音楽雑文集


by yyra87gata
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2016/04/14
今回はネタバレしてますので、まだ公演をご覧になられていない方は決して読まないでください。
絶対に。


パンフレットの冒頭に記載されたECの挨拶文

また皆さんのもとに戻ってきました!
すでにツアーからの引退を表明しているので、おかしな話かもしれませんが、じつはまだ、それがどういうことなのか理解できていません。だったら、きちんと受け止めてしまう前に東京に向かい、友人たちと再会するのもわるくない。そう思ったのです。

 武道館の椅子に腰掛け、パンフレットを開くとこんなC調の挨拶。あ〜典型的なB型人間だ、と思いつつページをめくる。ギターを構える姿は相変わらずカッコいい。ただ、顔の張りは無くなり、おじいちゃんの顔になってきたが、よくぞ、日本に来てくれましたよ。ツアーを引退し、大々的に世界を回らなくなったECですが、日本には来てくれた。ま、素直に喜びましょう。
ページをめくる。
ドラムがヘンリー・スピネッティじゃないか!
クリス・ステイントンのピアノ、これ、まさしく俺が最初にECを武道館で観た『ジャスト・ワン・ナイト』(1979)時のメンバー!
いい加減、スティーブ・ガットのドラムには辟易していたから(スティーブ自体は悪くないのよ、ただ最近のスティーブはロックビートが叩けないので、おっさんがやる横ノリのビートになってしまうのよ。だからECとは全然合わない。れーいらぁ〜ってコブシまわっちゃうかんね)、このドラムは良い選択ですよ、EC!
アンディ・フェアウェザー・ロウのギターか…。ま、地味だけど、しっかりバッキング出来る人だから良しとしよう。
ベースのデイブ・ブロンズもブルース的なアプローチが得意な人なのでOK。
オルガンにポール・キャラック。なんか、嫌な予感。前回の来日公演にも参加しているが、ヴォーカルを取るんだよ、この人。ま、イギリスではヒット曲持ってるし、知る人ぞ知るといった玄人受けするミュージシャンね。でも、ECのコンサートなんだからちょっとは考えたら、と思ったのが前回の来日公演の感想だったのだ。だけど、ECが認めた人なんだから、ま、いいか、と自分の中で処理したんだけど…また、いるね。
マンドリン持っているダーク・パウエルって誰?お初の人だね。
しかし、パブロック臭が漂う面子だわ。
おっ、客電が消えた!
始まるよ〜。


