音楽雑文集


by yyra87gata

カテゴリ:音楽コラム( 112 )

 日本でハスキーボイスといえば、歌謡曲の時代から哀愁の声である。
酒に焼け、潰れかけた声・・・。演歌にもハスキーボイスは多い。そして、ブルースシンガーもハスキーボイスでなければならない。
ブルースの女王「青江美奈」しかり(古っ!)、内藤やす子しかり(古っ!)、もんたよしのりしかり(ひらがなっ!)
 ブルースや演歌の世界にはどこでも転がっているハスキーボイスだが、1980年代のお気楽なポップスシーンに突然現れた大沢誉志幸はそれまでのハスキーボイスのセグメントと異なっていた。それは、ファンクでありポップだったからだ。
 大沢誉志幸は1978年にクラウディスカイというバンドでデビューする。宇宙服みたいなコスチュームを着て、どうみても売れる要素はないただのロックバンドのヴォーカルだった。そして大沢はその後バンドを解散し単身渡米する。そこで1年かけて本場のファンクを体感している。
 帰国後、彼はアイドルへの楽曲提供とロックミュージシャンとの二足の草鞋の中、精力的に活動していく。しかし、作曲家としての彼の取り上げ方の方が多く、そこに注目されていった。
なぜなら彼の作曲法はそれまでの歌謡曲とは異なり、それがいつの間にか日本の軽音楽(Jポップって言葉、だいっきらいなんだよ)を変えていったからだ。
 例えばそれまでの歌謡曲は、Aメロ Bメロ サビ がひとつの塊となり、2番か3番まで同様に進んでいく。そのフォームに慣れた日本の流行歌たち・・・。
それはテレビの音楽番組におけるテレビサイズの作りやすさであったり、ラジオでのオンエアのし易さであったり。
歌詞も七五調や、いくつかの決まった字数で収められており、それが職業作詞家の作る作品であり、彼らの技量の一つとされていた。だから作詞家の作る歌詞は均一的で、字余りなどタブーだった。しかし、1960年代後半から若者が自分の言葉で歌を作り始め、新しい流れが流行歌を変えていく。字余りソングなどが登場してくるのである。
 また、作曲方面でも変化が見られた。
歌の構成上、1番や2番という概念(フォーマット)に囚われない歌の作りが登場してくる。そのことは、作り手の思いがより自由に表現されることとなり、1番と2番でメロディーが異なる歌も登場してくるのである。
但し、1970年代後半まではそれらは亜流とされており、「フォークだから」「ロックだから」「ニューミュージックだから」という形容がなされていた。
 相変わらず演歌は古き日本の歌のフォーマットであったし、アイドル歌謡も同様である。
そして、その方程式が本格的に崩れ始めたのが1980年代の軽音楽である。
特に大沢誉志幸の「そして僕は途方に暮れる」(1984)はまさにその代表だ。

 イントロからシンセの響きとエコーが掛かった空間系の音。そこにドラムビートはリズムとして存在せず、厳かに大沢のかすれたヴォーカルが重なる。

「見慣れない服を着た君が今出て行った・・・」

 この一行で2人の関係がすべてわかる。この情景描写は秀逸である。
時代の音はシンセのリズムのみでAメロBメロを走り、サビもなく2番に入る直前で突然スネアビートが響く。
起伏が無い歌かと思いきや大沢のハスキーボイスが静かなる起伏を作り上げていく。
そして、Cメロの
「あの頃の君の笑顔で・・・この部屋は満たされていく・・・窓を曇らせたのは何故・・・」の盛り上がりのあとの16小節におよぶ起伏のないシンセの響きが情景を作り上げていく。

最後は再び
「見慣れない服を着た君が今出て行った・・・」
で終わる。

 ブライアン・イーノのような環境音楽に大沢のハスキーボイスが絡むこの楽曲は明らかに当時の日本の軽音楽に一撃をいれた。
世間的にはカップヌードルのCMソングとして知られているが、これがTVから流れた時の衝撃は今でも忘れられない。これほど楽曲と詞の世界がマッチし、それまでのフォーマットを変えたものはないのではないか。
ハスキーボイスが厳かに歌い上げる魅力は新しい時代が生んだヒット曲なのかもしれない。
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2013年2月2日
花形
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by yyra87gata | 2013-02-02 00:35 | 音楽コラム | Comments(0)

