なんせ、テレキャスの空ピッキングだけでロックしてしまうThe Edgeのギター。彼のギターは、コロンブスの卵のような発見がたくさんある。普通、空ピックだけでワンコーラスは流さないって!
3曲目の「Elevation」を歌い終わったところで、Bonoの一言「アツイ・・・」。これはウケタ。
ホント、今回のU2は、今まで全部参加してきた中で一番日本語をしゃべっていた。例えば歌詞の一部を“Temples of Kyoto”と変えてみたり、バックのスクリーン上に“爆弾”や“共存”などの文字が躍ったり・・・。

 政治色が強くなって、敬遠するファンもいると聞く。メッセージが色濃く作品に反映され、加えて自ら活動を行なっている姿を、エセ活動家と罵る人もいる。
しかし、彼らのステージはあくまでもロックショーだった。体に素直に入ってくるビートと頭に直撃する歌詞、目に直撃する照明などどれをとっても1流のロックショーだった。
その中に社会的なメッセージがあり、わかりやすく我々に訴えかけてくる。

 彼らの国アイルランドは宗教間の戦争がいまだに続いている。
その中で、人権を軽視する大人たちを彼らはずっと見てきたのだろう。だから、誰かがやらなきゃってことをやっているだけなのかもしれない。
わかりやすさでいえば、選曲もさることながら、曲順が良かったことも要因のひとつだ。
「Sunday Bloody Sunday」~「Bullet The Blue Skies」の反戦ソング2連発ではイラク戦争批判もあり、Bonoのハチマキ(決してバンダナではない)には宗教の共存を訴えるメッセージが込められた。スクリーンにはでかでかと「共存」の2文字。

d0286848_12322465.jpg

そして「世界人権宣言」第1条~7条がでかでかとスクリーンに映し出されナレーションが流れた後、キング牧師に捧げた「Pride (In The Name Of Love)」を持ってくるところは、ウンウンと頷いてしまった。
 そして圧巻は「Where the Streets have no Name」でアフリカを救え!と叫び、アフリカ大陸に位置する国々の国旗が次々と映し出された。もう、僕は過呼吸ですわ。

 アンコールではBonoが「魔法の旅を体験しよう。みんな携帯電話を出してくれ。会場を巨大なクリスマスツリーに・・・。」とのMCに合わせて会場が暗転。客がみんな携帯電話の明かりを振り回して美しいイルミネーションを作り出すと、スクリーンには貧困撲滅のメールアドレスが表示され、参加を促すメッセージが・・・。これは単なるロックショーではなく、これがU2のロックショーなんだ、といちいち頷いてしまった。

 ホント、今までのU2の中で1番良かったライブだった。Bonoはちょっと太って格好悪くなってたけど、ヴォーカルパワーは相変わらずだったし、The Edgeのギターもユニークなサウンドを響かせ、空間の美学がそこかしこにあった。Adam & Larryのリズム隊は一言でタイト。「Sunday Bloody Sunday」のイントロのドラムがちょっと年を感じさせたが、それもご愛嬌。
ホントいいライブだった。
客も大盛り上がりで、一緒に観ていた家内は、新興宗教の集会みたい・・・とコメントしたが、ある意味ロックコンサートは集会なのだ。アーティストが右向け!って言ったらみんな右向くんだから・・・。
 
 音楽とメッセージがうまい具合に融合されたすばらしい作品を見たという印象で、さいたまスーパーアリーナを後にした。

12/4 さいたまスーパーアリーナ

City Of Blinding Lights
Vertigo~She Loves You
Elevation
Out Of Control
I Still Haven't Found What I'm Looking For~In A Little While
Beautiful Day
Angel Of Harlem
The First Time
Sometimes You Can't Make It On Your Own
Bad~Ruby Tuesday
Sunday Bloody Sunday
Bullet The Blue Sky~When Johnny Comes Marching Home~The Hands That Built America
Miss Sarajevo
Pride (In The Name Of Love)
Where The Streets Have No Name
One
*****Encore*****
The Fly
Mysterious Ways
With Or Without You

*****Encore*****
The Saints Are Coming
Window In The Skies
Vertigo

2006年12月6日
花形
[PR]
by yyra87gata | 2012-12-24 12:35 | コンサートレビュー | Comments(0)

クラプトン2006来日公演

 
d0286848_12203831.jpg
 どういう経緯でバンドメンバーが編成されたかわからないが、とにかく2006年のクラプトンのバンドはすごかった。
僕は1979年以降、毎回欠かさずクラプトンの来日公演を観戦しているが、今回は時が経つのも忘れる位興奮してしまった。あっという間の2時間だった。
ここ10年くらいのクラプトンバンドは少しAORがかった音楽とともに、大ベテランのビッグネームでバックを固めていた。そして、ライヴの内容も落ち着いて観ることができるショーだったように思う。
 ジョー・サンプルやスティーヴ・ガッド、ネイザン・イーストなど、どちらかというとジャズ・フュージョンの畑のミュージシャンであったり、『アンプラグド』(1991)以来のパートナーであるギターのアンディー・フェアウェザ・ローは、サポートに徹する地味なプレイヤーだったり。みんなミュージシャンとして超一流だとは思うが、クラプトンのバックとして考えた時、僕の中ではマンネリ化してきていたのも事実だ。

