音楽雑文集


by yyra87gata

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 ジョニ・ミッチェルは音楽家であると共に画家であり写真家である。物事や考えをビジュアルに映し出す力を持ち、同時に音を操る。元々はギターやピアノの弾き語りで素直なフォークソングを歌っていたが、概念に囚われない音作り。レギュラーチューニングの限界を感じたのかオリジナルの変則チューニングを駆使しながら独自の世界観を構築していく。
「これまでの人生で、一般的なチューニングで曲を書いたのは2曲だけ。もしもあのチューニング(オープンチューニング)を教えてもらっていなかったら、たぶん音楽を辞めていたか、ピアノに転向していたと思う」(ミッシェル・マーサ著「ジョニ・ミッチェルという生き方 ありのままの私を愛して」より)

 ジョニのファーストアルバムはディビッド・クロスビーによって制作された。そして、その後2人の仲は急速に近づく。その後、クロスビーのバンド仲間のグラハム・ナッシュとも恋仲となる。
他にもレーナード・コーエンとの関係は、彼の親に挨拶に行き、結婚に一番近かったとも言われている。
『Blue』(1971)制作時にはギタリストで参加していたジェームス・テイラーと・・・。『Hejira(逃避行)』(1976)以降はジャズ色が色濃くなり、この頃からジャコ・パストリアスと良い関係になっていく。
彼女は付き合う男の才能を超えたところで作品を制作する才能の塊なのだ。
まるで女郎蜘蛛のような存在。その結果、名作は残るので食われる男はある意味幸せかもしれない。
若い頃の写真や映画の中のジョニを観ると、芯の通った「いかした姐さん」という感じで、みんなその魅力にイチコロだったんだろう。
 生まれる時代が10年早かったらプリンスだって男性遍歴に名を連ねたかもしれない。なぜなら、プリンスがまだ15歳の少年の頃、せっせとファンレターを書き綴り、コンサートでは1番前の席でステージを見つめていたその先にジョニ・ミッチェルがいたというのは有名な話である。
プリンスは生前『The Hissing of Summer Lawns(夏草の誘い)』(1975)を生涯最高のアルバムと大絶賛している。だから、もしプリンスとジョニが付き合ってアルバムを制作していたら、ジョニの音楽遍歴にファンクを超えた新しい音楽が生み出されていたかもしれない。

 私は、ヒット曲が好きである。ヒット曲には何かしらの魅力があり、必ず一般大衆の心を鷲掴むパワーを持っていると思っている。しかし、ヒット曲の定義を記載することはあまりにも不毛なのでここでは避けるが、ヒット曲(商業的成功)がさほど無いのにレコードを出し続けるアーティストというのも存在している。特に洋楽の中には日本人では理解できない文化や考え方を持ち、その土地で愛される魅力を持ち合わせている作品も多い。
 ジョニ・ミッチェルは日本でさほど名が売れていない。日本において商業的成功という部分では語れないだろう。それは、日本人が彼女の作品の変幻についていけない部分もあり、彼女の作品がキャッチーなメロディーメイカーというより歌詞の芸術性を多く含んだ作品が多いからかもしれない。また、変則チューニングや近年のジャズ寄りな音楽性も日本人の好むメロディーから離れた存在だったのかもしれない(稀に「サークル・ゲーム」のように優しいフォークソングであるなら映画の主題歌ということもありヒットを記録したが、歌唱はジョニでは無い)。
 私が中学の時に見たザ・バンドの解散コンサートを綴った映画「ラストワルツ」で、「コヨーテ」を歌うジョニ。抑揚も無く、ドラマチックな展開も無いこの歌で正直猛烈な眠気に誘われたが、スクリーンの画面を凝視していると、あることに気づいた。そう、この退屈な歌を歌う女性シンガーに対し、ザ・バンドの面々もニール・ヤングも彼女に対し畏敬の念を抱いていることが読み取れたのだ。彼らのジョニに向ける目線。そして音。そこには私の幼稚な頭では理解できない歌を構築していく世界があり、音で会話をしているという情景がそこにあったのだ。私は、そんな光景を消化することができずモヤモヤとした気分で映画館を出た。そして、すぐに「ラストワルツ」のサントラとジョニ・ミッチェルのアルバム『Hejira(逃避行)』を購入した。
 映画の中で歌っていた「コヨーテ」。「コヨーテ」と呼ばれる男とのロードムービー。
歌の最後の「A prisoner of the white lines on the freeway」の一遍が詩的で虜になった。
それから私は、ボブ・ディランのアルバムを買うことと同じ感覚で、なけなしの小遣いの中から2500円の彼女のレコードを購入していった。ディランと同じ感覚・・・とにかく詩が難しい。メロディも難解な音楽ではあったが、2500円分の価値は十分に感じとっていたつもり。
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 今回ご紹介するアルバムは、ジョニ・ミッチェルの10枚組CDボックス。いやぁこれは凄い。ジョニ・ミッチェル初期10枚のアルバムが紙ジャケで収められている。
しかし、このボックス、Amazonで購入したら5480円。1枚あたり548円!。
私はこのボックスを3年前に購入したのだが、何とその時は2670円。1枚あたり267円だったのだ!
価格が倍近く上がっているが、それでも1枚あたり548円で天才を感じ取れるなら安いものである(ジョニを聴き始めた頃の私にこのボックスのことを伝えたらきっと怒るだろう)。
ファーストから10枚目の『ミンガス』(1979)まで!この溢れんばかりの才能が詰まった10枚組のボックスを改めて聴き直すと、それはそれは1人の音楽家の生き様を感じ取ることが出来る。

