音楽雑文集


by yyra87gata

カテゴリ:音楽コラム( 108 )

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  山下達郎のコンサートに行かれたことがない方。
一度は観てください。
少しでも達郎氏の音楽が共有できるのなら是非一度、コンサート会場に足を運んでください。
1流のエンターテイメントのステージが体感できます。 
彼は音楽への拘りを異常な程持っており、それがたとえ商業的な部分から外れたとしても、自分の信ずるものであれば信念を貫き通します。
彼の音楽に対する向き合い方は音楽の匠であります。
よくラーメン屋で「今日は満足のいくスープができなかったから休業します」なんて紙が店先に貼り出され、扉が閉じていることがあります。冗談なのか本気なのかわからない貼り紙ですが、達郎氏が見ればフムとうなずく事でしょう。彼に妥協は無いのです。
「レコーディングはきりが無い。いつまでもやっていられる。締め切りがあるから止めるだけで、ぎりぎりまで喘ぐのが私のレコーディングだ」とインタビューで応えています。
また、リハーサルに満足がいかず(あるキーボーディストが「Get Back in Love」のイントロがどうしても弾けない!)、ギリギリまで進めていたが、ゲネプロ(コンサートツアー前日に実際のホールを使用して行なうリハーサル、とおしリハとも言う)で満足がいかずコンサート初日を飛ばしたことがあります。(1989年12月・戸田市文化会館)
そんな逸話が溢れます。
 
コンサートの動員を考えれば集客能力の高い東京ドームや日本武道館の公演を考えますが、客の立場になるとオペラグラスから見るコンサートが嫌な事やパイプ椅子や硬いプラスティックの椅子に3時間以上も座らされる客を思うとそんな会場でできないという拘り。
だから達郎氏の御眼鏡に適ったホールは中野サンプラザであり、大阪フェスティバルホールであったわけです。
 
また、彼の御眼鏡に適ったということで言えば、ミュージシャンです。達郎氏のバックミュージシャンは、それぞれがエキスパート。名だたる方ばかりで、リーダーアルバムを出している人もいますし、その筋では大家の人もいます。そのミュージシャンが繰り出す音は演奏力、表現力共に一流で、そのままコンサートをレコーディングすれば毎回ライブアルバムが無編集でできる位のクォリティであります(皆さん、世に出ているライブアルバムのほとんどは良い具合に編集されていますよぉ~)。
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 達郎氏のコンサートは昔から長いです。
私がよくコンサートに足を運んでいた1970年代~2000年位までの国内のミュージシャンのコンサートは、アンコールを含めてせいぜい2時間半でした。外タレですと1時間半~せいぜい2時間。会場を借りる問題、消防法の問題等もあったのでしょうが、そんな中、達郎氏は3時間半もパフォーマンスを行ないます。だから、通常18時30分や19時開演というタイムスケジュールが多い中、達郎氏のコンサートは18時きっかりに始まりました。遅くなれないなら、早く始めちゃえということでしょうが、客にとってみたら、もうその日はまともに会社なんて行ってられません。早退覚悟でコンサートに臨まないと間に合わんのです。
また、演奏が白熱すると時間はどんどん伸び、長いときでは4時間を超える時もありました。六本木PIT INNの時は貧血で倒れる客はいるわ、終電は無くなるわ、と大変なライブとなりました。
 
何故、そんなに長くライブをするのか・・・昔のインタビューによりますと「売れてない時期が長く、ライブを行なうのもいつも最後の気持ちでやるから、やれるだけやって帰るんだ」ということだそうです。
いやいやそれだけではないでしょう。
あれだけサービス精神旺盛で、お客様が楽しむということを念頭にステージを構成されている達郎氏。4時間もアッという間です。
だから、ステージに掛ける準備も厳しく、おいしいスープができなければ公演を「飛ばして」までも完璧なものを見せるのです。もちろん、戸田市文化会館の時は本人が舞台に出てきて3曲ほどピアノの弾き語りをし、陳謝したとか。
 また、喉の調子が悪く(高い音が出ない)5曲ほど歌った後、舞台から降りそのまま公演中止になったこともあり(1989年2月・神奈川県民ホール)、ちょうどその公演には家内が観に行っており、ちょっとしたハプニングを楽しんだとか。もちろん追加公演もあり、しっかり2度楽しめたと言っておりました。
恐るべし完璧主義者であります。ですから、2013年名古屋公演アンコールでおきた不届きな客への叱責によりその客を退場させた件は、大きな話題にもならず、達郎氏のコンサートを楽しみに来る客の中ではさも当たり前の事として処理されているのでしょう。
もちろん達郎氏も「皆さんを悪い気持ちにさせてしまった」と侘び、特別に追加の1曲をプレゼントするという粋なはからいもあったようです。

 達郎氏はここ近年毎年ツアーを行なっております。それはあたかも20代の頃の本数に近づかんばかりであります。
一時期、レコーディングで悩まれたり、信頼の置けるバックミュージシャンがあるミュージシャンとバッティングし、中々ツアーが組めなかったりということもありましたが、とにかく最近はライブ活動が盛んであります。
夏の野外イベントへの参加、ライブハウスへの参加など企画モノのライブもこなし、60歳を過ぎて、もますます盛んであります。2015年から2016年に掛けてのパフォーマンスは、全35都市64公演で、達郎氏の歳の数以上の本数であります。
チケットの争奪戦も始まっており、前半戦のチケットはほぼソールドアウトでしょう。
もちろん、私は手に入れましたが。
さ、今年も達郎ワールドの始まりです。

