音楽雑文集


by yyra87gata

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“カセットテープに好きな曲を録音し、好きなあの娘に送る” なんてことをみんなやってたでしょ。


好きなミュージシャンやシンガーのベストセレクションとか、ラブソングだけを編集して送るとか。中にはオリジナルの曲を弾き語りしたものを録音して送る、なんてしたことある人!今すぐ白状しなさい!ある・・・でしょ?


今、そんなものを再生されたら、舌かんで死にたくなる・・・女房に知られる前に処分しなきゃ!と思った人、いるでしょ!


いいじゃありませんか。青春の思い出、若気の至り、暴走する青い性・・・ちょっと違うか・・・ま、ほろ苦い思い出の人もいるでしょうね。


で、相談を受けたわけです。

高校2年の文化祭だったか…。


アタシは中学、高校と6年間一貫教育の男子高に通っておりまして(聞くだけで汗臭そうでしょ)、女子との接点なんてまずありえないんですよ!男子高の門は、硬く固く堅く閉ざされているのです。

でも、年に1回の文化祭の時だけその門は開かれ、女子が校舎内を闊歩することができるわけです。で、そんな中、狼のような男たちは女子がキョロキョロしながら廊下の奥から歩いて来るのが見えると、狙いをつけたり、焦ったり、緊張したりするわけです。まったく俯瞰から見たら青臭い空間であります。


そんな夢のような文化祭の終わりには必ずフォークダンス大会(古っりぃ~)があって、女子と合法的に手を握るチャンスが来るわけです。チャンスは平等だお。


ここで、学校の外に彼女がいるやつは(当たり前だよ、学校内に彼女がいたらゲイだ!)、けっこう余裕をかましながら他校の女子高生と踊るわけですが、彼女いない歴16年の男子はガチガチに緊張しながら手汗かきまくりで踊るわけです。青いというか、情けない。


アタシは外に彼女がいたのですが、丁度この文化祭の前に振られてしまっていて、ヤサグレていた時期でありました。だから、楽しそうにダンスをしている友達を横目に野次を飛ばすことしか出来ませんでした。哀しいのぉ。


さて、文化祭も終わり、ダンスの興奮も冷めやらぬ男と女は、お互いに連絡先を交換します。そして男は次の段階に移ります。そうです、校外でのデートなわけです。


「どうやったら彼女にすることができるか」から始まり、「どうやったらキスまでもっていけるか」となり、「どうやったら・・・」となるわけです。


で、当時の青年誌、我々のバイブルであった「GORO」や「スコラ」などの“そういった特集記事”を回し読みするわけです。

最初のデートではマックなんて行っちゃだめ!から始まり、彼女をスマートにエスコートするには…なんて項目がいっぱい書いてある訳です。はい。


彼女を押し倒したとき、彼女の身体に全体重を乗せないように腕立て伏せだけはやって、腕の筋力だけは鍛えておきましょう、なんてアドバイスを真面目に信じていたやつもいましたかんね!


中にはデートの台本まで書く兵(つわもの)もいて、アタシはその友達とロープレした事がありますよ。もちろん、アタシは女役でしたが。


で、そんなことばっかり考えている高校生なわけですが、彼女への一番のアプローチグッズはカセットテープなわけです。


 


 “この前の文化祭で一緒に踊った娘で彼女にしたい娘がいるんだけど、カセットテープに雰囲気の良い音楽を入れるには何の曲がいいんだろうか” という相談が来ました。


 お前さぁ・・・自分の顔を見てから相談に来いよ、と思いながらも真面目な顔でアタシは応えます。


 “お前が好きな歌手やバンドの歌でいいんじゃないの?自分が良く知っている歌手の方が無理しなくて良いと思うけど” と的確なアドバイスをしたつもりなのですが、


それじゃ、駄目なんだ!と。俺は中島みゆきとさだまさししか聞いてない!とぬかしやがったわけです。


 笑いをこらえながら、“それでも、みゆきやさだまさしの歌の中にも明るい恋愛の歌はあるだろう”と伝えると、その娘は洋楽志向なんだ!というのであります。


好きな音楽は、エアサプライであったり、ホール&オーツだったり・・・。


そりゃ、全然違うわな・・・(溜息)。


で、何曲か候補を出したわけです。彼女はきっと「ベストヒット・U・S・A」を好んで見ていると仮定し、最新のヒットチャートより古めの歌を選曲しました。


例えばビートルズだったら「If I Fell」とか鉄板でしょ?でもそいつ、壊滅的に英語が出来なくて、今のお前の気持ちをストレートに表しているのはビートルズだったら「Please Please Me」かな、って教えてやったら“どうぞ、どうぞ私に”ってどういう意味だ?って不思議そうな顔をするわけ。