リッチーVSゲイリー

 友達のM君は日本で売れ始めていたゲイリー・ムーアを毛嫌いしていた。彼はリッチー一筋。スキャロップド・ネックに加工された白いストラトを弾きながら屈伸運動にしか見えないリッチーのモノマネを彼はよく見せてくれた。
 僕はレインボーもゲイリーもそれほど違いがわからず、M君を相当がっかりさせていたのだが、ちょうどその頃発表された『コリドーズ・ オブ・パワー 』(旧邦題『大いなる野望』)(1982)は、なんかいいなぁなんて密かに思っていた。しかし、M君があまりにも毛嫌いするから、「ふーん。ゲイリーねぇ・・・。名前もあんまり良くないねぇ。ちょっと汚そうだし・・・」なんて話を合わせていた。
 M君は医者の息子。僕らは高校3年生。授業が大学受験シフトとなり自由登校になった瞬間、彼の家に悪~い友達がたくさん集まり朝から晩までぐちゃぐちゃな生活をしていた。
そこは、真っ昼間からデカイ音で音楽を聴き、エレキギターをマーシャルのアンプでかき鳴らすグループと、そんな騒ぎにはお構いなく麻雀に勤しむグループがひとつの部屋にひしめきあっていた。つまり、それくらい彼の部屋が広かったのだ。そして毎日のように、M君のリッチー教室が始まり、リッチー以外のギタリストはみんなタコになっていた(いやいや、M君はちょっと高崎晃に似ていたからラウドネスは許していたかなぁ?)。
 僕はそれでもゲイリー・ムーアの『コリドーズ・ オブ・パワー 』は意外と良かった、というようなことを言った時、M君は笑いながら「いやいやいや・・・どこがぁ?」なんて言うもんだから、「じゃ、何が悪いの?」的に聞き返すと驚くべき答えが返ってきた。
「ゲイリーって、こうじゃん!」
M君は両手でほっぺたをつまみながら、引っ張った。
「えっ?」
「だから、こうじゃん!ブルドックみたいじゃん。あんな顔でなに弾いたって格好良くないね!」
「えっ?じゃあMはゲイリーのアルバムは聞いたことないの?」
「ない!」
「ええええ!」
ってな会話をしたところ、さっきまで一筒を切ろうか四筒を切ろうか迷っていた(麻雀知らないと読み方すらわからんね)H君が、
「お前、いいかげんにしろよ、ゲイリー聞いたことねぇのに嫌いとか言ってんの?」と、ちょうど立つと腰の位置で雲海のようになっているタバコの煙を切り開きながら麻雀グループの中からやってくるではないか。
さぁ大変、そこから舌戦が始まり、挙句の果ては殴り合いの一歩手前まで発展した。(立直!)
リッチーVSゲイリー
最初のうちは・・・
「リッチーはロックだけにとどまらずクラッシックの要素も備え、スパニッシュギターの心得だってあんだぞ~!」
「いやいやゲイリーはアイルランドの厳しい社会情勢の中から現れた反骨のロックギタリストだぁ!」
「リッチーは60年代半ばではロンドンで売れっ子のスタジオミュージシャンで、様々な音楽に精通していて音楽の幅も広いんだ!」 
「ゲイリーは早弾きもすごいけどスローブルースを弾かせてもすごいんだぞ~!」 
といった会話が・・・。
「なんだあのハゲ!増毛しているんじゃねぇの。そんなロックミュージシャン知らねぇよ」
「ゲイリーなんてブルドッグみたいな顔しやがって。あんなブサイク、ステージに立つんじゃねぇ!」
「なにお!」
「なにおとはなにお!」
なんて具合になり、周りもこのアホらしい言い合いにどんどん参加し始めた。
「そもそもリッチーはわがままなんだよな。バンドメンバーをすぐにクビにしちゃうし・・・」
「ばーか!あれは妥協しない姿勢なんだよ。お前がリッチー語るの10年早いわ!」
「ゲイリーだってスキッド・ロウ、シンリジー・・・どれも長続きせんもんなぁ。人間的におかしいんとちゃうか?」
もう、めちゃくちゃな会話になっていった。
僕はどっちでも良かったんだけど、M君のあまりにも幼稚な理由に笑ってしまい、お前はどっちの味方なんだと凄まれる結果に。
しかし、けっこうみんなが口を揃えて言っていたことでミュージシャンについて好きか嫌いかという軸においてルックスってかなり重要なポイントを占めていたのには驚いた。女性アイドルならまだしも海外ミュージシャンをルックスで決めつけるなんてな・・・僕もしてたか!
そういえば、僕もハゲとチビとデブはダメだったんだ。しかもオカマのエルトン・ジョンだけは歌はいいと思うけど客の前に立つミュージシャンとして否定していたしな。あいつは作曲家になればいいと思っていたくらいだった。
 そんなこんなで、リッチーVSゲイリー戦争は勃発し、その後もいつも集まるメンバーの中では話題となり、その戦争はVヘイレンVS Mシェンカーになったり、ツェッペリンVSパープルになったり、バウワウVSラウドネスなんてのもあったなぁ。松田聖子VS小泉今日子の時は・・・もういいか。
受験が控えているのにこういったくだらないことを1日中だべっているんだから、暇人というかなんというか、なんとも言えない時間だった。ま、ある意味ディベートの訓練をしていたと思えば・・・なわけないか!
ただ、この論争について僕は一言だけ真面目に言い、みんながそれについてグウの根も出なかったということがある。
それは、どんなに速く弾けたってどんなにギターが泣いていたって、そのギタリストが後世に残るフレーズをどれだけ作ったのか、ということ。
僕の高校時代のリッチーVSゲイリー戦争について言うならば、その当時では圧倒的にリッチーの方が後世に残るフレーズを量産していた。ヴァン・ヘイレンとマイケル・シェンカーだったらヴァン・ヘイレンだろう。それは、テクニックじゃないのだ。作曲能力というか曲の完成度というか(ヒットソングというものでもない)。
そもそも芸術(曲の出来具合やテクニック)と商売(販売枚数)の関係が隣り合わせの世界の中で、演者に対して優劣を付けること自体が間違いなのだが、そんなこと当時の高校生に言ったって誰も理解することができない。そいつが格好いいか、悪いか。好きか嫌いかなのだ。
だから、終わらない論争に一石を投じた僕の言葉は座をしらけさせた。しかし、しらけたことイコールみんなそのことを理解したのだ。みんなは言葉遊びをしていたかっただけだったのか・・・。

