音楽雑文集


by yyra87gata

カテゴリ:音楽コラム( 108 )

ベースを探しています

 
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 長年借りっぱなしだった(というか、貸した方も忘れていて、最近使うことになったから思い出したように探し始めたとか・・・)リッケンバッカー4001を大学時代の先輩に返却した。都合7年位借りていたことになる。
その間に様々なライブに使わせてもらったから、非常に愛着のある楽器だった。
ここ最近では経年変化(老朽化)からペグの故障が起き、換装手術を行なった。当時のグローバーペグはすでに生産を中止しており代替え品となったが、しっかりマッチしてくれた。そもそも現行のリッケンのペグ穴は大きく、私の使用していたそれは若干小さいのだそうだ。いったい何年式のリッケンだったのか定かではないが、先輩の話を聞くと70年代の個体だそうだ。
つまり30年以上も前の電気楽器がネックも曲がらず、ちょっとしたメンテナンスでバリバリの現役だったのよ!先輩よ、電気楽器を7年もほったらかしにしていたらホコリやサビでノイズだらけのガラクタになってしまうのだぞ。私に感謝してほしい!なんて只で使って偉そうにしている・・・いや、只ではない。ま、私がこのリッケンに掛けたメンテナンス料なんてたかが知れているが(3万くらい)、借り賃ということとそれくらいの金をかけてもそれ以上の気持ちよさがあったので、良しとしよう(納得)。

 さてこれで我が家にベースが無くなってしまった。
但し、代替のリッケン・・・と思うと若干腰が引けることもある。
まず、4001はヴィンテージ市場でそこそこの価格がついているが(20万~40万)、中々私が弾いていた個体までのクォリティが無いのだ。
そして、リッケンは音が独特なのでどうしても音楽ジャンルを選んでしまうこと。こういったことを考えると、ジャズベースやプレシジョンといったスタンダードなモデルに目が行くのは自然な流れ。
しかし・・・他を寄せ付けないリッケンの佇まいは、孤高のベースという称号を与えてもいい位カッコ良い。
ピックでブリブリ弾くには最高なのだよね。ポールだってクリスだってロジャーだってゲディだってみんなブリブリ弾いてたよん。
そもそもリッケンを弾くベーシストって楽曲のルート音を追うというより、リードギターのように裏メロとか弾きまくっちゃう人が多いね。
しかも長尺だからタッパがある程度ないとカッコ悪いんだよな。だから、あんまり日本人は似合わないかも・・・リッケン弾いてるベーシストってあんまり見ないもんね。(遠い昔に後藤次利が弾いてたな・・・拓郎のバックで・・・って40年前だよ!)

ううぅ、やっぱりリッケン欲しいなぁ。それともジャズベかなぁ。スペクターも面白そうなんだよな。今、この3本で悩んでいます。昔ほど衝動的に購入することもできなくなったので、1本に絞らんとね・・・。

そうそう、こういう楽器を選んでいるときが一番楽しいかもしれないね。

って、俺、ベースなんて弾く予定全然ないのにね!

2012年10月24日
花形
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by yyra87gata | 2012-12-27 18:29 | 音楽コラム | Comments(0)

アナログ盤から想うこと

 
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 CDと違ってアナログ盤の音にはガッツがあります。歪むか歪まないかのギリギリで音が溢れますので、CDのように平均的にコンプレッションされていませんし、私は聴きませんがダウンロードの音楽のように更に圧縮された痩せた音などもってのほかなのです。
 昔、大学の先輩がジャズを聴くなら絶対アナログ盤に限ると言っていました。ノイズも音楽なんだよ、と。ロックもデカイ音で聴いてナンボです。だからそれらを理解している最近のロック歌手や往年の歌手は、限定でアナログ盤を発売しますものね。わかってらっしゃる…。
 電気メーカーの陰謀により(ステレオ販売が頭打ちになり、CDというメディアを創出し、CDプレイヤーを売ったんです。LDも同様)、アナログ盤は衰退し、基本的に無くなりました。レコード会社の親会社はみんな電気メーカーですかんね!
そんなそっち側の事情に振り回される我々リスナー。そして、音楽の作り手も手法の変更を余儀無くされます。だいたいCDに74分収録されるのが当り前になってきたから、どうでもいいような曲も入ることになるんです。売り手からすれば「お得感」を出しているつもりかもしれませんが、プレイヤーからしてみれば作品をたくさん用意しなければなりませんし(訳の分からん曲を量産することになる)、リスナー側としては1枚のアルバムを聴くにあたり、集中できる時間は45分~60分だと思いますよ。だから、私からするとお節介なんですよ。
要は最近のメディア媒体の発達?が、芸術家の才能をいじくり回しているとしか見えないのであります。CDもダウンロードもただのメディアツールですからね!
なんだかアナログ盤を聴いていたら、「そもそも論」って感じになってしまいました。
 先日、次女が英語のスピーチで人種差別について発表したいから何かいい素材は無いかと尋ねてきました。私は迷わずポール・マッカートニーのアルバム「タッグ・オブ・ウォー」を渡しました。そして、ご存知の「エボニー・アンド・アイボリー」を示しました。次女は歌詞の内容もさることながら、LPジャケットに感動しておりました。デザイン性、質感…そうです、昔はLPジャケットを小脇に抱え歩くことも一つの街の風景だったと思います。
 話がとっちらかっちゃいましたが、アナログ盤はいろいろな事を考えさせてくれます。アナログプレイヤーが無くて聴くことができないという方も大勢いらっしゃるでしょうが、でかいスピーカーで聴くクリームなんて、今のクラプトンしか知らない人は別人だと思うでしょうね。

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2012年10月15日
花形
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by yyra87gata | 2012-12-27 18:27 | 音楽コラム | Comments(2)