2015年9月15日
花形

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by yyra87gata | 2015-09-16 16:36 | 音楽コラム | Comments(1)
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 日曜日の夕方、みんなは「サザエさん」の時間になるとマンデーブルー症候群となり、明日からまた1週間が始まる(始まってしまうぅ)という気分になる。
しかし、私は高校時代この症候群に陥ることは無かった。それは日曜の午後10時30分から30分間の音楽番組、JUN提供の「サウンズクリエーション」があったからだ。
この音楽番組、非常に硬派だった。それまでの音楽番組にありがちな司会者がいて出演者にインタビューするとか、曲前にくだらないMCが入るといった演出がまったく無い。タイトルが映し出された後、すぐに番組提供画面にJUNの文字。そしてJUNのCMが流れる。
このCMも他のCMと一線を画していて、モデルの女性は比較的露出が高い洒落た服を着て、石畳の街を歩いていたりして、非常に洗練されていた。ここにも余計なナレーションは無い。とにかくシンプル尽くめだった。
この番組は30分間で1組のミュージシャンを特集する。
スタジオライブが殆どだが、たまにライブ会場からのオンエアもあった。
もちろん番組内でもMCなどに時間は割かない。とにかく音楽を聴かせる演出なのである。
特にまだまだアンダーグラウンドな状況だった日本のロックやフォークに焦点を当て、生演奏が聴ける贅沢な番組だった(テレビ神奈川やテレビ東京は制作費が無いので、こういう変化球が得意である)。
ジョニー・ルイス&チャー、サンディー&ザ・サンセット、高田渡、斉藤哲夫などキー局で30分オンエアなんかしたものなら、プロデューサーの首がいくつあっても足りない。
でもこの尖り方が時代の音を掴んでいたとも言える。
矢野顕子の回は、バッキングはYMO+α。顕子の天真爛漫な歌声で「ごはんができたよ~」って歌う姿に反比例するかのように細野晴臣がつまんなそうな顔でベースを弾いているのが印象に残った。

そしてもうひとつ。
「パイオニア・ステレオ音楽館」
「サウンズクリエーション」と比べ、こちらはどちらかというとジャズ、フュージョンのミュージシャンが多かった。
高中正義やデビューしたてのカシオペア、テクノバンドのヒカシュー、プラスティックスといった時代の音が溢れていた。
平日の夕方6時から15分間の番組で、1週間の帯番組でオンエアしていた。好みのミュージシャンが出演するとなると勝手に部活を切り上げ急いで家に帰ったものだった。
この番組もCMは洗練されていた。パイオニア・ステレオの宣伝は高中正義自身が「ブルー・ラグーン」や「レディ・トゥ・フライ」を軽井沢かなんかのロッジの家で気持ち良く弾いているシーンが印象的。
また、パイオニアのカーコンポの宣伝はライ・クーダー。「ゴー・ホーム・ガール」や「ビッグ・シティ」が流れるとアメリカの乾いた映像が映し出され、一瞬にして荒野の雰囲気となる。
そして、まさに東京12チャンネルの隠れた名音楽番組「日立・サウンドブレイク」で紹介されるような映像がパイオニアのCMそのものだったのだ。
音楽の作り手からビデオクリップやMTVなどの映像が送出されるのは1983年あたりからだと思うが、「サウンドブレイク」は音楽プロデューサー毛利元海の選曲で独自の画像処理を行ない、雰囲気のあるビデオ作品を作り上げていた。そのセンスの良さは、売れ線で狙うレコード会社のそれとは一線を画していた。音楽が好きな人が作ったクリップと言えばいいか。
「パイオニア・ステレオ音楽館」は、小室等が司会を勤め、スタジオライブが主であったが、たまにライブ特集となると1週間の帯でライブ中継を行なうこともあり、たとえば高中正義の雨の日比谷野外音楽堂でのライブなどは、『T‐WAVE』(1980)を発表した頃だったので、ずぶ濡れになりながらもノリに乗った演奏をお茶の間に届けてくれた。
また、渡辺香津美、坂本龍一、矢野顕子、高橋ユキヒロ、村上PONTA秀一、小原礼などが在籍していたKYLYN bandのライブ特集など、「ザ・ベストテン」や「ミュージックフェア」では観ることのできない面子が目白押しだったのだ。

こういった番組は再放送とかしてくれないか・・・。著作権や肖像権の問題等あるのかもしれないが、テレビ局界の異端児であるテレビ東京(私はどうもこの名前が嫌いでね、東京12チャンネルと言いたいのだよ)ならやってくれそうな気がするのだが。

2015年9月5日
花形
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by yyra87gata | 2015-09-05 15:48 | 音楽コラム | Comments(4)

アンプラグドなレイラ

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 エリック・クラプトンのコンサートに行ったとしよう。
チケット価格は1万円を超え、一般人からすれば、中々手に入れ辛いチケットである。それでも何とか手に入れ、喜んで席に着く。
エリック・クラプトンを古くから応援し(この古くからというのが大事)、仕事とかで中々コンサートには行けなかったが、ようやく来ることができたという設定。初めての生のクラプトン!最高!ってな感じ。
クラプトンは颯爽と舞台に登場し、エレキギターを持ち演奏を始める。
今までレコードやCDでしか聞いたことがなかったクラプトンが目の前でプレイを始めた。
もうそれはそれは興奮状態になる。
そこにヤードバーズやクリームは観ることができないにしても、生のクラプトンが目の前で歌っているわけ。でもって、渋い顔してブルースかなんかを弾いて・・・。そんでもって「ワンダフルトゥナーイト・・・」なんて甘い声で歌われると一緒に行った彼女(奥様?)なんてしびれてしまう。良い雰囲気だ。

 クラプトンはエレキギターをアコースティックギターに持ち替えた。
「ティアーズ・イン・ヘブン」や「チェンジ・ザ・ワールド」といったヒット曲を演奏。ロバート・ジョンソンを彷彿とさせるトーキングブルースも披露。会場は大盛り上がり。ヤンヤヤンヤ。
そして、拍手が鳴り止まぬうちにマイナーコードのイントロから歌が始まる。そして歌いだす。

What'll you do when you get lonely And nobody's waiting by your side?

出た!「レイラ」だ! そしてこの言葉の後に続く心の言葉は「こっちかぁ~!」

クラプトンは淡々と切ない男の心情をアコースティック・ヴァージョンで歌い上げる。それは、もう演歌のノリ。

Layla, you've got me on my knees.