 さて、ゲイリーの顔が嫌いと言ったM君。先日偶然にも彼に遭遇し、杯を酌み交わした。彼は立派な医者になっていた。リッチーの長かった髪もキレイに禿げ上がったそうだが増毛をしてかろうじて頭を賑わしている。そんなところも真似しているのかと聞くと真顔で「リッチーは増毛じゃないんだ。体質改善を行なってみるみるうちに生えてきたんだよ」と言うではないか。
「じゃ、Mは体質改善をしようと思わなかったの?」と聞くと、
「一度は試みたが、改善しなかったからこうやって増毛してるんじゃねぇか!」と笑いながら増毛剤を振りまく真似をした。
そこで、昔話の中でゲイリーの話をしたところ
「ああ、死んじゃったねぇ。ブルースアルバムではいいギターを弾いてたよね。『スティル・ゴット・ザ・ブルース』だっけ?あれ、いいアルバムだったのになぁ」
遠くを見つめる眼差しでエイヒレをかじるM。
「お前さぁ・・・ゲイリーのこと毛嫌いしてたじゃん。顔がブルドッグみたいだ、とか言って!」と僕。
「ああ、そんなこともあったな。あの時はリッチーしか見えてなかったからな。それよりゲイリー・ムーアは1987年に発表した『ワイルド・フロンティア』はいいアルバムって思ったよ。ちょうど大学生の頃でコピーもしたもんな。1990年に入ってからブルースギタリストになっちゃったからコピーなんてしなくなったけどね」
M君はいけしゃあしゃあと喋っている。
所詮こんなもんだ。でも、ルックスが嫌い(生理的に合わない)というマイナスポイントを覆すアルバム『ワイルド・フロンティア』はある意味凄いね。
『ワイルド・フロンティア』は急死してしまった親友フィル・ライノットに捧げられたアイリッシュハードロックの名盤。つまり、彼のアイリッシュとしての人生が凝縮したアルバムとも言える。そして、僕が高校時代から思っている後世に残るフレーズがこのアルバムにはたくさんある。
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2013年1月18日
花形
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by yyra87gata | 2013-01-21 11:56 | 音楽コラム | Comments(2)
 年末の大掃除として、我がレコード棚を整理しているとつくづく偏った音楽嗜好と思う。自分としては何でも聴く雑食を自負していたつもりだったが、いざ目の前のレコード達を見ると全然揃っていないジャンルがあることに気づく。
 それは最近のJ-POPやK-POPといった類のものではなく、私が学生時代に聴いていた音楽についてである。
そもそもジャンルなんてものはレコード会社が作ったものなので、そこに左右される必要は全くないのだが、私の中にヘビメタと呼ばれる音楽が無いのである。
ま、ヘビメタという定義もよくわからない部分もあるのだが(古いミュージックライフなんて読んでいるとツェッペリンもヘビメタであると書いてある。1975年頃)、もう少し詳しく書くと、1980年代~のウルサイやつ・・・。
 私の高校の頃に流行っていたレインボー(日本ではヒットソングよりその頃は、北海道のコンサート圧死事件で有名になってしまった)、マイケル・シェンカー・グループ(マジソン・スクエアー・ガーデンと間違えてた)、スコーピオンズ(へぇ、ドイツ人もこんなウルサイの好むんだぁ・・・)、アイアンメイデン(ニール・マーレーって本当にいろんなところにいるね)。それからそれから・・・デフレパード、オジーオズボーン、ヴァンデンバーグ、ラット、モトリークルー・・・ちょっと書ききれないが、そういった類のバンドたちをまともに聞いていないのだ。もちろん、商業的に成功したものは聞いてはいるが、そもそも聞き込んではいない。
それは多分その曲が流行っていた時の私の状況等で十分左右されるものなのかもしれないが、最初から聴く気が無いといったことも事実である。
では、なぜ聴く気が起きないか・・・。
それは・・・音圧の問題。
 ディストーションを3つ位つなげ、せわしなくリフを繰り返すギター。口ずさめない超高速のリードソロ。ドコドコとバスドラを連打しながらクラッシュシンバルとトップシンバルが交互に鳴り響くドラム。シンセサイザーがきらびやかに装飾し、地を這うベースがギターのようにランニングしている。そしてその地鳴りする音の上を高音のヴォーカルが浮遊する。歌詞を理解しようとしても難解なギリシャ神話みたいな内容かSon of a bitchみたいなとてもお上品な内容かに分かれ、結局この激しいビートを通じて何が言いたいのかよくわからないという結論に達してしまうことが多いからなのだ。そしてその重厚な音圧が眠気を呼んでしまい、2分もすると眠くなってしまう。だから、聴き込むこともできず(しようともせず)、自然と聞き流してきてしまったのだ。
これは、メロコアやハードコア、デスメタル等も同様。また、言葉遊びにしか聞こえないラップも自分のテリトリーにはない音楽文化で、マイクを斜め上に持って叫ぶ若者を見ると・・・私の聴く音楽じゃねぇな、と思ってしまう。
 もちろん、人には嗜好があるので、フォーク?ふざけんな!ブルース?かったりぃ!という意見もあるだろう。だが、私はヘビメタを決して否定しているわけではない。れっきとした音楽文化であることは認めるし、それを愛好するファンも尊重する。ただ、私にはそれを理解するだけの時間を要することができないだけだ。
但し、こういうこともある。
 私の周りではヘビメタ好きの人が何人かいるが、彼らの演奏はそれはそれで面白い。自分の聞かない音楽を友達というフィルターによって聞くことができるので、なんだか親和性も生じる。

ありゃぁ~すごい速く弾けるのねぇ・・・とか、
高い声が出るのねぇ・・・なんて具合。
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 因みに私は1987年発表の『ホワイトスネイク(サーペンスアルバム)』は名盤だと思う。
あれは、ヘビメタというジャンルなんだろうか?どうなんだろう。
このアルバムは大学時代に聞いて、それからずっと聴き続けている。
デビッド・カヴァーデールの説得力のあるヴォーカル・・・ディープ・パープルでは出せなかった味だもんね。
イアン・ギランと比べられちゃってね・・・。
ま、日本人はコブシが回る文化だからデビカバの方が聞きやすいと思うんだけどね・・・。
ま、いいか。
で、ホワイトスネイクの『ホワイトスネイク(サーペンスアルバム)』はヘビメタなんだっけか?

2012年12月27日
花形
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by yyra87gata | 2012-12-27 18:55 | 音楽コラム | Comments(0)

アコギでNight ふぇす

 
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 12月である。
今年もいろいろな音楽人とめぐり逢い、楽しい時を過ごした。
振り返ると毎月定例ライブであった「御徒町F」は幹ちゃんの引越しという一大事業があったため5月で終了。今年はライブ数が少なくなるな、と思っていたがなんやかんやで11本なので、毎月1本やっていたことになる。
6月以降は新橋や四谷、新大久保に歌う場所を移し、活動。刺激的な音楽人がたくさんいて、充実したライブが多かった。

 40代も後半になると仕事以外で人との出会いは少なくなる。スポーツクラブやゴルフの打ちっぱなしなど定期的に赴く場所がある方は、そこで顔見知りになり、言葉を交わしていくということもあるかもしれないが、この歳で仕事の傍ら音楽活動をしているとライブ本数も限られるので中々その機会も増えない。ましてや音楽なんて嗜好の世界であるから「合う」か「合わない」かという問題もある。ま、そんなことを考えず気楽に話しかけられるようなおおらかな人であれば別だが、いかんせん自分にそのような素養は無く、一人遠くから人の話を眺めている(それも全然苦痛ではないのだが)ことが多いと出会いなんか中々ありゃしない。
しかし、今年出演したライブでの音楽人との出会いは多く、素晴らしいものであった。
やはり演奏する音楽のセンスは、その人の内面を描くというか音に出るというか。
特に新橋ZZで開催されている「アコギでNight」は秀逸である。
ハッシーさんとたかこさんがセレクトしたミュージシャンはそれぞれの色を持ち、1回あたり5組の濃い音が心地良い空間を作る。
 私は数十年と様々なイベントやライブに参加、観覧などをしているが、こんなに飽きさせないイベントは珍しい。加えてミュージシャンシップにのっとった演者とそれに呼応する観客の関係も素晴らしく、会場が自然と音楽を聞く態勢を取る。至極当たり前の事なのだが複数参加型の、しかもジャンルも違うミュージシャンのライブでこのように参加者全員を好意的に向き合うという事自体、稀有なことである。しかし毎回この「アコギでNight」はその雰囲気なのだ。
これもお二人のプロデュース力、といつもながらひれ伏してしまうのだ。

 先日の12/8。真珠湾攻撃から71年。ジョン・レノン暗殺から32年経った日。新宿Crawdaddyで「アコギでNight」フェスが開催された。
お二人の温めてきたミュージシャン達をみんなに紹介したいという気持ちから数多くの「アコギでNight」チルドレンが集まり、大騒ぎした。
演奏時間は6時間近くに及び、感嘆、感動、笑い、癒し、和み、苦笑、驚愕、騒乱・・・様々なシーンが飽きることなく続いた。素晴らしい時間だった。
私も僭越ながら参加させていただいたが、どこかウッドストックにでも出演しているような気分になり、いや、中津川フォークジャンボリー?いや、箱根アフロディーテ?いや、ワンステップ?いや、つま恋?・・・、もうやめよう。

