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1965、1969、1973、1979

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私は今日で還暦が終わり明日61歳になる。
日本には「早生まれ」とか「数え年」とかいろいろな種類の歳の数え方があるが、年度の境ということで学校も企業も大抵が4月を頭と考える。
1月1日に「あけましておめでとう」を高らかに叫ぶが、人間関係上の上下は4月基準だ。
この数え方が「早生まれ」の私を面倒くさくしている。
 私の同級生の大半が辰年生まれ。早生まれの私は巳年。
「昭和40年生まれ」とか「巳年だ」と言っても「早生まれ」だからと付け加えないと年下に見られるのでいちいち面倒くさい。
それはそれとして、私の生まれた1965年。
生まれ年だから1965という数字に何故か愛着がある。昭和40年の40は別に愛着を感じないのだが、それは何故だろうか。ま、いい。

 他に西暦で好きな年が私には他に3つある。1969年、1973年、1979年だ。
この3つに共通していることは、私の好きな音楽的な事象があった年ということである。
 1969年はウッドストックの年。ビートルズが終焉を迎えプログレなどのニューロックが台頭し始めた年。高校終りから2年もの間渋谷のヒッピーに囲まれていた身としては1969年は聖なる年なのだ。Love&Peace
 そして、その年の10年後である1979年はハードロックやディスコ、テクノ、パンクといった音楽ジャンルが溢れかえった年で、日本ではそれまでのフォークやニューミュージックがシティポップスなどへと多様化していった年だ。ジャズがいつの間にかクロスオーバーやらフュージョン。おまけにニューウェーブやテクノサウンドと百花繚乱の音楽地図となった。
 TBSの音楽番組『ザ・ベストテン』が開始された年は1978年1月。それまでのお茶の間の音楽番組は、1964年から始まったフジテレビの『シオノギ・ミュージックフェア』や1968年開始の『夜のヒットスタジオ』、日本テレビの『NTV紅白歌のベストテン』が主流とされていた。それは演歌や歌謡曲が中心の構成で、予定調和な内容。音楽の多様化もあってか、目新しさに欠けてきていたところに『ザ・ベストテン』は登場した。
内容は音楽番組に変わりはないが、テレビ局や事務所の都合も多少はあったものの歌をランキング形式に紹介し、そのランキングは絶対とされた。歌い手側の事情があって出演出来ないのであれば、致し方ないという考え方。地方公演や移動中だからスタジオに行けないというなら1曲のためだけにロケを敢行し、オンエアをするという前代未聞の内容だった。それもあってか、「スタジオに行かなくて良いのなら出演する」というミュージシャンも登場し、コンサート会場からのオンエアが日常的になっていく。
 1979年は化粧品メーカーや食品メーカー、時計、カメラなど様々なCMタイアップがヒットチャートを駆け上ったことから、松山千春や甲斐バンド、矢沢永吉など決してテレビでは見ることが無かった歌謡界以外のミュージシャンが『ザ・ベストテン』に登場した。

 1979年当時中学3年だった私は、日本の音楽が溢れかえる中、軽音楽の洗礼を浴びた年だった。そして、この頃から頻繁にコンサートに出かけるようになり、果ては愛知県篠島まで吉田拓郎のオールナイトコンサートを一人で観に行くという暴挙に出るのである。

  1973年は拓郎好きの私にとって名盤『LIVE73』の発表年。
吉田拓郎は、その年の4月に起きた金沢事件で傷つき、復活の狼煙を上げるためにコンサートを11月に開催。名曲「落陽」を収録した『LIVE73』を発表した。

このアルバム収録時、拓郎は27歳。演奏しているドラムの田中清司は25歳、ベースの岡澤章やキーボードの松任谷正隆は22歳。ギターの高中正義に至っては20歳である。この若者たちの勢いある演奏は今聞いても恐ろしいまでの完成度である。
 そして通常ライブ盤といえば、ヒット曲やそのミュージシャンの代表曲をライブヴァージョンで聴くことを目的とされたが、このアルバムは新曲だらけという異色のもので当時の拓郎の人気のほどがわかる。
 また、アルバムサウンドの特長としてラジオでも本人が語っていたが、「自身のヴォーカルが小さく聴こえても構わない、勢いのあるバンドサウンドを聴かせたい」という。どういうことかというと、演奏の音量レベルにてマスタリングを行なっているので、確かに数か所MCの部分があるが、恐ろしいまでにその音量が低い。だからMC時にステレオのヴォリュームを上げ、耳を凝らしてMCを聞いていると突然演奏が始まることがあった。スピーカーからは大音量が響き渡り何度もびっくりしたことがある。そんな破天荒な作りのアルバムで、当時の拓郎人気もあり、大ヒットした。
 1973年当時の日本の軽音楽の中心がフォークブーム全盛の拓郎や井上陽水、かぐや姫とするなら、もう一つ潮流があった。拓郎のアルバムとこの潮流があったので私は1973年が特別な年と捉えている。

 もう一つの潮流とは、はっぴいえんどの解散である。正確に言うとはっぴいえんどは1972年12月31日をもって解散しているが、1973年9月21日に解散コンサートを文京公会堂で開催している。そしてその模様はアルバム『ライブ!!
はっぴいえんど』(1974年1月15日)にて聴くことが出来る。

