音楽雑文集


by yyra87gata

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日本武道館

 
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 1964年の東京オリンピック、柔道の競技会場として建設され、その後は日本の武道の聖地として位置づけられている日本武道館(以下武道館ね)。
その大きさと立地から企業や学校の入社式や入学式、株主総会などにも使用される多目的建造物である。私は予備校の入校式(そんなもん行くなよ!)でアリーナ。大学の入学式で1階席。卒業式で2階席といった具合に着席し、その席の場所からもわかるようにどんどんメイン舞台から離れていったことが私の勉学に対する姿勢を表している気がする。・・・どうでもいい話だが。

 武道館は、多目的建造物という括りであればご存知の通り音楽会場にも数多く使用されている。私が武道館を一番利用しているのはまさにこの音楽鑑賞の場所であって、決して柔道でも剣道でも新年書初め大会でもない。
 中学生の頃から音楽鑑賞を目的にちょくちょく通い始め、昨年のクラプトンで50回を数えた。もう通い慣れたので緊張などしないが、学生の頃は武道館の敷地である北の丸公園に入ったあたりから気分は高揚し始めたものだ。いや、九段下の改札を出て、帰りの切符を確保するために事前に切符を購入する時にはすでに興奮していたかもしれない。
 1980年前後の当時の首都圏の音楽会場事情としては、代々木オリンピックプールでコンサートは開催していなかったし、東京国際フォーラムも横浜アリーナも横浜パシフィコも埼玉アリーナも無かった。NHKホールが音楽専門の会場では一番大きく、その次は中野サンプラザや渋谷公会堂といったパブリックなホールであった。だから、武道館レベルでの収容人数がある会場が今ほど無く、武道館公演と聞くだけで興奮したものだったのだ。

 武道館が日本の音楽会場のメッカとなった瞬間は、間違いなく1966年にビートルズがコンサートを開催した時だろう。ジョンが「ミスター・ムーンライト」を叫んだ瞬間に日本全国のミュージシャンの憧れの場所になったに違いない。いや、ビートルズ派で無いミュージシャンだとしても、少なくとも「凄いことをしてくれた」と思っただろう。日本の武道の殿堂で髪の毛の長い外国人がそれまでの日本には無いやかましい音楽をかき鳴らした。そして、ティーン・エイジャーはその騒音よりも大きな騒音で彼らを快く迎え入れたのだから。
 ビートルズ公演。
武道館の競技スペースに彼らの舞台が設営されており、そこに堅忍不抜で技を極める武道家の姿は無く、ただ聴衆の収容人数だけを考え、コンサート会場として使用したに過ぎない。増してや、もともと音楽を奏でる建物では無いので、音はぐるぐる回るし、大きな音を供給するPAシステムも無い時代である。が、しかし「ビートルズが立った舞台、いつかは俺も武道館のステージに立ちたい」と思うミュージシャンが続出したことは事実なのだ。
しかし、武道館はフォークソングの音楽集会に使用されることはあっても日本のミュージシャンが単独で公演をすることは無かった。1970年代半ばまではフォークだ、ロックだと騒いでいるのは一部のリスナーに過ぎず、音楽ビジネスとして成立していないサブカルチャーであった日本の軽音楽に、収容人数約1万人を超える武道館は大きすぎた。だから、観客収容人数の関係から大物外国人ミュージシャンが来日した時に使用される会場という認識が我々の世代は強いと思う。

 武道館で日本人単独公演を初めて行なったミュージシャンは誰だとよく話題になるが、実はバンドで言えばGSブーム全盛時のタイガースが1968年に公演を行なっている。そして単独アーティストの公演となると西城秀樹が1975年に武道館公演を開催した。
日本の音楽も成熟し、フォークからニューミュージックへと移っていった1970年後半。よく、南こうせつだ、とか矢沢永吉だとか騒いでいたが、「日本シンガーソングライター初」とか「日本ロックアーティスト初」といってレコードを売り出す文句に使われただけのことで何の意味もなさない。
そんなことよりも、私が「日本武道館」と聞いて思い出すことがある。
 1982年1月12日に開催された浜田省吾の公演である。
その告知はいきなり街中に貼り出された。そして、そのポスターには「浜田省吾 日本武道館公演 1月12日」とデカデカと記載されていた。
「浜田省吾?ちょっと前に『風を感じて』のヒットはあったけど武道館?これ、絶対ガラガラだろう!客なんか入んねぇよ」
「無謀というかなんというか・・・」
私の周りの人間はみんな口々にその公演を非難した。
しかし、ふたを開けてみたらチケットは即日完売。たった1日だけの公演ではあったが、武道館公演を成功させたと言う事実がその後の音楽雑誌の紙面を飾り、その公演を収めたライブアルバム『ON THE ROAD』(1982)もヒットした。
武道館公演に賭けた男の仕事。それ以降の浜田省吾の人気を不動のものにしていく。高校生だった私は、これもひとつの販売戦略なのだと思いつつも、武道館という存在が作り出す目に見えない力を目の当たりにした瞬間であった。
 
 私は武道館には神々しい音楽の神様が宿っていると信じている。
武道館はお世辞にも音楽を聞かせる会場としては決して良い環境とはいえないが、会場に一歩足を踏み入れて、北スタンド側を潰して設営された大きな舞台が目の前に飛び込んでくると今でもわくわくする。
イントレが組まれ、照明が吊られ、スピーカーが舞台の左右にうず高く並べられている。白い柵で舞台と客席は仕切られ、ブロック毎に分けられたパイプ椅子が整然と並ぶ。そんな荘厳な場所でアリーナ席のEブロックやFブロックといった中央の席に座るときの優越感といったら無い(現在はいつの頃からか席の呼び名が変わり、前からABCと3つに分かれて区分けされている。しかし私はいまだにA~Zまでの区分けが染み付いている)。武道館公演は特別なコンサートであり、その感情はきっとこれからも変わらないだろう。
 ちなみに私が今まで見た武道館で一番興奮したものは、1991年4月のジャンボ鶴田VS三沢光晴。「三冠統一ヘビー級選手権60分1本勝負。
この時のジャンボはすごかった。鳥肌が立つほど強かった。いまでは2人とも天に召されてしまったが。

 あ、音楽で言えば・・・1986年のボブ・ディラン公演か。
バックをトム・ぺティ&ザ。ハートブレイカーズで固め、超絶にかっこよかった。確か、3時間半位演奏していた気がする。
あんなディラン後にも先にも見たことが無い。

 2020年の東京オリンピックでは空手の会場になることが決定した日本武道館。まずは良かった。
老朽化だから取り壊すなんてことは無いようにメンテナンスをお願いしたい。渋谷公会堂も中野サンプラザも大阪フェスティバルホールもみんな老朽化でなくなってしまったからね。

2017/01/30
花形
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by yyra87gata | 2017-01-30 21:48 | 音楽コラム | Comments(0)