 イベントをプロデュースすることは並大抵なことではない。「知力」「胆力」「体力」が備っていなければできるものではない。そして最重要な「人脈」が無ければただの御用聞きになってしまうリスクもある。プロデューサーは無の状態から絵を描ける人。そして、その素養をすべて備え持つハッシーさんとたかこさんにエールを送りつつ、来年もよろしくね、ということで「アコギでNight」の私見を偉そうに書いたが、あくまでも私見なので、文句があるならコメントしてくれ。時と場合によっちゃ・・・謝るから(爆)。

2012年12月11日
花形
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by yyra87gata | 2012-12-27 18:31 | 音楽コラム | Comments(0)

ベースを探しています

 
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 長年借りっぱなしだった(というか、貸した方も忘れていて、最近使うことになったから思い出したように探し始めたとか・・・)リッケンバッカー4001を大学時代の先輩に返却した。都合7年位借りていたことになる。
その間に様々なライブに使わせてもらったから、非常に愛着のある楽器だった。
ここ最近では経年変化(老朽化)からペグの故障が起き、換装手術を行なった。当時のグローバーペグはすでに生産を中止しており代替え品となったが、しっかりマッチしてくれた。そもそも現行のリッケンのペグ穴は大きく、私の使用していたそれは若干小さいのだそうだ。いったい何年式のリッケンだったのか定かではないが、先輩の話を聞くと70年代の個体だそうだ。
つまり30年以上も前の電気楽器がネックも曲がらず、ちょっとしたメンテナンスでバリバリの現役だったのよ!先輩よ、電気楽器を7年もほったらかしにしていたらホコリやサビでノイズだらけのガラクタになってしまうのだぞ。私に感謝してほしい!なんて只で使って偉そうにしている・・・いや、只ではない。ま、私がこのリッケンに掛けたメンテナンス料なんてたかが知れているが(3万くらい)、借り賃ということとそれくらいの金をかけてもそれ以上の気持ちよさがあったので、良しとしよう(納得)。

 さてこれで我が家にベースが無くなってしまった。
但し、代替のリッケン・・・と思うと若干腰が引けることもある。
まず、4001はヴィンテージ市場でそこそこの価格がついているが(20万~40万)、中々私が弾いていた個体までのクォリティが無いのだ。
そして、リッケンは音が独特なのでどうしても音楽ジャンルを選んでしまうこと。こういったことを考えると、ジャズベースやプレシジョンといったスタンダードなモデルに目が行くのは自然な流れ。
しかし・・・他を寄せ付けないリッケンの佇まいは、孤高のベースという称号を与えてもいい位カッコ良い。
ピックでブリブリ弾くには最高なのだよね。ポールだってクリスだってロジャーだってゲディだってみんなブリブリ弾いてたよん。
そもそもリッケンを弾くベーシストって楽曲のルート音を追うというより、リードギターのように裏メロとか弾きまくっちゃう人が多いね。
しかも長尺だからタッパがある程度ないとカッコ悪いんだよな。だから、あんまり日本人は似合わないかも・・・リッケン弾いてるベーシストってあんまり見ないもんね。(遠い昔に後藤次利が弾いてたな・・・拓郎のバックで・・・って40年前だよ!)

ううぅ、やっぱりリッケン欲しいなぁ。それともジャズベかなぁ。スペクターも面白そうなんだよな。今、この3本で悩んでいます。昔ほど衝動的に購入することもできなくなったので、1本に絞らんとね・・・。

そうそう、こういう楽器を選んでいるときが一番楽しいかもしれないね。

って、俺、ベースなんて弾く予定全然ないのにね!

2012年10月24日
花形
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by yyra87gata | 2012-12-27 18:29 | 音楽コラム | Comments(0)

アナログ盤から想うこと

 
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 CDと違ってアナログ盤の音にはガッツがあります。歪むか歪まないかのギリギリで音が溢れますので、CDのように平均的にコンプレッションされていませんし、私は聴きませんがダウンロードの音楽のように更に圧縮された痩せた音などもってのほかなのです。
 昔、大学の先輩がジャズを聴くなら絶対アナログ盤に限ると言っていました。ノイズも音楽なんだよ、と。ロックもデカイ音で聴いてナンボです。だからそれらを理解している最近のロック歌手や往年の歌手は、限定でアナログ盤を発売しますものね。わかってらっしゃる…。
 電気メーカーの陰謀により(ステレオ販売が頭打ちになり、CDというメディアを創出し、CDプレイヤーを売ったんです。LDも同様)、アナログ盤は衰退し、基本的に無くなりました。レコード会社の親会社はみんな電気メーカーですかんね!
そんなそっち側の事情に振り回される我々リスナー。そして、音楽の作り手も手法の変更を余儀無くされます。だいたいCDに74分収録されるのが当り前になってきたから、どうでもいいような曲も入ることになるんです。売り手からすれば「お得感」を出しているつもりかもしれませんが、プレイヤーからしてみれば作品をたくさん用意しなければなりませんし(訳の分からん曲を量産することになる)、リスナー側としては1枚のアルバムを聴くにあたり、集中できる時間は45分~60分だと思いますよ。だから、私からするとお節介なんですよ。
要は最近のメディア媒体の発達?が、芸術家の才能をいじくり回しているとしか見えないのであります。CDもダウンロードもただのメディアツールですからね!
なんだかアナログ盤を聴いていたら、「そもそも論」って感じになってしまいました。
 先日、次女が英語のスピーチで人種差別について発表したいから何かいい素材は無いかと尋ねてきました。私は迷わずポール・マッカートニーのアルバム「タッグ・オブ・ウォー」を渡しました。そして、ご存知の「エボニー・アンド・アイボリー」を示しました。次女は歌詞の内容もさることながら、LPジャケットに感動しておりました。デザイン性、質感…そうです、昔はLPジャケットを小脇に抱え歩くことも一つの街の風景だったと思います。
 話がとっちらかっちゃいましたが、アナログ盤はいろいろな事を考えさせてくれます。アナログプレイヤーが無くて聴くことができないという方も大勢いらっしゃるでしょうが、でかいスピーカーで聴くクリームなんて、今のクラプトンしか知らない人は別人だと思うでしょうね。

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2012年10月15日
花形
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by yyra87gata | 2012-12-27 18:27 | 音楽コラム | Comments(2)

