音楽雑文集


by yyra87gata

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  他人から見たらどうでもいい私の「持論」。
バンドはオリジナルメンバーを好む。特にバンドの華であるヴォーカルが交代することを良しとせず、もし変わるのであれば、そのバンド名を使用して欲しくないと思う。
また、オリジナルでレコーディングされた楽曲を好み、セルフカバーを嫌う。ライブ時にアレンジを施すことはこの限りではなく、それはそれで楽しむことが出来る。

  さて、このような拘りをもってしまうと往年のバンドは殆ど見る機会が無くなる。
なぜならバンドメンバーが死んでるか、メンバーチェンジか・・・。
ストーンズはさすがにメンバーが変わっていても、初来日(1990)だけは観覧したが、ビル・ワイマンが抜けた2回目からの来日には足を運んでいない。イーグルスもドン・フェルダーが抜けてしまったら興味が無くなった(厳密に言うとバーニーが抜けた時点でイーグルスじゃないんだけどね)。
ディープ・パープル、ジャーニー、TOTOなどヴォーカルが変わってしまうバンドは、新たなヴォーカリストを迎えたら、なんだかそのバンドのコピーバンドを観る感じになる(極端かなぁ?)。
だからU2とかってある意味凄いと思う。

  先日、海外出張の帰りの飛行機の中で、「THE WHO LIVE IN HYDE PARK」を観た。このコンサートは、バンド結成50周年を迎えた2015年6月26日にTHE WHOのホームタウンであるロンドン、ハイドパークにて65,000人の観衆を集め開催された大イベントである。
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  深夜便の飛行機は中々寝付かれないので、差し障りない懐メロでも聞きながら寝ようかと思っていたのだ。そう、私にとってTHE WHOはオリジナルメンバーが2人も死んでしまった伝説のバンドなのである。だから、先ほどの拘りからすると、大好きなドラマーであるキース・ムーンや大好きなベーシストであるジョン・ウェットウィッスルを失った現在のバンドに興味は無くなっていたのだ。
THE WHO は偉大なバンドであるし、大好きなバンドだっただけに当時のレコードやフィルムを見ることはあっても、オリジナルメンバーのいない今のTHE WHOが来日した時にライブに足を運ぼうという気持ちすら起きない。
しかし、このコンサートを飛行機の小さな画面で見て・・・興奮した。
眠るどころか脳内興奮状態に陥ってしまった。

  オリジナルメンバーは、ロジャー・ダルトリー、ピート・タウンゼントのTHE WHOだが、彼らの音楽は色褪せることなく生きていた。
そして、それを再現するバックミュージシャンたち。
ドラムはザック・スターキー。キース・ムーンとリンゴ・スターはドラッグ仲間。まさかそのリンゴの息子があんなに上手く叩いているとは・・・感嘆。
聞くところによるとザックはキースからドラムを直に習ったそうで、本当にキースそのもののプレイだった(マシンガンのようなタム回し、クラッシュシンバルでのリズム取りなど)。
ベースはピノ・パラディーノ。ジェフ・ベックやジョン・メイヤーなど様々なセッションをこなす職人。ジョンが亡くなってからTHE WHOを支えてきた男だ。派手さが無いところもジョン譲りか。
また、ピート・タウンゼントの息子もギターやキーボードで参加している。

そして、オリジナルの2人は・・・
  ピート・タウンゼントなんかジジィになって体のラインもおじいさんのようなんだけど、決めポーズは格好良いんだよ。パワーコードをかき鳴らし、ギターがエリック・クラプトンモデルというのが許せないんだけど(この人はギブソン系のギターが似合うと思うんだが)・・・。
  ロジャー・ダルトリーもサングラスなんてかけて、遠目で見てると老眼鏡のようにも見えるんだけど、ちゃんと声が出ているんだよ。わーっ!て叫べるジジィなんだ。
 すげぇ人たちだなぁと思いながら、小さい画面を食い入るように見ていた。

  そういえば、THE WHOは、リード・ヴォーカルとリード・ギターとリード・ベースがいるバンドといわれ、その理由はキース・ムーンのリード・ドラムが存在していたからだと結論付けられている。
キースの独創的なプレイを活かすのは、ジョンの安定しながらも楽曲を広げるフレーズを持つリード・ベースだ。だから、ピートはパワーコードでギターをかき鳴らしながらもオーケストレーションの様な音の波動を組み立てることにイマジネーションを膨らませることができたのだ。そして、ムーグのシンセサイザーやシーケンサーをいち早くロックのビートに取り入れ、70年代のロックに昇華させることに成功したのだと思う。
デビューしたてのただただ破壊的な演奏の根底だけはそのままに、ピートの天才的な音楽創作、メンバー個々の相手の演奏を慮る耳の良さがアンサンブルとなり、THE WHOは世界的なバンドに成長していった。
メンバーの奇怪な行動、暴力、ドラッグ、破壊行為、ケンカなど何度も解散の危機に瀕しながらもロックの王道を歩んできたバンド。ある意味、セックス・ドラッグ・ロックンロールを体現し、全世界のロックフォロワーを作った。ジョー・ペリーもゲディ・リーもみんなTHE WHOに影響を受けて育ったのだ。

