音楽雑文集


by yyra87gata

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リッチーVSゲイリー

 友達のM君は日本で売れ始めていたゲイリー・ムーアを毛嫌いしていた。彼はリッチー一筋。スキャロップド・ネックに加工された白いストラトを弾きながら屈伸運動にしか見えないリッチーのモノマネを彼はよく見せてくれた。
 僕はレインボーもゲイリーもそれほど違いがわからず、M君を相当がっかりさせていたのだが、ちょうどその頃発表された『コリドーズ・ オブ・パワー 』(旧邦題『大いなる野望』)(1982)は、なんかいいなぁなんて密かに思っていた。しかし、M君があまりにも毛嫌いするから、「ふーん。ゲイリーねぇ・・・。名前もあんまり良くないねぇ。ちょっと汚そうだし・・・」なんて話を合わせていた。
 M君は医者の息子。僕らは高校3年生。授業が大学受験シフトとなり自由登校になった瞬間、彼の家に悪~い友達がたくさん集まり朝から晩までぐちゃぐちゃな生活をしていた。
そこは、真っ昼間からデカイ音で音楽を聴き、エレキギターをマーシャルのアンプでかき鳴らすグループと、そんな騒ぎにはお構いなく麻雀に勤しむグループがひとつの部屋にひしめきあっていた。つまり、それくらい彼の部屋が広かったのだ。そして毎日のように、M君のリッチー教室が始まり、リッチー以外のギタリストはみんなタコになっていた(いやいや、M君はちょっと高崎晃に似ていたからラウドネスは許していたかなぁ?)。
 僕はそれでもゲイリー・ムーアの『コリドーズ・ オブ・パワー 』は意外と良かった、というようなことを言った時、M君は笑いながら「いやいやいや・・・どこがぁ?」なんて言うもんだから、「じゃ、何が悪いの?」的に聞き返すと驚くべき答えが返ってきた。
「ゲイリーって、こうじゃん!」
M君は両手でほっぺたをつまみながら、引っ張った。
「えっ?」
「だから、こうじゃん!ブルドックみたいじゃん。あんな顔でなに弾いたって格好良くないね!」
「えっ?じゃあMはゲイリーのアルバムは聞いたことないの?」
「ない!」
「ええええ!」
ってな会話をしたところ、さっきまで一筒を切ろうか四筒を切ろうか迷っていた(麻雀知らないと読み方すらわからんね)H君が、
「お前、いいかげんにしろよ、ゲイリー聞いたことねぇのに嫌いとか言ってんの?」と、ちょうど立つと腰の位置で雲海のようになっているタバコの煙を切り開きながら麻雀グループの中からやってくるではないか。
さぁ大変、そこから舌戦が始まり、挙句の果ては殴り合いの一歩手前まで発展した。(立直!)
リッチーVSゲイリー
最初のうちは・・・
「リッチーはロックだけにとどまらずクラッシックの要素も備え、スパニッシュギターの心得だってあんだぞ~!」
「いやいやゲイリーはアイルランドの厳しい社会情勢の中から現れた反骨のロックギタリストだぁ!」
「リッチーは60年代半ばではロンドンで売れっ子のスタジオミュージシャンで、様々な音楽に精通していて音楽の幅も広いんだ!」 
「ゲイリーは早弾きもすごいけどスローブルースを弾かせてもすごいんだぞ~!」 
といった会話が・・・。
「なんだあのハゲ!増毛しているんじゃねぇの。そんなロックミュージシャン知らねぇよ」
「ゲイリーなんてブルドッグみたいな顔しやがって。あんなブサイク、ステージに立つんじゃねぇ!」
「なにお!」
「なにおとはなにお!」
なんて具合になり、周りもこのアホらしい言い合いにどんどん参加し始めた。
「そもそもリッチーはわがままなんだよな。バンドメンバーをすぐにクビにしちゃうし・・・」
「ばーか!あれは妥協しない姿勢なんだよ。お前がリッチー語るの10年早いわ!」
「ゲイリーだってスキッド・ロウ、シンリジー・・・どれも長続きせんもんなぁ。人間的におかしいんとちゃうか?」
もう、めちゃくちゃな会話になっていった。
僕はどっちでも良かったんだけど、M君のあまりにも幼稚な理由に笑ってしまい、お前はどっちの味方なんだと凄まれる結果に。
しかし、けっこうみんなが口を揃えて言っていたことでミュージシャンについて好きか嫌いかという軸においてルックスってかなり重要なポイントを占めていたのには驚いた。女性アイドルならまだしも海外ミュージシャンをルックスで決めつけるなんてな・・・僕もしてたか!
そういえば、僕もハゲとチビとデブはダメだったんだ。しかもオカマのエルトン・ジョンだけは歌はいいと思うけど客の前に立つミュージシャンとして否定していたしな。あいつは作曲家になればいいと思っていたくらいだった。
 そんなこんなで、リッチーVSゲイリー戦争は勃発し、その後もいつも集まるメンバーの中では話題となり、その戦争はVヘイレンVS Mシェンカーになったり、ツェッペリンVSパープルになったり、バウワウVSラウドネスなんてのもあったなぁ。松田聖子VS小泉今日子の時は・・・もういいか。
受験が控えているのにこういったくだらないことを1日中だべっているんだから、暇人というかなんというか、なんとも言えない時間だった。ま、ある意味ディベートの訓練をしていたと思えば・・・なわけないか!
ただ、この論争について僕は一言だけ真面目に言い、みんながそれについてグウの根も出なかったということがある。
それは、どんなに速く弾けたってどんなにギターが泣いていたって、そのギタリストが後世に残るフレーズをどれだけ作ったのか、ということ。
僕の高校時代のリッチーVSゲイリー戦争について言うならば、その当時では圧倒的にリッチーの方が後世に残るフレーズを量産していた。ヴァン・ヘイレンとマイケル・シェンカーだったらヴァン・ヘイレンだろう。それは、テクニックじゃないのだ。作曲能力というか曲の完成度というか(ヒットソングというものでもない)。
そもそも芸術(曲の出来具合やテクニック)と商売(販売枚数)の関係が隣り合わせの世界の中で、演者に対して優劣を付けること自体が間違いなのだが、そんなこと当時の高校生に言ったって誰も理解することができない。そいつが格好いいか、悪いか。好きか嫌いかなのだ。
だから、終わらない論争に一石を投じた僕の言葉は座をしらけさせた。しかし、しらけたことイコールみんなそのことを理解したのだ。みんなは言葉遊びをしていたかっただけだったのか・・・。