「Stay with me」の思い出

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 私が大学4年の頃のこと。
今ほど就職状況もきつくなく、企業を選ばなければどこでも潜り込めた1980年代後期。
私は音楽クラブの活動こそ3年生で引退し、個別にチョコチョコとライブやレコーディングに勤しんでおりました。作り貯めた作品を暇そうな友人、先輩、後輩と手当たり次第に声を掛け、譜面を渡してレコーディング!終了したら飲みに行く!という、とても分かりやすい生活をしていた時のことです。
私は学校がとても好きだったので、授業が無くてもぶらぶらと校舎内を歩いたり、江古田の街で昼間から酒を飲んで酔い覚ましに学校の中庭で昼寝をしているような生活を送っておりました。なんせ、授業の単位は3年ですべて取ってしまい、1年掛けて卒論を仕上げる計画を立てた超優等生だったので。・・・要は暇だったということであります。
私がいつものように所属していた音楽クラブの部室やキャンパスの中庭のベンチでギターをボロボロと弾いていると後輩たちが哀れみの表情で「活動すればいいのに・・・」なんて声を掛けてくれるのですが、そんな時私は「ボーッと見えるかもしんないけど、いろいろとこれからのこと考えてんのよ」なんて呂律の回らない口調で応え、失笑をかっていました。
(あれ?なんで4年でクラブ活動しなかったんだろう・・・?? ま、いいか)

 さて、わが音楽クラブの大きなイベントとして秋に開催される文化祭(我々は芸術祭・略して芸祭<ゲイサイ>と呼んでいた)のステージがあります。ま、教室をライブハウスに仕立て、朝から晩までバンドがひっきりなしに演奏するという至極単純なものなのですが、ライブ慣れしていないやつにとってみたら部員以外の方に初めて見ていただくという晴れの舞台というやつなので、みんな躍起になって猛練習をするわけです。私も1年生から3年生まで十分にその雰囲気を楽しみました。そんでもって、そんな後輩君たちを見ながら心の中で羨ましいなぁ、なんて思いながら彼らのリハを見学していました。
そんな時、2年下の後輩君がやってきました。
「一緒に出てもらえませんか。スライド弾いて欲しいんすよ!」
私は断る理由も無いので首を縦に振りながら、それでもちょっと気になることがあったので確認しました。
「引退したOBが現役と一緒に舞台に出たらまずいんじゃない?今までそんなの無いでしょ・・・」
すると後輩君・・・
「なーに言ってるんすか!今までのそんな慣習をぶっ潰してきたのは先輩じゃないっすか!そんなこと気にしてるんすか?いいんですよ、出ちゃえば・・・」
ほほぅ・・・。やっぱり引退すると保守的なるんでしょうか・・・。やっぱり現役君が羨ましい、なんて思ったりして。

 それから、後輩君たちとのリハが始まりました。
彼らのバンドは70年代ロックを演奏するコピーバンドで、パープルやツェッペリンなどの鉄板ネタを得意としておりました。私も歳の割にはかなり古い音楽を聴く方ですが、彼らも中々いろんな引き出しを持っており、よく音楽談議をしたものでした。そして、彼らが私と一緒にやるために選んだミュージシャンこそフェイセズでありました。バンド全員で決めたそうです。
フェイセズ・・・なんと懐かしい響き。
 実は私は高校時代にフェイセズのコピーバンドは何度かやったことがあって、それなりに知っておりましが、その分、フェイセズ独特のグルーヴを出す難しさも経験していたのであります。
ダルなリズムからいきなりタイトになり、スジの通ったヴォーカルが入ると世界が一変する。そして、メンバーが思い思いの演奏をしていてバラバラに聞こえているがいつの間にかそれが太いビートになって圧倒していく。そんなフェイセズのグルーヴはフェイセズ特有のものであって真似をしようにも中々それっぽく聞こえないのであります。
 ヘタウマという言葉があります。ビートルズやストーンズに良く用いられる言葉ですが、かれらは決して下手ではありません。どちらかといえばステージ慣れした上手なバンドであります。彼らは若い頃ハンブルグやロンドンのライブハウスで1日に何度も何度もステージをこなしたバンドですし、そんなバンドが下手なわけがありません。速弾きだぁチョッパーだぁといったテクニック面だけで捉えれば足りない部分もあるかもしれませんが、彼らの強みはそんなことより優れた楽曲とそれに合致したバンドサウンドのグルーヴなのであります。バンドのグルーヴはメンバーが生み出す奇跡であります。そこに集まったミュージシャンどうしが醸し出す奇跡なのです。そしてそれを手に入れたバンドはホンモノなのであります。お助けのセッションミュージシャンでは決して出すことができないものです。
 さて、フェイセズもそんなホンモノのバンドのひとつであります。その楽曲をやるわけですから異様な気合が入りました。後輩君のバンドは高校時代から続いている彼ら独自のグルーヴを持つバンド。そこに私の飛び入り出演。しかもグルーヴ重視のフェイセズ。
私はいろいろなフォーメーションを考えてリハに臨みました。
例えば、喜び勇んでロン・ウッドのギター(彼が実際に使っていた本物だよ。ESP製)を持ちだし、スライドをギュンギュン唸らせてみましたが、どうもいまいちの音。なんか細すぎちゃうのよね。ホンモノのフェイセズだったら合ったかもしれないけど、ドラムの後輩は今までイアン・ペイスやボンゾを叩いていたわけだからケニー・ジョーンズのリズムとは違うのよ。だから自分の音が軽すぎちゃって。
だから、このギターは却下!
でもって、またまた自分の悪い癖が出てきてフェイセズのカバーをするのにフェイセズに成りきってもしょうがないんだから・・・ということで、ギターをギブソンSGに持ち替えてデュアン・オールマンのようにもっと泥臭いプレイに徹したのであります。ははは。これだったらイアン・ペイス、ロジャー・グローバーのリズム隊に負けない。って、フェイセズやるんだよ!何でギターがデュアン・オールマンなんだ!って声が聞こえたけど無視しました。
 
 芸祭当日。彼らの熱い演奏が続き、私はステージ袖でビールなんぞを飲みながらエヘラエヘラと笑っておりました。
 70年代ロックのオンパレードでありまして、ヴォーカルはイアン・ギランになったりロバート・プラントになったり・・・。
でもってアンコールであります。
後輩君に呼ばれて舞台へ。
直接アンプにシールドを刺し、ブーンというノイズがやる気にさせてくれます。
後輩君は笑っていました。ドラムのカウントの後、ハモンドB3が唸りをあげてシャッフルビートの洪水の中で暴れまくります。そしてその激しい渦の中から後輩君のギターがゆっくりとリズムを刻み始め、それに合わせるようにドラムとベースが続きます。さっきまで髪を振り乱してハモンドを弾いていた後輩君も今は陽気なホンキートンクなピアノをプレイしています。私も目で合図しながらスライドバーをゆっくりと弦に当てていきました。
そしてヴォーカルが重なります。
In the mornin' don't say you love me, 'Cause I'll only kick you out of the door

おっ!ヴォーカルの後輩君。ペースを気にして歌い始めたね。リハの時、最初からぶっ飛ばすと痛い目にあってたからね。
さぁ、盛上げていこう!
Stay with me, stay with me For tonight you'd better stay with me!