「Stay with me」の思い出

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 私が大学4年の頃のこと。
今ほど就職状況もきつくなく、企業を選ばなければどこでも潜り込めた1980年代後期。
私は音楽クラブの活動こそ3年生で引退し、個別にチョコチョコとライブやレコーディングに勤しんでおりました。作り貯めた作品を暇そうな友人、先輩、後輩と手当たり次第に声を掛け、譜面を渡してレコーディング!終了したら飲みに行く!という、とても分かりやすい生活をしていた時のことです。
私は学校がとても好きだったので、授業が無くてもぶらぶらと校舎内を歩いたり、江古田の街で昼間から酒を飲んで酔い覚ましに学校の中庭で昼寝をしているような生活を送っておりました。なんせ、授業の単位は3年ですべて取ってしまい、1年掛けて卒論を仕上げる計画を立てた超優等生だったので。・・・要は暇だったということであります。
私がいつものように所属していた音楽クラブの部室やキャンパスの中庭のベンチでギターをボロボロと弾いていると後輩たちが哀れみの表情で「活動すればいいのに・・・」なんて声を掛けてくれるのですが、そんな時私は「ボーッと見えるかもしんないけど、いろいろとこれからのこと考えてんのよ」なんて呂律の回らない口調で応え、失笑をかっていました。
(あれ?なんで4年でクラブ活動しなかったんだろう・・・?? ま、いいか)

 さて、わが音楽クラブの大きなイベントとして秋に開催される文化祭(我々は芸術祭・略して芸祭<ゲイサイ>と呼んでいた)のステージがあります。ま、教室をライブハウスに仕立て、朝から晩までバンドがひっきりなしに演奏するという至極単純なものなのですが、ライブ慣れしていないやつにとってみたら部員以外の方に初めて見ていただくという晴れの舞台というやつなので、みんな躍起になって猛練習をするわけです。私も1年生から3年生まで十分にその雰囲気を楽しみました。そんでもって、そんな後輩君たちを見ながら心の中で羨ましいなぁ、なんて思いながら彼らのリハを見学していました。
そんな時、2年下の後輩君がやってきました。
「一緒に出てもらえませんか。スライド弾いて欲しいんすよ!」
私は断る理由も無いので首を縦に振りながら、それでもちょっと気になることがあったので確認しました。
「引退したOBが現役と一緒に舞台に出たらまずいんじゃない?今までそんなの無いでしょ・・・」
すると後輩君・・・
「なーに言ってるんすか!今までのそんな慣習をぶっ潰してきたのは先輩じゃないっすか!そんなこと気にしてるんすか?いいんですよ、出ちゃえば・・・」
ほほぅ・・・。やっぱり引退すると保守的なるんでしょうか・・・。やっぱり現役君が羨ましい、なんて思ったりして。

 それから、後輩君たちとのリハが始まりました。
彼らのバンドは70年代ロックを演奏するコピーバンドで、パープルやツェッペリンなどの鉄板ネタを得意としておりました。私も歳の割にはかなり古い音楽を聴く方ですが、彼らも中々いろんな引き出しを持っており、よく音楽談議をしたものでした。そして、彼らが私と一緒にやるために選んだミュージシャンこそフェイセズでありました。バンド全員で決めたそうです。
フェイセズ・・・なんと懐かしい響き。
 実は私は高校時代にフェイセズのコピーバンドは何度かやったことがあって、それなりに知っておりましが、その分、フェイセズ独特のグルーヴを出す難しさも経験していたのであります。
ダルなリズムからいきなりタイトになり、スジの通ったヴォーカルが入ると世界が一変する。そして、メンバーが思い思いの演奏をしていてバラバラに聞こえているがいつの間にかそれが太いビートになって圧倒していく。そんなフェイセズのグルーヴはフェイセズ特有のものであって真似をしようにも中々それっぽく聞こえないのであります。
 ヘタウマという言葉があります。ビートルズやストーンズに良く用いられる言葉ですが、かれらは決して下手ではありません。どちらかといえばステージ慣れした上手なバンドであります。彼らは若い頃ハンブルグやロンドンのライブハウスで1日に何度も何度もステージをこなしたバンドですし、そんなバンドが下手なわけがありません。速弾きだぁチョッパーだぁといったテクニック面だけで捉えれば足りない部分もあるかもしれませんが、彼らの強みはそんなことより優れた楽曲とそれに合致したバンドサウンドのグルーヴなのであります。バンドのグルーヴはメンバーが生み出す奇跡であります。そこに集まったミュージシャンどうしが醸し出す奇跡なのです。そしてそれを手に入れたバンドはホンモノなのであります。お助けのセッションミュージシャンでは決して出すことができないものです。
 さて、フェイセズもそんなホンモノのバンドのひとつであります。その楽曲をやるわけですから異様な気合が入りました。後輩君のバンドは高校時代から続いている彼ら独自のグルーヴを持つバンド。そこに私の飛び入り出演。しかもグルーヴ重視のフェイセズ。
私はいろいろなフォーメーションを考えてリハに臨みました。
例えば、喜び勇んでロン・ウッドのギター(彼が実際に使っていた本物だよ。ESP製)を持ちだし、スライドをギュンギュン唸らせてみましたが、どうもいまいちの音。なんか細すぎちゃうのよね。ホンモノのフェイセズだったら合ったかもしれないけど、ドラムの後輩は今までイアン・ペイスやボンゾを叩いていたわけだからケニー・ジョーンズのリズムとは違うのよ。だから自分の音が軽すぎちゃって。
だから、このギターは却下!
でもって、またまた自分の悪い癖が出てきてフェイセズのカバーをするのにフェイセズに成りきってもしょうがないんだから・・・ということで、ギターをギブソンSGに持ち替えてデュアン・オールマンのようにもっと泥臭いプレイに徹したのであります。ははは。これだったらイアン・ペイス、ロジャー・グローバーのリズム隊に負けない。って、フェイセズやるんだよ!何でギターがデュアン・オールマンなんだ!って声が聞こえたけど無視しました。
 
 芸祭当日。彼らの熱い演奏が続き、私はステージ袖でビールなんぞを飲みながらエヘラエヘラと笑っておりました。
 70年代ロックのオンパレードでありまして、ヴォーカルはイアン・ギランになったりロバート・プラントになったり・・・。
でもってアンコールであります。
後輩君に呼ばれて舞台へ。
直接アンプにシールドを刺し、ブーンというノイズがやる気にさせてくれます。
後輩君は笑っていました。ドラムのカウントの後、ハモンドB3が唸りをあげてシャッフルビートの洪水の中で暴れまくります。そしてその激しい渦の中から後輩君のギターがゆっくりとリズムを刻み始め、それに合わせるようにドラムとベースが続きます。さっきまで髪を振り乱してハモンドを弾いていた後輩君も今は陽気なホンキートンクなピアノをプレイしています。私も目で合図しながらスライドバーをゆっくりと弦に当てていきました。
そしてヴォーカルが重なります。
In the mornin' don't say you love me, 'Cause I'll only kick you out of the door

おっ!ヴォーカルの後輩君。ペースを気にして歌い始めたね。リハの時、最初からぶっ飛ばすと痛い目にあってたからね。
さぁ、盛上げていこう!
Stay with me, stay with me For tonight you'd better stay with me!