 アンディ・フェアウェザー・ロウもポール・キャラックもアコーディオンやフラットマンドリンを弾いてたダーク・パウエルも途中で出てきた小僧(ちゃんと紹介しろよ、調べたらエド・シーランという若手シンガーソングライター)も悪くないよ。
何が悪いって、全てECと、このステージの演出を考えた馬鹿のせいだね。
全く前回と同じ展開。
「エリック・クラプトン」という名前で客を呼んでるなら、最後は本人がちゃんと締めなければ!
前回もアンコールの最後がポール・キャラックだったしな。
正味1時間30分のステージ(これ、今までの中でも最短に近い)で、クラプトン以外の人が4曲も歌っている。そんな演出、誰が望むんだ?みんな、クラプトンを観に来てるんだろ。
俺は、「クラプトンがそこにいればいい」とか「神様だから何でもいい」とか「ギター弾いてくれていればなんでもいい」なんていう人を相手に書いてないからね。クラプトンをいちミュージシャンとして捉えて書いてるからね。
連れて来たバンドメンバーはそれぞれみんな良い面子だと思うよ。それぞれヒット曲を持っているかもしれないしね。でも、こういう構成にするんだったら「クラプトンファミリー」という名前でステージをやってくれよ。そういう目で観るから。
 過去、エルトン・ジョンやマーク・ノップラー、ジョージ・ハリスン、ジェフ・ベック、スティービー・ウィンウッドなどと来た時はちゃんとクレジットしてたでしょ。ロバート・クレイだってオープニング・アクトってちゃんと書いてあったよね。書いてあれば、そういう目で見るし、そういう心構えがあるのよ。EC単体のステージでなければ、もしかしたらコンサートに行かない人だっているかもしれないし。
 少なくとも日本では、知らない曲が出たら、殆ど英語なんて通じてないから、みんな雰囲気で聴いてるわけ。増してや知らない人が歌っていたらどうよ。
でも、それがクラプトンが歌っていれば、まだ納得するわけ。新曲かなぁ〜なんて思いながら。新しい曲との出会いだから喜ばしいことですよ。
だから、「知らない曲ばかりでつまらなかった」と評する客は論外。そういうやつは「家でヒットソング聴いてろ」って言いたいのです。
ま、100歩譲って、クラプトンに来てる大半の人は、「レイラ」や「ティアーズ・イン・ヘブン」や「チェンジザ・ワールド」というヒット曲やクリームの時代の曲を期待してることは心理でね。当り前じゃん、そんなこと。ヒット曲を持つミュージシャンの宿命なんだけどさ。
だから、前にもブログに書いた事あるけど、年がら年中ECは来る訳でもないし、増してやツアー終了宣言までしている人で年齢を考えてもこの先、あと何回観れるんだろうなんていう人ですよ。そんな人が日本のこの不況下で13,500円も取って、このステージか?ってことになるわけよ。
前回来日のステージは、ポール・キャラックがやたらと目立っていて、ちょっとどうかな、なんて思ってたけど、今回はアコーディオンやバンドネオンも入って音楽が全然ロックじゃないのよ。それでいてブルースにもなって無いのよ。
いつからクラプトンはパブロックになったんだ?って叫んでた人もいたね。

 今回のステージは、ゆったりと始まり、アコーディオンの響きからして、何処かザ・バンドを彷彿させる音でした。
懐古趣味としてクラプトンを聴きたいなどとは決して思わないし、新曲を書き続けるミュージシャンは尊敬もします。
しかし、ステージングは、客と共に作り上げていくナマモノで、何度も言うけどグチャグチャとメインヴォーカルが変わる「クラプトンのコンサート」ってどうなのよ!ということ。
こうなってくると不満がどんどん出てくるわけ。ECはミスタッチだって多かったしね。もう殆ど手癖で弾いてるだけ。ジェフ・ベックのようにいまだに成長している同年代のギタリストもいるのに。
ギターの音だって相変わらず、ブオブオした下品なストラトのレースセンサーで歪ませた音と、ピエゾマイクのエレアコみたいなマーチンと思えないやっすい音。
これでECはOK出してんのかね。黒澤楽器、いいのかこれで。こんな音、マーチンの音じゃねぇぞ。こんなんでマーチンと思われるとマーチンユーザーが悲しくなる。

 俺はクラプトンのステージ見始めて40年近くなるけど、今回だけは我慢ならんね。
前回は最後のツアーという言葉の割には最後の歌がポール・キャラックなの?という適当な演出に開いた口が塞がらなかったけど。
そうだ、思い直した。ポール・キャラックも悪いよ。
クラプトンのコンサートの最後が俺なのか?って何故ECに言わないのか?
いくらECに命令されても、ポール・キャラックは身を引くべきだったんじゃないのか?
逆らえないのか?
クラプトンも70歳過ぎてんだし、もう老害の域だわ。
だいたい、なんだあのステージ衣装。
白いラインが入ったトレパンとTシャツ。
あれじゃゲートボール場にいるおじいちゃんだよ。
ホント、服のセンスが無い。昔は、スーツ着たり、細くて長い足が強調されたジーンズなんか履いてきちんとしてたのになぁ。
1990年代半ば辺りから、ローディーと間違われる様なダサいダブダブのパンツにユニクロみたいな(ユニクロもスポンサーしてたな)安っぽいチェックのシャツなんかを着だしたんだ。
マジでギター持って出てきた時、ローディーと間違えたわ!
今回のバックミュージシャンだって、スーツ着た奴もいれば、農夫みたいな格好のやつ、イギリスのバルかなんかで1日中黒ビール飲んでそうな奴など、バラバラのいでたちでさ。
総じてこういうバンドを「オヤジバンド」って言うんだよ。なんか、スゲェ格好悪いバンドを観たって感想だよ。
ステージディレクターはいないのだろうか。
いくらお人好しの日本人だって、こんなの見せられたら次は無いよ。
まずは、ステージングを見直さないと。

