人気ブログランキング |
ウィスキー・コークの思い出_d0286848_19385539.jpg

酒やタバコに興味を持ち始めた中学2年のある日、友達の家に泊まりに行った。

目的は飲み会。

今から思うと手っ取り早いのはビールなのだが、中学生のお子ちゃまな舌で、ビールは苦いし、その苦さを味わうほどの舌を持ち合わせていないので、ビールはパスなのだ。ビールは舌で味わうのでなく、喉で味わうなんてその頃は知らない。ビールが本当に美味しいと思うようになったのは大学卒業したあたりか・・・。なにしろ、大学時代の最初のコンパで(懐かしい響き)、ぶっ潰されるまでビールを飲まされるんだから、ちょっとしたトラウマになるよ、あの飲み方は。ま、いいか。

で、中学生の考える当時の酒といったら日本酒かウィスキー。

そこで自宅にあったウィスキーを拝借し、みんなで持ち寄る。

酒の美味さより、「酒を飲む」ということに意義を感じていたし、酒の飲み方も分からないので見よう見まね。映画やドラマのようにすれば何とかなると考える。

ハイボールなんて飲み方も知らず(あの頃、ハイボールなんてあった?)、もっぱらロックか水割り。

映画の中の松田優作もカッコよくウィスキーをロックで飲んでいた。

集まった4人は、まだ身長が150センチ台の中学2年生。

夕食はT君のお母さんがとても美味しいカレーをご馳走してくれた。本当に上手かったなぁ、あのカレー。T君のお母さんも一緒の和やかな夕食も終わり、T君の部屋に引き上げる4人。

T君はおもむろに勉強机の一番下の引き出しからサントリー・オールドを出す。私も家から持ち出したリザーブをスポーツバッグから取り出す。

車座になってそれを眺める4人。

まずはコップに入れてストレートで飲む。

興味本位で飲んでいるから、妙な興奮があり、みんなケラケラ笑い出す。

回し飲みをしていたが、もっとちゃんと飲もうとT君が提案。なんと彼は親の目を盗み、台所から氷と水を調達して来たのだ。

それからの4人はそれぞれの飲み方で酒を飲んでいる自分に酔う。

T君はターンテーブルにあったキャロルの『ライブ・イン“リブヤング”』(1973)から矢沢永吉の『I LOVE YOU,OK ?(1975)にレコードをチェンジした。

トロンと気持ち良くなって来たところに永ちゃんの「ウィスキー・コーク」という歌が流れた。

4人は盛り上がった。そうだ、これだ、コークハイ。ウィスキーを味わうよりもコーラで割って飲みやすくしちゃえ、ということで、コカコーラのホームサイズ(今、こんな呼び方ないよね。ホームサイズって500mlだったんだよ。当時でかく感じたけど、今じゃペットボトルなんて味も素っ気もないプラスチックだよ)を閉まりかけた酒屋から何本か買って来て、それからはコークハイ。

まぁ、飲みやすいので、ウィスキーのボトルは直ぐに空になっていった。

T君は「トイレ」と言って立ち上がると部屋を出て行った。気持ちよさそうに鼻歌を歌っていた。

T君が中々帰って来ない。すると、T君の耳をつまみながら目を三角にしたT君のお母さんが部屋に入ってきた!

「あなたたち!お酒飲んでるの!えー!?」

すっごい勢い。

耳を引っ張られたT君は真っ赤な顔で「えー?飲んでませんよ。なーんにも飲んでませんよ・・・」とヘラヘラ笑っていた。

酔っ払いが「飲んでませんよ」という常套句を使っているのを初めて見た夜だ。

で、T君以外の私たち3人は・・・顔に出ないタイプで、お母さんの鬼気迫る顔に圧倒されて「いや、ちょっと・・・興味本位で舐める程度に・・・」なんて言ったもんだから、お母さんもびっくりしてしまって、「あなただけじゃない!みんな酔ってないじゃない!なんであなただけこんなになってるの?えー?」

