音楽雑文集


by yyra87gata

ラジオデビュー

 その日は、朝からわくわくしていた。友達との約束の時間に30分も前に着いてしまった。僕の手に握られた往復はがきに「2名様まで入場できます」とあり「全席自由」と連なって書かれていた。
場所は今は無きTBSホール。500人位で満杯になってしまう中ホールだ。
入場時間より2時間も前にホールに着いたが、すでに100人位並んでいた。僕が最後列にチョコンと並ぶと、30分もしないうちに列はどんどん伸びていった。
そうこうしているうちに、友達のH君がやってきた。
「すごいねぇ。前の方の人は酒を飲みながらギター弾いて歌っているよ。」
吉田拓郎のコンサートではよく見る光景だが、あの雰囲気がまた一層気分を高めてくれる。
僕たちは、吉田拓郎と小室等がパーソナリティーを勤めるTBSラジオの「サタデーナイトカーニバル」の公開生放送に来ていた。高校2年の秋のことだ。

 開場とともにホールに人がなだれ込んだ。僕たちはホールの丁度中央の席が取れた。舞台にはテーブルにマイクがしつらえてあり、ラジオスタジオのセットが組まれていた。机をはさんで2人が座り、マイクに向かってしゃべるのだろう。上手にはキューサインを送るディレクターの席も用意されていた。
 時間が近づく。オンエアー10分前に2人が登場。ヤンヤ、ヤンヤの大声援。オヤジ(拓郎35歳小室さん38歳)2人のしゃべりを見に、会場は満杯に膨れ上がっていた。会場内にラジオのオンエアー状況が流され、ラジオCMがこだましていた。ちょっと不思議な感覚だ。
 夜8時の時報とともにテーマソングが流れ、拓郎と小室さんの軽快なトークが始まった。家にいて独りでラジオを聴いているときより、当然テンションも高くなっているので、ちょっとしたことでも笑っていた。
放送開始から30分位たった頃、拓郎がおもむろに、はがきを読み出した。
「・・・公開生放送に当選させて頂きましてありがとうございます。今僕はTBSホールの中におります。名前を呼んでいただければ返事をします。・・・花形!」
「はーい!」と僕。
会場内大爆笑。
「お前、中にいるって、本当にまん真ん中いるな・・」
「はぁ」(緊張して声が出ない)
小室さんがすかさず「有名希望って書いてあるよ・・・君!有名になりたいのか!」
「はい」(緊張して声が裏返る)
「そうか、じゃあちょっとインタビューしてこよう・・・」といいつつ席を立ち、でかいマイクをもって客席に乗り込んできた。
僕も友達のH君も舞い上がってしまった。
数分に及ぶインタビューの後、
「君は何か得意な事はあるのか?何か得意なものが無いと有名になれないよ。」と小室さん。
「いや~・・・・ギターかな・・・」
「ほう!ギターで有名になる自信があるのだな!」
「いや、あの・・・」
小室さんはきびすを返し舞台へ戻っていく。
「きっと無理だと思うよ。僕たちの頃は、ギターが弾ければ何とか有名になれたけど、今は結構厳しいからね・・・、あとで時間があったらギター弾かしてあげるよ・・・。」

