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音楽雑文集


by yyra87gata

『風街ろまん』  はっぴいえんど

 
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ファーストアルバムが恐ろしく暗い作品だったので、セカンドアルバムは全然期待していなかった。ファーストは(通称『ゆでめん』)、重々しく、日本語に拘り過ぎて何が言いたいのか中学3年の僕には正直わからなかった。なにやら学生運動の匂いがする曲があるかと思えば、無理やり“字余り・字足らず”の日本語を大滝詠一が死にそうな声で歌っていた。スピーカーから湿った音が出てきた。僕は岡林信康のバックバンドという認識だけで聴いていたので、“何て下手くそなバンドなんだろう、特にヴォーカル・・・”と思ったものだ。聴いていて、暗ーい気持ちになり、慌てて“ファニーカンパニー”を聴いた覚えがある。
 それから数年後、松本隆と細野晴臣、松本隆と大滝詠一は、ヒットチャートの常連作家になっていた。鈴木茂は売れっ子アレンジャーになっていた。1980年代の初頭のことである。松田聖子や太田裕美、森進一などテレビから毎日彼らの作品が流れ、音楽誌は“はっぴいえんどは10年早く生まれてしまったバンド”と紹介し、彼らの実力を称えていた。
 それじゃあってんで、『風街ろまん』(1971)が発表されてから丁度10年後の1981年に僕はレコードに針を落とした。以前聴いた暗い作品を予感しつつ、身構えて聴いた。
僕はA面1曲目の「抱きしめたい」からB面の最後の曲「愛餓を」が終わるまで、ステレオの前で固まっていた。ファーストと比べ別物の音楽になっていた、というのが率直な感想である。ファーストが陰であるならば、その陰に一筋も二筋も光が差し込んでいる感じだ。発表された1971年という年は、海の向こうではシンガーソングライターブームが巻き起こり、内省的な歌が流行りだした頃だ。その波をいち早く取り入れた細野は、ジェームス・テイラーばりの曲「風をあつめて」を・・・。大滝は「空色のくれよん」や「春らんまん」といったバン・ダイク・パークスばりの作風やそれらを180度転換した「颱風」を制作し、はっぴいえんどの音楽の幅の広さを覗かせた。そして鈴木茂が作曲とヴォーカルを披露している「花いちもんめ」はこのアルバムの核だと僕は思う。この曲があるからこそこのアルバムが成立しているといっても過言ではない。
では、何故そう言えるか・・・。ヴォーカリストでもないギター少年が、等身大の歌を素直に歌っているからだ。この隠れた才能は、次作『HAPPY END』(1973)でさらに磨きがかかり、ソロアルバム『バンドワゴン』(1975)で花開くことになるのだ。僕は、『風街ろまん』より『バンドワゴン』を先に聴いていたので、鈴木茂の原点を見たようだった。

 ちなみにこのアルバムは、8トラックで録音されている。実に丁寧に録音されているのがわかる。極力ダビングは避けているようだが、ノイズらしいノイズは皆無だし、大滝の大好きなウォールサウンドにも似た作りをミキサーの吉野金次がミキシングしている。フォークだ!ロックだ!日本語のロックはどうなんだ!なんて叫んでいる時に、彼らはひとつ高いところで音楽製作を行なっていたのではないかと感じた。

 1985年6月15日国立競技場。はっぴえんどは1日だけ復活した。《オール・トゥゲザー・ナウ》という民放ラジオのイベントに出演した。5万人の観客の中、メドレーと「さよならニッポン、さよならアメリカ」の2曲を披露した。打ち込みに助けられた松本隆のドラムだったが、動いているはっぴいえんどを見ることができて幸せだった。

 はっぴいえんどは不思議な魅力のバンドである。格好良いキャラでもない。音楽集団というインテリっぽさがあるが、それでいて心が落ち着く作品が多く、特に『風街ろまん』は忘れかけていた昭和の日本を感じることができる。風街は、松本隆が少年だった頃の東京なんだろう。

2005年9月22日
花形
by yyra87gata | 2012-12-16 22:00 | アルバムレビュー | Comments(0)