  2名の尊い天才は旅立ってしまったが、残された2名の天才は、2世を従え演奏を続けている。
演奏を見終わった後、思ったことが一つ。
よくアメリカンロックが好きか、ブリティッシュ・ロックが好きかなどと他愛の無い話をすることがあるが、THE WHOを認めることが出来ない人(好き嫌いではなく)は、ブリティッシュ・ロックが好きじゃないのでは、と。
THE WHOの生き様や言動、もちろん音楽も・・・イギリスのソウルという気がしてならない。
労働者階級の代弁者、シニカル、反骨精神、モッズ、どんよりとしたロンドンの天気・・・。

  50周年記念コンサートが私のTHE WHO愛に火をつけてしまい、日本に帰ってきてから2週間、ずっとTHE WHOばかりを聴いている。もちろん「トミー」「キッズ・アー・オールライト」「アメイジング・ジャーニー」を見直し、胸を躍らせている。

 そして、今日もターンテーブルにTHE WHOを乗せるのであった。
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2016年5月25日
花形
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by yyra87gata | 2016-05-25 20:52 | 音楽コラム | Comments(2)
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チャーとの出会いはTV。
チャーは、アイドルが沢山出演している番組に居心地悪そうに出演していて悪態をついていた。
当時私は中学生。「チャー」と言う響きが一昔前のグループサウンズの匂いがして、ちょっと引いた。私はあだ名でバンド内の人間を呼び合うバンドを毛嫌いしていた。
アマチュアバンドでありがちな行為。
それはビートルズのコピーバンドに多かった。ライブのMCでいきなり・・・
「最近のポールはどうなの?パチンコ勝ってる?」
「おいおい、ジョン、そんなことこんな場所で言うなよ。ハハハ」なんて具合。
格好悪いったらありゃしない。
私は当時、邦楽では、男っぽいよしだたくろうや矢沢永吉、洋楽ではビートルズ、フリー、ザ・バンド、ディランといったコテコテの60年~70年代の音楽家を好んで聞いていたので、 いきなり“チャー”はないだろ・・・という印象だったのだ。
また、同時期にレイジーなるバンドも存在していて、ポッキーだファニーだスージーだ、なんて騒いでいたから余計に「アホ臭いなぁ」なんて思いながらブラウン管を眺めていた。
それに加えて、白いパンタロンにフェンダー・ムスタング。ムスタングって中途半端なギターだなぁなんて思いつつ・・・。
チャーは「気絶するほど悩ましい」って歌っていた。作詞・阿久悠。こりぁ職業作詞家の歌だ。まさにグループサウンズのノリ。「長続きしないだろうなぁ」なんて思いながら、チャンネルを変えようとした。と、その瞬間、間奏のギターソロが始まった。
歌のコード進行にはそぐわない、そこだけ独立した展開。チャーのギターが活き活きと旋律を奏で始めた。こんな展開のギターソロか、と思いつつこれには、けっこう衝撃を受けた。たった12小節のことなのだが、それだけで好きになった。
チャーの歌唱は演歌みたいにこぶしをつけるし、鼻が詰まったような声にも聞こえたが、ギタープレイは今まで見たことが無かった(特に当時のTV音楽番組で日本人のロックギターが登場なんてしていなかったし、あったとしてもGS絡みでブルコメの三原やカップスのエディくらいだったのだ。クリエーションとかTVなんて出ないし、ツイストはロックと言うより歌謡曲に近かったし・・・)。そんな中でチャーはギターをギュンギュン鳴らしていた。

  それからのチャーは「逆光線」「闘牛士」「GIRL」と順調にシングルヒットを重ねたが、突如シーンからドロップアウトした。当時の新聞では芸能人のマリファナ疑惑を大々的に報じており、その騒ぎに巻き込まれたようだ。