1番と2番のブリッジにあるキメの3連フレーズ・・・これがまたロニーっぽいフレーズ。でも完コピじゃつまんないからこのバースのエンディングでオールマンの「スティッツボロ・ブルース」のようなフレーズを入れたらメンバーもみんな笑ってましたな。

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 リズムギターに徹してくれた後輩君。本当はリッチーでペイジな人なのに一生懸命ブギーのリズムを刻んでいました。そんで、その上で私は自由にスライドさせてもらいました。
演奏は10分以上も続き、最後は客を無視して自分たちだけで楽しんでたりして・・・。

 ステージ終了後、後輩と握手(あの頃ハイタッチなんてなかったんじゃないか?)。
客席で見ていた同期のOBが「オマエ、ずりぃなぁ」なんて言ってましたっけ。
で、同期のそいつは続けて「Stay with meって後輩がお前に伝えたかったメッセージなんじゃねぇの?」なんて言うもんですから、
「馬鹿言うな!Stay with meはスケコマシの歌なんだぞ!勘違いするな!」と言ったものの、もし彼らの気持ちが少しでもだぶってたらちょっと嬉しいな、なんて思ったものです。

音源があるかどうかは知りませんが、写真は残っています。ヴォーカルもギターも私もみんな笑いながらプレイしています。

今から20年以上も前のことですが・・・。
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2012年8月27日
花形
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by yyra87gata | 2012-12-27 18:11 | 音楽コラム | Comments(2)

1980年という年

 1980年という年は私の中でロックの終焉を迎えた年だった。
それは70年代と決別したという表面的なものだけでなく、事実としてあまりにも多くの不幸なニュースで彩られた年だったからだ。
 1月。いきなりポール・マッカートニーが成田で逮捕。日本公演はすべてキャンセル。ポール・マッカートニー&ウィングスは事実上活動停止となり翌年には自然消滅していく。
このコンサート・・・私は何度も何度も映画館に足を運び、映画『ロックショー』を瞼に焼き付けていた・・・私は行く予定だった。チケットの手配も親戚のお姉さんに頼み準備を進めていた・・・のに、だ。
その後の噂で、実はポールはもともと日本公演なんてやる気は無く、大麻でも持ち込まずにはやってられねぇ的なものだったんだ、とか。
実はあえて捕まるため=日本公演をしたくない=リハなんてほとんどやってないもんね・・・なんて軽い気持ちだった、とか。
9日間の拘留後、釈放の際に「日本で大麻所持はこんなに厳しいと思わなかった」とコメントした=なんで?大麻くらいいいじゃん、という気持ち。でも禁固刑まで話が行ったときはマジでビビッたけどね、とか。
相変わらずC調なポールではあるが、コンサートが中止になったことは事実で、そのために失望したファンはたくさんいる。ああ、ポールだからしょうがねぇな、なんて雰囲気はあの当時、絶対無かった。どちらかというと「信じられない」という気持ちとやっぱり欧米のミュージシャンはクスリ漬けなんだと思った。日本でも1978年あたりに芸能界大麻汚染なんてものがあって、みんな芋づる式にパクられた。日本での騒ぎのほとぼりも冷めたかなぁなんて思っていた矢先のことであったから、暗澹たる思いとなった。これじゃ、一生ジョンもポールもストーンズも見ることができないと思ったものだった(でも前年にボブ・マーリーがマリファナだらけのコンサートを中野サンプラでやってたからなぁ・・・案外大丈夫かな、なんて思うこともあった)。
で、ポールさん・・・真相はどうなんでしょ。1億5千万円の違約金を払ってまでも日本公演をやりたくないと言ってたのは本当なんでしょうか。さっさと金を払うよりもポール独特の洒落でありえもしない量の大麻を隠すことも無く持ち込んだゲームをしたのでしょうか・・・。
私は当時のミュージックライフを見るたびにウィングス観たかったなぁって思うのだよなぁ。
1980年。まず、ここからケチがついた。
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 夏になるといつもは全世界が浮かれるオリンピックも米ソの冷戦においてモスクワオリンピックは共産国大会になってしまう。ボイコットを決めた日本五輪協会の面々。スポーツと政治が絡んで、泣くのは選手だけ。ロックの終焉とは関係ないかもしれないが、世の中が歪んでいた一つの事象である。
9月。ピンクレディーがようやく解散したかと思いきや、いきなりジョン・ボーナム死亡の報せ。私はこの報せをラジオで聞いた。
FM東京の番組「サントリー・サウンド・マーケット」の中で、速報的に伝えられた。「レッド・ツェッペリンのドラマー、ジョン・ボーナムがオレンジウォッカの飲みすぎで死亡した」という簡単なコメントだったが、それを読んだDJのシリア・ポールがいつもの色っぽい声ではなく、無機質で抜け殻になったような声だったのを覚えている。
その後、ジミー・ペイジはバンド解散を決めるわけだが(12月)、ツェッペリンという大きなバンドが名物ドラマーを失ってどうなるかと言うのは私の高校時代の毎日の話題だった。
ザ・フーのように代わりのドラマーを入れるのか・・・いやいや、キース・ムーンが叩いていないザ・フーなど何の価値もない!・・・いやいやバンドとして続けていくことがすごいことだ。ストーンズを見てみろ!・・・なんて不毛な会話。
しかし、ツェッペリンの動力が消えたことは確かであり、みんなショックだったのだ。
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 12月。それはあまりにも唐突過ぎた。7時のNHKニュース、トップ項目。
「元ビートルズのジョン・レノンさんが・・・」
私は両親と食事をとりながらその映像をみていた。
母親が「ええーっ」という悲鳴に近い声を出したこと。私はその後、部屋に篭りレノンのレコードをすべて聞き直したこと・・・。
 その当時、ロックとかフォークとかレコード会社が決める所謂ジャンルはクロスオーバーしていて良く分からなかったんだが、ビートルズはビートルズだった。
ロックンロールでもハードロックでもフォークでもない。ビートルズだった。その中の1人が殺された。
レコードを1人聴きながら、今年は何て年だ!と思った。