恐縮する我ら3人と大の字になって真っ赤な顔をしながら「飲んでませんよ~!」って叫ぶT君の地獄絵図。

ターンテーブルはオートリバースに設定されており、アルバム『I LOVE YOU,OK ?』は3回目のA面が始まった。

 T君のお父さんが帰宅し、T君は別室に連れていかれた。

すっかり酔いも冷めた3人は、お母さんと懇談。

「あの子、他でも飲んでるのかしら?知ってる?」

中学2年生と大人の会話じゃないね。



グラスの向こうにおどけたオレ達

知っているのはウィスキー・コークだけさ

オレ達、若かったよな

いつも何か追いかけていた

グラスの向こうで何かが変わった

知っているのはウィスキー・コークだけさ



永ちゃんの歌声が部屋に響いていたと思うのだが、当時はそんな余裕はなかったな。

だから、酒を飲むようになってこの歌を聴くとあのT君の部屋を思い出すのよ。

2020年9月23日
花形



# by yyra87gata | 2020-09-23 19:39 | 音楽コラム | Comments(0)
コーデュロイ ダッド・マン・キャット_d0286848_17430439.jpg





1990年代。社会人になり学生の頃と比べ、音楽をじっくり聴く事を逸していた時期があった。

通勤時の車の中では日々の仕事に追われ、好きなCDやテープに耳を傾けることもなく、少しでも情報収集のためにラジオを流しっぱなし。それもAM放送。

新譜を追いかける力もなく、帰宅時には夜遅くの車内で「ラジオ深夜便」を聴く日々。

NHKのラジオからは古い郷愁のサウンドのオンパレードで、それが妙になじんでしまったり・・・。それは、目まぐるしく変わる当時の音楽地図に対応できなかったこともあるかもしれない。
そんなモヤモヤした中、それではいかんだろう、ということでAM放送をFM放送に変えて、新しい何かを求めていたその時・・・。

そんな時期にふと入ってきたのがアシッドジャズだった。

アシッドジャズとは簡単に言うと「踊れるジャズ」。ムーディーなジャズではなく、ノリの良いお洒落なジャズ。例えれば渋谷の109(マルキュー)の店内でフルボリュームでかかっているような音楽。

 有名どころでは、ジャミロクワイやスウィング・アウト・シスター。特にスウィング・アウト・シスターの「Breakout」(1986)はその中心と言われた。
 元々は、ロンドンのクラブでDJのポール・マーフィーがジャズレコードのイベントを開催し、イギリス各地でイベントが広がっていく。またそれを機に音楽雑誌『Straight No Chaser』が頻繁にイベントを取り上げ、そのアートワークなどもアシッドジャズの評価をあげることに貢献した。いわゆる、「カッコイイ」ということがキーだった。ちなみに「ACID JAZZ」の「ACID」は「酸」「酸っぱい」という意味や「辛辣」という意味もあるので、「辛辣」をロンドンのクールな賞賛として捉えればそれもまた「カッコイイ」だろう。そして、私がこのアシッドジャズに興味を抱いたのはジャミロクワイでもスウィング・アウト・シスターでもなく、名も知らぬヴォーカルの無いバンド。





出会いは、強力なグルーヴのインストゥルメンタルが突然FMラジオから飛び込んできたところから始まった。楽器の心得がある人なら、一緒に合わせてみたいと思わせるような気持の良いビート。私はその音にノックアウトされ、そのままCDを買いに行った記憶がある。コーデュロイの『ダッド・マン・キャット』(1992)である。

1990年代に1960年代のモッズフィーリングを活かし、ノリの良いビートを奏でていたコーデュロイ。とにかくサウンドメイクが素晴らしく、リードギターのようにうねるベースラインと16ビートカッティングのギター。清々しいまでのピアノ。タイトなドラムの4人のミュージシャンがそれぞれの特長を誇示しながらグイグイと迫って来る。

1990年代にモッズ・スピリッツを合わせ持つサウンドは、どこか郷愁の匂いもしたが、ダンスミュージックとしても成立しており、ジャズとファンクの融合という表現を良くされていた。しかし、どちらかというとネオサイケという光も見えてくる。