 僕とH君は放心状態になっていた。
拓郎と小室さんのミニライヴがあったが、その後の内容はあまり憶えていない。ゲストが三原順子だったかなぁ。
 番組のエンディングでは、その日にはがきを読まれたリスナーを再度紹介し、新譜アルバムを贈ることが慣例となっていた。この日のプレゼントはオフコースの『ベストセレクション』だった。
拓郎が次から次へとはがきを紹介していき早々と読み終えてしまった。すると小室さんが、
「えっ!もう(君の読む分)終わったの・・・俺、まだいっぱいあるよ。えーと、横浜市、花形裕・・・」
「はい!」(僕)。会場大爆笑。
小室さん「おー、すっかり君の事は忘れていたよ・・・」
拓郎「早く、花形にギター弾かせるか!」と言って僕に手招きをする。
僕は「しまった!」と思ったが、舞台に上がるしかなかった。だって拓郎に「来い!」って言われたら断れない。その場所は、さっきまで拓郎や小室さんのミニライヴが行われていた場所だ。拓郎がいすを用意してくれ、ピックを渡してくれた。ギターは小室さんが弾いていたマーチンのD19である。非常に珍しいギターだ(僕のマーチン初体験)。
僕はマイクの位置を拓郎にセッティングされながら、何をやるか、まだ決めかねていた。会場からは無責任な野次が飛ぶ。「人間なんてやれ~!」「落陽!」など怒号が飛び交う。高校2年の僕のハートは口から出そうになっていた。そして、勝手に手が動き始めていた。
力強いストロークに小室さんは「オッ!」と声を上げていた。
「あついーガラスの向こうに光る、白い河のような高速道路・・・」
一瞬みんな何の歌だかわからない顔をしている。しかし、そのうち笑い声が広がってきた。一番最初に笑ったのは拓郎だった。

 僕は小室さんの歌をモノマネしながら歌っていた。「都会の朝」という小室さんには珍しいアップテンポの歌だ。手拍子が広がり、サビの部分では小室さんがハモってくれた。ワンコーラスを歌いきったところで拓郎が拍手で「すげぇ、すげぇ・・・小室さんから影響受けてるの?」と割り込んできた。
「ええ、まぁ。」
「よく観ると顔も似てるよ!」と拓郎。当時僕は銀ブチの眼鏡をかけていた!
「君はひょっとしたら、有名になれるかもしれない!」小室さんが笑いながら話しかけてきた。

 番組のエンディングまで僕は舞台に残され、満杯の会場に手を振っていた。
番組が終わり、客席に戻るとき、小室さんが話しかけてきた。
「君はもう帰っちゃう?よかったら簡単だけど打ち上げに行くかい。」優しい声をかけてくれた。

 僕とH君は2人でTBSホールの会議室で行われた打ち上げに参加していた。
もちろん高校生なので、最初はジュースをもらっていたが、いつの間にか・・・。
「今まで小室さんのモノマネをしたやつはいなかった」とか、「もう一回歌え」とか、「何で高校生が小室さんや俺(拓郎)を聞くの?」とか「流行の音楽に興味は無いの?」などいろいろ根掘り葉掘り聞かれた。
小室さんは酒が入ると目が据わってきて、「戦争はなぜ起こると思う?」という名言も聞くことが出来た。
2時間ほどで宴は終わり、終電で帰った。拓郎や小室さんは六本木に場所を移して行った。
家に帰るとお袋が開口一番に「あなた、何してきたの?」
「えっ?ラジオの公開生放送を見てきたよ。」
「さっきまで友達から電話がいっぱいかかってきてたわよ!」と困惑そうな顔をするお袋。
「あ~。ラジオに出ちゃったからかな・・・。さっきまで拓郎とか小室等と飲んでたんだよ。」
「何、馬鹿なこと言ってんの・・・。早く寝なさい。」

  
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 週が明けて学校に行くとヒーローになっていた・・・なっていたらカッコイイんだが、何故かみんなに笑われた。度胸あるなぁ、と言われたが、今思うとあのときの演奏は火事場の馬鹿力というやつだったかもしれない。
翌週の放送でも僕のことは話題に上った。リスナーからの葉書で、僕の歌い方の感想とか・・・。小室さんもよっぽど嬉しかったのか、僕の名前を何度もラジオで言ってくれた。小室さんのモノマネをした人なんていなかったのではないか。

 拓郎は、当時、僕の家の近所に住んでいた。たまに自転車で行くと当時の奥様である浅田美代子さんに何回か遭遇したことがある。黄色いワーゲンを危なっかしそうな運転で、せわしなく走らせる。
僕は近所に住んでいたS君とラジオ公開生放送に行ったH君と一緒に、当時出たばっかりの『アジアの片隅で』(1980)というLPを持って拓郎の家のチャイムを鳴らした。3回目でジャージ姿の拓郎が出てきた。
「おっ!小室さん!」
LPにサインをもらった。
変な思い出である。

2005年2月21日(月)
花形
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# by yyra87gata | 2012-12-12 20:43 | その他 | Comments(0)

ラジオは勉強の友?