 さて、ゲイリーの顔が嫌いと言ったM君。先日偶然にも彼に遭遇し、杯を酌み交わした。彼は立派な医者になっていた。リッチーの長かった髪もキレイに禿げ上がったそうだが増毛をしてかろうじて頭を賑わしている。そんなところも真似しているのかと聞くと真顔で「リッチーは増毛じゃないんだ。体質改善を行なってみるみるうちに生えてきたんだよ」と言うではないか。
「じゃ、Mは体質改善をしようと思わなかったの?」と聞くと、
「一度は試みたが、改善しなかったからこうやって増毛してるんじゃねぇか!」と笑いながら増毛剤を振りまく真似をした。
そこで、昔話の中でゲイリーの話をしたところ
「ああ、死んじゃったねぇ。ブルースアルバムではいいギターを弾いてたよね。『スティル・ゴット・ザ・ブルース』だっけ?あれ、いいアルバムだったのになぁ」
遠くを見つめる眼差しでエイヒレをかじるM。
「お前さぁ・・・ゲイリーのこと毛嫌いしてたじゃん。顔がブルドッグみたいだ、とか言って!」と僕。
「ああ、そんなこともあったな。あの時はリッチーしか見えてなかったからな。それよりゲイリー・ムーアは1987年に発表した『ワイルド・フロンティア』はいいアルバムって思ったよ。ちょうど大学生の頃でコピーもしたもんな。1990年に入ってからブルースギタリストになっちゃったからコピーなんてしなくなったけどね」
M君はいけしゃあしゃあと喋っている。
所詮こんなもんだ。でも、ルックスが嫌い(生理的に合わない)というマイナスポイントを覆すアルバム『ワイルド・フロンティア』はある意味凄いね。
『ワイルド・フロンティア』は急死してしまった親友フィル・ライノットに捧げられたアイリッシュハードロックの名盤。つまり、彼のアイリッシュとしての人生が凝縮したアルバムとも言える。そして、僕が高校時代から思っている後世に残るフレーズがこのアルバムにはたくさんある。
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2013年1月18日
花形
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by yyra87gata | 2013-01-21 11:56 | 音楽コラム | Comments(2)