 今回のワールドツアーのメンバーは、キーボードのクリス・ステイントンを除くと初顔ばっかり。ニュースとしては、2人のギタリストを擁したことが挙げられる。特にオールマン・ブラザースバンドにも所属している若干27歳のデレク・トラックスのスライド奏法は目を見張るものがあった。確実にクラプトンを喰っていた。もう1人のギタリスト、ドイル・ブラムホールⅡとのヴォーカルの掛け合いも新鮮だった。特にデレクとクラプトンのギターバトルは、デレク&ドミノスの再現であり、名盤『レイラ』(1970)そのものなのだ。つまり、クラプトンと故デュアン・オールマンということだ。僕はもちろんデレク&ザ・ドミノスのステージを観たことは無いので『イン・コンサート』(1971)の音源から推測するしかないのだが、活き活きとしたバトルが繰り広げられていたことは間違いない事実。そのせいか、デレク&ドミノス時代のナンバーが半分を占めていた。クラプトンが回帰したのだ。

 しかし、ただの回帰で終わらないところが、クラプトンだ。大将は、すさまじいリズム隊をもってきた。単純に元に戻る回帰ではなく、パワーアップして戻ってきたという印象が伝わる。
ドラム・・・スティーブ・ジョーダン(元24thストリート・バンド~多数のセッション・・・ボブ・ディラン、スティービー・ワンダー、キース・リチャ―ズなど)
ベース・・・ウィリー・ウィークス(ダニー・ハザウェイ、アレサ・フランクリン、スライ・ストーンなどのバックを務め、ドゥービー・ブラザースにも在籍)
この2人のグルーヴがクラプトンの作品に刺激を与え、ロック色がより強くなったからだ。
尖ったビートは、今までのリズム&ブルース路線(というかAORといってもいい)を一新し、非常にロックしていた。
 特にスティーブの渾身のビートは、見ていて爽快だ。オーバーアクションのスティックさばきだが、テクは抜群。バンドのコアとなり、全員を引っ張っていく。
曲が終わると、さっさと自分のスネアを換え(ほとんどの曲でスネアをつけ換えていた)、自分の準備が完了するとでかい声で曲のカウントをする。みんなの準備なんかおかまいなし・・・。鋭いビートが武道館に響き渡る。抱腹絶倒。僕はアリーナ・センターブロックの前から3列目で観ていたので、彼の表情まではっきり見えたのだが、やんちゃ坊主が暴れまくっている感じで、とにかく面白い。目をギラギラさせ、たまに笑うと白目と白い歯がくっきりと浮かび上がり、ファンキーになる。
ウィリー・ウィークスがずっと横に寄り添い、リズムをキープしている姿が印象的だった。
クラプトンよりもこの2人をずっと見ていた。たまにスティービーがクラプトンの影になると、ちょっと邪魔だよ、なんて思ったりして・・・。

 クラプトンは、相変わらず元気だ。あごのラインがだいぶ無くなり、おじいさんの顔に近づいたが、声はまだまだ十分出るし、ステージに取り組む姿勢もとっても真面目。ギターも相変わらずの上手さ。特に今回は若手ギタリストの登用で刺激になったのではないか。
エリック、デレク、ドイルが「マザーレス・チルドレン」のスライドを同時にプレイしたときは腰が抜けそうになった。そこまでやるか、と。

 但し、残念だったことは、アリーナのノリがいまいちだったこと。特に僕のブロックは最初から最後まで総立ちだったのに対し、隣のブロックは外人さんが立っているだけでほとんどの人が座っていた。きっとスポンサーが用意した席だったのだろうが、非常に見ていて白けた。これだから知らないやつが前で見ることはつらい。
そういえば、そこのブロックの外人さん・・・。
遅れてきた長身の美女(こちらも外人さん)に熱いキスでお出迎え。ほんの5m先の舞台上ではクラプトンが哀しいブルーズを歌っているのに、外人さんかまわずスタンディングで長いキス。目立ちました。でも、良い風景になっていたなぁ。日本人じゃ絵にならないかも。

とにかく満足できたクラプトンナイトでありました。


2006年11月30日
花形
[PR]
by yyra87gata | 2012-12-24 12:21 | コンサートレビュー | Comments(0)
 
d0286848_20361050.jpg
 ステージに向けて開いたビニール傘。ドラムは乾いたビートを刻み、燕尾服姿にちょび髭を蓄えたダディは、叫ぶ。
「次いくぞー!パン粉―っ!パン粉―っ!」
骸骨の全身タイツを身にまとった“なかよし三郎”は、ジャンプ一発!ネックに日清製粉のパン粉をたたきつけた。逃げ惑う客。ダディの細い目が怪しく笑う。

みかんや山芋をネックで摩り下ろし、ドロドロになったスティングレイベースのネックやボディにパン粉が飛び散り、まるでベースがてんぷらの様に変わり果てた姿を晒した。

会場の“渋谷LIVE INN”は一瞬の静寂のあと、大爆笑に包まれた。
“なかよし三郎”はプルプル震え、ダディはカラカラと笑っていた。・・・ある日のライヴである。

 ダディ竹千代と東京おとぼけキャッツは、70年代後期から80年代にかけてライブハウスを中心に活動していた大編成のコミックバンドである。
その筋では著名なスタジオミュージシャンが集まり、作詞家の加治木剛ことダディ竹千代がヴォーカル&MCで参加。音楽好きの連中が、音楽ネタで観客を笑いの渦に巻き込んでいった。
中でもリーダーの“なかよし三郎”のチョッパーベースのテクニックと重戦車のようなリズムを叩き出す“そうる透”のリズム隊は、コミック抜きですごかった。
ギターの“キー坊金太”はモノマネ名人。リッチーからブライアン、果ては謎のフォークシンガーまで、ツウ好みのモノマネを披露する。
助ちゃんこと“ボーン助谷”は1人ホーンセクション。なんでもこなす(やらされている)。実際は実力派のトロンボーン奏者であるが、“おとぼけ”では謎のストリッパーになって、特に女性客を沸かせていた。