何故はっぴいえんどの解散が気にかかるかというと、当然私はこの事実を原体験したわけではない。しかし、先ほど述べた1979年の溢れる日本の軽音楽にはっぴいえんどの4人が大活躍しているという事実があるということ。そして、その流れは1973年の解散コンサートから始まったのではないかと確信しているからである。
このコンサートにははっぴいえんど以外にも彼らの演奏のサポートや解散後のそれぞれのソロ活動の演奏のため数多くのミュージシャンが参加している。
シュガーベイブ(山下達郎、大貫妙子、村松邦男)、伊藤銀次、鈴木慶一、西岡恭蔵、吉田美奈子、南佳孝、田中章弘、駒沢裕城、上原裕、松田幸一など、まさに新しい日本のポップスを作り出す職人が競演した。
つまり、はっぴいえんどの4人がそれぞれの道を歩み始めたことで、ニューミュージックと呼ばれる新しい音楽の流れを作ったのではないかということだ。
 はっぴいえんどは神格化されやすい。それは1978年から1983年辺りの日本の歌謡界、ニューミュージックと呼ばれるポップス界を4人が席巻していたからに他ならない。
チャート1位になる松田聖子も寺尾聡も森進一もアイドル歌手もみんなみんな4人が関わっていた事実があるからだ。
 しかしながら、1973年の日本の軽音楽の主流はフォーク。はっぴいえんどの4人は時代の音楽と折り合いをつけながら活動していた。
 バンド解散後も大瀧詠一のサウンド、細野晴臣のサウンドは、それぞれの作風に拘り過ぎてヒット曲の対象とはならなかった。その分、鈴木茂は単身渡米して製作した『BAND WAGON』(1975)の話題性はあったが商業的な成功という訳ではなく、その筋で話題になったに過ぎなかった。
4人の中で松本隆だけはドラムから作詞家に転向しすぐに結果を出したが、その作品は、歌謡界にも足を伸ばしていたので、まだまだ日本の軽音楽に市民権は無かったと言っていいだろう。

 では、日本の軽音楽の市民権はいつ頃成立したのだろうか。
少なくとも1973年には拓郎や陽水といった商業的成功があったのでフォークというジャンルの市民権はあった。しかしながら、はっぴいえんどの4人が携わっていた日本のポップス、つまりフォークでもロックでもブルースでもない音楽についてはとても小さなマーケットであった。テレビの音楽番組にも取り上げられず、レコードも売れていない筆頭である山下達郎や矢野顕子、大貫妙子といったミュージシャンは、はっぴいえんどからティンパン・アレイに変革したメンバーと一緒に日本の軽音楽の世界でもがいていたのだ。
 しかしながら、時代が漸く追いつき始めるのだ。鈴木茂は自らリーダーアルバムを出しながらもスタジオミュージシャンとして歌謡界やロック、ポップスのレコーディングで売れっ子となり、松本隆も「木綿のハンカチーフ」等のヒットを連発する。3年もしないうちに細野晴臣はYMOの世界的な成功を勝ち取り、大瀧詠一も『A
LONG VACATION』(1981)の大ヒットを記録する。
 はっぴいえんどの4人が作った1979年頃の活動は、日本の歌謡界を終わらせ、歌謡曲というジャンルをJポップスという音楽に変えてしまったといっても過言ではない。
それは、それまでの職業作詞家・作曲家の作る楽曲とは明らかに違い、シンガーソングライターが歌謡界の歌手に作品を提供するという事が当たり前のようになっていったからだ。
そういった事から、
「Jポップは1973年に始まり、1979年で昇華した」と私は見ている。

 今日あげた年。
私は1965年に生まれ、1969年は4歳。1973年は8歳。1979年は14歳。
やっぱり14歳(これだって同学年はみんな15歳なんだよ)辺りで受けた影響は後を引く。
特に1979年の1年間が私の軽音楽のスタートラインとしたら、翌年すぐにポールが成田で捕まり、秋にボンゾやビル・エバンスが死んで、冬にジョンが殺された。このあたりの事象は未だに引きずっているし、引きずってなければ音楽なんてやめていたかもしれないな。
 2026年にこんなことを書いている私。15歳の私はきっと想像もしていないだろうな。

2026年1月15日
花形

# by yyra87gata | 2026-01-17 13:32 | 音楽コラム | Comments(0)

今年観た音楽映画2025

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 私は最近テレビドラマを殆ど見ない。大河ドラマとたまに日曜劇場を見るくらい。映画ばかり観ている。
劇場、DVD、飛行機で観る映画、動画配信、地上波放送などだいたい年間で多い時は150本位観ていた。しかし、今年は時間があまり取れず、65本で終わりそうだ。
 音日記というくらいだから、音楽映画に絞ってお伝えする。

①    ザ・ビートルズ ’64(2024)
鑑賞日:2月20日
(内容)
 1964年2月7日、ザ・ビートルズがニューヨークのケネディ空港に降り立った。空港には初めてアメリカにやって来た彼らの姿を見ようと数千人ものファンが駆けつけ、その後開かれた記者会見でのコメントや、人気音楽番組「エド・サリバン・ショー」でのパフォーマンスは、アメリカの人々を大いに熱狂させた。本作ではその様子を中心に、ザ・ビートルズのメンバーたちがかつてないほどの名声を手にするまでの日々をとらえ、音楽業界の分岐点となった彼らの活躍を描く。さらに、新たに撮影したファンたちへのインタビューを盛り込みながら、彼らが作った“時代”をひもといていく。

(感想)
 1964年のアメリカにフォーカスしているところが良い。その年の事象や時の人の感想など、ただのロックミュージックではなく、一つの現象として捉えられている。
ファンのエピソードも当時と今を観ることが出来、相当な取材力の勝利。当時の観客を探し出す苦労もあったろう。NHKの「バタフライエフェクト」を見ているようだ。
ザ・ビートルズ4人のインタビューも貴重で、音楽を楽しむ映画というよりドキュメンタリー映画という趣。

②    名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN(2024)
鑑賞日:3月1日
(内容)
 2016年に歌手として初めてノーベル文学賞を受賞したボブ・ディランの若い日々を描いた伝記ドラマ。
1961年の冬、わずか10ドルだけをポケットにニューヨークへと降り立った青年ボブ・ディラン。恋人のシルヴィや音楽上のパートナーである女性フォーク歌手のジョーン・バエズ、そして彼の才能を認めるウディ・ガスリーやピート・シーガーら先輩ミュージシャンたちと出会ったディランは、時代の変化に呼応するフォークミュージックシーンの中で、次第にその魅了と歌声で世間の注目を集めていく。やがて「フォーク界のプリンス」「若者の代弁者」などと祭り上げられるようになるが、そのことに次第に違和感を抱くようになるディラン。高まる名声に反して自分の進む道に悩む彼は、1965年7月25日、ある決断をする。
主演:ティモシー・シャラメ