 東京にまだFM局が2局しか営業していなかった頃、ラジオは圧倒的にAM時代で、特に深夜放送が幅を利かせていた。「文化は深夜から始まる」とか「深夜放送が生んだスター」などという形容も珍しくなかった。そんな頃のお話。
  d0286848_20355592.jpg僕は自分の部屋を与えられ、初めて自分だけの空間を所有したとき、メディアといえばラジオであった。夕食を食べ、適当な時間に自分の部屋に入る。そう、我が家ではよっぽどのことが無い限り僕は親と一緒にテレビを見なかった。食事のときにテレビが点いていることはあっても、10分くらいの食休みの後はすぐに自分の部屋に移動した。だから、小学校高学年から高校卒業まで夜8時以降のテレビをあまり見た記憶が無い。
 親は僕が部屋に入ること、イコール勉強をしているものだと思っていたようだ。僕も何度かはそのフリをしていたし、文句も言われないなら部屋にいることもいいだろう、と思っていた。
では、部屋で何をしていたのか・・・。本を読むか、ラジオを聴いていたのだ。だから、この時期は相当な本を読み、ラジオを聴いたことになる。本についてはまた別の機会に話すとして・・・。
ラジオについて。神奈川県はニッポン放送の受信中継所が横須賀にある関係で比較的、電波が良好に受信できた。逆に文化放送は中継所が練馬にあるせいか、埼玉県に強く、神奈川県には電波傷害も起きる事があり、ちょっと敬遠していた。だから自然とニッポン放送派(?)になった。
「欽ちゃんのドンといってみよう」「日立ミュージック・イン・ハイフォニック」「ゼロの世界(怪談話)」「モーリス・フォーク・ビレッジ」「あおい君とさとう君」「コッキー・ポップ」など。それらの番組は夕方から深夜にかけての時間帯にOAされていた。そして、曜日によってはNHK-FMの「サウンドストリート」を。「小室等の音楽夜話」なんてぇのもあったな。土曜日はFM東京の「ライヴアワー」「コーセー歌謡ベスト10」「テクニクス・ポップス・ベスト10」。日曜は夜の11時から“そらまめさん”というパーソナリティーが仕切る「ANAサウンドフライト」まで・・・。もちろん、それに「オールナイトニッポン」「セイ!ヤング」「パック・イン・ミュージック」が加わる。そういえば、文化放送は時代を取り入れることが早く、今は妖艶な川島なおみも当時はキャピキャピのパーソナリティーをしていた「女子大生電話リクエスト」なんて番組があり、当時の女子大生ブームの火付け役になっていた。そういえば、リクエストカードが読まれたこともあったなぁ。
拓郎と小室等のTBSラジオの「サタデーナイトカーニバル」では、公開生放送でひょんなことから実際にギター1本で小室さんと歌ったこともある。オンエアーを聞いた友達はビックリしたらしい。「ラジオから花形の歌が聞こえる・・・。」
 