 整理すると、ヒット曲をやれとは言わない。但し、客はECを観に来ているということをもう少し自覚して欲しいのね。で、この形態にするなら、「エリック・クラプトン」というネーミングでコンサートを開くなということ。ウドー!
 一つ付け加えるとすると、同じミュージシャンでもストーンズはどう?
彼らのセットリストは往年のヒット曲満載。新曲を出してもちゃんと散りばめながら1曲目かアンコールでは「ジャンピング・ジャック・フラーッシュ!」って叫ぶし、途中キースのコーナーでミックがいなくなったと思ったら、どこからかアフロビートが木霊し、「悪魔を憐れむ歌」が始まるんだよ。絶対。
キッスだって相変わらずだけど、ジーン・シモンズは火を吹くし、ポール・スタンレーは「ラブガーン!」って叫びながら客の上をワイヤーにぶら下がって浮遊するんだよ。
もう、水戸黄門が印籠を必ず出さないと物語が終わんないのと一緒。それがあることで、客も安心して楽しい夜を終えることが出来るのね。
だから、クラプトンに毎回「レイラ」やれとは言わないが、ちゃんとクラプトンらしさを出した演出にしてほしいわけよ。
 今回、俺はかなり、一般大衆に寄せた意見を書いていますよ。自分も音楽をやる人間だからミュージシャンの気持ちもわかる。予定調和的なアンコールには飽き飽きすることもわかるし、新曲を披露したい気持ちもわかる。
だけど、客の喜ぶことも少しは考えてもいいんじゃないの、ということ。
前回と同じ展開で客電が点いた時は、マジで笑っちゃいました。おいおいってね。
知らない曲が多すぎて、「レイラ」が聞けなかったから文句言ってるネットへの書き込みが溢れてますが、そんなことじゃないんだ。
長いことクラプトンを観てきているファンだから、ちゃんと言いたいんですよ。
もう少し考えたらって?
一生のうち1回しかクラプトンを観ることができない人だっているんだよ。
一生懸命チケットを取って楽しみにしている人だっているんだよ。
次回に期待。


花形
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# by yyra87gata | 2016-04-14 11:22 | コンサートレビュー | Comments(18)

マーチンD45

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 楽器屋さんに行ってもそんなにギターが欲しいと思わなくなりました。
何故でしょうか。
もし楽器屋さんに入ったとしても、新品のコーナーは素通りしてしまいますね。ヴィンテージの固体を探し、その楽器の前でため息でもつきながらうっとりと眺めるでしょうね。
そう、ある種、工芸品を見る境地であります。
それはエレキギターでもアコースティックギターでもエレキベースでも一緒です。
「良い色に退色している」とか、「クラッキング(塗装のヒビ)が絶妙」とかそんな気持ちで眺めています。
こんな私は、ギターヴィンテージ館なんて出来たら、すぐに行くでしょう。
 
 さて、楽器屋さんですが、ヴィンテージを見ていて陥ってはいけないミスが一つあります。それは、つい試奏してしまうことです。
「これは」と思うギターを手にした場合、次に脳内で変換されることは「今、貯金いくらある?持っているギターを下取りに出したらいくらになる?月々いくらまでならローンで払える?」なんて思いが一気に想起されてしまうのです。
ちなみに、私は一時期かなりの数のギターを所有しておりましたが、現在は整理に整理を重ね、数本しか残っておりません。
アコースティックギターはマーチンD45(1976)とD28(1976)、国産のキャッツアイ(1979)。エレキギターは、ギブソンSG std(1965)とESP製のロン・ウッドが所有していたストラト(1985)だけです。あと、フェンダーのジャズベが1本(2000)。
なんとシンプルなラインアップ!
気まぐれでギターを購入していた時期が懐かしい。
ギブソンもギルドもオベイションもヤマハもグレコもモーリスもマーチンD18、D19、D28・・・も、みんな処分してしまいました。