 最後に、ジョニ・ミッチェルの音楽が大きく変化を遂げた1970年代後半。そこにはジャコがいた。
先日、私はジャコの映画「JACO」を観た。ジャコの栄光と挫折を描くドキュメンタリー作品。
天才ジャコが天才ジョニと初めて組んだアルバム『Hejira(逃避行)』は私が購入したジョニの初めてのアルバム。「ラストワルツ」の興奮から40年経っている。
 軽快なリズムの中、ウッドベースのように自在に音を紡ぐジャコとその音の上で滑らかに歌い上げるジョニ。
 今日はCDボックスの方ではなく、レコードの『Hejira(逃避行)』を聴こう。
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2016/12/22
花形
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by yyra87gata | 2016-12-22 09:50 | アルバムレビュー | Comments(0)

ディランとノーベル賞

 
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 「テレビに出ない」なんて40年も前に拓郎は言い放ったわけ。で、これはいろいろと話が造られていってセンテンスだけが生き残っちゃったんだけど、真意としては、少ない出演時間では自分の音楽性は表現できるものでは無い。一つの作品をテレビサイズに分割して3分間で歌うことは本意ではないと。だから、テレビに出るのであれば、それなりの時間を割いてくれるのならば出る、などなど。
歌謡曲全盛の時代にフォークだかロックだかよくわからない若造が、何を生意気なことを言っているんだということで当時の芸能界は騒然となったわけ。
拓郎も若くて血気盛んだからマスコミ相手にラジオで「あんまり人のことをかぎ回ると、あんたら地獄へ行くよ」などと叫ぶ。もう、公然とケンカしている。
 例えばテレビに出てインタビューに答えても、都合の良いように編集をされてしまうから、自分の意志とは違った内容がオンエアされることもあったという。そして、拓郎はマスコミ不信に陥る。
でも、そんな芸能界も拓郎人気には擦り寄って行かなければならないこともあり、拓郎のワンマンショーをテレビでオンエアしたり、歌謡曲の歌手への作曲依頼をしたりと持ちつ持たれつの関係もあった。
そして、2000年を過ぎ、拓郎も50を過ぎたあたりからテレビの中で若いアイドルと笑顔で気楽に歌う姿が毎週流れるようになった。時代は変わる。

 で、ディランなわけ。
ディランってもう怪物なんだよね。特に英語圏でない日本人からしてみたら、あのダミ声で滅茶苦茶に聞こえる歌唱をアメリカ人は何故あんなに有り難がって聴くのか。
「分からない」=「怪物」なの。歌っていることも難解だし。
 2016年12月10日の「NHKスペシャル」はディラン特集。もちろんノーベル文学賞を受賞したからNHKもわざわざ特集を組んでみたわけだが、ハッキリ言って想像通りの内容だったというか何と言うか・・・。
「ディランのこと・・・なにも分からない」ということが分かった番組だった。
 ディランの文学という観点から詩を切り取るが、その詩に対して予言的だとか神仏的だとか、意見は出るが、あくまでも第三者の想像を出ていない。そして勝手に語る。しかも、ディランが書き残したメモを見ながら、詩の構成について論じ始める。もうこうなっては詩の本質から離れていく。誰も中身を語ることが出来ない・・・つまりはディランが沈黙しているからこういう番組になるんだ。