  ある日、中学の友人が下北沢のレコード屋にあったフライヤーを持っていた。
「ジョニー・ルイス&チャー(仮) デビューコンサート 日比谷野外音楽堂 1979年7月14日(土)  16時開演。フリーコンサート(無料)」
白い紙にマジック。手書きで書いたようなチラシ。味も素っ気も無く、急遽作りましたという感じが出ていた。
私の中学はその当時から土曜日は休みだったので(土日休みの学校って珍しかった)、コンサートに行くか行かないか迷っていた。
しかも、フリーコンサートと明記してある。金の無い中学生でも観ることができる。うむ。
友人に当日の朝、電話をかけ誘ってみたが、「雨の中で観るのは嫌だ、俺は行かない」とつれない返事。大粒の雨が朝から降っていたのだ。
 私は別の友人を半ば騙す形で連れ出した。アイドルが出るかもよ、なんて言ったかもしれない。
 雨の日比谷野外音楽堂。その周りには大勢の人が集まっていた。入り口まで続く長い列。白い合羽とこうもり傘の川が入口に向かって何通りも出来上がっていた。
私も友人も雨合羽に着替え、列に並んでいたが、野音の中からはリハーサルの音が外にこぼれていた。
遅々として前に進まない列。
15時30分。開始時間が迫っていたが、会場内にたどり着けない。
空を見上げても一向に止まない雨。

16時過ぎ。
野音の中で、ゴニョゴニョとPAを通して誰かが話しているようだが、外にいる私たちには聞き取ることが出来ない。するとその直後、会場の方向がピカッと光った・・・
そしてドカーンという落雷のような音が響き渡った。
列をなす我々はどよめきの声。
チャー独特のギターの音。「君が代」が流れ始めた(最初は何の歌だかわからなかったが、誰かが君が代じゃねぇか!なんて叫んだ)。
「始まっちゃったよ!」「なんだよ!入れろよ!」「どーなってんだよ!」
会場に入れない私たちから怒号が一斉に沸き起こった。
列の先頭はスタッフともみ合っている。
私と友人はその雰囲気に飲まれてしまい、そこに立ちつくすのみ。すると、私の後ろに並んでいた男が何人かで入口とは別の方向に走り始めた。
友人は私の袖を引き、そして、私たちはその男たちの後を追った。
野音の下手側に走る。曲はジミヘンの歌に変わっていたが、よくわからなかった。しかし雨の中を走りながら「そうだ、チャーは3人のバンドを組んだんだ。ジミヘンみたいな曲を演奏しても不思議じゃないな」などと思いながら、とにかく走った。金網が破れ、コンクリートが割れた少しの隙間に男たちは消えていくのが見えた。友人は笑いながらその男の後に続いた。私も続いた。被っていた雨合羽が金網に引っかかり、裂けてしまい頭を覆う部分が無くなったが、そんなことを気にしている暇は無かった。

Tシャツを販売している裏手に出た。その時、スタッフから睨まれたが、友人が一言、「あとで買います!」と言ったら笑ってくれた。

人の流れの中で右へ左へと身体を委ねた。しっかり立って観る事などできる状態ではなかった。そう、会場内の観客は一種のヒステリー状態となっていたのだ。そんな中、チャーはいたって冷静だった。ジョニーは笑うだけ。ルイスは無表情だった。

ステージの進行はショーというより、公開リハーサルを見ている感じ。リハの時間も中々取れなかったのか、チャーはルイスへのフォローが多かった。しかし、そこには活きた3人の姿があったし、ジョン山崎のキーボードや金子マリのコーラスも3人の門出を祝っていたのだ。
客はチャーの親衛隊みたいな女の子も多少いたが、殆どが男だった。彼らは「闘牛士」を期待していないだろうし、「気絶するほど悩ましい」を聞きたいと思っていない。チャーのアルバムに収録されていた「表参道」よりも3人が醸し出す新しい曲を好意的に受け止めていたように思う。
私もその時、「表参道」や「風に吹かれてみませんか」などを聴いた時、ちょっと違和感があったんだよね。フォークっぽいなぁ・・・英語で歌って欲しいなぁなんて。歌謡ロックを卒業し、ハードなチャーを求めていたのかもしれないが、本人はどう思っていたんだろうか。少なくとも、野音にいたずぶ濡れの客は、
「もうパンタロンを履いて歌謡曲とロックの中間みたいな音楽をやらなくてもいいんだよ」と言わんばかりに3人を受入れていたと思うし、チャーのやりたいことをやってくれ、と言う感じだったかな。
ま、チャーは人に言われて態度を変えるような人では無いけど。

コンサートも終了する頃、雨は小ぶりになり、最後は上がっていた。

その15年後の1994年9月17日(土)。前日、日本武道館でピンククラウドは最終公演を行なった。そして、ジョニー・ルイス&チャーは日比谷野外音楽堂でフリーコンサートという形式のもと、最終公演を迎えた。
15年前と一緒の場所。そして天気まで一緒。
大雨の中、公開リハーサルは続き、チャーは「去年の雨」を「1979年の雨がまだ降り止まない」と叫んだ。
野音は雨に伝説を生む。

そしてそのコンサートも15年前と一緒・・・コンサート終了時には雨は上がっていたのだ。

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2016年5月11日
花形
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by yyra87gata | 2016-05-11 14:38 | コンサートレビュー | Comments(0)