アタシは眩暈がしましたよ。


「僕が君に尽くすように、君も僕を喜ばせてくれよ!」という意味だよ、って教えると“「どうぞどうぞ」”じゃないのか・・・だって。

で、そんなこんなで46分テープに数曲を収録し、彼の想いは完成したわけです。


そのテープの中で私が一番好きだった歌がレオ・セイヤーの「星影のバラード(More Than I Can Say)」なんよね。


もともとはバディ・ホリーのバックバンドのクリケッツのメンバーだったソニー・カーティスとジェリー・アリソンの歌で、レオ・セイヤーが1980年にカバーしてヒットさせたんだよ。でも、時期的にジョン・レノンが長い休養から復活して、そん時に出した「スターティング・オーバー」が1位をずっと独走していたから、結果的に2位どまりになってしまった不運な歌なんだけどね。


でもこの歌、1970年代のテクノサウンドにも飽きて、落ち着きを求める人に支持された名曲であります。ゆったりとした時間の中で気持ちの良い8ビートなわけです。


Woh, woh, yeah, yeah
I love you more than I can say
I love you twice as much tomorrow, woh
Love you more than I can say

Woh, woh, yeah, yeah
I miss you every single day
Why must my heart be full of sorrow, oh
I love you more than I can say

Ah don't you know I need you so
So tell me please I gotta know
Do you mean to make me cry
Am I just another guy

Woh, woh, yeah, yeah
I love you more than I can say
Why must my life be filled with sorrow, woh, woh
Love you more than I can say

Ah don't you know I need you so
So tell me please I gotta know
Do you mean to make me cry
Am I just another guy

Woh, woh, yeah, yeah
I love you more than I can say
I love you twice as much tomorrow, woh
Love you more than I can say
I love you more than I can say
I love you more than I can say, oh...



情熱的で、狂おしいまでのラブソングです。



“くる日もくる日も君が恋しい なぜこんなに悲しい思いをしなくちゃいけないのか

言葉ではいえないほど愛してるよ〝


こんな歌詞日本語で歌ったら演歌ですがな。フォークソングで言ったら中島みゆきも真っ青な世なんだけど、英語でさらりと歌ってしまうと、これがスマートなわけです。

レオ・セイヤーのハスキーだけど高音が伸びる独特な声にマッチしていますな。名曲であります。

さて、カセットテープを携えて、彼女のもとに向かった友達ですが、なんだかんだ言いながら2~3回デートしたんじゃないかな。
付き合っている時も授業なんて上の空で、次のテープを作ってく
れ!なんてオーダーが来ていましたから・・・。

友達はアタシに非常に感謝していたが、アタシではなくレオ・セイヤーに感謝すべきだよ。なぁ!


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2017年5月15日

花形



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# by yyra87gata | 2017-05-15 16:27 | 音楽コラム | Comments(0)
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 みんな家に帰るとき「帰るコール」ってする?アタシはする。しないと怒られるから。
じゃ、もう一つ質問ね。「帰れコール」ってしたことある?アタシは1回だけしたことがあるの。中学3年の時に単身で参加した1979年夏の吉田拓郎のオールナイトコンサート。愛知県伊勢湾の沖に浮かぶ篠島ってところで、当時新人でこのコンサートにゲストで来てた長渕剛に向けて「帰れ!」ってしたの。で、この時は周りの大人たちにつられてアタシは叫んでいたわけ。
要は「おまえなんか観たくない。おまえはいいから、早く拓郎を出せ!」というコールね。
長渕は可哀想だったんだ。きっと初めてあんなに大勢の人の前に出て歌ったんじゃないかね。とにかく彼はテンパってたよ。弦とか切ってたし。か細い声でアルペジオで暗いフォークソングなんて歌ってるから、獰猛な拓郎ファンには全然響かないのね。で、どこからとも無く「帰れコール」が鳴り響いちゃったわけ。でも、長渕は果敢に観客に向かって「帰らんぞ!」とか叫んでるんだけど、そんな抵抗をすると集団ヒステリー状態の観客には逆に火が点いてしまって・・・。30分くらいのステージだったんだけど、お互い後味が悪かったんじゃないかね。アタシはガキだったから周りの大学生の兄ちゃん達とあいつを打ち負かしたなんていい気になっていたかもしれない・・・。
 長渕は主催のユイ音楽工房の新人ということで呼ばれたんだと思うんだけど、厳しい洗礼だったね。
で、その「帰れコール」を拓郎は舞台裏で聞いていたのか。それともホテルで休憩していて、そのことを後から聞いたのか。ちょっと気になったね。