大きなバンドがいきなり無くなった。しかもツェッペリンはヨーロッパツアーを終え、アメリカツアーに出る直前の事故。前回のワールドツアーはロバート・プラントの息子が幼くて急死するハプニングからワールドツアーが中止になった経緯もあるので、またしてもツェッペリンは旅の途中で炎上してしまったのだ。

レノンだってそうだ。
隠居生活からやっと抜け出し、『スターティング・オーバー』(1980)は意欲的な作品に仕上がっていた。タイトル曲はヒットチャートを上り始めた矢先の事件。
最愛の夫が目の前で射殺された。ヨーコの苦しみはいかばかりか。
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 ポールはウィングスとしては『バック・トゥ・ジ・エッグス』(1979年)でロッケストラ(ロックのオーケストラ版)という実験的な試みを行い、しっかりとウィングスの舵取りをしていたが、同時に行き詰まりも感じており、多重録音のソロアルバム制作にも入っていた。時代はテクノポップ全盛。ロッケストラはあまりにも前時代のもの過ぎたのだ(だってザ・フーとツェッペリンとピンクフロイドの面々が一緒に3コードのロックンロールをしてるんだから・・・)。
だから天才ポールが、多重録音でコンピューターミュージックに走ることも分からないでもない。
アルバムジャケットも成田で捕まったときの表情みたいで違和感がある顔のアップ・・・「俺を捕まえるのかぁ!」。
ポール自体1980年5月に発表した『マッカートニーⅡ』(1980)自体、自分の大切にしてきた音楽(ロックンロール)に対して皮肉を込めたアルバムなのではないか。
その意味からもロックの終焉なのだ。いや、それまでのロックの終焉なのか・・・。

2012年2月27日
花形
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by yyra87gata | 2012-12-27 16:30 | 音楽コラム | Comments(0)

鎮魂

 人の命が亡くなることはとても大変なことで、間柄が近ければ尚更。
また、死の種類においても、長らく闘病していて亡くなるパターンもあれば、突然逝ってしまうこともあり、年齢も重要で、80歳でも超えようものなら大往生と言えるだろうが、50歳に満たないとなればそれは残念でならない。
それがたとえ不治の病であっても、事故であっても若い死は痛ましい。

 私はこの秋に友人を1人なくした。
彼女は大学の後輩だったが、歳は一緒だし、なにより音楽のパートナーだった。
非常に頭の切れる女性だったが、神経は細く、常に物事を達観しているところもあり、それまで接してきた誰とも似ていない。

 私は彼女と約2年間のバンド生活を共にしたわけだが、その2年間はとても濃い時間だった。
特に後半の1年は彼女が詩を書き、私がそれに曲を乗せた。
大学生のバンドなので技量的には評価できるものではないが、曲が完成し、みんなの前で発表することは何にも変えられない快感があった。それは彼女との創作活動が充実したものだったからだろうし、私も彼女も決して恥ずかしくないものを作っているという自負もあったからだ。
誰に評価されるわけでもないし、取り立ててマスコミに売り込むつもりもない。大学の音楽クラブという小さなコミュニティの中だけのものだったが、それで満足だった。
10ヶ月という期間で10曲の作品が生まれた。毎月1曲ずつ新曲を作り発表していたことになるが、このペースは今考えても非常にハイスピードであるし、あの時の2人から生み出されたパワーは、今思うと何かにとり憑かれたような感覚さえある。そしてあのときのバンドはよくこの2人について来てくれたな、と今更ながらに思う。

 昼過ぎの大学の中庭は、私と彼女との創作場だった。傍らにトリスのビンを置き、飲みながらの創作。
彼女の詩は、研ぎ澄まされた感覚が走り書きとなって出てくる。
字数や韻などは無視し、常にその時の感覚が字となって表現される。
その詩を見ながら私は部室に転がっていたおんぼろのギターを拝借し、その言葉に節をつけていく。
私は感情のまま口ずさむ。たまにアルコールに翻弄されて適当なフレーズが宙を浮遊することもあったが、常に気分は覚醒されていた。
そして、私が口ずさむ音を彼女はその場で譜面にしていく。彼女には絶対音感があり、譜面にも強かった。
2人で一気に作り上げ、気持ちよい酩酊の中、夕方からバンドのリハに入る。そんな繰り返しだった。そして、そんな時間は何にも変え難い貴重な時間だった。

 私と彼女の間に恋愛感情は無かった。お互いに大切な人がいたし、男と女という感覚で話をすることは無かった。いつも何かに刺激を受け、その事象を報告し合い、別れる。もしかしたらそれがある種の恋愛感情だったかもしれないが、指1本だって触れたことはなかった。
 
 私がクラブ活動を大学3年で引退し、大学4年の夏休みをかけてレコーディングした彼女との作品。それは1年間活動したバンドではなく、私と彼女で選んだメンバーでレコーディングをした。
学校のスタジオを使用しながら限られた時間の中でレコーディングしたため、こぼれた曲もあったが、新曲も含め計12曲のトラックが収められた。
しかし、その音は未完成のまま封印されることになる。それは、私も彼女も何の目標も無い中、音をストイックに制作するだけの気持ちが足らなかったのかもしれない。
私は大学を卒業し就職。社会人となり、少しずつ音楽から離れる。
彼女はクラブを辞め、2回目となる大学中退をし、芝居に没頭する。
それでも年に1回から2回は会っていたが、しばらくすると疎遠になっていった。
唯一、お互いが30歳を迎える頃、1回だけバンドを復活させる機会があった。懐かしい顔が集まり、昔のナンバーを演奏する。そんな同窓会のようなコンサートが私と彼女の最後の演奏となった。