 とにかく、飽きさせないステージでは定評があった。しかし、彼らのオリジナルレパートリーがネタとかけ離れすぎていて、薄味になってしまう。メチャクチャなお笑いネタを披露したあと、R&Rで盛り上がろうぜ!と言われても、どこか冷めてしまう雰囲気があった。その点が商業的な成功に結びつかなかったのだろう。
技術も笑いも定評があるが、ヒットしなかった。山下達郎が曲を提供しても泣かず飛ばず。

 ダディ竹千代と東京おとぼけキャッツ・・・ヒット曲という視点だけでは、判断できないバンドである。
最近、昔の音源が復刻されている。映像も出る予定だとか。・・・楽しみである。
記録ではなく記憶に残るバンドである。

2006年7月24日
花形
[PR]
by yyra87gata | 2012-12-22 20:36 | コンサートレビュー | Comments(0)
d0286848_13472876.jpg
 朝日は痛いほど僕の頭に照りつけていた。今日も暑くなる。僕は長野県、黒姫駅に向かう路上にいた。付き添いの先生は心配そうに声をかける。
「本当に大丈夫か。熱があるのだったら、宿舎で休めばいいのに・・・。」
「いえ、僕がいるとこれからのスケジュールにも迷惑がかかりますし、まだ熱も出始めなので、体力がある今のうちに帰ったほうがいいんです。すいません。」
「そうか。ま、特急に乗ってしまえば上野まで2時間だから家には早ければ昼頃に着くんじゃないか。帰ったら連絡くれよ。」
「はい、わかりました。」
黒姫駅まで見送ってくれた先生は、わざわざ上野駅行きの信越線のホームまで来てくれた。僕が席に座ったことを確認すると、ちょっと笑った。
すべるように信越線は、黒姫駅を出発した。

 1979年4月のある日、中学3年の僕は部屋で《GORO》を読んでいた。グラビアに飽き、ペラペラとページを捲っていたら一面広告が僕の目に飛び込んできた。
“吉田拓郎 アイランド・コンサート In 篠島”
 開演 7月26日 19:00 
 終演 7月27日  4:00
 拓郎のオールナイトコンサートである。丁度4年前の夏に静岡県掛川市のつま恋で伝説化されたオールナイトコンサートを彼が行なっていたことを知っていたので、「オールナイト」という言葉に反応してしまった。つま恋の時はさすがに小学生だったし、今ほど拓郎のことも知らなかったので何とも思わなかったが、この篠島コンサートは絶対にマストだと思った。
オールナイトコンサートに行きたいといっても、時間的な制約や場所の問題があり、どちらも中学3年の僕だけでは何の解決もしないことがわかっていた。数少ない拓郎ファンのH君に相談しても、彼は一緒に行けないという。
僕の世代で「拓郎好き」は珍しい。拓郎ファンは、ちょっと世代が上のようだ。しかし、僕は小学生の頃から多くの音楽と触れ合う機会があり、また、親戚のお姉さんの影響もありフォークソングに夢中になっていた。同世代が松山千春やアリス、さだまさしに夢中になっているときに独りで拓郎を支持することは異空間に押しやられることに等しいが、拓郎の生き方に感銘を受けてしまった中学生は、独りになることについてもその空気を楽しんでしまい、ナルシスティックな気分だったのだ。

 悶々と毎日を過ごしていた時に学校の掲示板に貼られた野尻湖林間学校のヘルパー募集の文字。
僕の中学では、1年の夏休みのカリキュラムとして長野県の野尻湖を訪れる。その5日間は湖で釣りをしたり、妙高高原の登山を行なったりと、とても楽しい日々を過ごす。中学受験から開放された1年生の夏休みは思いっきり羽を伸ばせるし、出来立ての仲間と寝食を共にすることは、とても刺激的なことだ。そんなはじける中学1年生を統制することは、数人の教師だけではまかないきれない。そこで、中学3年の有志がヘルパーとして同行するのだ。良き相談者であり、頼りになる兄貴の役目である。
そこに僕は目をつけた。