 発表当時、日本では小山田圭吾が主宰するトラットリアレーベルからリリースされており(ポリスターレコード)、内側スリーブにはオリジナル・ラブの田島貴男が寄稿していたことからも渋谷系のような見方をされたこともあったようだ。しかし、そこはモッズ(モダーンズ)を地で行くサウンドが当時の先端の音楽に揶揄されても仕方がないことで、60年代のブリティッシュサウンドをフォーマットにしたビートはリバイバルと共にニューウェーブにも早変わりするものだということを知らされただけだった。

 ディスコにしか行ったことがない私がクラブミュージックを語るのはあまりにも馬鹿げているので、彼らの活動や生き方などに触れることはしないが(できない)、とにかくそのサウンドに参ってしまって、未だに部屋の片づけ時や車の運転中など生活の中の音として成立している。

 

 当時急激に流行したアシッドジャズ。ロニー・ジョーダンの「アンティダウト」(1992)はその最先端のミュージシャンとしてテレビやラジオがこぞってこのアルバムから音源を採用していた。そんなことだから、日本のお茶の間の音が妙に渋くなったものだった。交通情報やお天気レポートに打ち込みと低音の効いたベースラインが躍り、太陽が燦燦と輝く中、交通情報から流れる渋いサウンド。違和感ありありだが、それだけ流行していたということだ。

そして、いつの間にかアシッドジャズのブームは去り、それぞれミュージシャンが消えていく中で、コーデュロイは結成と再結成を繰り返し、未だに活動中だった。

https://www.acidjazz.co.uk/portfolio-item/corduroy/

 

202097

花形





 






# by yyra87gata | 2020-09-07 18:05 | アルバムレビュー | Comments(0)

『心の友』 - With a Little Help from My Friends ジョー・コッカー_d0286848_15075914.jpg
 

今年はコロナ一色の一年で、マスクに覆われた生活の中、花や草の香りが届かず季節感が全く感じられんよ。で、梅雨も7月いっぱい続き、1か月近くお天道様を拝めず、震えていたと思っていたら8月に入れば殺人的な暑さ。テレビからは「命を守る行動を!」「マスクなんてしていたら熱中症になります!」「エアコンはつけっぱなしで!」などと今までの常識を覆すアナウンスが連日報道される事態。

さすがに40度までいくと、コロナどころではなくなるね。お盆の時期に死を意識した暑さとは何ぞやということだよ。日本はいつからサハラ砂漠のような暑さになったのだろうか、なんて言っていたら、ようやく処暑も過ぎ、暑さも下り坂になるとのこと。まぁただ、暑さは当面続くみたいだけどね。

で、暑いときはロイヤルホストのカレーフェアじゃないけど、「暑い」じゃなくて、「熱い」音楽を聴きたくなるもんであります。もちろん、エアコンの効いた部屋でシャカタクのような(古い~)涼しげな音楽を聴くのもいいが、アタシは扇風機だけ回して熱風の中で冷えたビールを飲みながら暑っ苦しい音楽を聴くのが好きなんでありますよ。それはもう、ブルースやテナーサックスばりばりのジャズも大好物なんでありますが、オールマン・ブラザース・バンドやチャーリー・ダニエルズ・バンドのようなサザンロックがよろしいのであります。

そんで、レコード棚をガサガサやってましたら、手に取ったジャケットを見て軽く叫びました!「あちぃ!こ、これだ!」ということで、ジョー・コッカーです。

イギリス人ですが、アメリカのテキサス生まれみたいな人です。

このコラムでも2回ほど登場してますから、アタシは多分相当好きです。

 歌、上手いです。クルセイダースのアルバム「スタンディング・トール」(1981)の客演で歌った「明日への道標」なんてジョー・コッカーしか歌えませんよ。あの人、飲まなきゃいいんですけどね・・・。

例えば、夏の風物詩である「愛は地球を救う」の24時間テレビの要請で1981年に代々木公園で雨の中でフリーコンサートやったり、映画「愛と青春の旅立ち」のテーマソングがヒットしたから日本に来てみたらめっちゃくちゃアル中で1時間も歌わず、袖に引っ込んでゲロ吐いて、そのまま日本公演を全部キャンセルしたという逸話を持ちます。アタシはその2回とも目の前で見ておりました。伝説のウッドストック参加シンガーがゲーゲーであります(そういえば、ウッドストックの時もきっと一発キメていたんでしょうな、千鳥足でしたし)。