 音楽が好きになった要因にラジオがある。テレビはアイドルという作り物の世界が当たり前。しかしラジオはフォーク・ロック系のアーティストが格好つけず、本音で、リスナーと対話していたから真実味があった。また、トークも絶妙で腹を抱えて笑うこともしばしば。選曲も凝っていて、実際に生で聴いてみたいという欲求にも駆られていった。
ラジオという媒体から好きになったミュージシャンは、本当に多い。
吉田拓郎、小室等、甲斐よしひろ、山下達郎、中島みゆき、松山千春、尾崎亜美、財津和夫、谷村新司、さだまさし・・・。また、彼らの番組に来るミュージシャンの話も面白かった。当時、矢沢永吉は拓郎の放送にしか出なかったため、永ちゃんの本音は拓郎の放送を聞くしかなかった。しかし、この2人、濃いんだよ、話が・・・。
 音楽評論家の番組も大好きだった。
大貫憲章、渋谷陽一、萩原健太、田家秀樹・・・山下達郎もこのセグメントにいれたい。
いろいろな情報が聞け、少し頭が良くなった錯覚に陥る。・・・大きな勘違いなんだけど。
僕は、この人たちに影響を受けたことが2つある。何か時代を話すときに和暦から西暦の読み方に変わったことが1つ。例えば、
「このアルバムは'68年にクリームが結成され・・・」「この頃のジョンは'70年のビートルズ解散まで・・・」などとスラスラと年号を言っているパーソナリティーが格好良いと思ってしまった。だから今でもその癖が残っており、音楽以外の時も西暦で話をしてしまう。
そしてもうひとつは、レコードを買うとき、プロデューサーやディレクター、スタジオミュージシャンを見て判断するようになったことだ。
「このアルバムはトム・ダウトがプロデュースとエンジニアをやっているのでこういう音になっている・・・」
「ポンタと岡沢章のリズムだから、間違いない。」
「マッスルショールズの頃のデュアン・オールマンは、そりゃあいい音を唸らせていたよ・・・」
なんて会話をするようになってしまった。
LPを買う時もシンガーは知らなかったけれど、プロデューサーで選んで成功したこともあれば失敗したことも多々あった。中学生が少ない小遣いの中からLPを買うわけだが、かなり無謀な買い方をしていた。これについては弊害もあり、あまりヒット曲を買わない癖がついてしまったのもこの影響だ。ヒット曲はラジオで聴けば十分であり、手元に残すものは別物と考えていた。なんとマニアックな考え方か。
 
 ラジオは今でもよく聞くほうだと思う。車の中がほとんどだが、毎日聞いている。昔のように音楽ばかりに偏ってはいないが、たまに昔よく聞いていたパーソナリティーの声を見つけるとあの頃にもどってしまう。10代の頃の感性と40代になった今とでは、全然違っているはずなのだが・・・進歩していないということか・・・。
 最近、よく聞く番組はNHKの「ラジオ深夜便」とか「落語」が多い。歳をとった証拠だ。妙に落ち着いてしまう。別に楽しいわけでもないが、夜遅く家に帰る車の中では心地よく車内に響く。
 学生時代は勉強の代わりにラジオを聴いていたが、今は世の中の動きをラジオから学んでいる。
そう!芸術学部の学生が一般企業に就職すると、結構大変なのだ。政治や経済のことなんてまったく興味が無く、就職してしまったからね。そんな時ラジオは結構わかりやすく解説してくれるのだ。画像が出ない分、わかりやすいんだろうな。経済用語や一般常識的な言葉をラジオから学んだ。そういう意味では今でも勉強の友である。

2005年1月15日(土)
花形
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# by yyra87gata | 2012-12-12 20:36 | その他 | Comments(0)
  