 僕は先生も、同級生も、後輩も、みんな裏切って独り篠島を目指していた。黒姫駅を出発した上野行きの信越線を長野で降り、僕は名古屋方面の中央本線に乗り換えた。恵那峡の美しさなど目に入らず、拓郎の歌詞を写したノートを眺めていた。
名古屋から名鉄に乗り換え、師崎(モロザキ)まで出る。そこからはポンポン船に毛の生えた連絡船で篠島に入る。僕は時刻表を見ることについて全然苦ではなかったし、独りで遠出することに関しても興味の方が先立っていたのでさびしくも無かった。問題は金の問題と途中でこの計画がばれて、拓郎を見ることができない心配だけであった。
 師崎には午後2時に着いた。あとは連絡船で渡るだけだ。
普段の待合室は閑散としているのだろう。古い広告がはがれかかって、そのままになって風にそよいでいる。しかしその待合室は、長髪の若者でごった返していた。中にはギターを弾いている者や酒盛りをしている者までいて、切符販売のおばさんが目を丸くしていた。僕はそんな中で、すでにコンサートの雰囲気を満喫していた。昔、“つま恋”のコンサート映画を見たとき、TシャツにGパン、チューリップハットに身を包んだ若者が列を作って掛川駅からコンサート会場まで歩いていたシーンがあったが、それを思い出したのだ。
船は意外と速く、水しぶきをあげながら進んだ。みんなの目は目の前にある小さな島だけを見つめている。それはあたかも巌流島に向かう武蔵のようにみんな睨みつけていた。そして島が近づくにつれて歓声がどこからとも無く沸き起こった。
 篠島の船着場には拓郎の大きなイラストが描かれた看板が建てられていた。1975年のつま恋の時の拓郎の顔だったので、ちょっと太って描かれていた。僕は、ちょっとだけ笑った。
 コンサート会場は開場されていたので、とりあえず入ることにした。チケットを切る時のカメラチェックなどというものは無く、代わりに注意書きの書かれた紙とゴミ袋1つをもらって会場に入っていった。係員にちょっと睨まれたけどとりあえず、誰にも見つからず会場入りできた。もうこれで明日の朝まで僕は拓郎と一緒だ、と思うと安心のせいか疲れがドッと出た。チケットの半券を持っていれば会場の出入りは自由だったが、目立った行動をして補導されたらたまらないので、会場の中にいることにした。
僕はリュックサックを担いで会場の中をさまよった。とりあえず前に行ってみようと思い、独りで歩いていた。一番前のブロックの人は何日前から並んだのだろう、肌が黒人より黒く焼けており、みんな昼寝をしていた。こんなカンカン照りの中で寝ていたら日射病になると思った。器材にも青いビニールシートが被せられ、舞台には青い塊が何個も並べられているだけだ。
 前のブロックには人が入る隙間も無く、暑いせいかみんな押し黙ってイライラしているように見えた。そんなお兄さんお姉さんたちを見ていると、中学生の僕は完璧に子供である。オロオロしながら、たまにお姉さんのビキニスタイルをみて嬉しくなったりもしたが、とにかくさまよっていた。
 
 僕は寝ている人の足に躓いた。当然睡眠を邪魔されたお兄さんは、こっちを睨む。
「すいません。」
お兄さんはじーっと睨んでいる。殺されるかと思った。後ろからお姉さんが声をかける。
「いいじゃない・・・ごめんねぇ。」とお兄さんをたしなめている。
「お前、独りか。」
「はい。」
「いくつだ。」
「15です。」
「地元の子?」とお姉さん。
「ちがうよ、地元の子がこんなにでかいリュックサックなんて持ってねえだろう。」
僕はこの旅の中で初めてヤバイと思った。このまま警察に引き渡されると思った。
「すいません。」と僕。
「どこから来た?」
野尻湖と答えてもわからないと思ったので、横浜からと答えた。
すると後ろの方の別のお兄さんが「横浜?横浜のどこだよ。」
「港北区です」
「お、俺、緑区だよ隣同士じゃん。こっち来いよ。えっ?田園都市線の鷺沼?俺、市ヶ尾だよ・・・。はっはっはっ、独りで来たの。学校はどこ?えっ?S中学?いいの?ばれたらやばいんじゃないの?」
 いつのまにか僕はその団体の中で正座していた。彼らは退屈していたのだと思う。聞くところによると、3日前から島に入り、交代で列に並んでいたそうだ。始めは海水浴や島巡りをしていたが、小さい島なのであっという間にやることが無くなったようである。そこに得体の知れない中学生が入ってきた。酒の肴にちょうどよかったのだろう。
 僕は勇気を出して言った。
「親や学校には内緒で来ています。このコンサートは絶対に見たいので、明日までここにいたいんです。だから、係員とかにチクらないでください。」
僕に足を踏まれたお兄さんが言った。
「大丈夫だよ。お前の行動力に免じてここにずっといな。一緒に観ようぜ。」

 それから、僕は総勢12名の団体の中に居候させてもらうことになり、一緒に氷を買いに行ったり、ギターで歌を歌ったりとコンサートが始まる前まで楽しい時間を過ごすことができた。
そして、あるお兄さんが「完全犯罪をしなければお前の将来がなくなるからちょっと来い」と言って僕を公衆電話まで連れ出した。
「野尻湖の合宿場に電話しろ。」
僕は忘れていた。家に帰ったら連絡してくれという先生との約束だった。電話をすると先生が出てきた。
「大丈夫か、どうだ具合は・・・。」
「はい、だいぶよくなりました・・・。」と僕。すると横からお兄さんが受話器を奪う。
「あ、このたびは御迷惑をおかけしました。え、私、裕の親戚の者なんですが、両親がたまたま出かけておりまして、私が留守番していたんですよ。それで直ぐ病院ということで、今、そこからかけているんです。でももう大丈夫です。はい。」
僕はあっけにとられて見ていた。そのお兄さんは電話を切ると「さぁ、心おきなく楽しもうぜ!」とだけ言った。
 
 18時30分サウンドチェックも終り、照明が薄く点き始めた。いよいよ始まる。
島民の10倍の約2万人が、この島に集まったのだ。みんなステージを見つめ、恒例の三三七拍子がどこからとも無く湧き出てきた。僕の団体も「拓郎軍団●●支部」「泳げ!拓郎!」といったのぼりを振っている。
 19時。積み上げられたスピーカーから大音量でレコードの「ローリング30」が流れた。
僕は自然と“うぉー”と声を上げていた。レコードの演奏が流されただけでこの興奮状態である。本人が出てきたらどうなってしまうのだろう・・・。
曲が終わると、おもむろにピアノのイントロが始まる。ミュージシャンがみんな笑顔でこっちを見ている。
「ああ青春」だ。
僕の中で拓郎は、この歌から始まったといってもいい。この歌はNTVドラマ「俺達の勲章」(主演:松田優作・中村雅俊)の主題歌だった。この歌が耳に残り、それ以来僕は“拓郎好き”になった。