『HANDS UP』  THE MODS

 ふと口ずさむ曲がある。
THE MODSの「バラッドをお前に」だ。
この曲は1983年に発表され、ドラマのエンディングソングにも起用されたので、知っている人も多いかもしれない。
 ドラマは《中卒東大一直線 ~もう高校はいらない~》。坂上忍主演、菅原文太、由紀さおりが脇を固めた連続ドラマで、高校の体制に対応できない主人公が高校を中退し、家族の理解の中、大学入学資格検定試験(略して大検)を受けた後、東大理Ⅲに現役合格する、というようなドラマだ。制服の私服化や髪型の規制など当時の学校の規則に対する問題が取り上げられ、金八先生とは違った味の学園ドラマだった。また、実話をもとにしたものだったので、主人公の親が書いた本がベストセラーになり、大検がクローズアップされた。なんせ、この家族、次男と長女も京都大学合格、次女は大検最年少合格という結果だったので、世の中の親達はこぞって読んだのだろう。

 ドラマの中で、やり場の無い主人公の怒りが、エンディングテーマに溶けていた。僕も丁度高校を卒業してブラブラしている時だったので、主人公まで熱くは無かったが体制側に巻かれる反骨精神みたいなものが少しはあり、共感したものだった。ただ、そんな気持ちをこの曲はなだめるでもなく、鼓舞するわけでもなく、ひたすら静かにやり過ごす。そんな突き放し方がまた良かったのかもしれない。
そういえば、同時期に大沢誉志幸の「そして僕は途方にくれる」という作品が同じような気持ちにさせてくれたっけ。
 
 THE MODSはこの歌の前に「激しい雨が」でメジャーの階段を上っていた。この歌は、マクセル・カセットテープの宣伝に起用され、本人達も登場したTVCMでは男のギラギラした躍動感と尖がった音がブラウン管から飛び出してきた。
 森山達也の鋭いヴォーカル、つんざくような苣木のギター、お茶の間で聴いてはいけない匂いがプンプンしていた。
1980年頃、彼らはテクノサウンドに疲れた日本の音楽に雷を落とした。映画《狂い咲きサンダーロード》で使用された「うるさい」は彼らのデビューのきっかけとなった。
そして、ロンドンレコーディングの『FIGHT OR FLIGHT』(1981)でメジャーデビュー。「崩れ落ちる前に」「TWO PUNKS」を収録。今でもこのアルバムから取り上げられるライヴナンバーは多い。

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『HANDS UP』(1983)は「激しい雨が」「バラッドをお前に」「HONEY BEE」を収録し、商業的にも一番成功したアルバムである。ホーンセクションや女性コーラスの起用を良しとしないモッズファンもいたようだが、僕は彼らの音楽の幅の広さを感心しながら聴いた記憶がある。
 
「バラッドをお前に」を口ずさむ。
 “俺はポツンと部屋にいる イラダチが鼻歌をさそう”・・・と歌い出す。
 “お願いだBaby そばにいて笑って その顔を見たくて 俺はボロボロになる”・・・何とも言えない虚脱感が全身を包む。
 そして2番の、“知らぬ間に 手を汚したぜ お前の嫌いな 仕事をしてる”・・・というところがモッズらしい。

 この曲を聴くことだけでも『HANDS UP』は買い!
 