 なんでかというと、日本で一番「帰れコール」を浴びたミュージシャンは何を隠そう吉田拓郎なんだよ。だから、長渕が「帰れコール」の洗礼を受けた時、きっと拓郎は感慨深く感じたんだと思うよ。
でもそれは多分「時代は変わっちまったな」って思ったんじゃないかね。なぜなら、それは、拓郎がかつて受けた「帰れコール」と長渕剛が受けた「帰れコール」の意味が違うからよ。
 どう違うかって?
 1970年代初頭の日本のロックやフォーク好きの連中って凄く頭が固いというか拘りが強いというか。それこそ全共闘、全学連など学生運動とかで鍛えられちゃってて、「反体制」とか「30歳以上の大人は信用しない」とか真面目な顔して語るわけ。そんで、当時の反戦運動としてべ平連(ベトナムに平和を!市民連合)のデモとか・・・そういう人々が集会に集まるといろいろと総括し合い、常に「朝まで生テレビ」状態になるわけ。
そして、それが音楽集会の中でもあって、高石友也とか岡林信康とかが歌った後、観客が今の歌についてどうなんだ、とか、海の向こうのディランはどうだとか、討議しあうんだって。そりぁ、そういうユースホステルの夜のミーティングみたいなものが好きな人ならいいけど、普通は面倒くさいよね。だいたいこれが嫌で労音主催のコンサートには出たくないって言って岡林は失踪しちゃったんだから・・・。
 で、そういう面倒くさい人。つまり音楽を音楽として感じていない人がロックとフォークのファンには多かったってことなんだけど、それは「反体制」というものに属するものを支持するということだけなわけ。
1971年第3回中津川フォークジャンボリーは3日間の予定が最後まで消化できずに終了することになったのも、コンサートの運営方法とかに不満をもった観客にステージを占拠されるという事件が起きたからなんだよ。
だって当時のロックやフォーク好きは「アングラ」なわけ。
アンダーグランド・・・言葉そのままだよね。サブカルもいいところで、そんな観客の前に「風」なんていうヒット曲をテレビの歌謡番組で歌っていたはしだのりひことシューベルツなんて登場したら、そりゃ、最高の餌食なわけよ。もう「帰れ帰れ」の大騒ぎ。
現在のように演者からのベクトルではなく、観客主導で開催されているイベントだから、気に食わなかったらもう「帰れ帰れ」なのよ。
で、こん時の観客の目当ては岡林信康なわけ。「岡林を早く出せ!」ってなもん。マイノリティーの主導者というか代弁者というか。別に岡林は成りたくてなったわけではなく、祭り上げられてしまったと言うのもあるんだけど、そういった面でも出演者側もしらけちゃってるわけ。だって、メインステージとサブステージなんて風に1軍と2軍みたいに分けられちゃって・・・。
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 第3回中津川フォークジャンボリーの伝説は、サブステージの電源が落ちてしまったというアクシデントも手伝い、今までのそういった鬱積を晴らすかのように拓郎が2時間も「人間なんて」を叫ぶ暴挙に出て、メインステージがざわつくということとになり、この瞬間に中々出てこない岡林から拓郎へとリーダーが交代したと言われているのね。別に拓郎はリーダーになりたくて歌っていたわけでは無いんだけど、結果的にそうなっちゃったわけ。ほら、ここでも騒いでいる人たちは拘りの強いフォークファンやロックファンだから・・・。
でも、ここから拓郎の苦悩が始まるわけよ。
 拓郎ってフォークソングが大嫌いな人なのね。もともとリズム&ブルースの人だし、アメリカンポップを好んで聴く人だから。でも妙なことから時代の寵児にされてしまい、奉られるんだけど、「結婚しようよ」「旅の宿」という大ヒットを発表したが最後、面倒くさい連中が「拓郎は体制派になった。けしからん!」ということで「帰れコール」が始まるわけ。女の子はキャーキャー、男は「帰れ!帰れ!」。
 ま、付け足しで言うと拓郎はベビーフェイスだったから女を取られた男の嫉妬という意見もあったけど、とにかく出るコンサート出るコンサートで「帰れ!帰れ!」の雨あられ。拓郎が出るから入場料を払って「帰れ!」を言いに行く人も多かったとか。