のLayla!は叫び歌い上げて欲しいのだが、アコースティック・ヴァージョンは「れいらぁ~っ」って下がってしまうわけ(文字にしても全然伝わらんな)。
会場に響くため息の数々。(いや、もちろんアンプラグドなレイラが好きな人もいると思うが・・・)

 『アンプラグド』(1992)から聴き始めたクラプトンファンならわからないでもないが、古くから聴いているファンの大半は来日公演の演奏であれば、ロックな「レイラ」に期待をかけているのではではないか。
もちろん『アンプラグド』はグラミー賞を総なめにした名盤であるから、古くからクラプトンを応援しているファンは再アレンジを施された「レイラ」を聴いて満足している人も多いだろう。もちろん好き嫌いの話になるので正解は無いが、たまに日本に来るクラプトンを観に行く往年のファンの大方はロックなレイラが聴きたいのではないか。
1990年代初頭から始まったアンプラグド・ブームに乗って、その時限りの企画モノであればまだ良かった。しかし、まさかこんなに長い期間演奏されていることに私は驚くばかり。

 コンサート会場は静かにレイラの演奏が終わった。
クラプトンはアコースティックギターからエレキギターに持ち替え再びビートのある演奏に戻る。
みんなの頭の中・・・こっちの演奏で「レイラ」も聴きたかったなぁ。アンコールでやってくれないかな? なんて。

 さて、この「レイラ」。
先ほども書いたが、音楽は嗜好品だから好き好きがあってしかるべきだが、この「レイラ」はそもそも、もとの曲が大ヒットしているので、そのヴァージョンに思い入れがある人も多いはず。クラプトン自身もアコースティック・ヴァージョンは歌いまわしも少々変えているので全然別物として捉えてられているというのが本音かもしれない。同じ歌でもビートが変われば解釈も変わる。
「若さ」でロックビートの中、叫び続ける。
「老練なおっさん」がゆったりしみじみと、呟く。
やっぱり違う歌だよ、これ。

 私も長いことクラプトンのコンサートを見てきているが、「レイラ」はアコースティックでやられるとガッカリする。そもそもアコースティックのクラプトンが好きじゃないというのもあるのだが(古いブルースカバーは良いかななんて思うときもあるが・・・)、レイラは違うだろって感じ。
だから、もし、アコースティック・ヴァーションを演奏するなら、ロックな「レイラ」も演奏してくれということだ。

あ、何で今更こんなこと書いているかって?
Youtubeでたまたまクラプトンがアコースティックのレイラを歌ってたから、思い出しちゃっただけなんだけどね。

2015年8月21日
花形
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by yyra87gata | 2015-08-21 10:58 | 音楽コラム | Comments(8)
  私は主にアコースティックギターを弾いているが、コンサートなどに行った時、ほとんどギタリストを見ない。同業者だから見るべきなのだろうが、あまり興味がわかず、アンサンブルの中で入ってくるリフや音色などを感じるだけで、弾いている姿などを見つめるということはしない。
そんな時、私はもっぱらベースとドラムを見ている。リズム隊のコンビネーションを観察するように見る。その中で、上手いか下手かの判断をするのが常だ。
派手さは無くともリズム隊ががっちりタッグを組んでいれば、音楽は上質なものになる。逆にテクニシャン揃いのバンドでもコンビネーションが悪ければバラバラの演奏になるか、その音楽を壊してしまうだけだ。
私はヴォーカルのある音楽が好きなので、ヴォーカリストを際立たせるプレイヤーが好きだし、そういうアレンジが好きだ。
  リードベースという言葉がある。ギターのようにフレーズを弾きまくるベースプレイヤーを指すが、その代表例はジョン・ウェットウィスル(ザ・フー)、ゲディ・リー(ラッシュ)、日本では加部正義(ジョニー・ルイス&チャー)など。少人数編成のバンドのベーシストに多く、3ピースでいうところの和音楽器であるギターの音の幅を広げるため、裏メロなどを弾きまくるベーシスト。それはあたかもひとつの音楽の中にもうひとつの音楽を作るかのようにベースラインが生きる。私はそんな音楽が昔から好きだ。
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  以前コラムで紹介したが、私のスマホにダウンロードしてある2曲のうち(1曲は吉田拓郎「流星」アレンジが秀逸)、もうひとつの曲を紹介したいと思う。
 松原みき「真夜中のドア~Stay with me」である。1979年発表で、前述の「流星」も同時期の作品だ。私は14歳、中学3年生だった。
「流星」を紹介したときも述べたが、当時の私が曲を判断する基準はアレンジだ。当時、私はエレクトーンを小学校低学年から続けており、とにかく曲を聴く際、アレンジを重視していた。
エレクトーンはメロディ、コード、ベースと3つの音を1人で演奏する自己完結型の楽器で、演奏の滑らかさも去ることながらアレンジ能力が問われる楽器だ。だから、音楽の聴き方も自然とそうなってしまったのかもしれない。
  さて、この「真夜中のドア~Stay with me」(作詞 三浦徳子、作曲 林哲司、編曲 林哲司)だが、この作品は日本のシティポップのセンターラインを行く作品で、林哲司の初期の作品である。林は80年代以降アイドル歌謡からポップスまで幅広く作品を発表し、日本を代表する音楽家となっていく。
私がこの作品に着目した点は、中学生の私でもわかる曲の流麗さと映画音楽を聴いているような心地よさがあったこと。低音から高音まで自然に伸びるヴォーカルの豊かな表情。
歌心を感じさせるベースラインの妙。我慢して我慢して、最後に昇華するギターソロ・・・。
ポイントをあげていくと数十項目にも及ぶ。
そして、当時はあまり理解できていなかったかもしれないが、三浦徳子の描くドラマのような歌詞は読み返すだけで男と女の関係性が端的にまとめられているのだ。