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 アナログ盤からCDへ、そして音楽配信、i-PODなど・・・。ソフトもハードの進化によりどんどん形を変えていくので、たった30年前の「シングル志向からアルバム志向への変遷」などといった音楽文化はもう風化した思い出となり、時代は高速で変化してしまう。例えば、46分10曲のアナログ盤が技術の進化で74分ぎりぎりまで収録するCDへと替わったことは、作り手も聞き手も音楽への接し方が変化したに違いない。僕はアナログ盤愛好家なので、音楽を集中して聴くことが出来る時間が46分で切れてしまう。体内時計がそうなってしまったのだ。だから現在制作されているCDをまるまる1枚、一気に聞くことができない。途中で飽きてしまうのだ。それに加えて「日本盤にのみボーナストラック付」なんて宣伝文句があったとしても全然ありがたくなく、アルバムとして曲を聴くという行為から離れてしまうことになる。ボーナスはあくまでもおまけなのだ。作り手だってアルバム制作時にボーナストラックを考えているのだろうか・・・。販売サイドの思惑がプンプン臭うので、ピュアな作り手の気持ちが曲がって伝わるのでないか、とも考えてしまう。作り手がボーナストラック前提で制作しているのであれば、アホらしいモンキービジネスだ。だから、良い音楽が必ず売れるというわけではなく、セールスプロモーション次第でいかようにも評価がくだされることについて、聞き手は真剣に考える必要があるのではないか。とにかく、僕の中で“アルバム”が“アルバム”として成立しなくなってきているのだ。

 例えばアナログ盤のA面からB面にひっくり返すあの瞬間もアルバムを楽しむ空間だと思う。早くB面が聴きたい時や今日はA面だけでいいやと思う時などその時の自分の「気持ち」が反映される。が、CDだとこうはいかない。ダーッと1曲目からエンディングまで走りきってしまう。山や谷はあるだろうが、ブツ切れのイメージというか、個々が独立しているというか・・・。だらだらと惰性で聴いてしまい、集中力が途切れるのは僕だけだろうか。せっかくの音楽が、BGMと化してしまうのだ。
そんなことだから、最近の音楽を聴いているとコンセプトアルバムが少なくなってきているような気がする。コンセプトアルバムとは、1曲目から最後の曲までしっかり聴かないと作り手の意図が伝わらない、というアルバムだ。物語を音楽で聴くようなアルバム。それが最近は、制作できなくなってきているのではないか。考えてもみて欲しい。映画でもないのに、約80分(CD)も音楽のみをじっと聴き続けるなんて、相当な集中力が必要だ。
作り手もアルバム制作にしっかり意味を持たせ、聞き手が聞きやすい時間で作ってほしいものだ。ただダラダラと出来上がった曲を収録するのはいかがなものか・・・。
   
 ビートルズ『SGT・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』(1967)、サディスティック・ミカ・バンド『黒船』(1974)、クィーン『オペラ座の夜』(1975)、デビッド・ボウイ『ジギー・スターダスト』(1972)・・・。
音楽に引き込まれ、時を忘れるという瞬間がある。コンセプトアルバムはそれを体験させてくれる。ベスト盤でもライヴ盤でもない1つの物語を読むような感覚で音楽を聴く。現在の15曲入りのCDではそれは困難だろう。74分じゃ大河ドラマだよ。最近、コンセプトアルバムってあるんだろうか。