(感想)
 ディランフリークのアタシからしてみれば、よくぞ作ってくれましたという作品。
きっと『ボヘミアン・ラプソディ』(2018)のヒットもあり、ミュージシャンの生き様を描く作品がヒットするという公式が出来たのかもしれない。著作権フリーになるという事もあるだろうし。但し、日本でのディランの認知度はクイーンほどではないから、ヒットはどうかと思うが。
物語は、ディランのデビューから1965年のフォークからロックへと移り変わる様を描いていて、タイトルは「Like A Rolling Stone」の一節であーる。
 ディランについては、ドキュメント映画としてスコセッシが撮った「No Direction
Home」があるが、今回の作品はドラマなので、スーズやジョーン・バエズといった恋人たちの心の様も描かれている。一緒に観にいった家人は「ディランって女癖悪いね」と宣ったが、そりゃそうだろ、時代の寵児だったんだから。ま、いい。
 主演のティモシー・シャラメはディランに憑依していたね。ディランの物語はある程度知っているので、内容よりもディランの初期の名曲が映画館に響き渡っていることだけでも、アタシは幸せでありました。
ディランの乗るトライアンフの音、痺れるぅ。しかし、数年後に大事故を起こすのでありますが…。それは続編?
そこからザ・バンドとの出会い。「偉大なる復活」という流れでPART2を作って欲しいっす。

③    ウィキッド ふたりの魔女(2024)
鑑賞日:4月19日
(内容)
 名作児童文学「オズの魔法使い」に登場する魔女たちの知られざる物語を描き、2003年の初演から20年以上にわたり愛され続ける大ヒットブロードウェイミュージカル「ウィキッド」を映画化した2部作の前編。後に「オズの魔法使い」に登場する「西の悪い魔女」となるエルファバと、「善い魔女」となるグリンダの、始まりの物語を描いたファンタジーミュージカル。
 魔法と幻想の国・オズにあるシズ大学の学生として出会ったエルファバとグリンダ。緑色の肌をもち周囲から誤解されてしまうエルファバと、野心的で美しく人気者のグリンダは、寄宿舎で偶然ルームメイトになる。見た目も性格もまったく異なる2人は、最初こそ激しく衝突するが、次第に友情を深め、かけがえのない存在になっていく。しかしこの出会いが、やがてオズの国の運命を大きく変えることになる。
主演:シンシア・エリヴォ、アリアナ・グランデ
(感想)
 ミュージカル映画。
Wickedの意味は、「邪悪なもの」「悪意」である。
邪悪なふたりの魔女というタイトルであるが3時間近い物語の中にその邪悪さは一向に感じることは出来ない。そして、物語のエンディング画面で後編があることを知らされる。
 溜息が出るほどの歌唱力と表現力で圧倒された。前編で理解したことは、2人は人に危 害を加えるほどの「邪悪なもの」ではないということ。
 エルファバは見かけがグリンダより醜いが、魔術の師であるマダムモリブルに大事にされたことでグリンダに芽生えた嫉妬のような感情。初めて抱いた敗北感。その感情を正面からエルファバにぶつけるグリンダ。
ボールルームに現れてひとりで踊るエルファバを見てグリンダは後悔する。エルファバは醜い私の気持ちさえも信じてくれていた。必死に踊るエルファバを見ながらWickedになりかけていたのは自分という事に気づくグリンダ。
 後編ではどの部分がWickedになるのか、楽しみな作品である。2026年3月まで楽しみに待っていよう。

④    ピンク・フロイド・アット・ポンペイ(1972)
鑑賞日:4月29日
(内容)
 1971年10月にイタリアのポンペイ遺跡の“世界遺産”古代ローマ「円形闘技場」で行われた史上初のピンク・フロイドの無観客ライヴ・パフォーマンスを収録したもの。印象深く美しい遺跡を舞台に、「エコーズ」「神秘」「吹けよ風、呼べよ嵐」といった重要な曲が演奏され、円形闘技場の昼夜を捉えた息を呑むほど美しい映像は必見。
(感想)
 昔、ビデオで観て、ちょくちょくYouTubeにも登場していた作品。ちょっとボケボケの画像だったが、4Kデジタルリマスターによりクリアな画面になっていた。
若く、勢いのあるメンバーから繰り出す音に溜息が出る。でも、あんな緊張感のある音楽だからか、みんな精神的に病んでいくのだろうね。
ビデオで飽きるほど観ていたから、確認のための時間という感じだった。
映画館は年寄りだらけだったなぁ。