  ラジオから突然流れてきたこの曲。当時の私はサビの部分だけが頭に残り、脳内でヘビーローテーションとなった。そして、時を待たずしてシングル盤を購入。前述にあるような曲の解析を始めた。
「真夜中のドア」は、キャロル・ベイヤー・セイガーの「イッツ・ザ・フォーリン・ラブ」のアレンジに似ていると話題になった。その歌はそもそもマイケル・ジャクソンの大ヒットアルバム『オフ・ザ・ウォール』(1978)に収録され多くの人に知られていたが、この頃のAORはどれも似たり寄ったりのアレンジで、所謂トレンドだった気がするし、「真夜中のドア」の方が演奏も緻密で、歌詞の醸し出す雰囲気を十二分に表現していたと思う(当時はそんなに歌詞については解析できるほど大人ではなかったが・・・)。少なくとも当時の私には「真夜中のドア」がすんなり入ってきたのだから誰がなんと言ってもしょうがない。
  演奏については、申し分ないメンバーが揃っている。渋井博(Key)、穴井忠臣(Per)、林立夫(Dr)、松原正樹(G)、後藤次利(B)、数原晋、村岡健(Horn)。
約35年前の演奏だから、彼らも20代~30代。ノリに乗っている時期で、演奏に凄みさえ感じる。特に後藤次利のベースは際立っている。文頭にも述べたがベースフレーズが歌いまくっている。彼もリードベーシストと言ってもいいだろう。そんな彼の秀逸なプレイは、「真夜中のドア」にはシングルヴァージョンのほかに存在するオルタネートヴァージョンで余すことなく確認できる。曲中でオフリズム後、ベースとヴォーカルだけになるパートがあるのだが、そこで演奏されているデュエットが圧巻なのである。次利のベースは松原みきのヴォーカルを上手く押し出しつつ、主張する。この頃の次利はBCリッチのイーグルベースを好んで使用していたのでフェイズがかった音色も彩を加えている。とにかく短いフレーズの中でベースが歌っているのだ。
  そして、松原正樹のギター。歌の初めから控えめなカッティングに終始していたギターはエンディングのリフレインでカッティングからリズムを刻みながらフレーズに化けていく。松原正樹の指が指板を踊る。ES335特有の粘りのある響きがフェードアウトしていく音の中で印象的なフレーズを主張するのだ。決して現代の打ち込みではできない空気感がそこにある。松原正樹はユーミンや松山千春、さだまさしなどといったニューミュージック系のアーティストから歌謡曲全般までオールラウンドのギタリストであるが、「真夜中のドア」で聞くことができるフレーズは彼と言うより、日本のポップスを代表するフレーズと言っても過言ではないと思う。
  林哲司のアレンジの特徴は、ドラマチックに見せる音のつなぎ方に尽きる。アクセントの持って行きかたなど独特の林ワールドが存在する。
当時の歌謡曲やポップスアレンジで、タメという概念はあまりなかった。しかし、林はここぞというサビの前にタメを多用したのだ。リズムを落とすタメはそれまでの流れを一瞬止めてしまうためグルーヴを失うというリスクを孕んでいるが、演奏技術が整っていればこれほど効果的なアクセントはない。
「真夜中のドア」でもサビ前にスネアの2連打ち×2回というタメが使われている。このタメがこの作品の真骨頂と言ってもいいだろう。このドラマチックなアレンジに私は参ってしまったのだ。
同時期に竹内まりあの「セプテンバー」も林作品としてヒットしたが、同じフォーマットでヒットしていることから、聞き手に確実に入ってくるアレンジとして確立したものであると中学生ながら私は確信した記憶がある。
だから、私の作る歌にはこのタメを入れることが多い(笑)。

  松原みきは残念なことにもうこの世にはいない。2004年に子宮頸がんにより逝去している。44歳という若さである。本当に美しい人だった。
一度ライブを見たことがあるが、ハスキーボイスでコケティッシュな印象。決して声量があるわけではないが、父親がジャズミュージシャンと言うこともあってか、雰囲気のある女性だった。

「真夜中のドア」は気が向くとすぐ聞けるようスマホに入れたが、気が向きすぎて1週間に3回は聞いている。
そういえば、この歌のせいで私はスタジオミュージシャン好きになったのかもしれないと今思った。

2015年6月23日
花形
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by yyra87gata | 2015-06-23 18:13 | 音楽コラム | Comments(2)

ファイティング80's

1980年を境に前後3年間。
日本の軽音楽が一般に認知されていった頃のこと。
それは、テレビというメディアに歌謡曲以外の音楽が殴り込んでいった時期で、テレビCMソングに至っては、こぞってロックやニューミュージックと呼ばれたジャンルのミュージシャンを採用していた。
70年代後半はキャンディーズが引退しテクノが流行、山口百恵がマイクをそっと置いたのはちょうど1980年。聖子や明菜、キョンキョンなどといった歌謡曲の新しい波が80年過ぎにデビューしたが、そこには70年代の職業作家は影を潜め、ユーミンやはっぴいえんどの4人が作家やミュージシャンとなりヒットチャートを席巻していた。新しいタイプの歌謡曲が新しいタイプのアイドルを生んだのだ。
70年代のアイドルをパロディのようにキョンキョンは「なんて言ったってアイドル!」と叫んだことが新しい時代の象徴だった。
さて、そんな音楽の流れが変わり始めた頃、東京キー局では「ザ・ベストテン」「紅白歌のベストテン」「夜のヒットスタジオ」「ミュージックフェア」などの音楽番組が全国に発信していたのに対し、関東地方局からは非常に尖ったプログラムが毎週放送されていた。

 高校時代、よく足を運んだ場所に蒲田の電子工学院ホールがある。
テレビ神奈川制作の「ファイティング80’s」の公開録画を観るためだ。
時は1980年〜1982年の3年間。
当時「ファイティング80’s」に出演していたミュージシャンは、日ごろライブハウスなどで日の光を目指し、チャンスを掴もうとしている者ばかりであった。もちろんロック界フォーク界でのベテラン組も出演していたが、時代的にまだ彼らの音楽は東京キー局からの発信が皆無に近かった。所詮主流の音楽ではなかったと言うことだ。

番組の司会は、宇崎竜童。気さくに接するその振る舞いに、出演するミュージシャンの良い兄貴分に見えた。番組の前座は決まって新人の佐野元春の「アンジェリーナ」。スプリングスティーンみたいな雰囲気で、早口のロックを歌っていた。

「ファイティング80’s」の前身番組で宇崎の言うことをいつもボンヤリ聞いて、小さな声で毒づいていた清志郎。だけど、放送開始1年後には「雨上がりの夜空に」で大ブレイクして公開録画の競争率が上がったこと。シーナ&ロケットやザ・モッズ、ザ・ロッカーズといった「めんたいロック」を知ったのもこの番組だった。
印象に残る出演者は、デビュー当時のサザンオールスターズ…大学生が内輪受けのバンドをやってますといった感じで桑田はいやらしい腰つきで歌っていた。
岡林信康が出たときはびっくりした。ロックバンドを率い、「Good Bye my darling」って歌っていたが、はっぴいえんどをバックに歌っていたときと違って、なんか生ぬるいロックだった。宇崎のことを「先生、先生・・・」って呼んでいたが、そのあとで「先生って言われているやつにロクなやつはいないんや」なんて毒づいていた。

