音楽雑文集


by yyra87gata

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 ラジオから流れる最近の音楽。テレビから溢れるお笑いとジャニーズの薄ら笑い。そんなメディアに慣らされている日常。久々にレコード棚からパティ・スミスを取り出し、ファーストアルバム『HORSES』(1975)に針を落とした。
曇っていた目の前が開けた。耳を劈くノイジーな演奏だが、勢い、躍動、そして大らかさも兼ね備えたなんとすばらしいアルバムか・・・。
このアルバムが私とパティの出会いのアルバムであったが、初めて聞いたのは私が中学3年の頃だから1979年か・・・。
どちらかと言うと、もともとはパティ・スミスというよりアルバムジャケットを撮影したロバート・メイプルソープの方に興味があって、私は彼の写真を見ることが好きな少年だったのだ。その中の1枚がこの『HORSES』ジャケット写真。それがアルバムの購入動機だった。
 当時パンクはセックスピストルズの崩壊後、テクノサウンドに押される形となり停滞し始めていた頃だった。日本でパンクといえばイギリスで、ニューヨークパンクはどちらかというとわかりやすいイギリス人の労働者階級の怒りというより、「人種的」「性別的」「人間の根源」「観念」といった詩の世界を表現するマイノリティな音楽と捉えられていたのではないだろうか。それは、ベルベットアンダーグランドやルー・リード、MC5、テレビジョンあたりのことを示しているが、正直日本では流行らない音楽のひとつだった。なにせ、混沌とした詩の世界の中、キャッチーなメロディがあるわけでもなく、ポエトリーリーディングに即興で音を乗せたような音楽は、英語のわからない日本では受けるはずがないのだ。であれば、ピストルズのようにカミソリをピンセットで括って「アーイ・アム・ア・アンチ・キリストーッ!」って叫んでいる方がわかりやすい。
 さて、そんなわけでパティ・スミスなのだが、私は今まで多くのコンサートに足を運んできたが、コンサートを見てあまりにも感動し、その場でそのツアーの残りの公演のチケットを手に入れる。そしてもう一度、同内容のコンサートを観るという経験をしたのはこのパティ・スミスだけである。
最後の伝説の来日というふれこみであった。1997年1月8日、初来日公演を中野サンプラザで観た。
中学3年から待ち焦がれたパティの最初の姿を見たく、初日の公演を取った。
舞台に現れたパティはスリムな黒いスーツでふらふらとセンターに。そしていきなり復活の歌「People Have The Power」を声高らかに歌い上げたのだ。
ノックアウト!あんなに細い身体から倍音のような高音や男のように太い声も自在に出てくる。
詩の朗読やスクリーミングなど様々なパフォーマンスを経験しているパティだから表現力の幅がものすごいのだ。
私はシャウトしながらも、とにかくジッと観た。頭の中に焼き付けようと・・・。そして約2時間、脳内興奮状態に陥っていた。デビューから22年目の初来日であり、ベテランの域に達しているパティのステージは、ただの懐メロ歌手でなかったこと、それは新作『GONE AGAIN』(1996)の中から5曲、それに加え、新曲を5~6曲も演奏したことに尽きる。
 50歳を過ぎたパンクロッカーなんて、と思う人はあの空間には1人としていなかっただろう。私は50歳の少女がいると思ったくらい魅力的だったと記憶している。
そして、追加公演が発表され、すぐさまチケットをゲットした。
1月16日は私の誕生日。そんな日にパティの追加公演が恵比寿ガーデンホールで行なわれた。
もう、最初からキレキレのステージ。
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細身のスーツ姿。あの細い体から筋の通った太い声が良く出るなと改めて感心していた。
パティの音楽は多種。決して叫び続けるだけのパンクだけではないし、どちらかといえばそういう楽曲は少ないかもしれない。言葉を紡ぎながら切々と歌うタイプである。どちらかと言えば、ディランやモリソンに近い歌唱であろう。
 しかし、ビートががっつり入るとそこにはパティの世界が広がり、細い手をいっぱいに広げ慈愛に満ちたヴォーカルは聴衆を包み込んでいくのだ。
私は、ガーデンホールのだだっ広いフロアに独り立ちすくんでいた。
目の前の伝説は、シンガーだが、詩人であり、ミュージシャンであり、恋するオンナであり、母であった。
パティの壮絶な生い立ちをここで披露しても何の意味も成さないが、少なくとも自分に素直に生きてきた人であり、その人の言葉には説得力があり、そのパフォーマンスに嘘は無いと言うことだけは確かだ。