 2年前のバレンタインの日。
彼女のご主人から「危篤」の報が入った。
それまでも入退院を繰り返していたそうだが、あまりにも突然の報せに私は驚きを隠せなかった。
病室に向かうと彼女は笑って迎えてくれた。ただその顔は同じ年の女性のそれではなく、ひどく老けた少女であった。久しぶりの対面にしては普段どおり話したつもりだったが、ぎこちない瞬間もあったと思う。
「なぜ、急に面会?」
それは死を予感させるに等しい行為だからか。
私は努めて明るく振舞っていた。そして、楽しかった昔話・・・。レコーディングの話を始めた。その音がまだ残っていることも確認済みだったから。

 私は彼女の生きるひとつの希望となればという思いから未完成だった音をつむぎ始めた。
足りない部分は再度レコーディングを行ったが、なるべく昔の雰囲気を崩さないよう、音を調整していった。
平成23年9月14日午前0時。トラックダウンが終了し、音は完成した。
『Glitter』とタイトルをつけたのも彼女だった。
キラキラと輝いた瞬間。


 その日の午前10時頃。
突然の悲報。
まったく理解できない報せにただただ笑うしかなかった。

報せをくれた友も昨晩電話で話したばかりだというし、私の家内とも彼女が逝く2日前に彼女から突然電話がかかってきて話したばかりだった。そして私もその時久しぶりに彼女とメールのやり取りを行なっていたのだ。
メールの最後の文字「手紙を書くね」。
その手紙は9月14日の午後に届いた。
まったくもって、いつもの調子。感情の赴くままに綴られた文字。
この瞬間から、私の中に現実を受け止められないという暗黒が始まった。
通夜、告別式の会場で私は彼女を正視できなかったし、花を手向けることが精一杯だった。
何よりも悔しさと怒りにも似た感情が私を支配し、いまだに泣くことができないでいる。

カーステレオから流れる彼女の声。
CDは完成した。
この作品は全身全霊で作ったもので、彼女の表現者としての証である。
残念なことは完成した音を彼女が聞いていないことだけだ。

『Glitter』(2011)高橋暁美 完成に寄せて
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2011年11月11日
花形
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by yyra87gata | 2012-12-27 15:59 | 音楽コラム | Comments(0)

Epiphone Texanと輸入車?

 以前から気になっていたギターのひとつにエピフォンのテキサンというモデルがある。
あるアーティストが弾いたことにより、1964年モデルのナチュラル仕様は世界的に有名になった。
・・・私の大好きなポール・マッカートニーがそのギターを爪弾き「イェスタデイ」を歌う映像がしっかり若者のハートを捉え、テキサンは瞬く間にヒットしたのだ。
私は自他共に認めるマーチン派であり、ギブソン社のアコースティックギターには全く興味を抱かないのであるが、ギブソン社の子分的存在のエピフォンブランド、しかもこのテキサンだけは別物である。先ほどのマッカートニーが好きと言うこともあるし、かの石川鷹彦大先生も弾いておられ、それはきっと素晴らしいギターなのであろうと私の少年時代から心に刷り込まれてきているのである。
 テキサンというモデルは、ギブソンJ45やJ50のボディを使用し、そこにギブソンJ45より長いネックを取り付けてあるので、テンションが強く、高音から低音までクリアに出ると言われている。そういったことも何故か私の中で「ギブソンに勝っている」などとわけの分からん論理を妄想のように作り出してしまったのだ。
さて、私がなぜギブソン社のアコースティックギターに興味を抱かないかと言うと、それは造りの粗さの問題と個体差が非常にあるということ。つまり、はずれが多いということ。そして、マホガニーの音自体がいまいち物足りないというところも起因している。
アジャスタブルブリッジが作り出す音は、ジャキジャキという音が好きな方には最高だが、私にはアタック音と高音しか出ないカラカラの音という印象が強い。
まだマーチンのD18は同じマホガニーボディでも胴の厚さと埋め込み式のブリッジなので、低音が出る分許せるが、それでも物足りないのか、私はD18もD19も結局売ってしまい、今ではローズウッドボディのD28を探している始末である(2本目)。
 しかし、手元にマホガニーボディのギターが無くなると、それはそれで寂しいもので、やはり何か1本欲しくなってしまう。そこで以前から気になっていたテキサンというわけである。
1960年代のテキサンはビンテージ価格相場で25万~40万くらい。きっとまた飽きるだろうし、ギターにまとまった金を費やすならマーチンD28に出した方がいいと思ってしまう私に朗報が・・・。ネットで見かけたテキサンの復刻モデル。しかも定価60,000円。ネット値引きで41,800円。しかもシャドウ製のピックアップが内蔵されていてライブをやるにも即戦力じゃないか。これは、一度弾いてみなければ・・・と思い、楽器屋さんに行ってきた。
 ネットで探し、ナチュラルのテキサンが在庫している楽器屋さんに赴いた。事と次第では即決もあるからである。
しかし、41,800円のギターって・・・しかもテキサン・・・そりゃ中国製だわな。ま、しょうがない。それはそれでね。ギブソンもエピフォンもオベーションもスペクターもみんな労働賃金の安い中国や韓国に工場を作って大量生産てなわけだから、そりゃ安い楽器ができてもおかしくはない。あとは品質が維持されているかどうかということだけ。
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 楽器屋さんのドアを開け、中に入ると何と一番最初に目に入ってきたのがナチュラルのテキサン。これは、「縁かな」なんて思い、すぐに店員さんに試奏を依頼。店員さんも快く準備に取り掛かってくれた。
 チューニングをし、ギターを渡してくれるのかな・・・なんて思った時、店員さんの顔が曇り始めた。
「?・・・ちょっとネックが・・・調整しますんで・・・」
「ああ、そうですか。ナチュラルが本当は欲しいんですが、じゃこっちのサンバーストのテキサンで音の確認をしていいですか?」と交渉すると、店員さんはすばやくサンバーストのテキサンを用意してくれた。
私はサンバーストのテキサンを抱き、ネックの握りなどを確認。私の横では店員さんがヘッドのアジャスタブルロッドカバーを外し、レンチでくるくる回しながら右往左往。
私はそれを横目にギターを爪弾く。
 中国製のそれはブリッジが埋め込み式となっており、テキサン特有のアジャスタブルブリッジではないので、幾分か低音が響いた。しかし、①思ったよりもネックが太いこと②昔弾いたテキサンの音とは全然かけ離れていること③よくよく考えてみるとここで4万円を払って隣でロッドをクルクル回したギターを買っても3日で飽きるなと思ってしまったこと。そんなこんなで「うーん」と唸ってしまった。そして挙句の果てには店員さんが、
「すいません。このナチュラルの方なんですけど、ネックの状態が新品でお出しするにはちょっと難しいくらい調子が悪くて・・・うちの系列店でナチュラルの在庫があるところに連絡はできるんですが・・・」。