1番と2番のブリッジにあるキメの3連フレーズ・・・これがまたロニーっぽいフレーズ。でも完コピじゃつまんないからこのバースのエンディングでオールマンの「スティッツボロ・ブルース」のようなフレーズを入れたらメンバーもみんな笑ってましたな。

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 リズムギターに徹してくれた後輩君。本当はリッチーでペイジな人なのに一生懸命ブギーのリズムを刻んでいました。そんで、その上で私は自由にスライドさせてもらいました。
演奏は10分以上も続き、最後は客を無視して自分たちだけで楽しんでたりして・・・。

 ステージ終了後、後輩と握手(あの頃ハイタッチなんてなかったんじゃないか?)。
客席で見ていた同期のOBが「オマエ、ずりぃなぁ」なんて言ってましたっけ。
で、同期のそいつは続けて「Stay with meって後輩がお前に伝えたかったメッセージなんじゃねぇの?」なんて言うもんですから、
「馬鹿言うな!Stay with meはスケコマシの歌なんだぞ!勘違いするな!」と言ったものの、もし彼らの気持ちが少しでもだぶってたらちょっと嬉しいな、なんて思ったものです。

音源があるかどうかは知りませんが、写真は残っています。ヴォーカルもギターも私もみんな笑いながらプレイしています。

今から20年以上も前のことですが・・・。
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2012年8月27日
花形
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by yyra87gata | 2012-12-27 18:11 | 音楽コラム | Comments(2)

1980年という年

 1980年という年は私の中でロックの終焉を迎えた年だった。
それは70年代と決別したという表面的なものだけでなく、事実としてあまりにも多くの不幸なニュースで彩られた年だったからだ。
 1月。いきなりポール・マッカートニーが成田で逮捕。日本公演はすべてキャンセル。ポール・マッカートニー&ウィングスは事実上活動停止となり翌年には自然消滅していく。
このコンサート・・・私は何度も何度も映画館に足を運び、映画『ロックショー』を瞼に焼き付けていた・・・私は行く予定だった。チケットの手配も親戚のお姉さんに頼み準備を進めていた・・・のに、だ。
その後の噂で、実はポールはもともと日本公演なんてやる気は無く、大麻でも持ち込まずにはやってられねぇ的なものだったんだ、とか。
実はあえて捕まるため=日本公演をしたくない=リハなんてほとんどやってないもんね・・・なんて軽い気持ちだった、とか。
9日間の拘留後、釈放の際に「日本で大麻所持はこんなに厳しいと思わなかった」とコメントした=なんで?大麻くらいいいじゃん、という気持ち。でも禁固刑まで話が行ったときはマジでビビッたけどね、とか。
相変わらずC調なポールではあるが、コンサートが中止になったことは事実で、そのために失望したファンはたくさんいる。ああ、ポールだからしょうがねぇな、なんて雰囲気はあの当時、絶対無かった。どちらかというと「信じられない」という気持ちとやっぱり欧米のミュージシャンはクスリ漬けなんだと思った。日本でも1978年あたりに芸能界大麻汚染なんてものがあって、みんな芋づる式にパクられた。日本での騒ぎのほとぼりも冷めたかなぁなんて思っていた矢先のことであったから、暗澹たる思いとなった。これじゃ、一生ジョンもポールもストーンズも見ることができないと思ったものだった(でも前年にボブ・マーリーがマリファナだらけのコンサートを中野サンプラでやってたからなぁ・・・案外大丈夫かな、なんて思うこともあった)。
で、ポールさん・・・真相はどうなんでしょ。1億5千万円の違約金を払ってまでも日本公演をやりたくないと言ってたのは本当なんでしょうか。さっさと金を払うよりもポール独特の洒落でありえもしない量の大麻を隠すことも無く持ち込んだゲームをしたのでしょうか・・・。
私は当時のミュージックライフを見るたびにウィングス観たかったなぁって思うのだよなぁ。
1980年。まず、ここからケチがついた。
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 夏になるといつもは全世界が浮かれるオリンピックも米ソの冷戦においてモスクワオリンピックは共産国大会になってしまう。ボイコットを決めた日本五輪協会の面々。スポーツと政治が絡んで、泣くのは選手だけ。ロックの終焉とは関係ないかもしれないが、世の中が歪んでいた一つの事象である。
9月。ピンクレディーがようやく解散したかと思いきや、いきなりジョン・ボーナム死亡の報せ。私はこの報せをラジオで聞いた。
FM東京の番組「サントリー・サウンド・マーケット」の中で、速報的に伝えられた。「レッド・ツェッペリンのドラマー、ジョン・ボーナムがオレンジウォッカの飲みすぎで死亡した」という簡単なコメントだったが、それを読んだDJのシリア・ポールがいつもの色っぽい声ではなく、無機質で抜け殻になったような声だったのを覚えている。
その後、ジミー・ペイジはバンド解散を決めるわけだが(12月)、ツェッペリンという大きなバンドが名物ドラマーを失ってどうなるかと言うのは私の高校時代の毎日の話題だった。
ザ・フーのように代わりのドラマーを入れるのか・・・いやいや、キース・ムーンが叩いていないザ・フーなど何の価値もない!・・・いやいやバンドとして続けていくことがすごいことだ。ストーンズを見てみろ!・・・なんて不毛な会話。
しかし、ツェッペリンの動力が消えたことは確かであり、みんなショックだったのだ。
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 12月。それはあまりにも唐突過ぎた。7時のNHKニュース、トップ項目。
「元ビートルズのジョン・レノンさんが・・・」
私は両親と食事をとりながらその映像をみていた。
母親が「ええーっ」という悲鳴に近い声を出したこと。私はその後、部屋に篭りレノンのレコードをすべて聞き直したこと・・・。
 その当時、ロックとかフォークとかレコード会社が決める所謂ジャンルはクロスオーバーしていて良く分からなかったんだが、ビートルズはビートルズだった。
ロックンロールでもハードロックでもフォークでもない。ビートルズだった。その中の1人が殺された。
レコードを1人聴きながら、今年は何て年だ!と思った。

大きなバンドがいきなり無くなった。しかもツェッペリンはヨーロッパツアーを終え、アメリカツアーに出る直前の事故。前回のワールドツアーはロバート・プラントの息子が幼くて急死するハプニングからワールドツアーが中止になった経緯もあるので、またしてもツェッペリンは旅の途中で炎上してしまったのだ。