冒頭に緩い現状の日本の日常を書いたことを後悔した。
そんなものと比べちゃパティに失礼だわ・・・。

2014年7月21日 花形
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by yyra87gata | 2014-07-21 18:20 | コンサートレビュー | Comments(2)

雨の2曲

 梅雨である。湿気が多く、気分も落ち込みがちとなるこの季節だが、学生の頃は、雨の日に聞きたくなる音楽や「雨」という言葉のタイトルがついた楽曲をカセットテープに録音し、オリジナルテープを作って楽しんだものだ。
ビートルズの「レイン」やBJトーマスの「雨にぬれても」など鉄板ネタはいいとして、私が必ず選ぶ2曲の邦楽があった。
山下達郎の「レイニーウォーク」と矢沢栄吉の「レイニーウェイ」だ。この2曲、意外なところに共通点がある。
もちろん「雨の歌」と言うことだが、ともに1980年に発表されたこと。そして、2曲ともシングル盤のB面だったということ。
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 達郎の「レイニーウォーク」は大ヒットシングル「ライド・オン・タイム」のB面。矢沢の「レイニーウェイ」は「涙のラブレター」のB面だ。
ともにB面扱いであるが、私はA面でも良いと思うくらいクォリティは高いと評価していた。
「レイニーウォーク」はもともとアルバム『ムーングロウ』(1979)に収録された楽曲でアルバムの中でも特異な曲であった。
他の楽曲がストレートなロックやジャージーなナンバーであるのに対し、「レイニーウォーク」はシカゴ・ソウル風で異彩を放ち、この曲だけ演奏メンバーも変えられている。
一番わかりやすい例でいくとドラム。
『ムーングロウ』では、ロック系のドラムは上原“ユカリ”裕、ジャージー系は村上“ポンタ”秀一が担当しているが、この「レイニーウォーク」は高橋幸宏である。ベースは細野晴臣が担当していることからも、リズム隊としては重めというか湿ったビート、まさにレイニーなのである。
高橋幸宏のビートは跳ねない。ベタベタとした粘るビートであることから達郎はセレクションしたのではないかなどと想像しながら聞くと面白いものだ。
そしてこの曲、達郎のヴォーカルもほとんどがファルセット。
1979年当時、男のファルセットなんて認知もされていない時代によくもまぁこんなにソウルフルな楽曲を作ったもんだなと思ったものであった。
当時、私は中学3年であったが、ソウルチャートを追いかけ始めた頃だったので、この曲はアメリカの黒人ソウルシンガーが歌えばいいのにと思い、達郎のサウンドストリートに葉書を出したことがあったが、読まれもしなかった。
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 矢沢永吉の「レイニーウェイ」は、矢沢にしては地味なシングル「涙のラブレター」のB面。但し、この歌、ブラスセクションが豪華でライブ1曲目で取り上げられたこともあるくらいド派手な歌。1989年「STAND UP TOUR」や2002年の日本武道館公演のオープニングで使用され、チョー格好良い永ちゃんの登場シーンであった。
矢沢が歌う雨の歌は数多くあるが、とりわけこの「レイニーウェイ」は、ビートも重く、矢沢の泣き節が冴えわたる。
矢沢のヴォーカルは泣き声に近い。笑っていない。特に高音を絞り上げる際は顕著に現れる。
その泣き節に重厚なホーンセクション。雨というより雷雲という雰囲気である。
印象的なホーンのフレーズは頭に残る。
 ガツガツとしたギターカッティングや野太いベース。なんと矢沢自身がレコーディングしているとのこと。矢沢も思い入れもがある楽曲なのではないだろうか。ちなみにドラムのスネア音は段ボールを叩いたのだとか。今のように何でもサンプリングされた素材があれば何てことないが、1980年当時はこの段ボールの音がベストサウンドだったのだろう(ちなみに拓郎の「結婚しようよ」(1972)のスネアも段ボールだった)。
とにかく、矢沢の「レイニーウェイ」を聴くと身震いするというかなんというか。
こういう楽曲を作るミュージシャンって中々最近いなくなった。

 雨はシトシト降ったり、ドシャ降りであったり。季節によっても雨の情景は変わる。
五月雨、こぬか雨、9月の雨、氷雨、Hard Rain、Summer Rain・・・。タイトルだけ見ても面白い。
雨が降り、家の中で篭ってしまう時、雨の歌を探しながらレコード棚を探索するのも一考かと。

2014年7月8日花形
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by yyra87gata | 2014-07-08 13:37 | 音楽コラム | Comments(0)