2005年1月14日(金)
花形
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# by yyra87gata | 2012-12-12 20:32 | 音楽コラム | Comments(0)
 高校3年の1年間は今までで一番音楽を聴いた年かもしれない。昼飯を抜いた金で中古レコードを買い漁り、FMでエアチェックしたカセットテープをいつも繰り返し聴いていた。この頃に聞いた音楽はいまだに自分の重要な位置を占めており、そこが自分の音楽の基準となっていることも否めない。要は学校も自由登校になり日々の勉強への締め付けも減り(みんな受験勉強というやつをしている)、僕のような宙ぶらりんの生徒にしてみると非常に時間が自由に使えたのだ。
 高校を卒業し、長い長い春休みが始まった。もっと時間が自由に使えるようになった。僕の友達はほとんど代々木や駿河台に勉強の場を変えていた。僕も流れに任せて代々木に通うようになった。でもそれも2ヶ月もすると足は代々木ではなく、御茶ノ水の方に向くことが多くなった。駿台予備校に友達が行っており、「代ゼミよりレベルが高くて良い授業をしているよ」と言ってきた。勉強には相変わらず興味が無く、代ゼミにしてもみんなが行くから付き合いで行っていたくらいだったので、そんなに言うなら違いをみてみるべぇということで参戦してみた。確かにレベルは高く、追いつけないほどのスピードであり、きびしい環境に落としこむにはもってこいの予備校という印象であった。予備校の授業が終わると、頭を休めるために決まって楽器屋に直行していた。お茶の水は楽器屋天国なのである。明治大学の学食で安いランチを食べた後、御茶ノ水の坂の上から靖国通りまで坂を下る。その間に約15件の楽器屋があった。エレキからアコギから専門書から・・・楽しい世界が待っていた。つまり、駿台予備校なんて最初の1週間で行かなくなり、楽器屋三昧だったのだ。
そんな時期に、アコースティックギターの専門店で超有名な「カワセ楽器」という店に通っていたことがある。アコースティックギター販売の老舗で、プロも御用達の店である。僕も石川鷹彦や加藤和彦を見かけたことがある。試奏している人もちょっと近寄りがたい雰囲気の人が多い。うーん、プロっぽい。そんな店なので、最初に入ったときは緊張したものだ。普通の楽器屋なのにオーラが出ている気がした。ガラス張りのショーケースにはヴィンテージもののマーチンD45やD28、ギブソンJ45が並んでいる。試奏なんてしようものなら、買わなければいけない雰囲気さえ漂っていた(これは今でも・・・)。
 カワセ楽器でよく耳にした音楽がある。クロスビー、スティルス&ナッシュである(CS&Nと表記)。マーチンの鈴なりのサウンドが耳につく。アコースティックギターのアンサンブルのお手本のようなバンドであり、コーラスも特徴があり絶妙であった。その音は、目の前に飾ってあるこのギターでないと出ない音なんだろう、なんて思いながら曲を聴いていた。
 
 僕が18歳のとき、世の中は80年ポップスの全盛期にさしかかっていた。でも、僕は1969年発表の
「クロスビー、スティルス&ナッシュ」でアコースティックサウンドに開眼していた。80年代の分厚い音と、打ち込みの応酬に辟易していたときに聞く空間のあるアコースティックサウンドは衝撃だった。僕はそれまで自分の中でアコースティックサウンドは、拓郎やボブディランの弾き語りでしかなかった。当時のアコースティックサウンドのとらわれ方は、「四畳半フォークと呼ばれるしみったれた音楽=フォーク」のような位置づけで、決して「流行の音」ではなかった。アンプラグドなんて言葉は存在すらしていない。
CS&Nはそんな僕に衝撃を与えた。
 変則チューニングもこの時初めて知った。そして、ガロはCS&Nのコピーだったことも初めて知った。
CS&Nの素晴らしさは今さら強調するまでもないが、面白いのは彼らの歌声は決してぴったりとマッチしておらず、各人が勝手に歌っているだけなのにもかかわらず、なぜか全体としてのまとまりを感じさせるという点にある。特に「Helplessly Hoping」では各人の声の定位が違うことによって、そのことをはっきりと聴き取ることができる。各人がお互いの個性を尊重しながら、かつグループとしての一体感を感じさせるというこの手法は、“束縛”も“孤独”もない理想の人間関係を作り上げようとする試みなのだろう。 

 僕は3人の中でスティーブン・スティルスが一番好きだ。バッファロースプリングフィールドの時代からリーダー的な役割を担い、アル・クーパーやマイク・ブルームフィールドと共に発表した『スーパーセッション』(1969)など、数多い名演奏を残したとても有名な人だ。