レノンだってそうだ。
隠居生活からやっと抜け出し、『スターティング・オーバー』(1980)は意欲的な作品に仕上がっていた。タイトル曲はヒットチャートを上り始めた矢先の事件。
最愛の夫が目の前で射殺された。ヨーコの苦しみはいかばかりか。
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 ポールはウィングスとしては『バック・トゥ・ジ・エッグス』(1979年)でロッケストラ(ロックのオーケストラ版)という実験的な試みを行い、しっかりとウィングスの舵取りをしていたが、同時に行き詰まりも感じており、多重録音のソロアルバム制作にも入っていた。時代はテクノポップ全盛。ロッケストラはあまりにも前時代のもの過ぎたのだ(だってザ・フーとツェッペリンとピンクフロイドの面々が一緒に3コードのロックンロールをしてるんだから・・・)。
だから天才ポールが、多重録音でコンピューターミュージックに走ることも分からないでもない。
アルバムジャケットも成田で捕まったときの表情みたいで違和感がある顔のアップ・・・「俺を捕まえるのかぁ!」。
ポール自体1980年5月に発表した『マッカートニーⅡ』(1980)自体、自分の大切にしてきた音楽(ロックンロール)に対して皮肉を込めたアルバムなのではないか。
その意味からもロックの終焉なのだ。いや、それまでのロックの終焉なのか・・・。

2012年2月27日
花形
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by yyra87gata | 2012-12-27 16:30 | 音楽コラム | Comments(0)

鎮魂

 人の命が亡くなることはとても大変なことで、間柄が近ければ尚更。
また、死の種類においても、長らく闘病していて亡くなるパターンもあれば、突然逝ってしまうこともあり、年齢も重要で、80歳でも超えようものなら大往生と言えるだろうが、50歳に満たないとなればそれは残念でならない。
それがたとえ不治の病であっても、事故であっても若い死は痛ましい。

 私はこの秋に友人を1人なくした。
彼女は大学の後輩だったが、歳は一緒だし、なにより音楽のパートナーだった。
非常に頭の切れる女性だったが、神経は細く、常に物事を達観しているところもあり、それまで接してきた誰とも似ていない。

 私は彼女と約2年間のバンド生活を共にしたわけだが、その2年間はとても濃い時間だった。
特に後半の1年は彼女が詩を書き、私がそれに曲を乗せた。
大学生のバンドなので技量的には評価できるものではないが、曲が完成し、みんなの前で発表することは何にも変えられない快感があった。それは彼女との創作活動が充実したものだったからだろうし、私も彼女も決して恥ずかしくないものを作っているという自負もあったからだ。
誰に評価されるわけでもないし、取り立ててマスコミに売り込むつもりもない。大学の音楽クラブという小さなコミュニティの中だけのものだったが、それで満足だった。
10ヶ月という期間で10曲の作品が生まれた。毎月1曲ずつ新曲を作り発表していたことになるが、このペースは今考えても非常にハイスピードであるし、あの時の2人から生み出されたパワーは、今思うと何かにとり憑かれたような感覚さえある。そしてあのときのバンドはよくこの2人について来てくれたな、と今更ながらに思う。

 昼過ぎの大学の中庭は、私と彼女との創作場だった。傍らにトリスのビンを置き、飲みながらの創作。
彼女の詩は、研ぎ澄まされた感覚が走り書きとなって出てくる。
字数や韻などは無視し、常にその時の感覚が字となって表現される。
その詩を見ながら私は部室に転がっていたおんぼろのギターを拝借し、その言葉に節をつけていく。
私は感情のまま口ずさむ。たまにアルコールに翻弄されて適当なフレーズが宙を浮遊することもあったが、常に気分は覚醒されていた。
そして、私が口ずさむ音を彼女はその場で譜面にしていく。彼女には絶対音感があり、譜面にも強かった。
2人で一気に作り上げ、気持ちよい酩酊の中、夕方からバンドのリハに入る。そんな繰り返しだった。そして、そんな時間は何にも変え難い貴重な時間だった。

 私と彼女の間に恋愛感情は無かった。お互いに大切な人がいたし、男と女という感覚で話をすることは無かった。いつも何かに刺激を受け、その事象を報告し合い、別れる。もしかしたらそれがある種の恋愛感情だったかもしれないが、指1本だって触れたことはなかった。
 
 私がクラブ活動を大学3年で引退し、大学4年の夏休みをかけてレコーディングした彼女との作品。それは1年間活動したバンドではなく、私と彼女で選んだメンバーでレコーディングをした。
学校のスタジオを使用しながら限られた時間の中でレコーディングしたため、こぼれた曲もあったが、新曲も含め計12曲のトラックが収められた。
しかし、その音は未完成のまま封印されることになる。それは、私も彼女も何の目標も無い中、音をストイックに制作するだけの気持ちが足らなかったのかもしれない。
私は大学を卒業し就職。社会人となり、少しずつ音楽から離れる。
彼女はクラブを辞め、2回目となる大学中退をし、芝居に没頭する。
それでも年に1回から2回は会っていたが、しばらくすると疎遠になっていった。
唯一、お互いが30歳を迎える頃、1回だけバンドを復活させる機会があった。懐かしい顔が集まり、昔のナンバーを演奏する。そんな同窓会のようなコンサートが私と彼女の最後の演奏となった。

 2年前のバレンタインの日。
彼女のご主人から「危篤」の報が入った。
それまでも入退院を繰り返していたそうだが、あまりにも突然の報せに私は驚きを隠せなかった。
病室に向かうと彼女は笑って迎えてくれた。ただその顔は同じ年の女性のそれではなく、ひどく老けた少女であった。久しぶりの対面にしては普段どおり話したつもりだったが、ぎこちない瞬間もあったと思う。
「なぜ、急に面会?」
それは死を予感させるに等しい行為だからか。
私は努めて明るく振舞っていた。そして、楽しかった昔話・・・。レコーディングの話を始めた。その音がまだ残っていることも確認済みだったから。

 私は彼女の生きるひとつの希望となればという思いから未完成だった音をつむぎ始めた。
足りない部分は再度レコーディングを行ったが、なるべく昔の雰囲気を崩さないよう、音を調整していった。
平成23年9月14日午前0時。トラックダウンが終了し、音は完成した。
『Glitter』とタイトルをつけたのも彼女だった。
キラキラと輝いた瞬間。


 その日の午前10時頃。
突然の悲報。
まったく理解できない報せにただただ笑うしかなかった。

報せをくれた友も昨晩電話で話したばかりだというし、私の家内とも彼女が逝く2日前に彼女から突然電話がかかってきて話したばかりだった。そして私もその時久しぶりに彼女とメールのやり取りを行なっていたのだ。
メールの最後の文字「手紙を書くね」。
その手紙は9月14日の午後に届いた。
まったくもって、いつもの調子。感情の赴くままに綴られた文字。
この瞬間から、私の中に現実を受け止められないという暗黒が始まった。
通夜、告別式の会場で私は彼女を正視できなかったし、花を手向けることが精一杯だった。
何よりも悔しさと怒りにも似た感情が私を支配し、いまだに泣くことができないでいる。

カーステレオから流れる彼女の声。
CDは完成した。
この作品は全身全霊で作ったもので、彼女の表現者としての証である。
残念なことは完成した音を彼女が聞いていないことだけだ。

『Glitter』(2011)高橋暁美 完成に寄せて
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2011年11月11日
花形
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by yyra87gata | 2012-12-27 15:59 | 音楽コラム | Comments(0)

Epiphone Texanと輸入車?

