音楽雑文集


by yyra87gata

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 うるさいオヤジの戯言と言われてしまえばそれまでだが、嫌なものは嫌なのだ。ま、大河ドラマ「八重の桜」的に言えば「ならぬものはならぬ」のである。

 いつから忌野清志郎はお茶の間に平気でオンエアされる歌手になったのか。誰も彼のことを国民的歌手などと言ってはいないが、セブンイレブンのCMで使用されるTHE TIMERS名義の「デイ・ドリーム・ビリーバー」を聞いているとそのような気分になってくる。
セブン・アンド・アイ・ホールディングスの広告投下費用がいくらかは知らないが、莫大な数のオンエア数を見れば、あの歌はモンキーズの歌ではなく清志郎の歌と勘違いする人も出てくることだろう・・・ということで、何が言いたいかというと、私はお茶の間に普通に入ってくる清志郎が好きではないし、そもそもの清志郎が歌うあの「デイ・ドリーム・ビリーバー」が嫌いで仕方がない。

 清志郎の歌唱は促音を強調し、独特のイントネーションで日本語を強調するもので決して万人受けするものではない。どんなに美しいメロディも彼の歌唱にかかるとすべて彼の世界に変化してしまう。その点ではオリジナリティ溢れた最高のシンガーなのであるが、私の中ではそれらを一般のテレビから日常的に聞きたくないというのが本音なのだ。普通に考えれば彼の歌唱は独特すぎるし、例えば爽やかな朝の番組の合間にCMで清志郎の声はいかがなものかと思う。

 私は忌野清志郎が決して嫌いなわけではない。どちらかといえば私は中学、高校時代にどん底のRCがトップスターに飛翔していく様をリアルタイムで見ていたので、彼への親和性は非常に高いと思っている。RCがエレクトリックバンドに変わり、満員の「渋谷屋根裏」のライブこそ見逃してはいるが『RHAPSODY』(1980)の実況で有名な久保講堂には足を運んでいる。どちらかといえばファンなのである。それでも、彼の音楽性やマスコミへの態度などを見ていると普通ではない人という認識となり、彼独特のユーモアでロックスターを演じているのかもしれないと思ってしまうこともある。ま、それはそれでいいのだが、もちろん私は彼と面識は無いので「いちファン」として感じたこと・・・つまり、彼は歌謡曲の人ではなく、芸能界の人でもなく、ロックの人だということ。そこだけははっきりさせておきたいのだ。
彼が病魔に倒れ、若くして命を落としたことは痛ましい事実だ。しかし、彼がもし今生きていたら・・・今のマスコミの「彼の扱い」に対し「彼」はどう思うか。

 彼は常に反体制だった。1980年代に起きたチェルノブイリでの原発事故のことを誰よりも心配し、メッセージを歌に乗せ抗議活動を行なった。それは自らの音楽人生を賭けんばかりに、テレビ局やレコード会社に毒づいた。そんな彼の声はそれまでの偏ったロックキッズだけに留まらず、一般のリスナーにも届くようになっていった。その流れを知ってか知らずか、彼は自分の意思による言葉という武器でもともとロックミュージックの持つ反体制という概念に則った表現で社会に訴えかけた。その時のアルバムはRCの『COVERS』(1988)や『コブラの悩み』(1988)に表現されている。
しかし、彼はもともとブラックミュージックやソウルミュージックが好きな音楽青年にすぎなかった。音楽を「売れる」「売れない」という範疇で語るのではなく、自分の好きな音楽を好きなだけ表現したいだけのピュアなミュージシャンだと私は思っている。そんな彼の歌が支援されている(ヒットする)ということはどういうことだったのか。つまりそれまでで日本の音楽シーンで反体制のロック歌手がヒットを飛ばすということは後にも先にも無かったことなのだ。だから伝説の「キング・オブ・ロック」という称号を得たのかもしれない。そう、私はこの「キング・オブ・ロック」という言葉も嫌いだ。何故清志郎がキングなのだ?所詮日本のロックはアメリカ音楽の物真似じゃないか。JBのマントパフォーマンスを清志郎が行なうことだって彼特有の洒落じゃないか!そんなこともわからないで盛り上がり、キング呼ばわりは逆に彼がかわいそうなんじゃない?そして、日本の音楽産業やそれを取り巻く世界は欧米ほど成熟していないから人気がありそうだ、モノが売れそうだ、人が集まりそうだ、・・・そんな話題だけで音楽を巻き込み、踊らされるリスナーたち。そしてそれは作り手が望まない世界へ展開することだってあるのだ。

 
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私の好きな清志郎は彼のヘアスタイルのように尖がっていて、マスコミなんかにケツを向けているただのシンガーなのだ。日比谷野音と日本武道館を満員にさせ、オーティスの物真似だけど「ガッタガッタ・・・」って叫びながら、日本のおかしな政治屋やモンキービジネスの豚どもを嘲笑しながら歌い飛ばすシンガーに過ぎないのだ。おかっぱ頭で客に毒づきながらアコースティックをかき鳴らしている清志郎から何も変わっちゃいないのだ。
だからあの「デイ・ドリーム・ビリーバー」は、お茶の間に平気に流れる清志郎が体制側に回っちゃったみたいで違和感があるんだよな。