 だって冒頭の拓郎じゃないけど、「テレビに出ない」ってディランはいまだに言っていて、既に30年以上テレビの取材を受けていないということをナレーターは絶望的に語っていた。
 ディランって今75歳。30年前・・・45歳からテレビの取材を受けず、「ネバーエンディングツアー」と呼ばれる終わることの無いツアーに出ている。もう、まさに現代の吟遊詩人なのだ。
ツアーバンドを引き連れ、時にはバスで、時には列車でアメリカ~世界を旅する。曲順などステージに上がる前に決めることも多々あるそうだ。
ディランが歌いたいようにバックミュージシャンは合わせていく。ドラム、ベース、ギター×2、スチールギターという編成で、最近ではディランがピアノを弾く。
ある程度決め事はあるのだろうが、それぞれのプレイヤーは全てディランの頭の中とシンクロしながら、それぞれにディランが憑依したようにプレイしている。
そんなステージを繰り広げながら、ニューアルバムを制作している現実。
 市井の戯言などは気にしない爺さんになっているんだ。
ディランはいまだにライク・ア・ローリング・ストーン(転がる石のように)であり、
ノー・ディレクション・ホーム(帰る家はない)なのだ。
 
 ディランは過去にもNHKの特集番組を組まれたことがある。1978年初来日の時だ。
「ルポルタージュニッポン ボブ・ディランがやってきた」。なんだか海の向こうから黒船でもやってきたかのようなタイトルだが、まさに黒船に匹敵するインパクトだったのだろう。しかし、この時もディランは何も語らない。せいぜい初来日の記者会見の一部が流れただけで、番組構成はディランについて人々が勝手に自分の目線で語ると言うもの。
つまり、38年前の番組と今回の番組は手法こそ違え「ディランってよくわかんないね」ということがわかったんだ。
 私はディランをずっと聴き続けてきているから、今回の番組の雑さ加減なんて想像通りだったわけだが、ディランを知らない一般人は「結局この人、偉いの?」「村上春樹の方が良かったんじゃないの?」なんて感想が溢れるという結果に陥るだろうなと危惧する。
 
「テレビに出ない!」「授賞式は先約があるから出ない!」そうやって75歳の偏屈爺さんが正式に言っているんだから放っておけばいいのだ。
 今回のノベール賞騒ぎで、いつものように流浪の旅に出ているディランに連絡がつかないから「変な爺さん」って大勢の人に擦り込まれてしまったわけだが、ディランにしてみたら、迷惑な話で「ほっといてくれ!」って思うかもしれないな。

でもそんなディラン・・・ノーベル賞の授賞式の受賞コメントが紹介されている。非常に的を得たディランの言葉。
そして表彰式にてディランチルドレンとも言えるパティ・スミスの「激しい雨」のパフォーマンス。
力強さと可愛らしさが同居したパティの歌唱は感動的だった。途中演奏を止めてしまうアクシデントはあったにせよ、歌っている詩に感銘してしまい言葉を失ってしまうなんて、言葉の力を見た思いだった。

 「ディランの受賞スピーチ」(全文)
皆さん、こんばんは。スウェーデン・アカデミーのメンバーとご来賓の皆さまにご挨拶申し上げます。

本日は出席できず残念に思います。しかし私の気持ちは皆さまと共にあり、この栄誉ある賞を受賞できることはとても光栄です。ノーベル文学賞が私に授与されることなど、夢にも思っていませんでした。私は幼い頃から、(ラドヤード)キップリング、(バーナード)ショー、トーマス・マン、パール・バック、アルベール・カミュ、(アーネスト)ヘミングウェイなど素晴らしい作家の作品に触れ、夢中になってのめり込みました。いつも深い感銘を与えてくれる文学の巨匠の作品は、学校の授業で取り上げられ、世界中の図書室に並び、賞賛されています。それらの偉大な人々と共に私が名を連ねることは、言葉では言い表せないほど光栄なことです。

その文学の巨匠たちが自ら「ノーベル賞を受賞したい」と思っていたかどうかはわかりませんが、本や詩や脚本を書く人は誰でも、心のどこかでは密かな夢を抱いていると思います。それは心のとても深い所にあるため、自分自身でも気づかないかもしれません。

ノーベル文学賞を貰えるチャンスは誰にでもある、といっても、それは月面に降り立つぐらいのわずかな確率でしかないのです。実際、私が生まれた前後数年間は、ノーベル文学賞の対象者がいませんでした。私はとても貴重な人たちの仲間入りをすることができたと言えます。