2006年8月19日
花形
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by yyra87gata | 2013-01-08 22:08 | アルバムレビュー | Comments(3)

ディズニーでバイト!

 
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 東京ディズニーランドが今年30周年だそうで・・・。そこで私のディズニーでのアルバイト体験を書いてみようと思います。学生時代の話なので時効の部分もありますし、これは、以前書いた雑文なのでちょっと稚拙な表現もありますが、ご勘弁。

 私の大学時代、ロン毛の兄ちゃんは肉体労働系のアルバイトしかありませんでした。
かく言う私もごまかしながら勤めてきたコンビニのアルバイトは、ロン毛のため辞めることになりました。そして、肉体労働のアルバイトや投薬のアルバイトなど体にムチを打ちながら小銭を稼いでいた時、ある先輩に声をかけられました。いい稼ぎのバイトの話。その金額を聞くと時給換算で肉体労働の1.5倍から2倍の金額でした。・・・しかしその時先輩は、バイト内容を教えてくれませんでした。私はちょっとだけ悩みましたが、ギターも買ったばかりだったので、即答しました。
その先輩は、暴力的でもないし、助平な人でもない、増してや裏の世界に通じていそうも無かったのでバイトもきっとチョロイもんだと判断したのです。そして即行動となりました。
連れて行かれた場所は何の変哲もない事務所でした。雑然とデスクが並び、銅線や妙なスイッチボックスが転がっていました。事務所の脇には「火気厳禁」と書かれたダンボール箱が積み上げられています。なにやら怪しい雰囲気。

 その事務所には若い兄ちゃんばかりがたむろっています。腕に刺青を入れた丸坊主の人もいました。
そして、一番年長で一番体のでかい人が、周りを見渡してから話し始めました。
「●●くんは山梨の工場でブツもらってきて。」
「○○くんは××さんと一緒に△△△の石切り場に仕掛けに行ってきて。失敗しないようにね。一発でぶっとばさなきゃだめだよ。」
「■■くんは今日連れてきてくれた彼(私のこと)と一緒にオレに付いて来て。ディズニーに行こう。」
私はちんぷんかんぷんになりながら、先輩と一緒にでかい人の車(ジープ)に乗り込みました。

 でかい人が話しかけてきますが、ジープのうるさい音で何を言っているかわかりません。しかも独りで話して独りで笑ってしまうので、こちらも引きつって笑うしかありません。
ジープは浦安出口を下り、ディズニーランドに入っていきます。男3人、ディズニーランドで何するんだ・・・と思っていたら。裏口から入って、東京ディズニーランドを経営するオリエンタルランドという会社に到着しました。
そこで、先方の企画部の人とショーの打ち合わせが始まりました。
私は、ディズニーで働くのか?

 ショーの打ち合わせを聞いていると、謎が解けました。私は仕掛け花火を操作するアルバイトをするのであります。
先ほどの事務所は、花火屋さんであります。
その花火屋は何代も続く老舗の花火屋で、いろいろな場所で活躍していることも後で聞かされました。
夏の花火大会はもちろん世界中の花火大会に出場しており、変わったところでは「とんねるずのみなさんのおかげです」での仮面ノリダーのロケ(爆発ものが多い)やディズニーランドの打ち上げ花火やアトラクションで使用する仕掛け花火も請け負っているとのこと。
花火のバイト・・・そりゃ危険ですから時給が高いのも当然であります。
しかし、話を聞いていると昔ながらの火を導火線に点けるというような花火ではなく、仕掛け花火でも爆発する玉でもすべて銅線を引いて電気スイッチで点火していくものであります。だから、曲に合わせてタイミングをみて点火することができるのであります。
効果としての花火は、音楽や演劇台本と一体となっていますので、ただボタンを押せばいいというものではありません。音やライティングとのタイミングもあるので、けっこうコツがいるものです。
 私は、シンデレラ城前の広場で行なわれるミッキーマウスショーの仕掛け花火の担当になりました。
先輩とでかい人は毎夜8時くらいから打ち上げている定例の打ち上げ花火係になりました。
 楽譜や台本を見てスイッチングをするのであれば、まぁ慣れれば大丈夫かな、なんて思っていましたら、オリエンタルランドの方がにっこり笑って、
「ディズニーランドで働くのであれば、均一に研修を受けていただきます。もちろんユニフォームもお貸しいたしますので、●月●日の研修にご参加ください。」
先輩の方を見ると「俺たちはもう受けているから、がんばれな。」