 私は以前、輸入車メーカーに10年ほど勤めていたことがあり、何度か日本輸入車協会主催の試乗会に出席したことがある。
世界の各メーカーがその年の最新モデルを用意し、マスコミや大手販売店に対し、売込みをかけるという主旨のイベントである。
私は、その会場で普段乗ることが出来ないイタリア車やイギリスの高級車に乗りこみ、楽しく過ごしていたのだが、イタリアのフィアット社のブースで異様な光景を見た。
それはちょうどフィアットクーペの試乗をしようとしたときのことである。
3台のクーペが大きなボンネットを開けているのである。
「試乗をしたい」と申し出ると、担当者が笑いながら「ちょっと無理ですねぇ」と応えるではないか。理由を聞くと電気系トラブルでエンジンがかからないと。しかも、試乗用に持ってきた広報車3台ともである。
担当者はこうも付け加えた。
「イタリアでは車と電気製品は信用してはいけませんよ、って諺があるんですよ」
中国製のテキサンを試奏しながら遠い昔の記憶が蘇った。
こりゃだめだ。

2011年9月3日
花形
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by yyra87gata | 2012-12-27 12:56 | 音楽コラム | Comments(0)

定番のモデル

 東京メトロは17日、銀座線に新型車両「1000系」を12年春から導入する、と発表した。1000系は、昭和2(1927)年に東洋初の地下鉄として同線が開業した際に導入し、“黄色い電車”として親しまれた「旧1000形」を彷彿とさせる車両デザインを採用する一方、消費電力の削減や乗り心地向上など最新技術を取り入れた。
~ヤフー・ニュースより

 デザインの学術的なことは良くわからないが、レトロ調のデザインは乗客が郷愁の想いを想起させる狙いがあり、最初に世に出たものは、永遠のものとして存在していくものなのだろう。
新幹線だって0系は忘れられない形だしね。

 ギターやベースだってそうだよね。
フェンダー社もギブソン社も毎年新たなモデルを発表するが、ヴィンテージシリーズやヒストリックコレクションなるモデルを出し、いかに50年代60年代のモデルに近づけるか、などという後退なのか進化なのかわからない商品を毎年出している。これって、企業的に見て進化しているのかね。
ニューモデルがレスポール1959年モデルのレプリカってのも、どうかと思うしね。

 定番という言葉が存在する以上、それをちょっとずつ進化させても結局は元に戻ってしまう。また、定番のデザインがあまりに完成度が高いと先の楽器のような現象になってしまう。
やっぱりストラトやテレキャスはオリジナルが一番だと思う人間からすると、バレットとかサイクロンってどうなのよ・・・って思うし、ましてやジャガーやマスタングを昔から知っている人間にしてみたら、ジャグスタングなんて・・・ね。

 ギブソン社もSGなんて今じゃ定番だけど1950年代後期になってレスポールモデルの売上が落ち込み、1961年に後継機種で登場したモデルは、あまりのフルモデルチェンジぶりにユーザーを戸惑わせたようだ。そして、程なくしてレスポールモデルの名はレスポール氏との契約問題により解消されSGというモデルになった(なんでもレスポール氏はSGのスタイルを見てあまりの不恰好さに怒ったそうである)。
でも、そんなSGだって今じゃ定番。
ギブソン社のほかのエレクトリックといったら、ES335あたりのセミアコ系やその他フルアコ系、フライングV、エクスプローラー、ファイアーバードあたりが定番かね。
そこら辺はなぜか落ち着くけど、いきなりモダーンとか、RDアーティストとか出されるとびっくりするし、マローダなんてね・・・。そういえば、ナイトホークってのもあったね。レスポールのできそこないいみたいなやつ(ファンがいたらごめん)。

ま、銀座線のモデルチェンジから楽器を語るなんてことにまでなったけど、けっこうこういう話はすぐ出てくるね。

決して保守的な発言をしているわけではないのだが、定番はやっぱり定番なのだ。

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2011年2月20日 花形
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by yyra87gata | 2012-12-27 12:53 | 音楽コラム | Comments(0)
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 先日イベントで先輩のバンドが「ピープル・ゲット・レディ」を演奏していた。私、この歌が昔から好きで、今でも自然と口ずさむ歌なのだ。