 では、なぜこんなに彼らは神経質だったのか。
 俺たちの大切なフォークやロックをグループサウンズの二の舞にしたくないと言うのが本音なんだよね。
1965年、ビートルズやベンチャーズが日本で大ヒットし、誰も彼もがエレキギターを手にし、テレビでは「勝ち抜きエレキ合戦」が高視聴率を記録。なんせ人気絶頂の若大将もエレキを弾いて「しあわせだなぁ~」なんて生ぬるい台詞をつぶやいていたわけですよ。
で、当然、歌謡曲の世界はここぞとばかりにエレキバンドを生み出していき、最初はオリジナル重視だったスパイダースや尾藤イサオのバックバンドから独立したブルーコメッツ、内田裕也から独立したタイガース、横浜本牧の不良バンドのゴールデンカップスなどが注目されたわけだが、そのうち金になると思った芸能事務所がちょっとルックスが良ければ職業作詞家と作曲家に歌を作らせ、華美な衣装を着せてすぐにデビューなんてことをやっちゃったわけ。金になるから。で、1965年からタイガースが解散する1968年までがGSブームと言われているから、それはそれは嵐のような音楽ブームだったわけよ。アタシ、ガキだったけどうっすら覚えているもん。オックスの真木ひでとがでかい口を開けて叫んで、そのあとぶっ倒れてたもんなぁ。あれ、何だったんだろう。
 で、フォークやロックが好きな人は拘りが強いから、金儲けのための音楽は歌謡曲(体制)と一緒だ。ヒット曲=体制だ、ということになり、女に受ける音楽=歌謡曲=体制ということになるわけよ。
で、GSは金儲けに走った芸能界にしゃぶりつくされて衰退してしまったわけですよ。
とにかくそんなようなことがあるから、マイナーなやつがメジャーになると、とたんに牙を剥くんだよ。音楽性で拒否し、しかもそれがヒットしたら怒る。「あいつは体制側だ!」とか言っちゃって。
 でもさぁ、こういう客が好むミュージシャンって売れたら駄目なわけだから、当然生活できなくなるよね。その生活補償を彼らはしてくれるんだろうか・・・なんてくだらないことをアタシは考えちゃう。
 
 時代のせいにしてしまうことが一番簡単だけど、拓郎は貧乏くじを引いたよね。
でも、その洗礼を受け、「関係ねぇよ!俺は自分のやりたいようにやる。テレビに納得がいかない内容なら出ない!マスコミ?音楽雑誌以外取材はお断り!」なんてことで、我を出して自分を守っていきながら逆に歌謡界やマスコミを操作したことで拓郎は周りを納得させていったんだよね。だから、今の今まで一線なわけだ。そういう意味で言ったらあの「帰れコール」は彼の血になったのかもね。本人は嫌がると思うけど。
 つまり、篠島で長渕が受けた「帰れコール」はお前なんか見たくないという単純な帰れコール。ま、今の時代に「帰れコール」があるのかどうかわかんないけど、たいていがお前なんか見たくないから「帰れ」だよね。だから拓郎が受けたのとはちょっと違うのよね。
 で、拓郎って言ったらディランでしょ。
ディランも「帰れコール」受けたね。
1965年、ロックバンドを従えて観客の前に立ち演奏を始めたら、
「おいおい、ディランがそんなやかましくてどうすんだよ!いままでのフォークソングを歌ってくれよ!裏切り者!」ってな具合でブーイングの嵐。
この場合も観客は裏切られた感が満載なんだけど、自分の思い描くディランじゃないから怒っているわけでディランがその観客のためにフォークギター1本で歌ってやればその場はおさまるよね。ディランの気持ちはおさまんないけど・・・。
でも、このパターンも拓郎とは違うよね。
こうやってサンプルで紹介するとどう見ても拓郎の「帰れコール」は理不尽な気がするね。
やっぱり女に受けたやっかみかな?
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2017年5月9日
花形

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# by yyra87gata | 2017-05-09 19:09 | 音楽コラム | Comments(0)

エルビスの功績

 
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 アメリカ合衆国は、かつての南アフリカ共和国のアパルトヘイトやナチスドイツのアウシュビッツ収容所のユダヤ人迫害にも劣らない人種差別国家である。建国以来、州によってはつい最近まで差別行為が法律で規定されていたからだ(人種間結婚の禁止法など)。
 差別が歴然と存在していた間、黒人はいつも奴隷扱いであった。それは今から約150年前の南北戦争最中に、第16代リンカーン大統領が奴隷解放宣言を行なったことでも公然の事実として受け止めることができる。
そして、その宣言をしても相変わらず白人至上主義者は存在し、白人は黒人に限らず有色人種を下に見た社会を構築していった。奴隷制度を解除しても彼らに公民権を与えない・・・つまり公職には就けず参政権も選挙権も無いという扱いで彼らをアメリカ国民としていた。「自由の国アメリカ」と呼ばれることが多いが聴いて呆れる話だ。
つまりは、国力は安い賃金で労働する黒人によって成り立つという観点から、「奴隷」と言う言葉を外したに過ぎなかったのだ。
 ミシシッピの農場で指を血だらけにしながら綿花を摘む黒人労働者は、労働歌としてブルースを生んだ。貧弱なアコースティックギターを奏でながら生死を彷徨う心の叫びは、デルタ地区の過酷な土地が生み出した魂の歌である。
 そのような黒人の叫びは奴隷解放宣言から約100年後の1963年のキング牧師を中心とした公民権運動となり、1964年の公民権法の制定で法律上の差別は無くなったが、その後も相変わらず生活上での差別は無くならなかった。
 