 後日、研修会場に入ってびっくりしました。みんなディズニーランドで働くことに前向きで、目をキラキラ輝かせているからです。私のような仕方なくやってきた、という人はいなかったのでは・・・。
 研修は、ディズニーの哲学や接客に関するイロハをロープレ形式で行いました。笑顔の練習、発声練習など非常に実践的におこなわれたので、その後私が社会人になってからも役立つことがありました。
休憩時間中、いろいろな方が話しかけてきます。みんな社交的だなぁと思いましたが、きっと私が浮いていたから興味本位に声をかけただけかもしれません。だって他の男子と比べ明らかに薄汚いし、やる気はないし・・・。
彼らの話を聞いていると、働く場所で時給は違うようで、仕事内容と見合っていなくてもディズニーで働けるからガマン、なんてこともあるようです。
私もどこで働くのかとか、いくらもらえるのか、なんてことを聞かれましたが、適当にはぐらかしていました。だって、私はオリエンタルランドから金をもらうのではなく、花火屋さんから頂くからであります。正直言って彼らの時給の倍以上あったので、そんなこと言ったらマズイ雰囲気になるかな、と思ったのです。

 さて、バイトです。
ショーは1日3回。そのうちの2回を私が担当することになりました。授業を終え、西武池袋線、JR、東西線と乗りついで、浦安まで。浦安からバスです。ホント、京葉線舞浜駅なんて無かったから、とても遠かった印象があります。また、帰りも海からの吹きっさらしの風の中でバスを待つわけですが、ディズニーランドが閉園した後なので誰も歩いておらず、閑散としていてとても寂しい。しかも「オリエンタルランド前」なんてバス停から乗る人なんてその時間には誰もおらんのです。
そんな行き来をかなり続けました。
 肝心の花火ですが、これがまたタイトスケジュールなのであります。
1回目のステージの仕込み時間はそこそこあり、順序どおり仕掛けていけば15分くらいで終わります。
しかし2回目のステージのための仕込みは、舞台で直前まで他のアトラクションがあるので、インターバルが約20分しかありません。だから、メチャクチャせわしないのです。
 仕込みは舞台の下にもぐりこみ、懐中電灯をたよりに火薬と銅線を這わせていきます。火薬の種類と銅線の配線を間違えるとショーがメチャクチャになるので慎重であります。また、大仕掛けの花火もあり、天に伸びるポールの先にマグネシウムの花火をくくりつけることも忘れてはいけません。
もう、慌てふためきながらセッティングを終了すると、すぐにアトラクションが始まるなんてこともザラでした。
本番は、タイミングを見ながらスィッチングです。カチッという音とともにバーンと火花が光ります。お客さんは(ディズニー用語ではゲスト)、ヒャーとかウォーとか反応しながらミッキーに見入ります。
フィニッシュは、ミッキーが剣を高く上げるとき、後ろにあるオブジェのポールが5mくらい火花を散らしながらせり上がっていきます。火花が飛び散りながら、勇壮なミッキーがポーズをつけて終了であります。お客さんが退散したところを見計らって、仕掛けた花火の処理(水をかけたり、くず拾いをしたり)をしてバイトは終了です。
 くたくたになりながら歩いていると、よくお客さんに声をかけられます。
道案内からカメラのシャッターを押すことまで、なんでも笑顔で対応しなければなりません。たまに迷子に遭遇すると、重たい花火の荷物を持ちながら迷子センターまで一緒に行くことになります。子供は泣いていて、ミッキーのシールぐらいでは泣き止んでくれません。私は重くて泣きたいし・・・。