 私はここ最近(20年以上)アコースティックギターしか弾かなくなり、2年前にマーチンD45を手に入れてしまってからは、楽器屋さんに行っても興味をそそるのはマーチンのD45のみ。しかも1983年以前に生産された固体のみ。これが、中々出回っておりません。そういう意味でD45以外のギターを購入する気持ちは無くなってしまったので、楽器屋さんから足も遠ざかってしまっているのでしょう。
そして、このD45ですが、たとえ希望の品があったとしても相場からして900,000円~1,500,000円位します。60年代後半のモデルが出てくれば一気に3,500,000円~∞。
1930年代のモデルなど出ようものなら、価格はつけられないでしょう。
だから、D45が欲しいといっても中々手に入れることは出来ないのです。
D45ならいくらでも欲しいのですがね。

 まぁ、そうは言っても金に糸目をつけなければ欲しいギターも無いことは無いですが、歳も歳です。高いギターを残され、私が死んだときに処分に困ることを考えると家人に迷惑はかけられませんので・・・。気持ち的には「整理」の段階に入っているのです。
そして、現在所有する楽器たちを最期まで弾くかなぁなんて思っているわけです。

 さて、そのアコースティックギターの中でもマーチンD45な訳ですが、手にしてみてわかったことがありました。
造りが良い事は皆様もご承知でしょうが、何と言っても重量感があるということです。そしてそれは貝のバインディングが全体に施されていることで、木と木をがっちりと繋いでいるのであります。飾りだけと思っていては大間違いです。ストロークをした瞬間ボディ全体がバランスよく響きあうのであります。
 マーチンD28はアコースティックギターのお手本の様なギターと言われます。しかし、このD28、実はかなりのドンシャリなのであります。私の所有するD28もD45も1976年製でありますが、弾き比べると音の違いや倍音などびっくりするくらい違う個性を持っております。
 同じスプルースの表板でサイドバックはローズウッドです。D45はD28のゴージャス版という位置づけですから同じ材料で作られています。
但し、D45はD28と同じレベルのスプルースやローズウッドを使用せず、厳選された木を使っていると言われています。そういった厳選された木材を貝がガッチリ詰め込まれて、重厚な音になっているのでしょうか。
 こんなことがありました。レコーディングで派手派手しいストロークをD45で録っていました。録った歌をプレイバックして聞いてみると、ギターの音が芳醇過ぎてしまい、とてもトゥマッチな印象を受けました。後日、そのトラックにD28で録り直してみると上手くはまるのです。
そのギターの特性を生かした使い方をしないと、いくら音が良くても音楽的にならないと言うこともあるのです。
 