 アタシはこの人好きです。で、このアルバムです。

ジョー・コッカーのファーストアルバム。With a Little Help from My Friends』邦題「心の友」(1969)。いわずも知れたビートルズの曲であります。そう、このアルバム、ジョー・コッカーのオリジナルは10曲中3曲で、他は人の曲ばかり。しかもオリジナル曲の「マジョリーン」は歌の途中でフェードアウトしていくという妙なつくり。レコーディングエンジニアもラリっていたのでしょうか。

アルバムタイトルのビートルズを筆頭に、デイブ・メイソンや、ボブ・ディラン。しかもディランは2曲もあり(「女の如く」と「アイ・シャル・ビー・リリースト」)、「アイ・シャル・ビー・リリースト」なんて前年にデビューしたザ・バンドのアルバム(アルバムの目玉だったんよ)の興奮も冷めやらぬ時期に歌っちゃうという暴挙。きっと俺の方が上手く歌ってやる!なんて感じでレコーディングしたんでしょうか。

また、アニマルズや後年にサンタエスメラルダで有名な「悲しき願い」というスタンダードポップスも得意の泣きのヴォーカルを唸らせております。日本では尾藤イサオがうたってましたな、関係ないけど・・・。

ジョー・コッカーに戻します。このおじさんは、とにかくむせび泣くんです。タイトル曲の「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンド」だって、リンゴ・スターの何も考えていなさそうな飄々としたヴォーカルだから「友達っていいねぇ~」なんて感じだけど、ジョー・コッカーが歌うと仰々しくなって「てめぇ、助けねぇと・・・わーってんだろうな!」みたいな感じになります。また、このアルバムで何曲か参加しているのが何故かジミー・ペイジ。アルバムタイトル曲もジミーの突っ込んだフレーズが耳障りに聞こえ、みんなを焦らせます。むせび泣く後ノリのジョー・コッカーのヴォーカルに突っ込み気味のジミー・ペイジのギター。最高です。ほかのギタリストとは一線を画すファズの音がジミーの主張であります。ソロは全然メロディアスではないですけどね。なんか、ジミー・ペイジだなぁって感慨に耽ります。

アルバムのサウンドコーディネイトはきっとベースのクリス・ステイントンとやっているんでしょうね。本来なら、アメリカ南部のミュージシャンで固めればそれなりにはまったんでしょうが、新人のデビュー盤ですかんね、そんなにバジェットも無かったんでしょうね。でも、スティービー・ウィンウッドやアルバート・リー、トニー・ヴィスコンティなんて面子をみると本気度は感じられますが・・・。

そんな中、クリスは良い仕事してますよ。今でこそクラプトンのバックを長年務めてきて、「コカイン」のアウトロの16連打のピアノソロを弾くあの金髪サラサラ親父は、この頃ベーシストでありまして、ジョー・コッカーと一緒に作曲なんかもしてました。のちに一大ムーブメントになった「マッド・ドッグス&イングリッシュメン」の重要なメンバーでして、こん時はアレンジもやってます。

そうそう、そのバンド、レオン・ラッセルや「いとしのレイラ」の生みの親であるデレク・アンド・ザ・ドミノスの面々(クラプトンはいないよ)、リタ・クーリッジなんかがいて、コーラス隊に至っちゃ9人~10人いたの。で、ドラムなんか3人。もう、サーカスみたいなバンドで・・・やっぱり暑苦しいです。