 拓郎が目の前に登場してきた。赤いテレキャスターを抱え、カーリーヘアーをなびかせて歌い始めた。初めて見る拓郎は死ぬほど格好良かった。みんな総立ちになった。僕は身長160センチ足らずの中学生だったが、本当に前の方だったのでしっかり見ることができた。お兄さん達に感謝である。

 拓郎は元気だった。「ああ青春」が終わると地元の人に対し、上気した声で篠島を使わせてもらうことへの感謝を述べ、今日の主役は俺じゃなくみんな一人一人だと語り、最後に朝までやるぜ!と叫んだ。
そうだ今日はお祭だ。そして、みんなで盛り上がることを何度も拓郎は訴えていた。しかし、“みんなで一緒に”なんてフレーズは、拓郎は嫌っていたはずだ。“人は所詮独りなのだ”と・・・。
独りで考えて独りで行動する美学をラジオで語っていたことがあったが、今日は特別なのだろう。
1曲1曲の間に短いMCを入れながらライヴは進んでいった。このステージのバックメンバーは、ツアーメンバーによる演奏だとお兄さんが教えてくれた。
しかし、客が熱い。怒号のような声援が続く。そんな声援に拓郎も声の限りに応えていた。
「ああ青春」「狼のブルース」「伽草子」「親切」「虹の魚」「されど私の人生」と続いた。そして長いMCの後、“これが終わったからといって、歌をやめるなんて一生言わねぇで・・・、ステージで死ねといわれるのなら、ステージで死ぬまで歌うよ”と宣言した。
「襟裳岬」「結婚しようよ」「まにあうかもしれない」「歌にはならないけれど」の10曲で第1ステージ終了。

 少しの休憩後直ぐに第2ステージが始まった。
瀬尾一三率いるグループの演奏が始まった。このグループにはブラスが入っており、ゴージャスな演奏を聴くことができた。
「春だったね」「ひとり想えば」「人生を語らず」「大いなる」とつづく。
拓郎はMCで何度も前向きな発言を繰り返していた。それは1979年という70年代が終わることへの焦りと来たるべき80年代に対しての想いが拓郎を饒舌にさせていた。
「こんなに抱きしめても」ビートルズが教えてくれた」「たどり着いたらいつも雨降り」「今日までそして明日から」と懐かしい歌が続く。
 拓郎はライヴではレコードと違ったアレンジで演奏することが多い。だから、イントロだけ聴いてもわからないときがある。「今日までそして明日から」は豪華なバンドよりも弾き語りで聴いてみたかったが、そんなことはどうでも良くなっていた。
 「ペニーレインでバーボン」「おいでよ」「裏街のマリア」「たえこMY LOVE」・・・。
このステージでの決め手は「たえこMY LOVE」の歌の入りを2度間違えて、やり直したことだ。拓郎は何度も笑いながらバツが悪そうにしていた。瀬尾のアレンジが難しすぎるんだ、とあとでぼやいていた。
「マークⅡ」「悲しいのは」「望みを捨てろ」「乱行」「おろかなる一人言」「晩餐」「暮らし」・・・。
そして第2ステージの20曲目。会場全体が興奮状態にあるときに「落陽」のイントロが鳴り響いた。みんな踊り狂った。エンディングのギターソロでは青山徹がモニターに足を掛けながら弾き捲くる。ギターストラップがギターから取れ、安定性の悪いカワイ・ムーンサルトは弾き辛そうだった。でも、演奏終了後、拓郎は青山を大絶賛していた。
「僕の唄はサヨナラだけ」「新しい朝」「アイランド」で第2ステージ終了。
 
 弾き語りはマーチンD35を持って登場。
「私は狂っている」「ポーの唄」「こうき心」・・・。
“TAKURO 80”というシャツが見る見るうちに汗により色が濃くなってくる。
レコードになっていない「準ちゃん」が続いた。客からのリクエストに応えた形である。
「ハートブレイク・マンション」「祭りのあと」「ある雨の日の情景」「旅の宿」。もうここら辺に来ると客と拓郎のやり取りの中で、急に曲が決まる。拓郎は伴奏だけして客に歌わせるシーンもあった。
僕はレコードになっていない「僕の一番好きな歌」と言う歌が印象に残った。拓郎には弾き語りで、レコードになっていない隠れた名曲がいくつもあるが、これもそのひとつ。
“会社の社長さんなどエラいと思うなよ ましてや歌い手さんなど 先生諸兄など” 
“一番エラいやつ そいつはこんなやつ 自分の叫びをいつでも持ったやつ 
自分の哀れをなぐさめたりしないやつ
戦いに負けたと嘆くじゃないぞ つわものに立ち向かえば逃げるじゃないぞ”
こんなフレーズの歌を正面切って歌えるアーティストは拓郎しかいなかった。みんな歓声を上げた。

弾き語り最後の歌は「落陽」だった。
客をあおり、ギター1本の「落陽」は会場大合唱となった。

 ゲストコーナーは、長渕剛と小室等。まずは長渕剛の弾き語り。長渕はデビューしたてで、「巡恋歌」がヒットしていた。観客と同じ拓郎ファンを強調していたが、どこか空回りしている風に見えた。
「風は南から」「いつものより道、もどり道」「友への手紙」。
「あんたとあたいは数え歌」を歌っている途中、長渕はギターの弦を切ってしまった。歌が十分に歌えなかったことをMCしていた時だった。僕のいた軍団から「帰れ」コールが響き始めた。それは集団心理というやつか、どんどん声が大きくなり大変なものとなった。長渕は“帰らんぞ!帰れなんて言うなよ!俺のファンだっているんだ!”と応戦していた。
「祈り」「巡恋歌」で長渕はステージを降りた。