ジョニー・ルイス&チャーはふらっと現れて、ガンガン演奏して、何も言わずに帰っていく・・・そんな着流し的なロック兄ちゃんが格好良かった。

「ファイティング80’s」では様々なアーティストが出演した。
ロックがサブカルチャーから本筋に移行する時代・・・つまり、ロックが儲かると判断され、レコード会社や事務所、代理店が金をかけ始めた時代にこの番組はロックの見本市の様相を呈していた。
この番組から巣立ったアーティストも多い。
しかし、その中で宇崎率いるダウンタウン・ファイティング・ブギウギバンドだけは尖っていた。
コマーシャルに走らず、言いたいことを言い放つ。
そこには情念、哀歌、憂歌、欲望、裏切り、劣情、刹那、昇天・・・そんな世界が繰り広げられる。
宇崎のもつ作品のパワーと何の後ろ盾もないバンドの生の音が木霊していたのだ。

売れるためにキャッチーな言葉を選びながら誰もが口ずさめる音楽・・・そんな世界とは無縁のバンドであった。
ダウンタウン・ファイティング・ブギウギバンドはこの番組の終了と供に姿を消していくのだが、こんなバンド、今後絶対出ないだろう。

「ファイティング80」でオンエアした数々のバンドの映像は後にDVDで発表された。
アーカイブ的な発表の仕方だったが、懐かしむだけでなく、映像からは当時の息吹が感じられる。
撮影技術も音声も決して良くはない。ライティングも稚拙で妙に暗かったりもするが、その空間で呼吸するバンドやミュージシャンの勢いは、補正されて制作された音楽ビデオとは一線を画すものだし、そんなものと比べること自体ナンセンスだ。
「ファイティング80’s」・・・私の宝物である。
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2015年4月28日
花形
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by yyra87gata | 2015-04-28 22:37 | 音楽コラム | Comments(2)

音楽で世界が変わるか

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 私は桑田が嫌いだから彼が何をやってもダメなので、極力彼を見ないようにしているし、サザンが好きな人とは極力その話題をしないようにしている(だいたいにおいて、サザンのファンと心が通いあえないから、そんな話題すら出ないが)。
昨年末もNHKの「紅白歌合戦」を最初からしっかり見ていたが、突然、桑田のちょび髭が出てきた時に、我が家は一斉にトイレ休憩となった。
そう、見たくないものは見なければいいという安藤ミキティの言葉ではないが、その通りにした。但し、ちょっと我に帰るとNHKは放送法という名のもとに受信料を徴収しているから、只で見ることができる民法とはわけが違う。嫌なものは見なければいいのだが、金を払っているという点でちょっと不快になったが、いちいち人の好き嫌いをNHKが汲むはずも無いので、最大公約数的に考えてのキャスティングなんだろうと自分を納得させた。
ちょっと長目のトイレ休憩を経て家族が再びTVの前に集まった時にはサザンのサの字も無く、平穏に最後まで見ることができた。

 さて、ここから新年を迎え、「初日の出を」など、とめでたい時分になんともネットが騒がしいことに気づく。
「桑田が紅白でやらかした!」「反日?」「ピースとハイライトの歌詞が秀逸」・・・。
ああ、また彼特有の悪ふざけが出て、それに賛同する群衆たちに辟易。ちょっと不愉快に。
風刺をこめたパフォーマンスなのだろうが、それを国民的な番組で演奏してしまう彼のエゴイズムに少し反感を覚える。
今回の紅白はそもそも「みんなで歌おう」なんていう企画だったと思うが、そんな歌みんなで歌ったら世も末だ。
ま、長渕も明菜も新曲を歌っていたので「みんなで歌おう」もクソもないから企画自体がポンコツなのだが、NHKも受信料を取っているから日和見になって、結局この有様だ。
なんでも、今回の紅白は過去最高のクレームの数だったとか。そりゃそうだ、誰に対して見せているのか・・・ジャニーズとEXILE一派とAKB一派の集まりに、申し訳なさそうにJPOPや演歌や歌謡曲がチョコンといる感じ。なんとも「これが今の日本の音楽です!」と言うにはあまりにもお粗末。
紅白の出場基準なんてあってないようなものと言われても仕方ないだろう。

 そんなこんなで、とても不快な新年を迎えたので極力ネットにも目を向けず、自分からも発信せずにいたが、今日の朝のニュース。
また、私の嫌いな桑田がやらかしたようだ、
 彼は昨年、国から勲章を授与されている。紫綬褒章である。紫綬褒章とは、科学技術分野における発明・発見や、学術及びスポーツ・芸術分野における優れた業績等に対して表彰されるもので天皇との拝謁もある。
その勲章を例の紅白の時の年越しライブで客に披露した。しかもケツのポケットから取り出してチャラけたコメント(天皇の物真似)まであったようだ。

 これは、少しふざけ過ぎだ。
私は国粋主義者でも右翼でも無いし、天皇崇拝者でも無いが、日本人としての意識はある方である。
少し前に反日運動ということで、隣の国で日の丸が燃やされた時は、驚きと共に心底その国々に嫌悪感を抱いたものだった。
その国々の人間が多く日本で商売をしている中、そんなに嫌なら日本に来るな!とまで思った。

 桑田の行動はそれに近い。
茶化すなら、最初から勲章なんて貰わなければいいだろう。拒否することだってできる。
今の日本に対してのテーゼがあるなら他の方法だってあるだろう。
日本という国が決めたことを受け入れたのなら最後まで筋を通すべき。
そもそもブログやFacebookのネタ作りのために勲章を貰ったのなら別だが、彼はきっとそんなレベルなんだろう。
 1965年、ジョン・レノンはエリザベス女王から勲章をもらったが、その4年後、イギリスの軍事介入や戦争をしているアメリカを支援していることに異を唱え、それを返還している(裏読みではビートルズとの決別という見方もあるが)。
筋を通すということはこういうことではないか。

 音楽的に桑田は優れていると言われているが、そんなことはどうでもいい。人間性を疑う。

 社会風刺を行なうということは、本来ロックの持ち味である。そこを攻めているわけではない。風刺に異論を唱えるなどという無粋なことはしない。さもすると、生ぬるいポップスだけで満足している今の日本の音楽の方が異常なのかもしれない。桑田はその発表の仕方を間違えたのではないか。 いや天然かもしれない。
ついでに言えば、そんな人が歌う歌で世界なんか変わらないし、世の中そんなに甘く無い。