時を戻そう。

もう一度ジャケットを見てください。これ、デビューアルバムに使う?そのセンス。

全てさらけ出さないと、あんな顔できないよね。だって全世界に印刷されて出荷されるんだよ。アルバムデザイナーも一発キメてたのかなぁ。

そんなことを考えていると、うすら寒くなってきたので、暑い日に聴くのはいいアルバムではないでしょうか。サーセン。


2020/8/24
花形





# by yyra87gata | 2020-08-24 15:23 | アルバムレビュー | Comments(0)

雑文集

雑文集_d0286848_13204155.jpg
<ちんこで弾くって聞いたことあるよね?>

 TOKIOの長瀬さんが脱退するというニュースをテレビで見た。

昔の映像がポンポン出てくる中、仰々しいスーツ姿でフライングVを弾いている姿が映し出された。その恰好の悪いこと。

ギターのポジションが非常に高い位置にあって、妙なシルエットなわけ。

思わず「恰好わりぃなぁ。Vはそんなにあげて弾くもんじゃないぞ。まるでバタやんじゃないか!エレキはちんこで弾くんだよ。ガーッと下げてちんこだよ、ちんこ!」と叫んでしまった。

それを聞いていた家内は、ため息。

ちょっと焦るアタシだが、続けて、

「ジミー・ペイジがベストだな。ありゃ、ロックギタリストの中で一番恰好が良い!こうやって、こうやって、こうやって弾いてんだ。こうな、こうやってちんこの上に乗せるように弾くんだ!」

「はいはいわかりました!」

雑文集_d0286848_13205492.jpg

<伝説は標準語とともに総天然色で蘇る>

70年代までロックやジャズのミュージシャンは、人生そのものが表現であった。人格そのものも表現。クスリに走ろうが、破壊行動に走ろうが、才能のある人の音楽はその人の生き方。我々はそれを楽しむことが出来た。それは伝記という形で、それは映画という形で。

 自粛期間中にいろいろとビデオや本を読み返す中で、自分の好きなミュージシャンの最盛期にリアルに立ち会えなかったことを改めて感じた。

 音楽に興味を持ち始めた頃、ビートルズは既に伝説のグループだったし、ツェッペリンもボンゾは直ぐに死んじゃったので、解散しちゃうし・・・。ザ・フーだって死んじゃう。

クラプトンも聞き始めた頃は、レイドバックしてた頃なので、なんでこの人が世界3大ギタリストなんだ?なんて思ったり。クリームのクラプトンが想像できんのよ。

 マイルスだって「カインド・オブ・ブルー」や「ビッチェズ・ブリュー」なんかを発表した時にワクワクしながら聞きたかったなぁなんて思う。

アタシが原体験でワクワクしたのはピストルズあたりのパンクかデビューから今でも走り続けているU2くらいか。そんでもって時代はフュージョンだったから、高中正義やプリズムとかなんだよね。ニューミュージックもあったか・・・さだまさしとアリス?

ま、洋楽については、日本に入ってくるタイミングもあって、原体験でワクワクした人って限られているけどね。日本は遠い国なので、何年も遅れて紹介されたり、向こうではファーストアルバムを出してるけど、日本ではヒットアルバムがファーストと紹介されたりね。いい加減なんだよレコード会社!

そういう面でいうと、村上ポンタ秀一が大村憲司と70年の頃アメリカに行ってフィルモアかなんかで観た若きクラプトンに対し「お前、いい線いってるぞ、きっと日本でも売れるぞ」なんて言った話は笑えるし、きょとんとしたクラプトンの顔を見たかった。

 そんなこんなで、音楽映画って貴重な情報源だったんだなぁって。「ウッドストック」なんてずーっと見てられた。映画館で映像を頭に焼き付かせていたよ。

今なんかYouTubeで昨日のライブが配信される時代だもんね。

でもそういう映像って記憶に残んないの。ぜーんぜん残んないの。真剣に見ないから。

いつでも見れると思うから。伝説は出来辛くなりましたな。

雑文集_d0286848_13211146.jpg

<レガエ>

 昔の音楽雑誌をペラペラ捲っていると、変な言葉が出てくる。レガエって知ってる?1970年半ばに突如として世界を席巻したレゲエミュージックですよ。

 日本の「ニューミュージックマガジン」で中村とうようが書いているんだけど、「今、レガエミュージックが熱い」なんて。

 レガエですよレガエ。いつからレゲエになったのかね。

当時はきっとレゲエなんて発音を聞いたことなかったんだろうし、スペル通りそのまま読んだんだろうね。

でも、ボブ・マーリーに端を発し(ボブ・マーリーもボブ・マーレーとかいろいろ書かれているね)、クラプトンが世界的にヒットさせてストーンズや様々なミュージシャンに広まったジャマイカのソウルミュージック。語源は様々な説があってよくわかんないらしい。