「ずっと夢を見て、安心してた・・・僕は、デイ・ドリーム・ビリーバーそんで彼女はクィーン」・・・この歌詞の彼女って清志郎のお母さんのことだって知っている?
清志郎の歌声が今日もTVから流れている。画面には、幸せそうな家族やカップルが色とりどりのおにぎりやお弁当を手に笑っている。
この映像に清志郎のヴォーカルねぇ・・・違和感があるのは私だけか・・・。
まぁ、いい。嫌なものは嫌なのだ。

2013年7月16日
花形
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by yyra87gata | 2013-07-17 12:00 | 音楽コラム | Comments(14)

「21」 アデル

 音楽を趣味としていても、私はなかなかに最近のヒットチャートに疎い。邦楽洋楽問わず、あまり興味が湧かないのだ。ラジオでたまたま流れていた音に耳を傾け、反応することはあるにせよ、昔ほどリサーチしようなどとは思わなくなった。それは歳のせいかもしれないが、自分の心地よい音だけを聞いていたいという本能的な反応なのかもしれない。
但し、片方の自分で「それじゃいけない」と警笛を鳴らす。そう、自分は音楽を作るという趣味があるのだから、様々な音を取り入れ、肥やしにしなければならないのだ。多少苦手な音にも耳を傾け、自分の音楽の幅を広めなければ自分の中の音はマンネリで陳腐化していく。創作するとはアイデアが湯水のように湧いて出てくるだけでは成立しないもので、特に現代音楽は周りの音との調和も考えなければならない。

 今回取り上げるアルバムだが、アデルの『21』(2011)を紹介したい。何を今さらアデルなの、と思う方もいらっしゃると思うが、私はアデルというシンガーを今まで知らなかった。この『21』もたまたま社有車の中にセットされていたから聞いただけで、自分の意思で聞いたものではないのだ。そう、それは私が車を走らせ、ラジオも面白くないからザッピングのようにCDボタンを押した瞬間、スピーカーから流れ出た生々しい音に眩暈を覚えた。何の先入観も予備知識も無く、流れてきた音楽。妙に老練な歌い回しが気にかかり、後から調べるとそれが21歳時の歌声と知った時、2度目の眩暈が私を襲った。
ジャンル的にはポップスになるのだろうが、今風の言い方だとR&Bという括られ方もするのだろうか・・・ま、そんなことはどうでもいいか。
妙に生々しい楽器の音。ミックスがガレージロックっぽい。しかし、歌はハスキーがかった情念の表現力もある。
情念・・・つまりこの『21』は、「離別」の内容がコンセプトにあるアルバムで、アデルの感情がもろに反映されている。自らを切り売りしながら創作活動をするシンガーということはアルバムタイトルの『21』からも容易に判断される。
ファーストは『19』セカンドは『21』。ともにレコーディングされた時の年齢という。つまり、その時点での自分を表現するに一番シンプルなタイトルである。
 私は昔から売れ線という言葉が好きである。ヒットパレードを追っていた時期もあるし、どんなに嫌いなアーティストでも売れるからには何かしら要因があり、そこには人を魅了する何かがあるのだと思うのだ。だから、一時期は好きでもないアーティストのCDをしこたま購入し、譜面に落とし、聞き込んだこともあった。しかし、感性的に許せない音楽はいくら売れていても理解不能に陥るだけで苦痛な時間を過ごすことがわかり、その行為はもう何年もしていない。そんなわけで、そういう耳を持っている自負もあるから社有車の中で聞いたアデルは自分の中で久々のヒット要因をもつアーティストと合致したのだ。
CDを2回繰り返し車の中で聞き、信号待ちでプロデューサーをチェック。リック・ルーヴィンの名前を見つけ妙に納得。エアロとRun-D.M.Cのコラボヒットである「ウォーク・ディス・ウェイ」を手掛けたことで有名となり、レッチリやメタリカなどのビッグネームを扱うプロデューサーで名を馳せている。

 ヒットする要因が分かれば何の苦労もない。誰もがそのメソッドを実行すればいいだけだ。しかし、ヒットは時として気まぐれであり、一筋縄でいくようなものでもない。プロモーションを無尽蔵にかけても結果につながることは保証されないし、ヒット曲の作家やプロデューサーを用意しても同様だ。
そこに人を惹きつける魔法が無いとヒットは生まれないものだ。
 『21』を社有車の中で聞いた時の胸のざわめきは、きっと惹きつける魔法の一つだったに違いない。だって、私はあの時、本当にアデルのことなど何も知らなかったのだから。
調べてわかったことは2012年第54回グラミー賞で主要6部門を受賞し、全世界で約3,000万枚近いセールスを記録したということである。

好きか嫌いかというより今のヒット曲のスタンダードとして記録される作品である。

 
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2013年7月12日
花形
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by yyra87gata | 2013-07-12 19:53 | アルバムレビュー | Comments(2)