 小室さんは老練なステージングだった。「拓郎は今、休んでいる。その間のステージを僕が任されたのだ。だから拓郎は僕に感謝している・・・。」などと話し始めた。拓郎ファンは小室さんに従い静かに観ていた。
「お姉ちゃん」「一匹の蟹」「比叡おろし」「月旅行」「スーパーマーケット」。
小室さんは拓郎との酒席での話を面白おかしく話した。酔っ払いの会話はメチャクチャなのだそうだ。特に拓郎は小室さんに言語道断なことばかりを浴びせかけ、絡んでくるという。だから小室さんも“しゃらくせい”という気持ちになって、“じゃあ拓郎!戦争はなぜ起こるんだ”というお決まりの質問になってしまうらしい。髪の毛をひっぱったり、頭をどつくこともあったようだ。それでも2人は仲良しである。
「おいでよ僕のベッドに」「生きているということ」。
小室さん最後の曲「雨が空から降れば」では、拓郎のハーモニカが絡んだ。小室さんのこの曲は拓郎もかぐや姫もカバーした名曲である。もともとは別役実の《スパイ物語》という演劇の劇中歌だった。その名曲は切ないハーモニカの音色とともに、真っ暗闇の空に響き渡った。

 ラストステージは午前2時から始まった。
「知識」はツインリードのロック調にアレンジされ、拓郎は1曲目から飛ばしていた。
“朝まで思いっきりいくぜ!イメージの詩いくぞ!”
「イメージの詩」「流星」が続く。僕は涙腺が緩みっぱなしになっていた。
「我が身可愛く」「旅の宿」「夏休み」「舞姫」「君が欲しいよ」「英雄」「もうすぐ帰るよ」と次々と熱っぽく歌う。
「どうしてこんなに悲しいんだろう」「冷たい雨が降っている」「爪」「君が好き」「ひらひら」など、みんな大合唱である。MCで拓郎は声が震えていた。感極まったように見えた。
「君去りし後」ではコンダクターの瀬尾一三も踊り狂っていた。
「外は白い雪の夜」。名曲である。夏の真夜中に聞いても情景は男と女の別れの寂しさを伝えている。周りを見渡すとみんな泣いていた。
そして今日3回目の「落陽」。みんな声の限りに叫んでいた。もう歌というレベルではなかった。
“サンキュー 歌ったか? 俺よりでけぇ声で歌えよ。 それではやらねばならん曲が・・・。”

 最後の曲「人間なんて」が始まったのは午前3時30分頃だった。これでおしまいである。
拓郎は何かにとりつかれたように叫んでいた。雄叫びである。

本当の声を聞かせてよ!君の本当の声を!
 広島に帰ろうなんていったって、帰る故郷なんてありゃしねぇじゃねぇか!
・・・・・・・・・・・・・・・ 
篠島はよかった!篠島はよかった!土産を持って帰れよ!
 今度はお前達のところに行く、今度はお前達のところへ!
また会おう また会おう また会おう! 

拓郎の篠島コンサートは62曲を歌いきって幕を閉じた。演奏終了時に朝日が昇ってきた。

 僕は立ちすくんでいた。しばらくその場を動くことができなかった。それは、一緒に観ていたお兄さん達も同じだった。この長いようで短かった2日間を思い返すが中々現実に戻れなかった。
 約2万人を埋めた会場は、どんどん人がはけていく。僕は真夜中の宴の余韻に浸りながら帰り支度を始めた。お兄さん達が途中まで一緒に行こうと誘ってくれたので、師崎まで行動を共にした。本土へ渡る連絡船は、ピストン状態だった。別れ際に一緒に写真を撮り、握手で分かれた。彼らは3台の車を連ねて僕の目の前から去って行った。
 名鉄で名古屋まで戻り、東京を目指した。持ち合わせの金はギリギリの状態だったので、新幹線に乗ることができなかった。僕は在来線で帰ることにした。東海道線を何回か乗り継いで横浜にたどり着いたのは、その日の夕方近くだった。長い車中だったが、全然眠くならなかった。きっとまだ興奮状態だったのだろう。頭の中に拓郎がぐるぐる回っていた。
 
 家に帰ると親はビックリして僕を迎え入れた。具合が悪くなったから早退した旨を伝えると、複雑な表情で一言。
「それにしても2日でいい色に焼けたわね・・・。」

 それから数ヵ月後に篠島コンサートは映画になり、フィルム・コンサートという形で各地をツアーした。僕も、あの日の僕を確認するために東京会場の渋谷公会堂に足を運んだ。
 拓郎が歌う姿を観ていたら自然と声を出して歌っていた。周りの観客もみんなそうだった。曲間で拍手がおきたフィルム・コンサートだった。みんな熱い想いで画面に見入っていた。スクリーンに向かって“たくろーっ!”と声援を送る光景が何度も見られた。
1970年代が終わろうとしていた。