ノーベル賞受賞の知らせを受けた時、私はツアーに出ている最中でした。そして暫くの間、私は状況をよく飲み込めませんでした。その時私の頭に浮かんだのは、偉大なる文学の巨匠ウィリアム・シェイクスピアでした。彼は自分自身のことを劇作家だと考え、「自分は文学作品を書いている」という意識はなかったはずです。彼の言葉は舞台上で表現するためのものでした。つまり読みものではなく語られるものです。彼がハムレットを執筆中は、「ふさわしい配役は? 舞台演出は? デンマークが舞台でよいのだろうか?」などさまざまな考えが頭に浮かんだと思います。もちろん、彼にはクリエイティヴなヴィジョンと大いなる志がまず念頭にあったのは間違いないでしょうが、同時に「資金は足りているか? スポンサーのためのよい席は用意できているか? (舞台で使う)人間の頭蓋骨はどこで手配しようか?」といったもっと現実的な問題も抱えていたと思います。それでも「自分のやっていることは文学か否か」という自問はシェイクスピアの中には微塵もなかったと言えるでしょう。

ティーンエイジャーで曲を書き始めた頃や、その後名前が売れ始めた頃でさえ、「自分の曲は喫茶店かバーで流れる程度のもので、あわよくばカーネギー・ホールやロンドン・パラディアムで演奏されるようになればいいな」、という程度の希望しか持っていませんでした。もしも私がもっと大胆な野望を抱いていたなら、「アルバムを制作して、ラジオでオンエアされるようになりたい」と思っていたでしょう。それが私の考えうる最も大きな栄誉でした。レコードを作ってラジオで自分の曲が流された時、それは大観衆の前に立ち、自分のやり始めたことを続けられるという夢に近づいた瞬間でした。

そうして私は自分のやり始めたことを、ここまで長きに渡って続けてきました。何枚ものレコードを作り、世界中で何千回ものコンサートを行いました。しかし何をするにしても常に中心にあるのは私の楽曲です。多種多様な文化の多くの人々の間で私の作品が生き続けていると思うと、感謝の気持ちでいっぱいです。

ぜひお伝えしておきたいことがあります。ミュージシャンとして私は5万人の前でプレイしたこともありますが、50人の前でプレイする方がもっと難しいのです。5万人の観衆はひとつの人格として扱うことができますが、50人の場合はそうはいきません。個々人が独立したアイデンティティを持ち、自分自身の世界を持ち、こちらの物事に向き合う態度や才能の高さ低さを見抜かれてしまうのです。ノーベル委員会が少人数で構成されている意義を、私はよく理解できます。

私もシェイクスピアのようにクリエイティヴな試みを追求しながらも、「この曲にはどのミュージシャンが合っているか? レコーディングはこのスタジオでいいのか? この曲はこのキーでいいのか?」などという、避けて通れぬ人生のあらゆる俗的な問題と向き合っています。400年経っても変わらないものはあるのです。

「私の楽曲は文学なのか?」と何度も自問しました。

この難題に時間をかけて取り組み、最終的に素晴らしい結論を導き出してくれたスウェーデン・アカデミーに本当に感謝しています。

ありがとうございました。





どうっすか。ここでもディランは問いかけているね。「私の楽曲は文学なのか?」と。

 さっきから、ディランのことが分かったような感じで書いているんじゃねぇよ、って?
私?わかんないよ、ディラン。でも分かろうと努力しているよ。体系的にアルバムを聞くとその時々のキーワードが出てきたり、独特な歌いまわしがあったり。ディランはプロデューサーによっても作品は全然変わって来るし。
しかし、私の意見はディランが詩を評価されノーベル文学賞を取ろうが取るまいがそれはどうでもいいことで、ディランも問いかけていたように私はディランの音と一緒に詩を長年聴いているから、彼の詩と文学が合致できないんだよね。
人が評価することだからいろいろと意見はあって良いものだけど、ディランの楽曲は文学じゃないと思うよ。そんなことより、彼の「時代を読んだ痛烈な着眼点」と「それに呼応する楽曲」。そして「彼そのもの」。
どちらかと言うと彼の生き様を見ていることが好きなのかもしれない。

だから、詩の世界は研究者にお任せしますよ。

 改めて書くけど、ディランは現代の吟遊詩人なんだよ。ギター一本でどこにでも行き、西に悲劇があれば、東にそれを伝え、北に愛があれば、南で花が開くように歌う。戦争、人種差別から家庭、恋人の笑顔まで物語を創作していく。それがディラン。
ノーベル賞はどうでもいい。
彼があと何年ステージ立ってくれるかだけ。
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2016年12月12日
花形

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by yyra87gata | 2016-12-12 20:12 | 音楽コラム | Comments(0)