 私はD45を購入するにあたり、迷いはありませんでした。私は一時期ネットを使い、都内のどこの店舗に何年式のD45が在庫しているとか、試奏できるか、などを常に把握しておりました。そして時間があれば弾きに行くこともありました。
 当時の私はD28を2台所有しており、弾き分けておりました(同じモデルでも音の特徴はぜんぜん違いました)。D28は標準的なギターなので、安心してプレイすることもできましたし、満足していたのですが、あまり出回らない1970年代のD45が4本も同じ店に現れたのです。これは事件です。アコースティック専門店でもせいぜい1本か2本、それも最近のモデルや新品が並ぶということはあっても1970年代のD45が4本揃うことは珍しいです。増してや、正規代理店の黒澤楽器だってそんなことは中々無いことです。
 D45が4本並ぶと壮観です。私は店長さんに1本1本弾いてもらい、真ん前で音を聞き比べました。そうです、アコースティックギターは、自分で弾いて聴く音と、ギターの前で聴く音が異なります。まずは出音を聴くのであります。
どれも甲乙つけがたいのですが、私は4本の中で一番汚く、キズがある固体と、一番綺麗なボディの2本に目が行きました。
2本とも980,000円のタグがついています。税金込みで1,058,400円。やっぱり7ケタかぁ~、なんて思いながら、試奏を始めました。
私の所有するD28とは全然違う音の出方。これは7ケタの価値が十分あると思いました。
「何で急にこんなにD45が増えたんですか?」と私。
「これ、実は委託販売の物件で、1人のオーナーが持ち込まれたのですよ」と店長は言う。
なるほど、そういうことか。
店長は綺麗な方のギターを勧めてくれましたが、私は汚れている方が気になっています。
すると店長が・・・
「お客様が弾いている方はもう少ししたら価格を下げようと思っているんです。ネットにはまだ出しませんが、予定で880,000円ですね。ほら、綺麗な方は放っておいても売れるじゃないですか・・・」
「なるほど。しかも、私の気に入った方は税込みで100万切るじゃないですか!」
こんな会話をして、その日は店を出ました。
それからは、いても立ってもいられないのです。ネットで在庫を確認する日々。
3日後、綺麗なD45にSOLDの文字が!
(やっぱり売れたか、そうだよな。あれは良かった。綺麗だったし、でもちょっと音がバラついていたんだよな)なんて思いながら、もう一本の方に頭はスイッチ。
そして、週末、車にギターを詰め込んで楽器屋さんに赴いたのでした。
「これ、買います。で、このギター委託販売で出しますんで、よろしく」
車のトランクから「マーチンD28(1981)」「オベイション・レジェンド1767」「ヤマハSA-1000」を運び入れました。
そして契約。
 私は、D45を抱きながら、店の中でポロポロと爪弾いていました。店長さんはマーチンに詳しく、いろいろと裏話を教えてくれます。こういう会話が一番楽しいです。
ふと目線を壁に向けると見慣れぬD45が。
「あれ、こんなD45、ありましたっけ?」
「今日、さっき入庫したんですよ。80年式だからSQネック、ペグがシャーラーに変わっただけで作りは1970年代と一緒です。弾いてみます?」
弾いてみると、これが、音がでかい。弦高が若干高目だが、調整は効く。価格を聞いてびっくりしました。委託販売品でしたが、すぐにでも現金化したい人のようで、相場より格段に安い設定。
これは、買いです。
でも、私はすでに購入したばかり。そこですぐに私と同じくD45を探しているミュージシャンに連絡を入れたのでした。そして、翌日にはその方がゲットしておりました。

 D45をライブで使用しているミュージシャンは意外と少ないです。
CSN&Y、ライ・クーダー、ガロ、加藤和彦、石川鷹彦、伊勢正三、さだまさし、南こうせつ、杉田二郎、坂崎幸之助、高見沢俊彦、玉置浩二、桜井和寿、清水國明・・・
というか、けっこう古いミュージシャンが多いですね。
ライブにD45を真綿に包むようにもってきて、ハードなステージをするなんて馬鹿げているのでしょうね。
私の使用する楽器は生涯現役です。どんなに演奏コンディションが悪かったとしても、必要であれば弾くでしょう。楽器は鳴らしてナンボですからね。

 2年経った私のD45はけっこう私との歴史が刻まれています。ピックによるスレはもちろん、ぶつけたり、倒したり、引っ掛けたり。でも元気に今日も鳴り響いております。
そして先ほどのミュージシャンと一緒に2人でD45をかき鳴らしております。


2016月4月6日
花形
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# by yyra87gata | 2016-04-06 18:30 | 音楽コラム | Comments(0)