 私とこの歌との出会いは、約30年前に遡る。中学3年の私は、昼飯代を切り詰めながら、中古レコード屋の「ハンター」に通う日々。1960年代、1970年代の名盤を買い漁り、聞きまくっていた。音楽雑誌のレコード評やアメリカの「ローリングストーン誌」などを見ながら、その時期に流行り始めたニュー・ウェイブには目もくれず、オールディーズを聴く毎日。この頃に聞いた音楽が今の自分の音楽形成の重要な位置を占めていることはまぎれも無い事実である。
 さて、「ピープル・ゲット・レディ」だが、この歌を初めて聴いた私の印象は、妙に引っかかる歌だなということであった。なぜなら、最初に聞いたヴァージョンがヴァニラ・ファッジのものだったからだ。
 ヴァニラ・ファッジはアートロックやサイケデリックロックのジャンルに属し、1960年代の後半に名を残したバンドである。リズム隊は有名なボガード&ピアスである。オリジナル曲よりも名曲のカバー主体のバンドであったが、どんな曲を演奏しても全てがダイナミック(大げさ)になり、元の歌のイメージを変えてしまうという特徴があった。ファーストアルバム『Vanilla Fudge(邦題は「キープ・ミー・ハンギング・オン」)』(1967)の中からシュープリームスのカバー曲「キープ・ミー・ハンギング・オン」が大ヒットし、その当時のロックバンドはこぞってこの曲をコピーしていたらしい(まだ、アマチュアの頃の細野晴臣や松本隆なんかが“はりきって”演奏していたらしい)。
そんなヴァニラ・ファッジのレコードを聴いていた私は、そのアルバムの中のひとつの曲に違和感を覚えていた。「ピープル・ゲット・レディ」の存在である。
このアルバムにはビートルズの「涙の乗車券」やゾンビーズの「シーズ・ノット・ゼア」も収録されていたが、明らかに歌の内容が「ピープル・ゲット・レディ」と異なっている。
歌詞も簡単な英語が並び、直訳すれば中学生の私でも理解できるものだったが、逆に深い意味があるのだろうということも感じていた。
「人々は何を準備するんだ?列車が来るけど荷物はいらないというのはどういうことだ?ディーゼルの音が聞こえ、神に感謝する・・・その列車はヨルダンに向かう・・・」
なんのコッチャって感じだった。
 私の中学・高校はカトリック系だったので、校内に神父がいた。そこで、仲の良かった神父に真意を尋ねてみた。するとイタリア人の神父は「ああ、この曲か」という感じでニコニコしながら教えてくれた。
まずもって、神父はこの歌はヴァニラ・ファッジではなく、カーティス・メイフィールドの歌だということを教えてくれた。黒人であるカーティスは公民権運動が華やかな1960年代半ばにこの歌を作り、黒人に支持されたということ。そして、この歌こそ神を信じる民の心の声ということを教えてくれた。
 1963年8月に、公民権確立を目指して計画されたワシントン大行進が行われ、人種を問わない20万人を超える空前絶後の人間がこのデモに参加した。デモ行進の終点となったリンカーン記念公園で、運動の提唱者マーティン・ルーサー・キング牧師の有名な演説「私には夢がある(I Have a Dream)」がなされたのだということも、この神父から聞いた話だ。
この歌詞でいう列車は、この時の人の列、もしくは信念を持った人々のことだろうし、ディーゼル音はシュプレヒコールだろう。そしてみんな荷物(武器やおかしな考え方など)など要らない。信念だけもって聖地に進むだけということを歌っているのだと意訳した時に、私はこの歌の虜になった。

 私が大学の頃、ジェフ・ベックがこの歌を取り上げた。アルバム『フラッシュ』(1985)は久々にヴォーカリストのバックに徹したアルバムであったが、プロデューサーのナイル・ロジャースとの確執も取沙汰され、まとまりの欠けるアルバムとなった。そんな中、唯一ジェフの拘りで実現した「ピープル・ゲット・レディ」は秀逸の出来であると思う。久々に復活したロッド・スチュアートとのコンビも非常に良い個性がぶつかり合って相乗効果を生み出しているし、何よりもこの歌を力強いものにしている。カーティス・メイフィールドはファルセットを多用し、ゴスペル調のそれであるが、ロッドはベックとともに壮大なロッカバラードに仕上げている。特にエンディングのロッドのロングトーンの雄叫びは、名演のひとつといっていいだろう。ただ、このPVはいただけない。誰がメガホンを取ったかわからないが、あまりにも直訳した映像で歌の深みが何も出ていないからだ。西部を走る貨物列車にテレキャスターを抱えたジェフが乗り込み、印象的なフレーズを弾いているというもの。これじゃ、私の中学3年レベルの映像でしかない。もっと歌詞を勉強してくれという感じ。

信念さえもてば、約束の地に向かう列車に乗れる。
その列車に乗るのに、荷物はいらない。

この普遍的なテーマをあのような流れるようなメロディで歌い上げられたら、みんな平和な気持ちにならんかな。

もういちど、歌詞を見てみよう。
歌詞を読むだけであのメロディが浮かんでくる。
これは名曲だ。
People get ready
There's a train a comin'
You don't need no baggage you just get on board
All you need is faith
To hear the diesel comin'
Don't need no ticket you just thank the Lord

So People get ready
Train to Jordan
Picking up passengers from coast to coast
Faith is key
Open the doors and board them
There's hope for all among the love the most

There ain't no room for the hopeless sinner
Who would hurt all mankind just to save his own soul
Have pity on those whose choices grow thinner
There ain't no hiding place from the Kingdom's throne

People get ready
There's a train a comin'
You don't need no baggage you just get on board
All you need is faith
To hear the diesel comin'
Don't need no ticket you just thank the Lord


荷物はいらない ただ乗ればいい
必要なのは信頼だけ そしてディーゼルの音を聞けばいい
チケットもいらない 神に感謝するだけでいいんだ

みんな ヨルダン行きの列車に乗る支度をするんだ
駅ごとに乗客を乗せながら 海岸沿いに列車は走る

信じる心が鍵さ
ドアを開けて 彼らを乗せよう
神を愛するすべての人のために席があるんだ

人類を傷つける望みなき罪人は
自分の事ばかり考えている限り 乗る場所はない
薄運の人たちには慈悲を与えてやろう
王国の王座から隠れる場所は どこにもないのだから

みんな用意するんだ  列車がやってくる
荷物はいらない 乗るだけでいい
必要なのは信じる心 ディーゼルの音に耳を傾けるんだ
チケットはいらない 神に感謝するだけ

俺は用意している
俺は用意している
今度こそ用意できてる
今度こそ用意できてるんだ

2010年12月18日
花形
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by yyra87gata | 2012-12-26 16:32 | 音楽コラム | Comments(0)
 
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 「人生が二度あれば」という作品は井上陽水が1972年に再起を賭けたデビューシングルである。陽水は1969年に1度アンドレ・カンドレという芸名で「カンドレ・マンドレ」という作品でデビューしているが、九州の一部で反響があっただけで、シングル3枚を発表したにすぎない存在であった。
そして、ポリドールレコードに移籍し再デビューを果たす。
再起を賭けたデビューが「人生が二度あれば」・・・ちょっと斜に構えた陽水らしい選択ではないか。アイロニーな彼の笑顔が浮かぶ。

 3年前のツアーで弾き語りを多く採用した陽水のコンサート。そのツアーで演奏された弾き語りはアルバム化された。当初は2008年のツアー会場で発売される限定的なものであったようだが、ファンからの要望が強く一般発売になった。それが、『弾き語りパッション』(2008)である。
70年代を中心とした選りすぐりの名曲が弾き語り集として発表された。
その中でふと「人生が二度あれば」を聴きながら考えてしまった。
陽水はこの演奏時(2007年)で59歳。現在は62歳だ。
この歌を書いた歳は発表年月日から換算しても24歳以前の彼である。