 花火のバイトは、その後もしばらくやっておりました。
そういえば、ディズニーランドの12月31日深夜のカウントダウンイベントの花火も打ち上げたことがあります。
12月30日の夜にリハーサルを行います。流石に真夜中に打ち上げることはしませんが、セッティングから撤収まで実際の流れを行なうのですが、その時にある事件が起きました。
ちょうどその年は昭和天皇のお体の具合が悪いということで世間的にすべてが自粛ムード。ディズニーランドも打ち上げ花火は取りやめとなりましたが、とてつもなくでかい「ナイアガラ花火」を仕掛けることになりました。それはシンデレラ城を中心として左右に20mくらい花火の滝が落ちるものです。
12月30日23時59分。カウントダウンのリハが始まりました。
私と先輩は「ナイアガラ花火」の近くで待機しておりました。
3、2、1という声とともに点火です。本番と同様にタイミングを合わせ点火。ザーッという音ともにナイアガラの滝のような七色の火花が一直線に伸びます。
シンデレラ城が七色に輝き幻想的な美しさでありました。みんな拍手をして盛り上がっています。
すると誰かが叫びました。
「火が!城に!」
よく見ると、飛び散った火花がシンデレラ城のお堀の下に位置する壁に燃え移り、くすぶっていました。
「消火器!水!消防車!」 怒号が飛び、一時は騒然としました。
するとすぐにカンカンカンと音を鳴らした赤い消防車が到着。でもその消防車はディズニーランドに設置されたもので、鐘を鳴らしているのはミッキーの人形ですし、妙にクラシカルな消防車だったのです。こんなんで消せるのか?なんて思っていたらシュバーッという音ともに勢いよく放水を始めました。そして、すぐに火は消えました。
ディズニーの人たちと花火屋さんの偉いさんがいろいろと討議しておりましたが、バイトの私たちはミッキーの消防車をガチャガチャいじっておりました。これが妙に可愛いのであります。

 翌日、本番。夕方ごろディズニーランドに入ると、昨日のボヤ騒ぎはどこ吹く風。城もきっちりと修復されておりました。さすがぁ~。
カップルや家族連れが楽しむ中、我々は黙々と仕込みを行ない、昨日の反省点を想起しながら本番を迎えました。
そしてカウントダウン。
シンデレラ城から流れる花火の滝が幻想的に映えます。
何事も無く花火は終了しました。

 花火のバイトは、ディズニーランドで約1年間やりました。
アトラクションの仕掛け花火がメインでしたが、たまにやる打ち上げは気持ち良かったですね。
 それからディズニーランドでバイトしたことで覚えていることは、食事が美味しかったことです。
スタッフ専用の休憩所が園内に3箇所くらいあり、そこで食べることができる食事が美味しかったです。これを園内で販売したら3倍から4倍の値段を取られるのではないか、というくらい安かったですし・・・。
そういった意味でも、本当にスタッフに対してもサービスが行き届いた立派な施設だと思います。
 その休憩所では、いろいろな光景にも出くわしました。ショーダンサーが夢を語りながらパスタを食べていたり、パレード直前のダンサーはダンスの振り付けを最後までチェックしていたり・・・。中には上手くダンスが踊れず悔し涙を流しながら笑顔を作って練習をしている人もいて、ミュージカル映画さながらの光景でありました。そういった前向きな光線がいっぱい出ている人たちだからこそ、人を楽しませることができるのでしょうね。
私にとってけっこう良い思い出のアルバイトでした。

 ディズニーランドに遊びに行くとそういったスタッフたちの目線で彼らのもてなしを見てしまうこともあるので、楽しいこともさることながら、暖かい目で見てしまう自分もいます。
最高のサービスを提供する夢の世界ですな。

おわり (2008年の記述)

2013年1月4日
花形
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by yyra87gata | 2013-01-04 12:04 | その他 | Comments(0)