 音楽に目を向けると、その昔、ビルボードが「レイス・ミュージックチャート」と呼ぶ黒人専門チャートを作っていたが、1950年頃からリズム&ブルースという言葉に変わり、それはソウルミュージックという言葉に変換されていった。これは黒人音楽の変遷のひとつであるが、そんな黒人の作り出すグルーヴに共感を得た白人が作り出した音楽がある・・・。
「ブルー・アイド・ソウル」・・・つまり黒人には青い眼がいないことから白人が演奏する黒人のような音楽のことを総称する言葉。
1960年あたりから出てきたこの音楽で一気にアメリカのポピュラー音楽は花開いたと言ってもいいだろう。
白人至上主義者は、黒人の音楽の良さを知ろうとしないし、黒人の作る音楽を同じラジオ番組から流されることに不快を示していた。ブラックチャートなど、もってのほかである。しかし、このブルー・アイド・ソウルの出現は画期的だった。
 ジェリー・リーバーやマイク・ストーラーのコンビは黒人白人分け隔てなく名曲を制作したし、ジャニスもボズもローラ・ニーロもみんなブルー・アイド・ソウルである。それこそ海を渡ったイギリスのザ・ローリングストーンズもアニマルズもスタイルカウンシルもシンプリーレッドもみんなみんなブルー・アイド・ソウルだ。
音楽に色は着いていない。
 そもそも音楽のジャンルなどレコード会社が勝手に作ったもので、音を楽しむ主体はリスナーである。販売目的のためのただの「言葉」に縛られること事態がナンセンスで、作り手もこれに悩まされることが多いのだ。
特に軽音楽の世界は歴史も浅く、「ロックンロール」という形態(ジャンル?)が生まれてから70年も経っていない。その起源がビル・ヘイリーなのかバディ・ホリーなのかチャック・ベリーなのかは置いておいて・・・つまり、それがどうしたということだ。
何度も書くが、音楽に色は着いていない。

「黒人が考え出して、白人が儲ける・・・」こんな言葉が黒人社会の中で語られていた時、最後まで人種差別の厳しかったミシシッピ州出身で、小さい頃から黒人に囲まれて育ったミュージシャンこそエルビス・プレスリーである。
彼の歌い方やダンスは「卑猥」と顰蹙を買い、テレビでは腰の動きを映されなかった逸話などまさに黒人のグルーヴを宿したアーティストである。
エルビスが醸し出す毒のあるパフォーマンスが一気に全米に広がり、それは海を渡ってヨーロッパにも広がった。全世界にそのムーブメントを広めたエルビスは、黒人の文化の伝承者としてブルー・アイド・ソウルなどと叫ばれる前に黒人音楽を租借し、その範疇を超え、その勢いが音楽という文化だけに留まらず、黒人開放への一助を担ったと言っても過言では無いだろう。

 U2のボノが以前インタビューで応えている。
「エルビスには2つの文化が混ざり合うという面白い瞬間がある。
白人音楽のメロディやコード進行というヨーロッパ文化と、黒人音楽のリズムというアフリカ文化が出会ってあのような体の動きをさせたこと。この瞬間からビートルズやローリング・ストーンズが生まれたんだ。原点はエルビスだよ。そして政治家にも黒人が進出したろ、戦争をするブッシュより平和を語るオバマを支持するね」

 政治家は真実を隠すために嘘をつき、芸術家は真実を伝えるために嘘をつくこともある。
 時代を創ったミュージシャンこそアーティストと呼ぶに相応しい。
「音楽」という文化で政治までを変える一端を担った稀有な事象として捉えてよいだろう。これがエルビスの功績である。