⑤    F1(2025)
鑑賞日:7月25日
(内容)
 かつて世界にその名をとどろかせた伝説的なカリスマF1ドライバーのソニーは、最下位に沈むF1チーム「エイペックス」の代表であり、かつてのチームメイトでもあるルーベンの誘いを受け、現役復帰を果たす。常識破りなソニーの振る舞いに、チームメイトである新人ドライバーのジョシュアやチームメンバーは困惑し、たびたび衝突を繰り返すが、次第にソニーの圧倒的な才能と実力に導かれていく。ソニーはチームとともに過酷な試練を乗り越え、並み居る強敵を相手に命懸けで頂点を目指していく。
主演:ブラッド・ピット
(感想)
 自動車レース最高峰のF1をアメリカ人が描いたのよ。2013年製作の『ラッシュ/プライドと友情』は事実を元に制作された作品に対し、この作品は現代のF1に伝説の老レーサーが挑むというアメリカンドリーム的な作品。一応実在のマーチン・ドネリーの大事故が映され、そこからの復帰みたいな描き方だけど、往年のF1ファンはマーチン・ドネリーがわかっているから、「それでいいのか?そうなのか?」みたいな違和感があったと思う。
 この作品、音楽映画ではないが、オープニングでツェッペリンの「胸いっぱいの愛を」の印象的なイントロが爆音で鳴り響くのね。映画館に響くツェッペリンっていいね。そのビートの中で画面はF1マシンの豪快な走りですよ。凄まじいまでの疾走感。レース映画ならばこう撮るだろうという絵。もうそれだけで映画館に来てよかったと思いましたわ。しかし、それで終わり。出落ちという感じ。
 物語的にはさして面白い展開は無く、人間模様も薄いし、ブラピが随分皺だらけの顔だけど身体は鍛えてんな、なんて思いながら観てました。
アタシが好きなネルソン・ピケやセナプロの時代って70年代後半から15年くらいだからね。シューマッハなんてガキだったし。また、随分とF1カーって大きくなってしまったな、という印象。俊敏な動きというよりパワーで唸らせるという感じか。最近のF1とアメリカ人的なマッチョな作品が比例している気がした。

⑥    スライ&ザ・ファミリー・ストーン/スライ・リブズ!(2025)
鑑賞日:9月17日
(内容)
 スライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーンの栄光と苦悩を描く。ポップミュージック界で最も影響力のあるアーティストグループの一つとして台頭していく姿、彼らの黄金期から衰退期をとらえるだけでなく、アメリカの黒人アーティストが成功に伴う重圧とどう向き合ってきたかを浮き彫りにする。
(感想)
 ドキュメンタリー映画。
スライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーンのメンバーのインタビューは貴重だ。ここまで赤裸々に話されることは無かったと思う。また、スライから影響を受けたミュージシャンたちの生の声も聴くことが出来る。衰退期といわれる時期の本人のインタビューもあり、彼の生き様を垣間見ることが出来る。なにはともあれ、スライは天才には間違いない。
 黒人アーティストが売れるということはどういうことなのか、売れることによる弊害などにも言及していて、深みのある作品。
人種差別が盛んな1960年代に白人、黒人、男、女の混成グループで駆け抜けたスライ&ザ・ファミリー・ストーンは、時代の寵児であったが、それと引き換えにドラッグに溺れるスライ。きっと神経をすり減らしながらレコード会社やファン、世間の声と戦いながら散っていったんだろう。この作品を見た後にスライの熱烈なファンが死亡説まで出た彼を追いかけ続けた映画『スライ・ストーン』(2015)を見ると感慨深いものがある。追いかけ続けた結果、近年のスライ本人はオランダの小さなクラブでパフォーマンスをしていたが、相変わらず天才だったからだ。

⑦    レッド・ツェッペリン ビカミング(2025)
鑑賞日:9月29日
(内容)
 1969年リリースのデビューアルバム「レッド・ツェッペリン
I」で世界を熱狂させ、約12年間の活動でロックシーンに革命を起こしたバンド、レッド・ツェッペリン。その知られざる起源をたどる本作では、1980年に32歳で急逝したジョン・ボーナムの未公開音声をはじめ、メンバーの家族写真やプライベート映像、初期のライブ映像など貴重なアーカイブ素材とともに、オリジナルメンバー自らがバンドの歴史を語る。
(感想)
 映画が始まる前にIMAXの宣伝映像が流れたんだけど、そちらの方が迫力の音だったな。ZEPが始まって彼らの音楽が流れたが「しょぼ~」って声に出して言っちゃった。
6月頃に観た映画『F1』の冒頭に突然鳴り響く「胸いっぱいの愛を」の方が興奮したぜ。
紹介されていた彼らのストーリーは全て知ってたので、2時間ZEPに浸れたという事でOK。もっと言うなら、インタビューと演奏は極力分けて、半分をロイヤルアルバートホールのちゃんと同期した演奏を流してほしかった。なぜなら、編集が雑過ぎて絵と音が合ってない事でイライラ。最後のアルバートぐらいでしょ同期してたの。デンマークでのライブも雑な編集だったし。レコードの音に妙なコラージュを載せてもなぁ、って感じ。
 あと、IMAXって高いよね。演奏部分だけでも1.5倍くらいの音量を出してもらわないと追加料金払った価値が無い。だいたいドキュメント映画はインタビューやナレーションがいっぱい入るんだからIMAXに向かないんじゃないかな。
でもZEPに罪は無いので、大人しく(笑)家で昔のDVDを大音量で観ます。

⑧    スプリンングスティーン 孤独のハイウェイ(2025)
鑑賞日:11月14日
(内容)
 アメリカを代表するシンガーソングライター、ブルース・スプリングスティーンの若き日を描いた音楽ドラマ。
1975年リリースのサードアルバム「明日なき暴走 BORN TO
RUN」で一大センセーションを巻き起こしたスプリングスティーン。それから7年が経った1982年のニュージャージーで、彼は人生の大きなターニングポイントを迎えていた。世界の頂点に立つ直前、スプリングスティーンは成功の重圧と自らの過去に押しつぶされそうになりながらも、わずか4トラックの録音機の前で、たったひとり静かに歌いはじめる。
主演:ジェレミー・アレン・ホワイト
(感想)
 アルバム「ネブラスカ」の誕生秘話。抱えている問題は本人しかわからない。
「リバー」という大作が出た後、いきなり弾き語りのこのアルバムが出た時、確かに驚いた。なんて暗いアルバムなんだと。程なくして「ボーン・イン・ザ・USA」が発表され、このアルバムは大ヒット作「USA」の影に隠れてしまった。
「ネブラスカ」に込められた内省的な歌のオンパレードは彼自身の何かへの贖罪なのか。
父親との確執がもたらす歌の世界なのか。まさに人に歴史ありの物語。
 私は歌を作る人間の要素が自分では多いと思っているので、スプリングスティーンの楽曲に懸ける気持ちが多少理解できる。無から有を作り出すという作業は並大抵な事では無いのだ。だから、この作品は、歌を作る人間と聴くだけの人間では感想もかなり変わる作品なんだと思う。

