Colours Fabienne
2017年 10月 02日
1980年代の音楽事情はデジタルや打ち込みなどの新しい音楽機器の発達が凄まじく、それまでの音楽を一気に古臭いカビ臭いものへと変換してしまった。
そんなターニングポイントとなった1980年代半ばに、日本の音楽シーンは来るべきバンドブームの前兆があり、余震のようにグラグラと揺れ始めていた。それは、それまで栄華を誇ってきた音楽番組が冬の時代に入り、テレビ各局から消滅していくことから始まった。そしてそれまでの「歌謡曲」と呼ばれるジャンルは消えていった。
洋楽はMTVの登場で歌にドラマ性を求め始めたのも特徴であろう。
CMやテレビドラマのタイアップ曲はそれまでの「歌謡曲」ではないビートの効いたバンドサウンドが主流となり始め、徐々にヒット曲のメソッドが出来上がっていった。
そんな時代の狭間となった頃、レベッカは第2のスタートを切るべく路線変更を行ないミュージックシーンに登場した。
レベッカのデビュー時はギターの小暮体制によるハードロック路線の音楽作りで進んでいたが、音楽性の違いを理由に小暮やドラムの小沼が脱退してしまう。
バンド存続のため、メンバーを再編成し、キーボードの土橋体制によるリスタートが切られるのだが、新たなメンバーでの音楽性はファーストアルバムのそれとは異なり、かなりポップサウンドとなり、ヒット曲を狙うキャッチーなメロディを主としていた。
その時にオーディションで加入したギタリストが古賀森男である。
リスタートを切ったレベッカは誰が見ても当時のアメリカのマドンナやシンディ・ローパーの様なポップサウンドであり(オマージュ)、NOKKOのヴォーカルと相まって、聴きやすいサウンドに成されたが、その重要なフレーズを担っていたのが古賀のギターである。
レベッカが飛翔するきっかけとなった「ラブ・イズ・Cash」や「フレンズ」といった作品のダンサブルなカッティングやメロディアスなギターソロは、土橋の作るマドンナを彷彿させる音のフォーマットと一線を画し、オリジナリティ溢れるフレーズだ。だから、古賀のギターワールドがあってこそのレベッカ飛翔と私は勝手に思っている。
バンドサウンドはプロデューサーがどこまでメンバーに「やらせるか」によるもの。
誤解を承知で書くが、売れるためには有名なフレーズをパクってまでも、雰囲気を出してしまえばいいと言う。オリジナルを超えるアレンジで租借すればいいという意見もある。あとは、作り手は良心の呵責にさいなまれるかどうかの話だが、そんなことより売れてナンボの世界でもある。
レベッカは時代の音を反映し、NOKKOの圧倒的なヴォーカルで駆け上っていった。
古賀は自身のバンドFabienne(フェビアン)に専念するため、人気が出始めたレベッカを脱退する。
『Colours』(1989)はフェビアン2枚目のアルバムである。ファーストの『冒険クラブ』(1988)と並び、古賀ワールド満載のポップなアルバムである。
少し線の細いヴォーカルだが、デジタルサウンドや打ち込みサウンドがひしめき、ドラムには常にゲートリバーヴが施されている時代の音に反し、心温まるメロディに不意をつかれる。
そして、古賀のギターはポップなのだ。
それが例えロックンロールを刻んだとしても、グルーヴはポップサウンドになる。だからこそ、路線変更したレベッカが大ヒットしたことは頷けるのだ。
テクニックも去ることながら、グルーヴがバンドサウンドとして合致した瞬間にしか成し得ない音が必ずある。
それを体現した古賀森男のサウンドは、唯一無二となるのだ。
フェビアンは商業的には成功しなかった。そして、フェビアンは1990年に解散した。
古賀森男はソロミュージシャンとして今も活動中である。
フェビアンも1999年に再結成しているという。
『Colours』をたまに聴くことがあるが、そのたびごとに新しい発見をする。今の時代の音の中に置いてもこのアルバムは聴きやすい。これを普遍性と呼ぶのだろう。
音楽は不思議だ。
声を高らかに「Holy Town」を歌い上げる古賀の姿を見てみたい。
時代に翻弄されない音がそこにあるはずだ。
2017年10月2日
コメントありがとうございます。
私の雑文は本当に個人的な備忘録的な内容ですから思い入れだけで書いてますので、かなり偏っていると思います。
こんなブログでありますが、よろしくお願いします。