歌は文化であって武器ではない。

 もし、本当に歌で世界を変えるなんてことを考えているなら、ボブ・マーリーを思い出して欲しい。当時武力対立していたジャマイカの人民国家党とジャマイカ労働党。ボブ自身も抗争に巻き込まれ重症を負う狙撃にもあった。
しかし1978年、彼は自身のコンサートで2つの党首をステージ上に招いて和解の握手をさせている。
握手をし、笑顔のバックにはジャマイカのレゲェが高らかに鳴り響いている。

それくらいの気持ちでやらなければ、ただの歌いっぱなしだよ、桑田くん。
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by yyra87gata | 2015-01-07 17:16 | 音楽コラム | Comments(0)

「流星」 吉田拓郎

 私のiPhoneにダウンロードされている曲が2曲ある。
そのうちの1曲は吉田拓郎の「流星」である(もう1曲はまた別の機会に紹介する)。
なぜ私がこの曲をダウンロードしてまでiPhoneに入れ、いつでも聴くことができるようにしているか。
単純に好きだからなのだが、単純に楽曲が好きということもさる事ながら、この作品、私のアレンジの基本となっているのだ。
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 「流星」は想いを馳せる男と流れる星の儚さ、そして男の内省的な部分を拓郎の朴訥としたヴォーカルが重く、ドラマチックに仕上がっている作品である。
そして、歌詞も抽象的な表現が多く、歌詞だけをただつらつらと目で追っていってもなかなか意味が通じない。しかし、それが詩的であり、男の呟きとも取れる内容だが、ミディアム8ビートのグルーヴで聴くとグッと胸に入りこんでくるのだ。
アレンジャーは鈴木茂。
ピアノとハモンドが随所に印象的な響きを奏でる。松任谷正隆の真骨頂である。
また、ストリングスを多様したサビへのブリッジは、楽曲をドラマチックに盛り上げており、非常に参考になる手法だ。
 鈴木茂による8小節のギターソロがあるが、このソロが秀逸。トリッキーなプレイはひとつもなく、伸びやかにメロディアスなフレーズが駆け巡る。
流れるようなストリングスをバックに、時に呟き、時に吠える拓郎のヴォーカルも秀逸である。
「流星」は、拓郎のペンによる歌詞。明らかに彼の生活が切り取られている。
ここで、全ての歌詞の解説は無粋ではあるが、明らかに1度目の離婚劇とたったひとりの娘を想うひとりの男の姿が読み取れる。
そして拓郎らしい歌詞が随所に見ることができる。
「静けさにまさる 強さは無くて 言葉の中では何を待てばいい」などは緊張感のある空気感を表現し、その後の「たしかな事など 何も無く ただひたすらに 君が好き」につながる。
これは前妻のことか愛娘のことかは不明だが、明らかに男の想いを表現している。
2番ではあることでつまずいた男は孤独と共に星を数える男になる。
「心をどこか 忘れもの ただそれだけで つまはじき」とあるが、
「幸福だとは 言わないが 不幸ぶるのは がらじゃない」と強がる。この切り返しが女々しくならない男の歌なのだ。
 非常にメロディアスではあるが、強い意志を持っている歌詞なので、そのギャップが心地良く、ただ黄昏れるだけでなく、そこに自問自答しながら前に進んでいく。
 詞、曲、アレンジ、歌唱・・・どれを取っても非の打ち所がない。
優しさの表現が稚拙になり、日記みたいな歌詞ばかりの昨今、男らしい歌が少なくなった。
高倉健が死んだ時、ふと「流星」が頭に響いた。
だからつらつらと書いてしまった。


「流星」
たとえば僕がまちがっていても
正直だった悲しさがあるから……流れて行く
静けさにまさる強さは無くて
言葉の中では何を待てばいい……流れて行く
たしかな事など何も無く ただひたすらに君が好き
夢はまぶしく 木もれ陽透かす 少女の黒髪もどかしく
君の欲しいものは何ですか 君の欲しいものは何ですか

さりげない日々につまずいた僕は
星を数える男になったよ……流れて行く
遠い人からの誘いはあでやかで
だけど訪ねさまよう風にも乗り遅れ……流れて行く
心をどこか忘れもの ただそれだけでつまはじき
幸福だとは言わないが 不幸ぶるのはがらじゃない
君の欲しいものは何ですか 君の欲しいものは何ですか

流れる星は今がきれいで ただそれだけに悲しくて
流れる星はかすかに消える 思い出なんか残さないで
君の欲しいものは何ですか
僕の欲しかったものは何ですか
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2014年12月25日
花形


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by yyra87gata | 2014-12-25 18:29 | 音楽コラム | Comments(2)
 ゆず、コブクロ、ケミストリー。ポルノグラフィティーとB’zは男性デュオって感じではないね。「ユニット」って呼び名が今風か。そう、今回は男性デュオの話。
70年代~80年代にかけて男性デュオは少なからず存在した。要は男性2人でコーラスワークができるグループということ。
・オフコース・・・最初は3人でスタートしたが、小田と鈴木のコーラスは高度であり、緻密であったがセールスには結びつかず、結局、時代の流れでバンドにしてようやく売れた。
・グレープ・・・さだまさしがいて「風」と並んでセールス的に成功したデュオ。
・バンバン・・・もともとは4人で活動していたが、デュオになり「『いちご白書』をもういちど」をヒットさせた。「縁切寺」もヒットしたが両作品とも他人のペンによるもの(「『いちご白書』をもういちど」は荒井由実、「縁切寺」はさだまさし)。ワンヒットワンダーの典型。
・風・・・正やんのシティポップなセンスと大久保さんのフォーキーな感じがよくブレンドされていたが、いつの間にかいなくなっちゃった。
・ふきのとう・・・山木のコーラスは3度上の音をオクターブ下にしてハーモニーをつける独特のコーラスワーク。
・チャゲ&飛鳥・・・今年とても話題の人がいて、「SAY YES」って言ってパクられた。
・雅夢・・・愛はかげろう・・・この人たちもかげろうになった?
・H2O・・・大人の階段を上ったら何処に行っちゃったんだろう、この人たち。
ということで、みんないなくなった。
 だがしかぁ~し!
ひとつ重要な男性デュオを忘れてはいないか!
そう、ブレッド&バター・・・岩沢兄弟だ(堂本兄弟も終わっちまったか)。
1969年のデビューから2014年までに41枚のシングルと24枚のオリジナルアルバムを発表。スティービー・ワンダーから作品の提供を受け、日本の有数なミュージシャン達と交流があり、今なお現役のデュオである。
ま、現役で言えば「ビリーバンバン」という菅原兄弟もいるが、今回は岩沢兄弟!
ちなみに「ビリーバンバン」ってもともと3人組みだったけど、途中で1人脱退したわけ。その人ってパーカッション担当だったせんだみつおだったのだ。ナハナハ。