⑨    ウォーク・ザ・ライン/君につづく道(2005)
鑑賞日:12月7日
(内容)
 カントリー・ミュージシャンのジョニー・キャッシュの伝記映画で、特に彼の2人目の妻となった歌手のジューン・カーターとの関係を描いている。
キャッシュの幼少期、歌手ジューン・カーターとの恋愛、カントリーミュージック界での成功、そして薬物中毒を描いている。
 第78回アカデミー賞では、リース・ウィザースプーンが主演女優賞を受賞し、主演男優賞(ホアキン・フェニックス)、録音賞、衣装デザイン賞、編集賞にもノミネートされた。
主演:ホアキン・フェニックス、リース・ウィザースプーン
(感想)
 日本では馴染みが薄いジョニー・キャッシュ。アメリカではプレスリーやディランと等しい人気を持つアーティストだ。
60年代から70年代に活躍したが、この頃のアーティストはみんなクスリ漬けで、その毒牙からいかに立ち直るかが一つのポイントになっている。
他の音楽家の映画を見てもたいていクスリにやられている。時代性かな。
 妻となるジューンの支えなど、限りなく事実に近しい演出であるが、実際問題として周りの人々のサポートはいかばかりかという気がしてならない。
しかし、ジョニー・キャッシュの最期はジューンを追うようにしてすぐに亡くなっている。その事を「真実の愛」と評価してしまうのは陳腐かもしれないがそれは2人だけが知っていればいいこと。
音楽的に言えば、ジョニー・キャッシュはアメリカンミュージックの重要な1人である事は間違いない。
 また、「ジョーカー」での怪演で知られるホアキン・フェニックスが主演だが、途中までその事を知らずに観ていたので、気が付いた時は相当驚いた。歌上手いね。


駆け足で書いてしまいました。
今年もあとわずか。最近は1年が早すぎます。

2025年12月28日
花形





# by yyra87gata | 2025-12-31 04:36 | 音楽コラム | Comments(0)

見出し画像 楽器屋さんに行く。60歳の少年は、45年前と全く同じ行動を取る。それは目を輝かせながら楽器を眺めるということ。昔と何も変わっちゃいない。変わったと言えば、少し金銭面に余裕があるくらいか。
 楽器屋はアタシにとって宝石箱なんだよねぇ。だから、子供がおもちゃ売り場に行くのと一緒。ヴィンテージのレス・ポールやマーチンなんてずーっと見ていられる。そう言えば高校時代にショーケースの前でずーっと楽器を見ていたら、当時付き合っていた女に愛想をつかれて逃げられたことがあったなぁ。

 楽器屋には所狭しとギターやベースが壁に掛けられ、相変わらず入り組んだ店内。地震がきたら逃げ場は無い。ネット販売の影響で本屋が激減の一途であるが、楽器屋はどうだろう。楽器には個体差があるから実際に弾いてみないとわからない部分もあるので、店舗は必要だと思うね。だから、お茶の水界隈は相変わらず賑わっている。アタシと同じような年代が多いけど。
 ギターの試奏をしていると目に留まった貼り紙。
“「スモーク・オン・ザ・ウォーター」「天国への階段」禁止”の文字。世代を超えても、相変わらずギター小僧が弾くのだろう。アタシが中学の頃は「ブルー・ラグーン禁止」の文字も見たこともあった。
店員さんはみんなミュージシャン予備軍なのかね。みんなヘビメタ兄ちゃんに見える。ロングヘアーに汚ねぇコンバース。パンツはスリムのジーンズだね。ヘビメタが好きなの?って声を掛けたくなる。でも最近は小綺麗な店員さんも増えて、みんなエプロンしてる。どこの店もこれらのパターンかな。

 ギターを試奏する時、昔は結構緊張したものよ。わかったような顔をしながら、ヘビメタ店員さんの説明を聞き流し、緊張する手でフレーズを奏でる。ゆったりとしたブルースなんて弾こうものなら、鼻でフンと笑われそう。でもアコースティックでヘビメタはできんしねぇ。

 当時はMartinやGibsonなんてショーケースに飾られていて滅多に触ることができなかったから弾きたくも無いYAMAHAやMorrisあたりのフォークギターをジャカジャカストロークしていた。そりゃそうだ、中学生なんかにMartinなんて触らせてくれないよ。
 しかし、最近はブランドギターの敷居が低くなったね。エレキギターで言えば、誰でもFenderというロゴのギターを持つことができる時代だ。Gibsonだって手頃な価格になっている。

 どの楽器も緊張感無く、手にとって見ることができる。アタシが学生の頃はホント、輸入メーカーはみんなショーケースの中の楽器だった。
やっぱりFender Japanが一番の罪だと思うね。Fenderは選ばれし者しか弾いちゃいけなかったんだよ。
高校の文化祭で身の程知らずのボンボンの馬鹿野郎が、親に買ってもらったFenderなんかを弾いていると、よく「おめぇの腕でFenderかよ!Fenderが泣いてるぞ!」なんて野次が飛んだものだ。
でも、最近のFender Japanはとても出来が良いらしいね。音も良いらしい。でもなぁ、車で言うところのエンブレム・チューンみたいなものだからなぁ。要はGrecoを作っていた工場がFender Japanを作る。やっぱり、まがいもんみたいで好きになれないんだよね。Grecoの良さってあったんだけどなぁ。Fenderじゃなく、あえてGrecoを選ぶ、なんてね。
 ところで、フェンダー社もギブソン社も毎年新たなモデルを発表しているが、ヴィンテージシリーズやヒストリックコレクションなるモデルを出し、いかに50年代60年代のモデルに近づけるか、などという後退なのか進化なのかわからない商品を毎年出している。これって、企業的に見て進化しているのかね。どうなんだろ。
 ニューモデルがレス・ポール1959年モデルのレプリカってのも、どうかと思うしね。
そう言えば、「カスタムショップ」なんてブランド化しているものね。