父は今年二月で 六十五
顔のシワはふえて ゆくばかり・・・

母は今年九月で 六十四
子供だけの為に 年とった・・・

 24歳の彼が見た当時の65歳や64歳の像が親とともに描かれている。現役を終え、家族のために体をはって生きてきた両親に対し、人生が二度あればと歌うこの歌。レコードでは歌のエンディングに父と母の人生を想う陽水が嗚咽をもらしながら歌い続けるといった情熱的な展開になる。
その歌の歳に近づいている今の陽水は・・・なんと精力的なのだろう。毎年のように活き活きとステージをこなしている。しかし、同じ60代でもあの頃の60代に見えないのはなぜだろうか・・・。
当時の日本の平均寿命は男70歳、女75歳であった。2008年時点の平均寿命は男79歳、女86歳である。医療の進歩や生活環境が変わり、36年の間に約10歳も寿命が延びていることがわかる。
だから、今の歌詞で歌うなら、
父は今年二月で七十四  ということになる。

陽水がこの歌を子供に歌われる時はまだまだ先のことなのだ。

3番の歌詞では・・・

父と母がこたつで お茶を飲み
若い頃の事を 話し合う
想い出してる
夢見るように 夢見るように
人生が二度あれば
この人生が二度あれば

とある。

 今の65歳は若い頃を夢見るようにしながらコタツに入って思い出話をしないだろう。どちらかというと、まだまだこれからも思い出を作る努力をしていきそうだ。
還暦を過ぎて結婚する人もいるし、早めに会社をリタイアして趣味に生きる人もいる。もちろん生涯現役とばかりに、精力的に仕事に励む人もいるだろう。
今の60歳は若いのだ。

 3年後、陽水はこの歌の父親と同じ歳になる。その時、陽水はこの歌をどういう気持ちで歌うのだろうか。
きっと陽水のことだから、シニカルな笑いを蓄えながら、
「この歌の父親と同じ歳になってしまいました。・・・ま、別にそれがどうしたってわけじゃないんですけどね・・・」
なんて言いながら、歌いだすのだろう。

2010年4月20日
花形
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by yyra87gata | 2012-12-26 16:23 | 音楽コラム | Comments(0)

無念・・・加藤和彦

 
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 加藤和彦はね、僕が最初に意識したミュージシャンだったんだよ。たしか、中学1年か2年だった。
あの頃は、親戚のお姉さんから吉田拓郎を聞かされて軽音楽に目覚めた時で、榊原郁恵ちゃんのレコードを買っていたお金が拓郎に変わっていった時だったんだ。
で、拓郎の歌って当時の僕にかなり響いちゃって、詩の内容とか歌い方とか・・・。
もう、完全に拓郎をアイドル視してたわけ。
みんなは出てきたばかりの松山千春とか、やっと売れたアリスとか、歌ってんだか語ってんだかわかんなくてやたらと難しい日本語を使うさだまさしとかを応援してたけど、僕は一人拓郎派だったのね(一人じゃ派閥もないけどさ)。
で、拓郎のラジオを聴いたり、ごくたま~に掲載される雑誌を熟読したり。
そんな拓郎情報にちょくちょく名前が挙がっていたのが加藤和彦だったんだ。
拓郎は自身のアルバム『たくろうオン・ステージ・ともだち』(1972)の中でも
「このギターは加藤和彦大先生から譲ってもらったもので・・・」なんて言いながら名器のギブソンJ45を紹介していたっけ。
拓郎はこんな事も言っていた。「東京に初めて出てきて知り合ったのは小室等だけど、ミュージシャンとしてこいつすごいなと思ったのは加藤和彦だね。あいつはいつもいろんな洋楽とかを先取りしていて、みんなより1歩も2歩も先にいるんだよ。「結婚しようよ」の時に弾いていたスライドギターも当時みんな知らなかったライ・クーダーばりに弾いているからね」
拓郎が敬愛する人ってどんな人だよ・・・そんな入り方だった。
 フォークル、ソロ、サディスティック・ミカ・バンド・・・どれを取っても魅力的なミュージシャンだった。細い声なんだけど存在感がある。そしてなんといっても作曲センス。こんなコード、ここで使うんだ・・・みたいな。普通の曲の流れなんだけど最後にびっくりするようなコードが出てきたりとか・・・。
そんでもって、加藤和彦のプロデュース能力も最高。
ミュージシャンを自分色に染め上げるプロデューサーもいれば、ミュージシャンの味を引き出すプロデューサーもいる。
加藤和彦は後者。
ミュージシャンの力を引き出すだけ引き出して、そのミュージシャン以上になりきるというか・・・。
泉谷しげるの『80のバラッド』(1978)でもそのプロデュース能力は遺憾なく発揮され、泉谷の新境地を開拓したと思う。
拓郎の「ロンリー・ストリート・キャフェ」だって曲だけ聞いていたら、絶対拓郎が作ったシャウト・バラードだと思うよ。あれ、加藤和彦が拓郎のために作った歌だかんね。
こういう話は止まんなくなるよ、今日は・・・。

 僕は悲しい。
失い方があまりにも突然で、しかも遺書まであって。
ちゃんと死のうとしていたというのも悲しい。
 団塊の世代の人は、既成概念をぶっ壊すことに意義を感じ、新しい日本を作ってきたという自負があるようで、特にこういったミュージシャンなんてその典型でしょ。
遺書には「音楽でやるべきことが無くなった」というような事が書いてあったみたいだけど・・・。
やることが無くなったら、遊んでりゃいいじゃん。浪費癖はあるにせよ、食うに困らん金は持っているだろうし・・・。
うーん。でも、人目もあるかね・・・加藤和彦を演じなければならんかね。

 残念だね。
今年の2月にニッポン放送の公開録音で見た姿は、非常に格好良い62歳だったよ。ファッションも髪型も最高に格好良かったよ。ああなりたいなと思ったよ。
想いが募ってしまって・・・ジョンを失ったとき時と同じ感覚だ。
またひとつ大きな星を失った。
ご冥福をお祈りいたします。
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2009年10月18日
花形
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by yyra87gata | 2012-12-26 16:12 | 音楽コラム | Comments(0)