さてと・・・。
メインボーカルの岩沢幸矢の声はハスキーである。若いときからこの声は変わらず、このハスキーボイスから奏でる音ことがブレバタの音である。ちなみに岩沢幸矢は今年71歳。先日彼の歌を聴く機会があったが、30年前に聴いた時と変わらない歌声であった。そして、弟の岩沢二弓もいつも兄を支えながらブレバタの音楽を作っている。
そして、この2人。神奈川・湘南に根ざした音楽活動ということで、アロハシャツに白いコットンパンツ、日焼けした健康的な肌。ひげを少々伸ばしながら、デッキシューズをつっかけて、もしくは1年中ビーサン・・・要はおしゃれなのだ。
湘南にはこういうチョイ悪オヤジがたくさんいるが、そのアイコンみたいな2人。みんな若大将みたいになりたくて、ギターも弾ければ、歌も歌って、料理もできれば、船もあって・・・そしてきれいな女の子がいっぱいいて・・・なんて。毎日バーベキューしてそうだもんね。ま、ブレバタがそうだといっているわけではないが、そんな雰囲気があるのですよ、湘南系のここら辺の人って。
 
 ブレバタの音楽だが、湘南系といわれているが実はよく聴き込むと実はアメリカンな音楽をモチーフにしており、それを日本の軽音楽にいち早く取り入れたデュオだった。だから、一応1969年にデビューしてるんだけど、デビュー曲が当時のヒットメーカーだった筒美京平の手による歌謡曲みたいな作品だったから彼らもやる気がなかったみたい。タイトルが「傷だらけの軽井沢」っすよ!湘南がいきなり長野県です、はい。
2人は当時のアメリカを経験していて、そのことがとても大きく影響していて、日本の音楽がいかに遅れているかを肌で感じたんだと思うよ。
で、世の中は四畳半フォークのブームとなっていくから、もっともっとブレバタの出る幕なんて無くなっていく。そんな時代背景の中、彼らの創作する音楽が受け入れられない状況でも彼らはポップ感が溢れた『IMAGES』(1973)を発表したが、セールスには結びつくはずも無かった。あったりまえ。

 それはそうとして・・・
ブレバタは何故商業的にそんなにヒットしているわけでないのに、45年も一線で音楽活動を続けられたのかということ。
確かに非常に評価の高い楽曲はいくつもあるが、ミュージシャンズ・ミュージシャンと言う感じで、一般人より玄人受けしているように見えますな。しかし、それだけで長く続けていけるのか?!
それはきっと、彼らが出会うミュージシャンたちが彼らの音を大事にしているのではないかと思いますですよ。
ここまで長いキャリアのミュージシャンって、何で食っていけるかといったら、金銭的な面より精神的な面が重要視されていて、本当に自然体で生きているんだろうなと感じます。
もちろん最低限の収入はそれなりにあるんだろうけど、そういう次元ではない気がする。
充実した音楽生活そのものが生きる糧というか。
そういう人たちにはポジティブな人も集まってくるだろうしね。
ブレバタの2人を見ていとホントにいろいろなミュージシャンに愛されている感じがするもんな。リスナーも一緒かもしれない。彼らの自由でのびのびとした世界観に共感し、それを支えているファンがいて、シングルヒットというような括りではない作品の認められ方があるのだと思う。
ブレバタの音は波の音がシンクロするし、郷愁のムードを醸し出すことにおいては、岩沢幸矢の声は唯一無二だと思うし。
 
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 私の好みは『IMAGES』のようなポップチューンだが、『Late Late Summer』(1979)という傑作アルバムははずせないでしょうな。ティン・パン・アレーやYMO、パラシュートらゲストを迎え、華やかな湘南風シティ・ポップスを聴くことができるよ。
マジで部屋の中が湘南になる。

2014年11月10日 花形
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by yyra87gata | 2014-11-11 08:39 | 音楽コラム | Comments(0)