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2017/5/2
花形
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# by yyra87gata | 2017-05-02 11:39 | 音楽コラム | Comments(0)
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 アメリカと北朝鮮の代表2人が核ミサイルのボタンに指を乗せていた頃、お花見で盛り上がる日本では、一部のマスコミだけに緊張が走ったが、概ねどのテレビ局も普段どおりのバラエティ番組の中で荒唐無稽な笑いを提供していた。
そんな2017年4月14日の午後、ソロ公演のため来日していたイアン・マッカロク(エコー&ザ・バニーメン)はマネージャーと2人、無許可で日本を出国してしまった。招聘元のスタッフはもちろん、英国から連れてきていたスタッフにも話をせずにである。
戦争開始を危惧し身の危険を感じての行動なのだろうが、スタッフはもとよりファンに対する礼儀もあったものではない。
しかし、この不届きな行動・・・決して褒められたものでは無いが、果たして・・・。
核戦争の危機感をあまりにも感じ取れていない日本。
何をしでかすか分からない北朝鮮の代表と、つい1週間前に中国主席との会談中にミサイルをシリアに向けて砲撃したアメリカの代表の手元には常に核ミサイル発射装置があり、アメリカNBCは4月15日をXデイとして報道していた。
そのような報道が飛び交う中、北朝鮮とアメリカの戦場になると予想される日本の緊張感の無さといったら。
いたずらに報道を煽る必要はないが、イアン・マッカロクの取った行動を非難することができない気もする。
 
 さて、このようなマイナスな書き出しで始めてしまったが、イアン・マッカロク率いるエコー&ザ・バニーメン。
1970年代後半に結成され1980年代後半まで一線で活躍し、後世のバンドへの影響力は非常に高いものがある。
ジャンル的にはネオ・サイケやオルタナティブ・ロックと称され、コールドプレイやニルヴァーナへの影響力は多大だと言われている。
バンドとしては、アメリカでの商業的成功は成し得なかったが、世界中に根強いファンを持ち、メンバーの死亡などで一度は解散状態に陥ったが今でもマイペースに活動を続けている。

 私が彼らを最初に聞いたのは1983年頃だったか。
部屋でFENを流していたら、聞き覚えのあるヴォーカルが妙な唄を歌っていると思った。
「ドアーズにこんな唄があったか」という第一印象。「モリソンは死んでいるのだから、なにか未発表音源でも見つかったのか・・・」
それがアルバム『ポーキュパイン』(1983)との出会い。エコー&ザ・バニーメンのヴォーカルであるイアン・マッカロクは、ドアーズのジム・モリソンと間違えるくらい曲調や声のトーンが似ていたのだ。
そして、続けてイギリスのどこかで行なわれたライブ音源が放送されたのだが、テレヴィジョンの「フリクション」をトム・ヴァーラインのヴォーカルのように不安定に歌っていたのだ。このヴォーカルは只者では無いと思った。
 当時アメリカではマイケル・ジャクソンの『スリラー』(1982)をはじめ、ケニー・ロギンス、ジャーニー、ホール&オーツなどがメガヒットを連発。洋楽テレビ音楽番組の「ベストヒットUSA」は華やかなラインアップで彩られていた。
そんな弛緩した私の頭の中に入り込んできたエコー&ザ・バニーメンである。

 私はもともとニューヨークパンクが好きである。ニューヨークパンクはパティ・スミスしかりベルベット・アンダーグランドしかり、唄という作品で人間そのものを表現し、それが悲痛なロックであり静寂なバラッドであり、ポエトリー・リーディングであり、音楽表現の自由さが無限大にあるところに惹かれていた。
そんな中でイギリス、しかもリバプール出身のエコー&ザ・バニーメンの演奏はとても異質に感じられたのだ。
当時のイギリスのニューウェーブの筆頭はポリスであり、もう一つの流れとしてパンクバンドであったザ・ジャムから派生したスタイルカウンシルが人気を二分していたが、エコー&ザ・バニーメンからはイギリスの匂いよりニューヨークの匂いがした。モッドな雰囲気も無かったし・・・。
そして翌年、アルバム『オーシャン・レイン』(1984)が発表され、その中の「キリング・ムーン」は彼らの代表曲となった。
この「キリング・ムーン」・・・切ない男のラブソングだ。

 「蒼い月の下で出会い、一瞬のうちに私を魅了した貴方。
  貴方は残酷にも私にキスをした。魔法のような世界に私をいざなう。
  そして宝石をちりばめた空にキリング・ムーンが昇ってくる。
  運命・・・意志ではどうにもならないもの・・・どんなことが起きようと私は待つ
  貴方が私に身を委ねるまで・・・」

 「キリング・ムーン」に魅了され、何度も聞き込んでいたが、後に発表された12インチの「オール・ナイト・ヴァージョン」がこれまた特筆ものなのだ。
重厚なストリングスとVOXのビザールギターのチープな音のコラボレーション。
イントロを聴くだけで神経がどんどん覚醒されていく。9分にも及ぶ超大作。白眉のパフォーマンスである。
そして、この「オール・ナイト・ヴァージョン」を収録したアルバムが『まぼろしの世界(12inch+LIVE)』(1988)である(原題「NEW LIVE AND RARE))。
1988年の来日時に編集盤として制作された企画盤で、タイトル曲の「まぼろしの世界」は言わずと知れたドアーズの名曲である。イアンのヴォーカルは、ジム・モリソンが憑依した如く鬼気迫るヴォーカルとなっており、しかもこの曲のプロデュースはドアーズのキーボーディストであるレイ・マンザレクが務めているという懲りよう。
他にも、ビートルズやストーンズなどのロックの名曲をカバー。
特筆は前述したテレヴィジョンの「フリクション」まで収録されていること。これは嬉しい1曲である。
41分と最近のアルバムと比べると短い収録時間のアルバムだが、おなかいっぱいになること間違い無しである。