(一般人のための言葉(歌)だからregular peopleから派生したとか、ラテン語で「王様のための」というregisとか)

日本でも水曜イレブンで今野雄二がおかま言葉で紹介してたわ。そん時はレゲエって言ってたな。世界的に流行っているからってんで、ジャマイカが喜んじゃって「ハーダー・ゼイ・カム」っていう映画を作っちゃったんだよ。で、それをレゲェの映画ってんで今野雄二が紹介したもんだから、テレビを見た“知ったか野郎”たちは勇んで映画館に行ったら、レゲエ唯一のキーワードだった「ボブ・マーリー」が出てこないんでがっかりしたなんて話を後に「ぴあ」で読んだことがあったなぁ。

高校の時にポリスがデビューしてホワイトレゲエって紹介された。確かにレゲエの波はあったんだよね。で、影響を受けた友達が何でもかんでもレゲエにして歌ってて、ビートルズとかストーンズの有名な曲をレゲエにアレンジして演奏してた。

でも、リズムの取り方がへんちくりんなんで、「サティスファクション」をやっているつもりなんだろうけど、どう聞いても日本の宴会のノリ。もみ手が出てくる。1拍目にアクセントが来てるんだよなぁ。裏で8分の拍を取れねえんだよ。だから「あ~~いきゃん・げっつーの~お」みたいな歌になっちゃう。

本人たちは最先端を行ってると思ったんだろうね。これは大間違いですわ。

まだ、中村とうようがレガエと読んでいる方がまとも。

2020729

花形


# by yyra87gata | 2020-07-29 13:22 | 音楽コラム | Comments(0)

夏のお嬢さん 榊原郁恵

夏のお嬢さん 榊原郁恵_d0286848_13213428.gif

『中学生のある日でした 部屋の片隅に立てかけた

フォークギターを握りしめ 初めてできたFのコード

それまで聞いてたピンクレディー まったく聞かなくなりました

郁恵ちゃんのポスターも アリスのカレンダーになりました

かぐや姫から長渕と 千春を過ぎて さだまさし

なんだか寂しい歌ばかり でも心は慰められました』

 

 鈴木幹作詞の「フォークの塊」の一節である。

この一節を見て共感を覚える元フォーク少年は多いのではないだろうか。

 小学生の頃は野球やサッカーをして泥だらけになって遊んでいて、女の子と遊ぶ奴は軟弱と言われたが、中学生になると急に異性に目覚め始め、アイドルやグラビアなどを気にするようになる。もちろん、同級生の女の子にも目が行くようになって、あんなに嫌だった女の子と無性に遊びたくなる。ま、これは自我意識の目覚めによる健康的な成長であるから何の問題もないわけで、私もしっかりとこのレールに乗った。だから、「フォークの塊」を1ミリもずれることなく体験した一人だ。

 私が中学生になった1977年、女性トップアイドルといえばピンクレディーとキャンディーズだった。キャンディーズは翌年の解散を発表し、「普通の女の子」になるために最後の輝きを放っていた。もちろん山口百恵や岩崎宏美といったアイドルもいたが、中学生の私の目に飛び込んできたのは、デビュー間もない榊原郁恵だった。あの健康的な存在感。マジな色っぽさを強調するピンクレディーよりも健康的な色気を出していた郁恵ちゃんの方が入りやすかったのかしらん。

 それからは、ピンクレディーよりも新人の郁恵ちゃんを応援する毎日。買ったこともない「明星」や「平凡」という雑誌を見てはニヤニヤ。レコードを購入し、ポスターを部屋に貼り、親からは「色気づいて!」と言われる。