 
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 彼の音楽性は、もって生まれた才能というよりは「学習」によって培われた部分が大きく、そうした秀才的な音楽が人の心に響く為には、同時代性のような他の要素がなければなかなか厳しいのではないだろうか。はっきり言って彼のヴォーカルというのもあまりうまいわけではなく、伸びのない荒々しい声は時として耳障りだったりすることもある。しかし、往年の傑作ではその声がとても心地よく響いてしまうのだから、音楽というのは不思議なものである。
 また、スティルスのすごいところは、ってウッドストックの時に45万人の前でアコギ1本だけで変則チューニングの「青い瞳のジュディ:組曲」を歌いきったところだ。CS&Nのステージであったが、あれはスティルスの一人舞台といっても良い。デビッド・クロスビー、グラハム・ナッシュがコーラスを決めているが、スティルスは鬼気迫る演奏とメインボーカルを披露している。ウッドストックの映画は何度も繰り返し観たものだが、CS&Nのシーンは瞬きもしないで観ていた。暗い画面だが、ボーッと浮き上がるような3人の映像。スティルスがシャウトするとき、八重歯がはっきり映り子供のような顔になる、そんな細かいところまで憶えてしまった。
CS&Nは1969年に結成されてから、旧友ニール・ヤングも加わったCSN&Yも含め、数々のアルバムを不定期に発表している。時には、クロスビー&ナッシュになってみたり、スティルスとヤングが組んでみたりと、変幻自在の動きを見せている。でも、アルバム的に見れば1969年、1975年、1982年・・・とアルバムを発表しているが、年を経るにつれアコースティック色が薄らぎ、コーラスアンサンブルが上手なグループという印象だけになった。ちょっと残念という印象。僕はアコースティックギターグループでCS&Nほどソウルフルなヴォーカルと絶妙なコーラスアンサンブルは聴いたことが無い。同じアコースティックギターバンドでも「PPM」や「アメリカ」の演奏する曲とは一線を画している。アコースティックギターで十分ロックができるバンドである。原点回帰を望むところだ。
 
 最近、カワセ楽器でマーチンD45を弾いたとき、くしくもBGMはあの時のCS&Nだった。僕が弾いていたギターの音色はBGMと同じ。他でギターを試奏していた人も自然とCS&Nを爪弾き始めた。
目が合ってしまい、お互い照れくさく笑った。



2004年12月25日
花形
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# by yyra87gata | 2012-12-12 20:27 | 音楽コラム | Comments(0)

クリスマスに想う・・・

「ブルークリスマス」(エルビス・プレスリー)、「クリスマスイブ」(山下達郎)、
「クリスマスラブ」(サザンオールスターズ)、「クリスマスキャロル」(稲垣潤一)・・・

 さびしい歌のオンパレードである。クリスマスという非日常に恋愛をかけて、歌にしている。
本来は「生きている幸せを感謝する日」が「男と女が愛し合っていることを確かめ合う日」に変体し、「みんな幸せそうだけど、僕は独りぼっちで寂しいよ」ということが主題になる。テーマは決まっているので、作り手も歌にしやすいのだ。ミュージシャンなら必ず1曲はクリスマスソングを持っているもので、レパートリーのにぎやかしになる。そしてクリスマスソングでハッピーな内容は少ない。楽しい日に楽しい歌を歌ってもドラマにならないからだろう。