 定番モデルという言葉が存在する以上、定番のデザインがあまりに完成度が高いとそのモデルを超えることは至難の業なのであるな。だからメーカーとしては、時代に合ったニューモデルを発表している。しかし、ここ何十年もヒットモデルは発表されていない。
 フェンダー社で言えば、ストラトキャスターやテレキャスターはオリジナルが一番だと思う人間からすると、派生モデルのバレットとかサイクロンってどうなのよ・・・って思うし、ましてやジャガーやマスタングを昔から知っている人間にしてみたら、ジャグスタングなんて・・・ね。

画像
フェンダー ジャグスタング

 ギブソン社もSGなんて今じゃ定番だけど1950年代後期になってレス・ポールモデルの売上が落ち込み、1961年に後継機種で登場したレス・ポールモデルは、あまりのフルモデルチェンジぶりにユーザーを戸惑わせたようだ。そして、程なくしてレス・ポールモデルの名はレス・ポール氏との契約問題により解消されSGというモデルになった。なんでもレス・ポール氏はSGのスタイルを見てあまりの不恰好さに怒ったという。全然形も音も違うから、同じネーミングは確かに可笑しい。
 しかし、そんなSGだって今じゃ定番。SGは発表以来廃版になる事は無いモデルとなった。
ギブソン社のほかのエレクトリックギターといったら、ES-335あたりのセミアコ系やその他フルアコ系、フライングV、エクスプローラー、ファイアーバードあたりが定番だよね。
そこら辺は、使用ミュージシャンも多く、何となく落ち着くが、いきなりモダーンとか、RDアーティストとか出されるとびっくりするし、マローダなんてね・・・。そういえば、ナイトホークってのもあったね。レス・ポールのできそこないみたいなやつ(ファンがいたらごめん)。

画像
ギブソン ナイトホーク

 楽器屋さんでエフェクターを買うときなかなか音のチェックがしづらいよね。こっちは何台も並べて比べたいのに、そういうニーズにはなかなか応えてくれない。狭いスペースの中ではそんなことできないのかもしれないが、安い買い物ではないので、商品知識のある店員としっかり話をして購入を決めたいものだ。以前、アンプとエレキギターも持ち込んで、歪み系のエフェクターを買いに行った時のこと。気になったエフェクターを10個くらい選別して順番に音を出したことがあった。嫌な客だったろうと思うが、そこの店員が無知すぎて何もわからなかったのよ。だから、音を出して確認しただけなんだけどね。まぁ、商品知識なんだけど、店員はもっと勉強して欲しいね。自分の子供くらいの歳の店員もいるから、昔の話をしてもしょうがないんだけど、少なくとも最新の楽器に関しては知っていてほしいね。

そういう事をまとめていくと、入りやすい楽器屋とそうでない楽器屋の違いは、品揃えよりも店員を見るね。波長が合いやすそうな店員だと音楽談義もできるしね。でもアタシみたいなじじぃの相手は若い店員は嫌がるだろうね。楽器屋は、いつでも居心地の良い空間であってほしいんだけどねぇ。

2025年11月12日

花形


# by yyra87gata | 2025-11-12 13:39 | 音楽コラム | Comments(0)

日比谷野外音楽堂

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「野音」の愛称で親しまれ、日本の音楽の聖地として長きに渡って愛されてきた「日比谷野外音楽堂」が建て替えのために先日利用停止になった。ちなみに建て替え前最後のライブはエレファント・カシマシだったそうだ。

野音の歴史は古く、1923年に開設、1954年に最初の建て替え、1983年に2度目の建て替えとなり、今度で4回目となる。老朽化に伴う工事となり再開は2029年とのこと。そもそものデザインがギリシャやローマの円形劇場を参考にしているそうで、新しい野音もきっとモダンな野外音楽堂になるのだろう。

私が最初に野外音楽堂に訪れたのは小学生の時。社会科見学で国会議事堂やその界隈を見学し、日比谷公園で昼食を取った時と記憶している。1975年辺りか。

ぶらぶらと公園内を散策し、同行していた担任が

「この会場は音楽を行なう場所だが、集会を行なう場所でもある。51日のメーデーには労働者集会が行なわれる」というような説明していた。

当時の私の疑問は、①音楽堂なのに何故集会をやるのかということ②雨が降るかもしれないのに何故外で音楽を行なうのか、ということ。

どちらの疑問も今思うと大したことではないが、人が大勢集まる場所が昔は今ほど無かったという事が一番の理由なんだと思う。公園の中にあり、気軽に立ち寄れる場所として開放された空間であれば音楽でなくとも存在意義はある。そして雨の問題だが、雨は伝説を作ってしまうから始末が悪い。

雨の野外コンサート。

私も幾度となく野音でコンサートを観てきているが、思い出深いコンサートは雨が降っていた。

ジョニー・ルイス&チャー(JLC)のデビュー(1979)と解散(1994)。木田高介追悼コンサート(1980)、ザ・モッズ(1982)など。

JLCはデビューコンサートも解散コンサートも雨模様。そしてその2つとも日本では珍しいフリーコンサート。JLCの自由奔放なキャラクターに共感した観客は、とり憑かれた様に舞台の3人に声援を送り続けている。デビューコンサートでは興奮した観客がステージに押し寄せる瞬間もあり、みんな濡れながら身体から水蒸気の煙を発していた。あの頃の野音は1万人以上を収容していたから異様な盛り上がり方だった。