雨の2曲

 梅雨である。湿気が多く、気分も落ち込みがちとなるこの季節だが、学生の頃は、雨の日に聞きたくなる音楽や「雨」という言葉のタイトルがついた楽曲をカセットテープに録音し、オリジナルテープを作って楽しんだものだ。
ビートルズの「レイン」やBJトーマスの「雨にぬれても」など鉄板ネタはいいとして、私が必ず選ぶ2曲の邦楽があった。
山下達郎の「レイニーウォーク」と矢沢栄吉の「レイニーウェイ」だ。この2曲、意外なところに共通点がある。
もちろん「雨の歌」と言うことだが、ともに1980年に発表されたこと。そして、2曲ともシングル盤のB面だったということ。
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 達郎の「レイニーウォーク」は大ヒットシングル「ライド・オン・タイム」のB面。矢沢の「レイニーウェイ」は「涙のラブレター」のB面だ。
ともにB面扱いであるが、私はA面でも良いと思うくらいクォリティは高いと評価していた。
「レイニーウォーク」はもともとアルバム『ムーングロウ』(1979)に収録された楽曲でアルバムの中でも特異な曲であった。
他の楽曲がストレートなロックやジャージーなナンバーであるのに対し、「レイニーウォーク」はシカゴ・ソウル風で異彩を放ち、この曲だけ演奏メンバーも変えられている。
一番わかりやすい例でいくとドラム。
『ムーングロウ』では、ロック系のドラムは上原“ユカリ”裕、ジャージー系は村上“ポンタ”秀一が担当しているが、この「レイニーウォーク」は高橋幸宏である。ベースは細野晴臣が担当していることからも、リズム隊としては重めというか湿ったビート、まさにレイニーなのである。
高橋幸宏のビートは跳ねない。ベタベタとした粘るビートであることから達郎はセレクションしたのではないかなどと想像しながら聞くと面白いものだ。
そしてこの曲、達郎のヴォーカルもほとんどがファルセット。
1979年当時、男のファルセットなんて認知もされていない時代によくもまぁこんなにソウルフルな楽曲を作ったもんだなと思ったものであった。
当時、私は中学3年であったが、ソウルチャートを追いかけ始めた頃だったので、この曲はアメリカの黒人ソウルシンガーが歌えばいいのにと思い、達郎のサウンドストリートに葉書を出したことがあったが、読まれもしなかった。
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 矢沢永吉の「レイニーウェイ」は、矢沢にしては地味なシングル「涙のラブレター」のB面。但し、この歌、ブラスセクションが豪華でライブ1曲目で取り上げられたこともあるくらいド派手な歌。1989年「STAND UP TOUR」や2002年の日本武道館公演のオープニングで使用され、チョー格好良い永ちゃんの登場シーンであった。
矢沢が歌う雨の歌は数多くあるが、とりわけこの「レイニーウェイ」は、ビートも重く、矢沢の泣き節が冴えわたる。
矢沢のヴォーカルは泣き声に近い。笑っていない。特に高音を絞り上げる際は顕著に現れる。
その泣き節に重厚なホーンセクション。雨というより雷雲という雰囲気である。
印象的なホーンのフレーズは頭に残る。
 ガツガツとしたギターカッティングや野太いベース。なんと矢沢自身がレコーディングしているとのこと。矢沢も思い入れもがある楽曲なのではないだろうか。ちなみにドラムのスネア音は段ボールを叩いたのだとか。今のように何でもサンプリングされた素材があれば何てことないが、1980年当時はこの段ボールの音がベストサウンドだったのだろう(ちなみに拓郎の「結婚しようよ」(1972)のスネアも段ボールだった)。
とにかく、矢沢の「レイニーウェイ」を聴くと身震いするというかなんというか。
こういう楽曲を作るミュージシャンって中々最近いなくなった。

 雨はシトシト降ったり、ドシャ降りであったり。季節によっても雨の情景は変わる。
五月雨、こぬか雨、9月の雨、氷雨、Hard Rain、Summer Rain・・・。タイトルだけ見ても面白い。
雨が降り、家の中で篭ってしまう時、雨の歌を探しながらレコード棚を探索するのも一考かと。

2014年7月8日花形
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by yyra87gata | 2014-07-08 13:37 | 音楽コラム | Comments(0)

SHINING SKY  TINNA

 空港に行き、全日空の飛行機を見るたびに思い出す歌がある。
1978年発表TINNAの「SHINING SKY」だ。1979年就航した当時最大の旅客機ボーイング747SR-100(スーパージャンボ)が就航するにあたってキャンペーンソングとして採用された歌で、CMには森繁久弥が機長の格好で登場していた。
さわやかな女性ヴォーカル(2人組)の透き通るメロディが青空にとける白い機体にマッチしていた。

 航空会社のCMソングは星のようにあるが、その中でもなぜ私がその曲を思い出すかというと、私が一番最初に乗った飛行機がこの機体で、しかも名誉なことに初就航の便だったのである。
当時私は中学3年生で、修学旅行のため羽田から熊本までこの便を利用した。興奮する我々はめったやたらと大きな機内を歩き回り、他の乗客から顰蹙をかっていた。加えて機長アナウンスでも「当機、スーパージャンボは今日から運行開始となりました」なんて我々を煽るから機内は大騒ぎとなった。
そして、機内には静かな音で「SHINING SKY」が流れていた。
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かかえきれない光を抱いて 空は空は希望の海
かかえきれない光を抱いて 青い世界へ
さあさあ 
SHINING SKY 見上げれば未来
SHINING SKY 見つめれば自由
SHINING SKY 青い空の果て
SHINING SKY はばたけ 心よ~♪

 SHINING SKYからのサビの部分は我々の大合唱である。それは迷惑な客だ。

 さて、TINNAだが、惣領智子と高橋真理子の女性デュオである。しかし、TINNAを語る上ではその前に作曲家であり編曲家である惣領泰則を紹介しなければならないだろう。惣領は第1回ヤマハポピュラーソングコンテストでグランプリを獲得し(第2回のグランプリは“赤い鳥”“オフコース”“チューリップ”の前身バンド“シンガーズフォー”が出場していた)、音楽界にデビュー。その後アメリカに活躍の拠点を移し高橋真理子とともにブラウンライスを結成。アメリカのレコード社とアーティスト契約を行ない、さらにミュージシャンズユニオンカードを取得する。そして、かのポール・マッカートニーから「Country Dreamer」という曲をプレゼントされたことも話題になった。知られざるグレートな日本のミュージシャンだったのである。
 日本ではあおい輝彦の「あなただけを」、シグナルの「20才のめぐり逢い」、海援隊の「贈る言葉」などの編曲を行なうことで頭角を現し、惣領泰則グループやTINNAへとつながっていくのである。
歌謡曲からフォーク、ニューミュージック・・・そしてJポップという変遷の中で「ニューミュージック」という曖昧模糊とした、それでいて郷愁漂う独特な日本の音楽は確実に存在し、一時代を築いたことは間違いない。その中で活躍した惣領泰則は隠れたミュージシャンズ・ミュージシャンであった。
 TINNAは活動期間も短く、バンドブームやインディーズブームなどに押され消えていってしまった。あの頃、 “ハイ・ファイ・セット”“ラジ”“松原みき”といったシティポップと呼ばれた音楽。現在では皆無となってしまったが、TINNAはその中でも実力派の女性デュオだったことは間違いない。

 そういえば、この「SHINING SKY」って歌、ニッポン放送のANA提供「ミュージックスカイホリデー」という番組のテーマソングでもあったんだ。だから、毎週日曜の23時頃になると私の部屋のラジオから流れていたから特段ヒットしていなくてもずっと私の心に残っていたのかもしれない。

2014/3/5
花形
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by yyra87gata | 2014-03-05 20:02 | 音楽コラム | Comments(0)