 僕は中学、高校とミッション系の学校なので、クリスマスという定義はそれなりに知っているつもりだが、簡単にいうと本来クリスマスは、日本でいうところの「お正月」である。アメリカでもイギリスでもクリスマスの日は公共機関も休みになり、交通機関も特別なタイムスケジュールになる。レストランや商業施設も軒並みクリスマスホリデーになる。そもそもクリスマスは家族で厳かに過ごすものであり、1年間の幸せを神に感謝する日である。七面鳥の料理も自宅のオーブンで焼き、ケーキもドライフルーツがちりばめられた質素なパウンドケーキを食するのだ。まさに日本のおせち料理かの如く。
クリスマスにカップルが街を闊歩するなど、本来はありえないのである。
ちなみに僕は、2人だけで彼女とクリスマスを過ごしたことがない。ゴリゴリの国粋主義者ではないのだが、街が浮かれてクリスマス料金なるものが設定されて、アホらしくなるのでその日はデートを避けるようにしていた。もちろん世間一般で言うクリスマスプレゼントという慣習については従い、プレゼントの交換を行うが、クリスマスにかこつけただけで、普段欲しいものを言い合いながら、その日を迎えていたので、ロマンチックなものは何も無かった。
さて、クリスマスという日について、日本はどこでどう間違った捉え方をしてしまったのだろう。サンタクロースとプレゼントとケーキだけが一人歩きしている気がするのは僕だけだろうか。要はバレンタインデーが「森永製菓が仕組んだイベント」と同義で、商売上手な日本人がバタ臭い風習に便乗しただけという気がする。
そんでもって子供は12月になると途端に物分りの良い子に変身する。サンタクロースにお手紙を書き、プレゼントをリクエストする。親は「いい子のところにしかサンタさんは来ないよ。」と子供をけしかける。子供は精一杯の笑顔で約3週間をききわけの良い子を演じる。あーっ、何だか屈折しているなぁ。

 サンタクロースにまつわる話。
子供はいつ頃までサンタクロースの存在を信じているか・・・。簡単に「実は嘘なんだ」「サンタなんていないよ、親がプレゼントを用意しているんだよ。」などと言ってしまったら、ずっと信じ続けてきた子供はどう思うだろう。これはSEXの話と同じで、いつの間にか知っていた、という着地点が一番具合が良いんだと思う。僕も確かに小学校1年生の時に、枕元にウルトラセブンの動くおもちゃが置かれていたとき、真剣にサンタクロースはいると信じたものだが、いつの間にか親が用意していると気づき、それ以降まともにプレゼントなんて貰ったことなんて無かった。直接親に「プレゼント頂戴」と言って、親も「クリスマスだからなぁ」という具合に・・・。
我が小学3年生の娘はうすうす気がついてきているようだが、サンタクロースの正体を明かすときは、仰々しくすると感受性の強い子供の感性が曲がってしまう。
 仰々しく言って失敗した例がある。
ある父親が、息子に対し10歳にもなってサンタクロースを信じていることで、学校で馬鹿にされやしないかと思い、こう言った。
「おまえも、10歳になったから言うけど、これは男と男の話だ(大げさ)。実は、サンタクロースはお父さんだったんだよ・・・。」
「えっ!」
「やっぱり知らなかったか・・・。」と父親。
その純真な子供は感受性が強い。次の日、学校でこのことをクラスメートに話した。
「うちのお父さんがみんなの家にプレゼントを配っているんだぞ!」
「お前、バッカじゃないの~。」   実話である。

そんな中で僕の好きなクリスマスソングは、ロネッツの「「ママがサンタにキスをした」である。

その夜、ボクはついにサンタさんを見る。
 世の中って、不思議なことなんてないもンだなぁ…。

と歌われるこの歌。 サンタの正体がばれて最初はがっかりするかもしれない。だけど、ちょっぴり嬉しくもなる。そんな嬉しさが連綿と受け継がれて、サンタクロースは誰の心の中にもいるということ。
海外のクリスマスソングは比較的明るいものが多い。

 多神教の国である日本がクリスマスに浮かれている。クリスマスイブから1週間もすれば、神道に早がわりである。神社に初詣に行き、お神酒を飲んで幸せな気分である。もし、28日くらいに誰か死んだら、坊さんを呼んで仏教にもなってしまう。日本とは何とおめでたき世界。
 僕がクリスマスに対しあまり肯定的でないことは、日本人の浅はかさもあいまって、女々しいクリスマスソングで悦に浸っているやつが多いことが嫌なのかもしれない。
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2004年12月21日
花形
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# by yyra87gata | 2012-12-12 20:18 | その他 | Comments(0)