しかし、そんな時でもチャーは冷静に演目を進めていて、猛獣使いの様に見えた。そして、その雨も最後には上がってJLCのロゴのような月を拝むことかできた。

大雨で始まり、最後には月を出すなんて演出。デビューと解散の両方とも同じ展開となったから猛獣使いというより魔法使いだ。伝説のコンサート。

それに対し、ザ・モッズの時は完全に集団ヒステリー状態。降り始めた雨は次第に勢いを増し、最後は集中豪雨のような雨となった。私は後方からの観覧だったが、客がステージ前に押し寄せ、拳を上げる様は何か宗教じみた祭典のように見えた。教祖に救いを求めるというより、師を仰ぎながらみんなで大きな力を発するエネルギー体のようなものか。そんな突き刺さるビートと森山の力強いヴォーカルは、一つの塊になって後方の私まで響いた。全員がずぶ濡れになっているという一体感と雨に抗うパフォーマンスは忘れられない伝説を作るのだ。

木田高介追悼コンサートは、交通事故で亡くなったアレンジャー兼ミュージシャンの木田高介を偲んで数多くのミュージシャンが参加した。木田高介はジャックス、六文銭、ザ・ナターシャー・セブンに参加し、70年代の日本のフォーク、ロックのアレンジャーとして名を馳せた。そんな彼の人柄か当日の参加アーティストは日本のフォーク系のミュージシャンが大勢集まった。

ザ・ナターシャー・セブン(高石・坂庭・城田と石川鷹彦)、オフコース(小田・鈴木・大間・清水・松尾)、かぐや姫(南・伊勢・山田)、風(伊勢・大久保)、五つの赤い風船、吉田拓郎、小室等、遠藤賢司、斉藤哲夫、下田逸郎、かまやつひろし、イルカ、りりィ、土屋昌巳、はしだのりひこ、ダ・カーポ、山本コウタロー、五輪真弓、加川良、沢田聖子、ダウン・タウン・ファイティング・ブギウギ・バンド、金子マリとバックスバニー、カルメン・マキ、チャー、上条恒彦、倍賞千恵子、吉川忠英、瀬尾一三、岡本おさみ、喜多条忠。

北山修が泣きながら「帰って来たヨッパライ」を、オフコースは「いつもいつも」をアカペラで、吉田拓郎は「アジアの片隅で」を披露した。また、かぐや姫は一日限りの再結成をした。こんな豪華なラインアップであったが、追悼ということもあり涙雨のコンサートとなり、伝説化した。

その後もエレファント・カシマシやフラワーカンパニーズなど雨の野音伝説の継承者が出たと聞くが、私は未見。とにかく、雨の野音は何かが起きるのだ。

私は他にもシーナ&ロケット、RCサクセション、上田正樹とサウス・トゥ・サウス、エコーズ、ブルースカーニバル、西岡恭三、近藤房之助などを観覧。ビールを飲みながらリラックスできる空間であった。

そう言えば、鈴木茂、森園勝敏、アル・ディ・メオラ、チャーが一同に介しジミ・ヘンドリクスのトリビュートイベントを行なったことがあったが(ARE YOU EXPERIENCEDTRIBUTE GUITAR FES 2001)、鈴木茂のバックバンドのドラマーが当時私の家の隣に住んでいた原田さんの息子だったことが発覚。車の中にドラムキットが乱雑に乗せられていたからきっとドラマーなんだろうな、と思っていたが、まさか野音で観るとは驚きだった。いつも彼は朝帰りの肉体労働の仕事をしていたから、ぼさぼさの髪で寝ぼけ眼。そんな男があんなに輝いている姿を見たものだから野音という神聖なステージは5割増しくらいに見せる魔法があるのかもしれないな。ごめん。

新しい野音。2029年にはどんな姿を見せてくれるのだろうか。新しい時代の音を刻むことになる野音だが、数々の言霊を吸収した大地は再び伝説を生み出す場所となるだろう。

そう言えば、高校の頃に妙な考えを持った。野音の舞台の上手側で、野音を見下ろすことが出来るビル。ここに勤めることができれば、毎日ただでコンサートを観ることができるのではないか、と。調べたら農林水産省の合同庁舎だった。考える間もなく諦めた。

2025930

花形


# by yyra87gata | 2025-09-30 17:39 | 音楽コラム | Comments(0)

車通勤と音楽

車通勤と音楽_d0286848_15083809.jpeg

 車はもう一つの部屋などと言ったりします。私は通勤で車を使用するので、これが顕著であります。食事もするし、音楽も聴く。テレビも見れば、昼寝もするという感じです。
 私はサラリーマン人生35年以上で、電車通勤は合計2年もしていないと思います。とにかく朝晩の通勤ラッシュが嫌で、いつも「車通勤ができないか」を模索しておりました。
 私の住む横浜から都心に出る時、東急田園都市線を使用するのですが、常に200%くらいの乗車率。朝から異様な熱気と乗客から出る負のオーラが車内を包み込みます。貧血者も続出です。そのせいか、私は大学に通っていた時は、朝のラッシュが嫌で月曜に家を出たら、大学付近の友人宅を泊まり歩き、帰りは土曜日という生活をしていたくらいです。
 社会人になると、会社が新宿や神谷町といった都心でありましたから電車通勤をせざるを得ず、とにかく苦痛でありました。そんな通勤地獄で神経をすり減らすのが嫌なので、車通勤を考えるのであります。
 本社のある新宿から新人研修の一環で横浜に1年半の出向期間がありました。この時に車通勤のメリットを感じ、常に考えるようになりました。その後、本社から直営店勤務になった時もチャンスと思い、店舗の近所に駐車場を借りて車通勤。
その後、転職し、都心の会社であったとしても会社の近くに駐車場を借りて車通勤。
東京の月極め駐車場代は20年前であっても20,000円~30,000円はしましたが、身銭切ってでも車通勤でした。
当時は家の車と通勤用の車を持っていましたので、維持費もバカにならなかったです。燃料費や保険代、メンテナンス費に高速代など全て自腹でしたが、それでも通勤のストレスが無い分、健康でありました。人と接触しないから風邪もひかないし。妙な酒の付き合いも無くなるし。
 仕事も意外と捗るのです。なぜなら、終電を考えずに仕事ができたり、早朝に仕事したいと思った時もフレキシブルに動けるのです。通勤はサラリーマンの大敵なのであります。
 今の会社では役職もそこそこつき、社有車を通勤の足にしております。駐車場も会社の駐車場、燃料費もメンテナンス費も会社もちですから格段に経済的になりました。

