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音楽雑文集


by yyra87gata

Joni Mitchell the Studio Albums 1968-1979


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 ジョニ・ミッチェルは音楽家であると共に画家であり写真家である。物事や考えをビジュアルに映し出す力を持ち、同時に音を操る。元々はギターやピアノの弾き語りで素直なフォークソングを歌っていたが、概念に囚われない音作り。レギュラーチューニングの限界を感じたのかオリジナルの変則チューニングを駆使しながら独自の世界観を構築していく。
「これまでの人生で、一般的なチューニングで曲を書いたのは2曲だけ。もしもあのチューニング(オープンチューニング)を教えてもらっていなかったら、たぶん音楽を辞めていたか、ピアノに転向していたと思う」(ミッシェル・マーサ著「ジョニ・ミッチェルという生き方 ありのままの私を愛して」より)

 ジョニのファーストアルバムはディビッド・クロスビーによって制作された。そして、その後2人の仲は急速に近づく。その後、クロスビーのバンド仲間のグラハム・ナッシュとも恋仲となる。
他にもレーナード・コーエンとの関係は、彼の親に挨拶に行き、結婚に一番近かったとも言われている。
『Blue』(1971)制作時にはギタリストで参加していたジェームス・テイラーと・・・。『Hejira(逃避行)』(1976)以降はジャズ色が色濃くなり、この頃からジャコ・パストリアスと良い関係になっていく。
彼女は付き合う男の才能を超えたところで作品を制作する才能の塊なのだ。
まるで女郎蜘蛛のような存在。その結果、名作は残るので食われる男はある意味幸せかもしれない。
若い頃の写真や映画の中のジョニを観ると、芯の通った「いかした姐さん」という感じで、みんなその魅力にイチコロだったんだろう。
 生まれる時代が10年早かったらプリンスだって男性遍歴に名を連ねたかもしれない。なぜなら、プリンスがまだ15歳の少年の頃、せっせとファンレターを書き綴り、コンサートでは1番前の席でステージを見つめていたその先にジョニ・ミッチェルがいたというのは有名な話である。
プリンスは生前『The Hissing of Summer Lawns(夏草の誘い)』(1975)を生涯最高のアルバムと大絶賛している。だから、もしプリンスとジョニが付き合ってアルバムを制作していたら、ジョニの音楽遍歴にファンクを超えた新しい音楽が生み出されていたかもしれない。

 私は、ヒット曲が好きである。ヒット曲には何かしらの魅力があり、必ず一般大衆の心を鷲掴むパワーを持っていると思っている。しかし、ヒット曲の定義を記載することはあまりにも不毛なのでここでは避けるが、ヒット曲(商業的成功)がさほど無いのにレコードを出し続けるアーティストというのも存在している。特に洋楽の中には日本人では理解できない文化や考え方を持ち、その土地で愛される魅力を持ち合わせている作品も多い。
 ジョニ・ミッチェルは日本でさほど名が売れていない。日本において商業的成功という部分では語れないだろう。それは、日本人が彼女の作品の変幻についていけない部分もあり、彼女の作品がキャッチーなメロディーメイカーというより歌詞の芸術性を多く含んだ作品が多いからかもしれない。また、変則チューニングや近年のジャズ寄りな音楽性も日本人の好むメロディーから離れた存在だったのかもしれない(稀に「サークル・ゲーム」のように優しいフォークソングであるなら映画の主題歌ということもありヒットを記録したが、歌唱はジョニでは無い)。
 私が中学の時に見たザ・バンドの解散コンサートを綴った映画「ラストワルツ」で、「コヨーテ」を歌うジョニ。抑揚も無く、ドラマチックな展開も無いこの歌で正直猛烈な眠気に誘われたが、スクリーンの画面を凝視していると、あることに気づいた。そう、この退屈な歌を歌う女性シンガーに対し、ザ・バンドの面々もニール・ヤングも彼女に対し畏敬の念を抱いていることが読み取れたのだ。彼らのジョニに向ける目線。そして音。そこには私の幼稚な頭では理解できない歌を構築していく世界があり、音で会話をしているという情景がそこにあったのだ。私は、そんな光景を消化することができずモヤモヤとした気分で映画館を出た。そして、すぐに「ラストワルツ」のサントラとジョニ・ミッチェルのアルバム『Hejira(逃避行)』を購入した。
 映画の中で歌っていた「コヨーテ」。「コヨーテ」と呼ばれる男とのロードムービー。
歌の最後の「A prisoner of the white lines on the freeway」の一遍が詩的で虜になった。
それから私は、ボブ・ディランのアルバムを買うことと同じ感覚で、なけなしの小遣いの中から2500円の彼女のレコードを購入していった。ディランと同じ感覚・・・とにかく詩が難しい。メロディも難解な音楽ではあったが、2500円分の価値は十分に感じとっていたつもり。
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 今回ご紹介するアルバムは、ジョニ・ミッチェルの10枚組CDボックス。いやぁこれは凄い。ジョニ・ミッチェル初期10枚のアルバムが紙ジャケで収められている。
しかし、このボックス、Amazonで購入したら5480円。1枚あたり548円!。
私はこのボックスを3年前に購入したのだが、何とその時は2670円。1枚あたり267円だったのだ!
価格が倍近く上がっているが、それでも1枚あたり548円で天才を感じ取れるなら安いものである(ジョニを聴き始めた頃の私にこのボックスのことを伝えたらきっと怒るだろう)。
ファーストから10枚目の『ミンガス』(1979)まで!この溢れんばかりの才能が詰まった10枚組のボックスを改めて聴き直すと、それはそれは1人の音楽家の生き様を感じ取ることが出来る。

 最後に、ジョニ・ミッチェルの音楽が大きく変化を遂げた1970年代後半。そこにはジャコがいた。
先日、私はジャコの映画「JACO」を観た。ジャコの栄光と挫折を描くドキュメンタリー作品。
天才ジャコが天才ジョニと初めて組んだアルバム『Hejira(逃避行)』は私が購入したジョニの初めてのアルバム。「ラストワルツ」の興奮から40年経っている。
 軽快なリズムの中、ウッドベースのように自在に音を紡ぐジャコとその音の上で滑らかに歌い上げるジョニ。
 今日はCDボックスの方ではなく、レコードの『Hejira(逃避行)』を聴こう。
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2016/12/22
花形
by yyra87gata | 2016-12-22 09:50 | アルバムレビュー | Comments(0)