火が点いてしまった中坊は、ファーストコンサートや遊園地の営業(今は無き戸塚ドリームランド!)、シングル「夏のお嬢さん」発表記念イベント(田園コロシアム)まで行きまくっていた。そういえば、ファーストコンサートでは握手会にも参加し、小さくて柔らかい手だったなぁなんて思う日々・・・。

ただ、歌についていうと、音楽性は何にも感じていなかったのよね。郁恵ちゃんの歌って普通なんだよ。インパクトがあるのって「夏のお嬢さん」(1978)くらいでしょ。

あと、松本隆作詞、筒美京平作曲の「ROBOT」(1980)ってのがあって、ちょっとヒットしたけど、その頃はもう気に留めてなかったしね・・・。

歌だって抜群に上手いわけでもないし、下手でもない(でも、デビュー当時の松田聖子よりは上手かったと思うよ)。

 

 でも転機が訪れるのよね。

「夏のお嬢さん」が流行っていた夏休みに親戚の家に遊びに行き、よしだたくろうやかぐや姫のレコードを手にした時からガラリと変わったんだよね。

「郁恵ちゃんのポスターがアリスのカレンダーになりました」の歌のとおりになってしまったのだよ。

 

『拓郎、浜省、甲斐バンドが 俺にハガネを入れました

つまらんことは気にするな 真っ直ぐ歩いていけばいい』(「フォークの塊」2番の歌詞)

の通り、ニューミュージック全盛の中にあって、高校生で「人生」や「虚しさ」なんて大人な言葉を多用した歌などに感化されてしまう純粋な青年になっていったのだよ。

青春の蹉跌!

 

 同時にディランやビートルズ、ストーンズといった洋楽教科書的なアプローチからジャズ、ブルースなんて音楽を聞きかじるようになると、女性アイドルなんて追いかける暇なんてなくなるわけで・・・そういえば、あの時から女性アイドルを追いかける、という気持ちになったことが無いね。当時は松田聖子、中森明菜、小泉今日子、松本伊代などアイドル全盛で、友達はワイワイ騒いでいたけど、アタシは一切目もくれなかった。

「人生」とか「虚しさ」なんてワードはアイドルの歌には無いんだよ。

だからと言っちゃなんだけど、やたらと大人な本や大人な映画を観る日々。

友達が「聖子の『プルメリアの伝説 天国のキッス』という映画を観に行こう!」なんて騒いでいる時に、アタシはatg作品の『祭りの準備』とか『青春の殺人者』とか、果てはロマンポルノに通う日々。

 思春期の健全な成長なのかどうかは疑わしいが、アイドル歌謡には共感できなかったアタシは、軽音楽に共感し、そっち方面にシフトチェンジし、アイドルも女ではなく、男のミュージシャンになっただけ。

アイドルのメルヘンチックな歌詞よりも情念や人生論、果てはディランの歌詞のような哲学的な内容(はっきり言って何言ってるかわからない)ばかり聞いていると、こりゃ所詮童貞ではわかるわけないわな、なんて思ったりして。だから、郁恵ちゃんのようなアイドルは手の届かない存在なんだから、それよりも身近にいる女性が気になるのも自然な流れ。当時は今のように会いに行き、話しかけることができるアイドルはいなかったし…。

 

 大学生になり、彼女と郁恵ちゃんの舞台「ピーター・パン」を見に行った。

郁恵ちゃんは、渡辺徹と結婚も決まり、7年続いた最後のピーター・パン公演だった。

郁恵ちゃんが空を飛んでいるところを見ていたら、なんだか、妙な気分になってしまって・・・初恋の人と別れる感じだったのかね、あれは。

 

 今、郁恵ちゃんをテレビで見ても、何とも思わないんだけど、娘に「ママは郁恵ちゃんに似てるね。雰囲気かなぁ・・・」なんて呟かれた時はちょっと焦ったりもして。

確かに屈託のない笑顔は、どことなく似ているかもしれない。

 

やっぱり、アタシにとって郁恵ちゃんは、永遠の夏のお嬢さんなんだろうね。

 

 

 

2020/7/2

花形


# by yyra87gata | 2020-07-02 13:21 | 音楽コラム | Comments(0)