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 通勤時には往復の時間を考えて最低でもCDを2枚持っていくことにしています。そして、そのうちの1枚は必ずボブ・ディランです。
 ディランのCDは全て所有しているので、アットランダムに選ぶこともありますし、テーマを考えて選ぶこともあります。1日1ディランです。
また、通勤以外でも私は大阪くらいまでなら車移動にします。飛行機や新幹線も良いのですが、車であれば終始電話ができますし、仕事にも困らない。現地に行ってもフレキシブに動ける。搭乗時間や電車の出発時間を気にすることなく仕事が出来るという利点があります。
そんな長距離ドライブの時、どのような音楽を共にするか。
 以前、娘に長距離ドライブの時に何を持っていくか、という話をしたところ、何千曲もの音源を収録したiPodなどのメディアツールをとりあえず持って、あとで適当に選ぶと今風の答えが返ってきました(今はスマホでもそれができますが)。
 私はダウンロード音楽を利用したことが殆ど無いので、もっぱらCDやカセットテープを大量に持って車に乗り込むと言ったら「昭和だね」と笑われました。

 長距離ドライブに何を持ち込むか。
行く先々の事を考えながらCD棚を見ている時が一番楽しい時かもしれません。
例えば、往路はやる気満々だから元気なロックとか、昼間は眠くなりそうだから楽しい歌とか。復路は夜になるからジャージーな落ち着いたものがいいか、などシミュレーションが始まり、ひいてはそこから既にドライブは始まっているのであります。
 さて、そんな時に重宝するのがベスト盤というやつです。洋楽邦楽問わずベスト盤は特別な企画アルバムでない限りコンサバな選曲をしていますから外れることはありません。ヒット曲も満載です。そんな意味でも高速道路のサービスエリアでもベスト盤のCD棚をよく見かけます。
 先日、長距離ドライブをする機会が有りベスト盤を数枚持って車に乗り込みました。いつものように運転をしながらBGMとして音楽を流しておりました。しかし何だか違和感が生じ、すぐに切ってしまいました。別のアーティストのベスト盤を流しても同じ現象。何故か、全然面白くないのです。音楽を聴く気分では無かったということでもありません。以前もベスト盤を積んで長距離ドライブに行ったことがありましたから、ちょっと不思議な気分になりました。
ただ言えることは、面白くないというよりイライラする方が上回っていました。それは、スピーカーから出てくる楽曲にストーリーが無いので聞いていて気分がとっ散らかるのであります。要は曲の見本市というか曲のカタログというか。
 そもそも、ベスト盤はレコード会社の都合で制作されることがほとんどですから、アーティストが介在しないことも多いと聞きます。また、アーティストが介在したとしても(選曲責任等)、収録曲は発表時期や曲の内容、時代性などバラバラなのでそれをひとつにまとめるのは中々難しいでしょう。
そう、何が言いたいかというと私はベスト盤そのものの聞き方がわからなくなってしまったのであります。きっとそれは、曲をBGMのように流して聴くことができなくなってきたのかもしれません。1曲1曲を集中して聴くとその流れなどにも気がいってしまい、ベスト盤のようにランダムに排出されると落ち着かなくなってくるのであります。

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 という訳で、最近の長距離ドライブは、CDボックスです。アルバムを発表順にまとめたCDボックス。
ビートルズやジョニ・ミッチェル、ピンクフロイドやリンダ・ロンシュタットなど様々なCDボックスが出ております。そんなボックスを持込み、1日そのアーティストに浸るという事をしております。また、ボックスが出ていないアーティストやアルバムを全部所有している場合は、ファーストアルバムから最新のアルバムまでごっそりと棚から抜き出していきます。30枚以上もあれば、今回は前期だけ、とか。
やはり、アルバムで聞いていくとそのアーティストの音楽的な進化や機材の進化などもわかり、一つの絵巻物を見ているようになります。
 ビートルズで言えば、『プリーズ・プリーズ・ミー』(1963)で東京を出発し、大阪に着くころには『ホワイトアルバム』(1968)くらいまで聴くことができます。このような聴き方は、家のオーディオでは中々難しいですが、高速を走りながら聴くと時間を忘れてビートルズがどんどん進化していく様がわかり、とても面白いものです。

 他にも、「1969年特集」と題して、その年に発表されたアルバムだけを聴くというもの。
録音技術やアレンジなど国によっても違いますし、ギターの歪みの音を取っても、日本と海外には雲泥の差があることがわかります。同じ年でもこれほどまでに技術の差があるかとため息が出ます。そんな発見ができるのも、車の中で誰にも邪魔されずに集中して聴いていられるからでしょうね。
でも、あまり集中して聴くと事故を起こしますから、ほどほどにしておりますが。

 今日のディランは『Slow Train
Coming』(1979)でした。ディランがユダヤ教からボーン・アゲイン・クリスチャンに改宗したことで有名になったアルバム。ゴスペル色が強く、従来のディランファンからは不評のアルバムと言われておりますが、私は大好きであります。
朝の爽やかな運転中に「ガッタ・サーヴ・サムバ~ディ!」なんて唸りながら車を走らせておりましたです。はい。

2025/9/13
花形


# by yyra87gata | 2025-09-15 15:02 | 音楽コラム | Comments(0)