Beauty and the Beat The Go-Go's

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 ヤンキーガールがロックする。
中学時代に「銀座NOW」で観たランナウェイズはよくわからなかった。
下着姿でガーターベルトをだらしなく着こなし、股を広げて「チェリーボム!」って叫んでいる。なんか、そういうところでしか表現できないのかという気持ちで、受入れることができなかった。
スージー・クワトロもキャーキャー叫んでいるだけで何を歌っているのかわからなかった。しかし、音楽雑誌「ミュージックライフ」では大きく取り上げられ、絶賛している。どうして女性がロックを歌うとヒステリックになるのかわからなかった。ジャニスの亡霊にでもとり憑かれているのだろうか。
黒人女性シンガーなら余裕で歌いきっちゃうところも白人女性シンガーだと青筋立ててキィキィ言っている感じが駄目だったなぁ。
だから、80年代に入りパット・ベネターが出てきた時は「おお、さすがジュリアード!歌うめぇなぁ」なんて思ったものだ。
 80年代に入り、あるバンドがデビューし(1981年)、女性ロックグループで初の全米1位に輝いた。The Go-Go'sである。
ストレートなロックンロールとパンキッシュなサウンドが融合し、たちまちブレイクした。
デビュー当初は女性だけのバンドということで中々受入れられなかったようだが、持ち前の明るさと根性、そして何よりもMTV世代の申し子のようにプロモーションビデオでは屈託の無い笑顔で女の子がロックバンドを楽しむ姿が好感を呼んだのだ。
 1981年発表のデビューアルバム『Beauty and the Beat』は、6週連続トップを記録し、女性だけのロックバンドで初の全米1位に輝いた。
まだ、マドンナもホイットニーもジャネットもスターになる前の話。
ロスアンゼルスのローカルシーンから全米に羽ばたき、大ヒットを記録。翌年は『Vacation』も大ヒット。The Go-Go'sは、一大ブームとなった。
何はともあれ、明るいロック。
原色の衣装を身にまとい、後の女の子バンドの定番ステップになったピョコピョコとミニジャンプを左右に繰り広げながら演奏する。
 ヴォーカルのべリンダは可愛い顔に似合わずドスの効いたヴォーカルを聞かせることもあり、いろいろな表情を見せた。
演奏力というより総合演出力といったほうが理解されるバンド。
このバンドの出現で勇気付けられたガールズバンドは全世界に数多くいるのでは無いだろうか。

 バンドはメンバー間の確執やアルコール問題などお決まりの理由で1985年に解散するが、その後も何度も再結成を繰り返し、今でも活動をしている。
 ベリンダ・カーライルはソロ活動で一番成功した。セカンドアルバムからシングルカットされた「Heaven is a Place on Earth」は全米1位に輝き、世界中のチャートで1位を記録した。
 そのベリンダもThe Go-Go'sにもどり、バンド活動をしているという。
 若さ溢れるガールズバンドに時代がマッチし、結果的に全米1位に輝いたが、今再び活動を続けるメンバーの心にあの頃の気持ちがあるか・・・。
リスナーは出てくる音でしか判断できないが、明るいメジャーコードをかき鳴らしていてもこの30年間の歴史はマイナーにも7thにも聞こえてくるに違いない。

 今、改めて『Beauty and the Beat』に針を落とす。
フロアタムを連打し、粋が良いビートがスピーカーを揺らす。
「We Got The Beat」の跳ねるビートを聴いていると・・・元気になるんだよ。
元気になる音楽なんだよ。そこに理由は何も無いんだよ。
若さ溢れる良盤である。

2016年4月1日
花形
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# by yyra87gata | 2016-04-01 17:35 | アルバムレビュー | Comments(0)

ロングヘアー

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 ジョンレノンのような長い髪に憧れてはいたが、校則が厳しくせいぜい耳が隠れる程度だった。教師に見つかると生徒指導部に呼ばれ竹刀で思いっきり尻を叩かれた。しかし、なぜか髪を切ることに抵抗を感じていた。それは反骨のアイデンティティとして髪を伸ばすことが正当化されていた最後の時代だったからか。
時は1980年初頭。テクノブームの中、あんなに汚い髪を垂らしていた細野晴臣や坂本龍一がみんな耳を出す始末。ニューウェイブの波は音楽と共にファッションも変えていった。
しかし、そんなウェーブを横目で見ながらせっせと髪を伸ばす日々。
 高校を卒業し、晴れて何の制約も無くなった時、髪も髭も伸ばし始めた。
そして私は高校時代から続けていた活動として、何かにとりつかれたように渋谷の街を徘徊していた。
汚いベルボトムジーンズに破れかけたバッシュやブーツで足元を固め、上半身はたいていよれよれのTシャツにGジャン。そんな格好で道玄坂のヤマハ本店を中心にBYGやディスクロードなどのロック喫茶に屯っていた。
金が無くなると妙なところから妙なアクセサリーを仕入れてきて、いきなり露天商。
警察とヤクザの見回りに怯えながらも、調子が良いときは日に5桁の金を稼いだ。
なんか反体制の中で生きていたという実感があったのだと思う。