2006年1月22日
花形
d0286848_13463630.jpg

[PR]
by yyra87gata | 2012-12-18 13:50 | コンサートレビュー | Comments(10)
d0286848_23185193.jpg 人ごみの中でダフ屋を見つけ、交渉。値段を聞くときはいつもよりちょっとだけ大きな声で臨む。そうすることで、相手は後ろ暗い行動を早く納めたいと思い、交渉にスキができる。行きつ戻りつしながらアリーナをほぼ定価でゲットした僕は、開演ギリギリの武道館に吸い込まれた。
 自分の席にたどり着いた瞬間、暗転した。そして地面を轟くビートが会場に充満する。
ネイティブアフリカンのリズムとラテンのリズムが入り混じり、真っ赤な照明の中からギターを抱えたカルロスが登場。「Jingo」のビートに合わせて弾きまくり始めた。
 カルロス・サンタナの2003年11月11日の武道館公演はこうして始まった。本来なら、4月に行なわれるコンサートだったが、SARSの影響で公演が半年延期されていた。当然、シートキャンセルも出たようだが、そのおかげで僕のように見ることができた人間もいる。また、サンタナの2年前の公演時、ちょうど来日中のクラプトンが飛び入り参加したこともあり、今回もそのチャンスがありそうだ、との噂が飛び交い、開演前から異様な雰囲気に包まれていたのだった。

 『スーパー・ナチュラル』(1999)の大ヒット、そしてグラミー賞主要9部門受賞でサンタナは生涯何度目かの頂点を迎えていた。ウッドストック世代のアーティストが30年以上も第一線で活躍していること自体が驚きだが、それ以上に『スーパー・ナチュラル』は若いアーティストとのコラボでも有名になり、ヒップ・ホップやラップとの融合は、往年の栄光にすがっているビッグネームや伝統芸を重視しすぎて新しい波に乗れないオヤジアーティストたちにショックを与えた。
立て続けに発表された『シャーマン』(2002)も『スーパー・ナチュラル』の延長線上にあり、内容の濃いものとなっている。ゲスト・アーティストを迎え、それにサンタナのギターを絡めることで新しい波が生まれる。ゲストも決して臆することなく堂々と自らを主張する。それは真剣勝負である。前作ではクラプトン、本作ではスティービー・ワンダーとのコラボも実現している。以前のようなラテンラテンした音楽も収録されているが、新しいラテンそしてアフリカンロックのあり方を表現したアルバムである。
そして今年の11月には『スーパー・ナチュラル』『シャーマン』に続く3部作の最終章である『オール・ザット・アイ・アム』(2005)が発表される。とにかく最近のサンタナの新しいことへの飽くなきチャレンジは、目を見張るものがある。

 コンサートは『スーパー・ナチュラル』『シャーマン』を中心に展開された。もちろん古い作品も並ぶが、今のサンタナに「哀愁のヨーロッパ」は不釣合いだ。本人も演奏する気も無いだろう。1980年代初頭の「ホールド・オン」といった大ヒット曲でさえ演奏されなかった。でも武道館の空間はそんな曲を欲していなかった。クラプトンの乱入も無かったが、逆に乱入できる雰囲気ではなかった。もし乱入していたとしたら、ブーイングが出るくらい緊張感がある公演だった。
 『シャーマン』の「ビクトリー・オブ・ウォン」は壮大なバラードである。前回のツアーでも取り上げられていたが、今回のステージでは核の曲になった。僕の周りの人で目頭を押さえている人が数人いた。僕もステージのサンタナがにじんだ。
最後は「ブラック・マジック・ウーマン」から怒涛のラテンメドレー。とにかく血が騒ぐ音楽だ。土着の力というか・・・。サンタナが神の領域に入ってしまったかと思った。
『スーパー・ナチュラル』『シャーマン』は最近のサンタナの代表アルバムであり、ロックアルバムの代表アルバムといっていい。新作が待ち遠しい。

2005年10月14日
花形
[PR]
by yyra87gata | 2012-12-16 23:12 | コンサートレビュー | Comments(0)
 
d0286848_22363865.jpg
 大学の卒業旅行でイギリスとスペインとポルトガルに行った。変な組み合わせだが、当時行きたかった国を調べて、勝手に組んだ気ままな旅行だった。
イギリスは当然リバプールに直行し、ビートルズゆかりの地を訪ねた。ロンドンに戻ってからもアビーロードや“マーキークラブ”“ウィスキー・ア・ゴー・ゴー”などのクラブに行き、刺激的な音楽に触れることができた。そして、せっかく海外に来たのだから大規模なコンサートに行きたくなり、ロイヤル・アルバート・ホールやウェンブリー・アリーナなどのコンサートスケジュールを確認した。1989年2月のことである。
 結果から言って“ビッグアーティストの公演は何も無かった!”。コンサート情報をチェックしていくと、滞在期間中に1つだけ有名どころのコンサートがあり、考える間もなく会場のハマースミス・オデオンに向かっていた。
 ハマースミス・オデオンは歴史ある劇場で、規模でいえば渋谷公会堂クラスである。横に広い舞台が特徴で、どこからでもよく見えるといった印象。フルバンドやオーケストラが入っても十分スペースを確保している。
 会場に着くと“FOUR TOPS SOLD OUT”と書かれていた。そう、イギリスでモータウンの重鎮を見るのだ。ちょっと変な気分だが、これも何かの縁だろうということで(?)ダフ屋にアタックした。海外のダフ屋は当り前の様に存在するし、学生がバイト感覚で行なっていることが多い。ちなみに海外では正規のチケット屋で買ったとしても定価なんてあってないようなもので、平気でプレミアム価格を付けてくる(2ヵ月後のボブ・ディランのライヴがチケット屋で販売されていたが、15ポンドの定価に55ポンドの値段がついていたからね)。
さて、ダフ屋君と交渉。日本人と見るや値段をふっかけてくるが、じっくり交渉し、日本で見る外タレより安い価格で交渉は成立した。ちなみにチケット表示の1.5倍だったけど。