 以前から気になっていたギターのひとつにエピフォンのテキサンというモデルがある。
あるアーティストが弾いたことにより、1964年モデルのナチュラル仕様は世界的に有名になった。
・・・私の大好きなポール・マッカートニーがそのギターを爪弾き「イェスタデイ」を歌う映像がしっかり若者のハートを捉え、テキサンは瞬く間にヒットしたのだ。
私は自他共に認めるマーチン派であり、ギブソン社のアコースティックギターには全く興味を抱かないのであるが、ギブソン社の子分的存在のエピフォンブランド、しかもこのテキサンだけは別物である。先ほどのマッカートニーが好きと言うこともあるし、かの石川鷹彦大先生も弾いておられ、それはきっと素晴らしいギターなのであろうと私の少年時代から心に刷り込まれてきているのである。
 テキサンというモデルは、ギブソンJ45やJ50のボディを使用し、そこにギブソンJ45より長いネックを取り付けてあるので、テンションが強く、高音から低音までクリアに出ると言われている。そういったことも何故か私の中で「ギブソンに勝っている」などとわけの分からん論理を妄想のように作り出してしまったのだ。
さて、私がなぜギブソン社のアコースティックギターに興味を抱かないかと言うと、それは造りの粗さの問題と個体差が非常にあるということ。つまり、はずれが多いということ。そして、マホガニーの音自体がいまいち物足りないというところも起因している。
アジャスタブルブリッジが作り出す音は、ジャキジャキという音が好きな方には最高だが、私にはアタック音と高音しか出ないカラカラの音という印象が強い。
まだマーチンのD18は同じマホガニーボディでも胴の厚さと埋め込み式のブリッジなので、低音が出る分許せるが、それでも物足りないのか、私はD18もD19も結局売ってしまい、今ではローズウッドボディのD28を探している始末である(2本目)。
 しかし、手元にマホガニーボディのギターが無くなると、それはそれで寂しいもので、やはり何か1本欲しくなってしまう。そこで以前から気になっていたテキサンというわけである。
1960年代のテキサンはビンテージ価格相場で25万~40万くらい。きっとまた飽きるだろうし、ギターにまとまった金を費やすならマーチンD28に出した方がいいと思ってしまう私に朗報が・・・。ネットで見かけたテキサンの復刻モデル。しかも定価60,000円。ネット値引きで41,800円。しかもシャドウ製のピックアップが内蔵されていてライブをやるにも即戦力じゃないか。これは、一度弾いてみなければ・・・と思い、楽器屋さんに行ってきた。
 ネットで探し、ナチュラルのテキサンが在庫している楽器屋さんに赴いた。事と次第では即決もあるからである。
しかし、41,800円のギターって・・・しかもテキサン・・・そりゃ中国製だわな。ま、しょうがない。それはそれでね。ギブソンもエピフォンもオベーションもスペクターもみんな労働賃金の安い中国や韓国に工場を作って大量生産てなわけだから、そりゃ安い楽器ができてもおかしくはない。あとは品質が維持されているかどうかということだけ。
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 楽器屋さんのドアを開け、中に入ると何と一番最初に目に入ってきたのがナチュラルのテキサン。これは、「縁かな」なんて思い、すぐに店員さんに試奏を依頼。店員さんも快く準備に取り掛かってくれた。
 チューニングをし、ギターを渡してくれるのかな・・・なんて思った時、店員さんの顔が曇り始めた。
「?・・・ちょっとネックが・・・調整しますんで・・・」
「ああ、そうですか。ナチュラルが本当は欲しいんですが、じゃこっちのサンバーストのテキサンで音の確認をしていいですか?」と交渉すると、店員さんはすばやくサンバーストのテキサンを用意してくれた。
私はサンバーストのテキサンを抱き、ネックの握りなどを確認。私の横では店員さんがヘッドのアジャスタブルロッドカバーを外し、レンチでくるくる回しながら右往左往。
私はそれを横目にギターを爪弾く。
 中国製のそれはブリッジが埋め込み式となっており、テキサン特有のアジャスタブルブリッジではないので、幾分か低音が響いた。しかし、①思ったよりもネックが太いこと②昔弾いたテキサンの音とは全然かけ離れていること③よくよく考えてみるとここで4万円を払って隣でロッドをクルクル回したギターを買っても3日で飽きるなと思ってしまったこと。そんなこんなで「うーん」と唸ってしまった。そして挙句の果てには店員さんが、
「すいません。このナチュラルの方なんですけど、ネックの状態が新品でお出しするにはちょっと難しいくらい調子が悪くて・・・うちの系列店でナチュラルの在庫があるところに連絡はできるんですが・・・」。

 私は以前、輸入車メーカーに10年ほど勤めていたことがあり、何度か日本輸入車協会主催の試乗会に出席したことがある。
世界の各メーカーがその年の最新モデルを用意し、マスコミや大手販売店に対し、売込みをかけるという主旨のイベントである。
私は、その会場で普段乗ることが出来ないイタリア車やイギリスの高級車に乗りこみ、楽しく過ごしていたのだが、イタリアのフィアット社のブースで異様な光景を見た。
それはちょうどフィアットクーペの試乗をしようとしたときのことである。
3台のクーペが大きなボンネットを開けているのである。
「試乗をしたい」と申し出ると、担当者が笑いながら「ちょっと無理ですねぇ」と応えるではないか。理由を聞くと電気系トラブルでエンジンがかからないと。しかも、試乗用に持ってきた広報車3台ともである。
担当者はこうも付け加えた。
「イタリアでは車と電気製品は信用してはいけませんよ、って諺があるんですよ」
中国製のテキサンを試奏しながら遠い昔の記憶が蘇った。
こりゃだめだ。

2011年9月3日
花形
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by yyra87gata | 2012-12-27 12:56 | 音楽コラム | Comments(0)