 歌は世情を反映する。
髪をなぜ伸ばしたか・・・反体制。
就職を意識し始めると髪を切る・・・体制。

 ジローズの「戦争を知らない子供たち」では「若すぎるからと許されないなら、髪の毛が長いと許されないなら・・・」と若者からの主張を大人たちは排斥する描写がある。
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 しかし、1972年よしだたくろうは「結婚しようよ」で
「僕の髪が肩まで伸びて・・・」と歌い、全国的に大ヒットした。
男が肩まで髪を伸ばすことが普通では無い時代、敢えてそう歌い、あたかもニューファミリーと位置づけられる。新しい文化がそこに芽生え、これがお茶の間レベルの若者主導型音楽の出発点となったのではないか。さすれば、そのアンサーソングは「いちご白書をもう一度」であり、その中で
「就職が決まって髪を切ってきたときに、もう若くないさと君に言い訳したね」
である。
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 夢を諦め、就職する方向となったとき、髪を切らねばという敗北感がにじみ出ている。
斉藤哲夫の「吉祥寺」では「ロングヘアーが疲れた君は・・・」と歌い、時代が変わりつつあること、そして自身の成長なども合わせた描写なのだろう。
髪を伸ばすという行為と髪を切るという行為。
今の時代では到底予想もつかないだろうが、1980年代まではそういう葛藤がかなりあった。

 これが、アメリカだとデビット・クロスビーの「オールモースト・カット・マイ・ヘアー」は徴兵に応じることで髪を切りかけたという歌。日本のそれより重い。反戦・・・プロテストソングに髪が良く使われるのはこういったことも多く含まれている。
髪を伸ばすこと。伸ばすことが主張だった時代。今では「ロンゲ」なんて言い方をするが、私ら世代は「ロングヘアー」。

 1980年後半まで髪を伸ばしていた私は、アルバイトでは接客業に就けなかった。コンビ二の店員すらできなかった。今の時代、そんな贅沢言っていたらバイトなんていなくなってしまう。ロングヘアーのタクシー運転手や寿司職人だっている時代だ。
私のようなロングヘアーの学生はみんな肉体労働のアルバイトに集中したものだ。

 今の時代と比べることは無意味であるが、なぜあの時代、若者は長い髪に固執していたのだろう。
そしていつからロングヘアーがアナクロなイメージとなり、絶滅したのだろう。
ロンゲとロングヘアーは違うんだよ、と言っていること自体がノイローゼと疑われるか。

2016年3月10日
花形
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# by yyra87gata | 2016-03-10 19:21 | 音楽コラム | Comments(2)

THE FIRM(1985) THE FIRM

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ARMSコンサートとは、多発性脳脊髄硬化症という難病に冒された元スモール・フェイセズのベーシスト、ロニー・レインのよる呼びかけにより、自身の高額な治療費とARMS(多発性硬化症の研究機関)の研究費捻出のために行なわれたチャリティー・コンサートである。
このコンサートは、エリック・クラプトン、ジェフ・べック、ジミー・ペイジが一堂に介した歴史的な出来事であり、時は1983年9月、イギリス・ロンドン・ロイヤルアルバートホールで開催された。3大ギタリストがセッションを行なうという事件も去ることながら、特にジミー・ペイジはレッド・ツェッペリン解散後、サウンドトラック『DEATH WISH 2』(邦題:ロスアンゼルス)(1982)を制作したが、ステージからは離れており、どのような音を出すのかということもオーディエンスの話題の中心となった。
コンサートは試合巧者のエリック・クラプトン、ジェフ・べックにリードされつつ、スティーヴィー・ウィンウッドの熱演と堅牢なバッキングミュージシャンの盛り上げの中、大盛況に終わった。
そして、コンサートは一夜限りの夢とならず、プロモーターの大御所ビル・グレアムによりアメリカに持ち込まれ、ダラス、サンフランシスコ、ロサンゼルス、ニューヨークの4公演が追加された。
イギリス公演時のジミー・ペイジのセットでヴォーカルを担当していたスティーヴィー・ウィンウッドは、アメリカ公演ではポール・ロジャースに替わり、ここにTHE FIRMの原型が作られたのだ。