 FOUR TOPSは黒人のコーラス・グループ。デトロイト北部の2つのコーラス・グループのうち4人が集まり(レヴィ、デューク、オビー、ペイトン)、高校の卒業パーティーで歌ったことがきっかけとなり結成された。60年代に数々のヒット曲を量産し、モータウンの一時代を築いた。モータウンを離れた70年代後半にもヒットを飛ばし、変わらぬ人気を誇るアメリカの超有名アーティストだ。
 1990年、"Rock & Roll Hall Of Fame"(ロックの殿堂入り)を果たした。結成からメンバーチェンジすることなく走り続けた彼らの功績が称えられたのだ。そして、1997年にメンバーのペイトンが亡くなったが、名前をTHE TOPSと変え、今でも活動している現役だ。
 
 ライヴはフルバンドをバックに4人が歌いまくる王道のステージだった。スィートソウルからファンク、アカペラなどブラックミュージックのオンパレードで、客も一緒に歌いまくる熱狂のステージで、エンターテイメントという言葉がぴったりくる。ハードロックやヘビーメタルのような熱狂のステージは音が単純にでかいということでその気にさせられてしまうが、こういったソウルフルなステージはヴォーカルの迫力と繊細なコーラスワーク、そして誰もが踊れるシンプルなリズムに尽きる。
 3度のアンコールのあと、興奮した僕はステージに駆け上がってしまった。ヴォーカルの4人は舞台袖から楽屋に消えてしまったが、ライヴを盛り上げたフルバンドのバンドマスターの所へ行き、サインを貰った。舞台上にしばらくいて、かたづけを少し見ていたら、ふと自分の取った行動に驚いていた。僕は舞台の上でなにやってるんだ?
警備もおおらかだったのかもしれない。
 FOUR TOPSはアルバムよりもシングルチャートを常に賑わしており、ベスト盤を購入した方が彼らの熱いヴォーカルをたくさん聴く事ができる。現在発売されている作品の中では1200円で彼らの絶妙なヴォーカルが楽しめる『THE BEST 1200 FOUR TOPS』(2005)がお勧め。
 
2005年10月5日
花形
[PR]
by yyra87gata | 2012-12-16 22:38 | コンサートレビュー | Comments(0)
 1993年11月13日。雨の土曜日。昼過ぎの情報番組でブライアン・メイのコンサートがあることを知る。当日券が販売されるという。
QUEENはヴォーカルのフレディー・マーキュリーを失い、方向性が定まらない状態であった。そんな時のブライアンのソロプロジェクトは、フレディへの鎮魂の意味を持っていたのだろう。ブライアンのライヴでは数多くのQUEENのナンバーを聴くことができるという。でも、僕は手放しに喜べなかった。QUEENのナンバーはフレディが歌うことで成立する。あんな“か細い”ヴォーカルのブライアンじゃ幻滅してしまわないか・・・。
確かに、ブライアンは、前年に『BACK TO THE LIGHT』(1992)を発表しており、ワールドツアーを行っていた。その一環で日本公演も予定されていた。
悩みに悩んで僕は、千葉のベイNKホールまで車を飛ばした。当日券売り場にはすでに何人も並んでいたが、容易に購入することができた。
 そしてこの後の2時間30分、僕は至上の喜びを感じ、感涙にむせんでしまった。“か細い”ヴォーカルのブライアンは哀愁を誘った。とにかく一生懸命歌っているのだ。『BACK TO THE LIGHT』中心にコンサートは進められ、たまに入るQUEENの曲があらためてフレディがそこにいないことを気づかされる。湿っぽくなりがちなコンサートも安定した演奏によりしっかりと聴くことができた。この時のプロジェクトは素晴らしいのも当然で、バックミュージシャンも素晴らしかったのだ。ドラムはコージー・パウエル(これが最後のライブツアーになったとは・・・合掌)、ベースはニール・マーレイが担当。最強のリズム隊だ。サポート・ギターもイギリスで売れっ子のスタジオミュージシャンだし、女性2人のバックコーラスもセリーヌ・ディオンやロキシー・ミュージックの仕事をしている実力派だ。
ブライアンの作る曲は多彩で、アメリカン・カントリー調の曲もあれば、「LOVE OF MY LIFE」のようなしっとりとした曲も散りばめながら、コンサートは進んでいった。最後は、「WE WILL ROCK YOU」~「BACK TO THE LIGHT」のメドレー。大盛りあがりの中、終演した。
「~光に向かって~新たな旅立ち」という邦題が付けられた『BACK TO THE LIGHT』は、QUEEN崩壊の中、一つの光だった。フレディがいなくなった現実をメンバーは真摯に受け止め、ファンに対し何ができるかを考えていたのだと思う。ブライアンは、自らがフロントラインに立つことにより、QUEEN・DNAを継承し、出来る限りのパフォーマンスを行った。
 「フレディ抜きのQUEENナンバーを聴いたって、意味が無い」と少なからず思っていた僕は、ブライアンのパフォーマンスや『BACK TO THE LIGHT』を聴いたことでその考えを撤回した。
『BACK TO THE LIGHT』はよくできたアルバムだと思う。QUEENのために作った曲も収録されており、どうしても引きずってしまうことも否めないが、悲しいくらい真っ正直な作品だ。
その中でも、「Too Much Love Will Kill You」は、このアルバムのコンセプトが明確に出ており、コアとなっている。
 「BACK TO THE LIGHT TOUR」は『ライブ・アット・ブリクストン』(1994)で聴くことができるし、ビデオも販売されている。合わせてお勧めしたい。
d0286848_9162835.jpg

2005年8月23日
花形
[PR]
by yyra87gata | 2012-12-16 09:17 | コンサートレビュー | Comments(0)