 逃げるように帰ってしまったイアン・マッカロクだが、もう再び日本に来ることは無いだろう。
とりあえず現段階ではミサイルは飛んでいないが、緊張は続いている。
 
2017年04月17日
花形
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# by yyra87gata | 2017-04-17 10:51 | アルバムレビュー | Comments(0)

清志郎のSF

 
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 SFって苦手なんだよ。夢が無い人と思われるかもしれないけど。SFって科学的な空想を模索しながら架空の世界を構築してるわけだけど、なんだかよくわからないんだよね。
アタシのSFなんて小学生の頃に見たウルトラセブンで止まってるし(今、再放送してて、たまに見ることがあるんだが、あれは人間ドラマだね。子供の見るドラマでは無いよ)、宇宙戦艦ヤマトだって御伽噺の世界だわ。だいたい空を飛ぶのに空気抵抗がハンパ無い船の格好という荒唐無稽さに当時の小学生の頃のアタシは苦笑してたから。
 だから同時期に流行ってたスターウォーズなんていまだに見たいと思わないし、みんながその話題をしていても「オイラは放っておいてくれ」ってな感じ。
超現実主義だから宇宙人がやってきてドンパチする映画なんて、途中で飽きちゃうから見ないようにしてるもん。だいたいSF映画を撮り始めてから何十年経ったかわかんないけど、相変わらず宇宙人って人間の姿をしていたり、蛸のお化けみたいだったりで、想像力が乏しすぎやしないかと思うわ。
ま、こういう文を書いているとなんてつまらないヤツだと思われるかもれないが・・・、音楽についてのSFはちょっと敏感になるのね。
 