FIRM・・・強固な、 硬い と言う意味。
ラジオからその言葉を聴いたとき、「だっせー名前だな。農夫ってなんだよ!」と思ったが、それはFARMであり、FIRMは、実はとてもハードな意味なのである。
さて、そんなことより、このバンド、相当な期待を持って迎えられた。
なんせ、あのジミー・ペイジが復活する。しかも、新バンドで。
ファン心理からすれば、何故ロバート・プラントと組まないのか、などといった基本的な疑問があったが、待たされ続けたファンとしては、とにかくジミー・ペイジに表舞台に戻ってきて欲しかったと言うことが本音だろう。
  THE FIRM結成の一報はFMラジオだった。DJのシリア・ポールが結成のいきさつを簡単に紹介し、早速1曲目としてシングル「ラジオアクティブ」を紹介した。
乾ききったゲートリバーヴの効きまくったリズムが、スピーカーから零れ落ちる。
そしてフレットレスベースがそのリズムの上を踊る。
(ドラムス:クリス・スレイド、ベース:トニー・フランクリン)

ポール・ロジャースのヴォーカルはブレることなく、唯一無二のキャラクターであり、音色だけは80’sになったブルースロックを形成していく。ジミーのプレイもツェッペリンの頃のそれとは異なり、随分ポップなフレーズが目立つ。
以前読んだインタビュー記事でポール・ロジャース夫人だったマチさんは「あのプロジェクトは、ジミーに再びギターを持たせることが目的だった」みたいなことを懐述していた。まさにそんな印象のファーストアルバムである。ヒット曲は1stシングルの「ラジオアクティブ」がスマッシュヒットを記録。あとは目立った動きは無かった。
ただ、アルバムを通して聞くと選曲もかなり頑張っている。バリー・マンの「ふられた気持ち」なぞをカバーするなどポール・ロジャースでなければ出ないアイデアである。決してロバート・プラントのヴォーカルでは聞くことができないだろう。
また、この当時のライブ映像を見たが(海賊版屋で探した)、「ミッドナイト・ムーンライト」は後期レッド・ツェッペリンを彷彿させる出来である。もちろんこの「ツェッペリン」とついつい比較する表現になってしまうが、それはしょうがない事で、あれほどのビッグネームの次のバンドとなればその洗礼は受けざるを得ない。しかし、ジミー・ペイジがどう思ってポール・ロジャースを誘ったのかはわからないが、稀代のヴォーカリストであるポール・ロジャースを連れてくればそれなりの作品はできると言うことだ。
お互いにアメリカのブルースを基調とした音楽に影響を受けたイングリッシュマンである。そんなに目新しい化学反応は起きないのだが、さえない時期の2人ががんばって新しいことをやろうとした気概だけは感じ取ることが出来る作品である。
後にジミーはデビッド・カバーデイルと組んだり、ロバート・プラントと組んだりと同じような路線を行き来するが、その2つのユニットに比べたらTHE FIRMの方がよっぽど変化している。プラントもカバーデイルも何の化学変化は起きないユニットで退屈極まりない。どうせツェッペリンには勝てないんだから、似たような音楽やったって比較されてポシャるだけなのだ。

THE FIRM。私は好きなバンドだし、ファーストもセカンドの『ミーン・ビジネス』(1986)も評価できる。
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2016年2月17日
花形
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# by yyra87gata | 2016-02-17 18:34 | アルバムレビュー | Comments(0)