 アタシの知ってるSFの音楽って2つあんの。
まずひとつは、1975年、リチャード・オブライエン作のロック・ミュージカル『ロッキー・ホラー・ショー』の代表曲「Science Fiction, Double Feature」。この曲は往年のSF作品の代表的な事柄を書き並べた不思議な曲。おどろおどろしいロック・ミュージカルの素敵な序章なのよ。
往年のSFへのオマージュであり、ポップ&サブカルチャーな作品として1970年代当時の社会規範、道徳観、通念をぶち壊しながら表現した。
「様々な不思議な世界がありますよ~これから2本立て(映画館)で始まりまっせ~」って感じ。ま、往年のSF作品を知っていたらもう少し楽しめたかもしれないが、アタシはそんなものよりカルチャーパワーの方に重きを置いてしまうので良しとするのだ。いいの、いいの。
 で、もうひとつのSF。
1986年3月にシングルで発表された「忌野清志郎&ジョニー・ルイス&チャー」の「SF」。
「県立地球防衛軍」というアニメのテーマソングを何故かこの面子でやっている。で、アタシは何故か1985年の11月と12月の2回、こいつらを観ているのだ。
 1985年11月24日、一ツ橋大学文化祭(小平祭)、兼松講堂。アタシの目当ては、泉谷しげる。BOOWYは「暴威」から「BOOWY」に名前を変えてメジャーデビューしたばかりだったが、6人から4人になってビートバンドっぽくなっているという情報。でも、あまり気に留めていなかった。布袋がギターを弾いているから聴いていたけど、どうしても氷室のヴォーカルが「ヒデキ感激!」に聴こえてしまって・・・ま、いいか。そんで、ゲストに忌野清志郎とクレジットされていたが、きっと泉谷のステージに乱入して2曲くらい歌って毒づいて帰っていくのだろうな、と思っていたからこれもあんまり期待していなかった。
 当時の泉谷のバックは最強で、ギターは布袋寅泰、ベースは吉田健、ドラムは友田真吾(SHI-SHONEN)。185センチクラスの身長のギタリストとベーシストに挟まれた泉谷は、捕まった宇宙人みたいだったけど、パワフルな演奏と今までに聴いたことも無い布袋の宇宙的な空間の音作りが泉谷のメッセージにフィットして新しい音の塊になっていたのだ。
 で、寒い中、彼女と2人で開場を待ってたの。あ、彼女って今のうちの家人だけど、当時から泉谷が好きな変な女子大生で、みんながサザンとかユーミンとか騒ぎ始めると不機嫌になる人なのね。今でもそうだけど、大っ嫌いみたい。だからうちの娘たちもサザンとか全然聴かないし・・・同世代の中で浮くって言ってた。あ、話が反れたね。
で、とにかく寒くて震えながら待ってたのよ。そしたら、文化祭(小平祭)の実行委員みたいな大学生がメガホン持って出てきて、「BOOWYは来れなくなりました。でも泉谷しげるはあります。BOOWYご希望のお客様はチケットの払い戻しします!」って。
「なんだよ、BOOWYが来れないなら布袋も来れねぇのか?泉谷の弾き語りなんて観たくねぇな~」と思い、アナウンスしていたそいつに聞いたの「泉谷ってちゃんとバンドでやりますか?」
「あ~はい。バンドでリハーサルしてました。BOOWYの人も来てましたよ」だって。
「じゃ、観るべぇか」みたいな感じ。
 で、開場。
程なくして・・・いきなりJL&Cが出てきたのね。もうクリビツテンギョー。
「おっ!これは得した!やった~!」なんて言って彼女と小躍りしたのよ。そしたら例の地を這うような声と共に清志郎も出てきたわけ。
「イエ~~~!オマエら!よーく聴け~!泉谷なんか聴かなくていい!俺を聴いて帰れ~!」
なんだこの挨拶。
 驚きましたよ。大好きなJL&Cと清志郎が一緒にやる。
演奏曲はRCのレパートリーからカップスまで(ルイズルイスに敬意を表して)。で、新曲の「SF」とフォークソングみたいな「かくれんぼ」という歌も披露したの。
なんで、こんなバンドが出来たんだろうってみんなが首を傾げていたら清志郎は
「俺のな、可愛い可愛い、ミニちゃんのタイヤが減ってきて・・・車検も通さなくてはならなくて・・・で、しょうがないからジョニー・ルイス&チャーにお願いしてシングルを作ることになった!だからレコードが出たら必ずみんなは買うように!」って言ってた。
いや~演奏はスリリングだし、清志郎のヴォーカルは圧倒的だし、ささっと50分くらいやって帰っちゃったけど、インパクトはもの凄かったね。
もちろんその後に出てきた泉谷も凄く良かったけどね。
リハの詰め方は置いておいて、演奏のインパクトでは清志郎、JL&Cだったね。
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 時は1ヵ月後。
武道館でイベントがあって、チケットが只で手に入ったから当時のバンドリーダーと2人で行ったのね。
資生堂ギャッツビーという商品のお披露目イベントだったと思う。「ギャッツビーライブIN 武道館The Day of Rock 」っていうイベントだったから。
出演者はBOOWY、シーナ&ロケット、ARB、そして清志郎、JL&C。
そこで感じたこと。
清志郎のヴォーカルの凄さだったの。
当時の武道館って今ほど音も良くないし、ぐるぐる回ってしまうからアリーナの後ろの方だとはっきりと歌詞が聞き取れなかったりしたんだよ。で、案の定BOOWYの氷室は何言ってるかわかんないし、シーナのヴォーカルも浮遊してた。石橋稜のヴォーカルはバリトンなんだけど、逆にコモッてしまって通らないわけ。
バンドリーダーと「何言ってるかわかんないね」なんて話をしながら帰ろうかと思っていたらようやく清志郎たちが出てきたわけ。相変わらずの高圧的な態度で。笑っちゃうんだけど。
で、いきなり「イエ~~~!」って叫んだのよ。
もう、アタシとリーダーはひっくり返りましたよ。
すげ~。ちゃんと声が通っている・・・。
バンドの音もしっかり筋の通った音。チャカポコしてないわけ。チャーなんて歪みものとワウくらいしか使ってないんじゃないかね。とにかくシンプルな音だったし、マーちゃんのベースもゴリゴリしてたから(チューンだったかね)、とにかく耳障りなわけ。で、清志郎のヴォーカルも耳障りなわけ。
で、あの巨大な風呂場のような武道館に入るとしっかりクリアに聞こえたわけよ。
いや~参ったね。もう。
 でも、そん時のライブでは「SF」は演奏してないんだよ。まったく商売っ気の無い人たちで、自由だわ。そういえば「自由」って曲が最初の曲だったかね・・・。
だっていきなり出てきて「俺は付き合いにくいぜー!誰の言うこともきかね~!」って叫んじゃうんだもん。
笑うしかないね。
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 しかし、この頃のライブってFMとかでオンエアしていて、エアチェックしたから手元に音源はあるんだけど、「SF」とか「かくれんぼ」はCD化されないのかね。切望するわ。

2017/4/4
花形
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# by yyra87gata | 2017-04-04 11:41 | コンサートレビュー | Comments(0)