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君のために作った歌  松山千春

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 古いレコードの整理をしていると、自分の音楽史を振り返ることができる。特に中学時代や高校時代は、なけなしの小遣いを工面しながらレコードを購入していたから、それはそれは真剣に聴いた。今のダウンロードやスポティファイのような配信サービスで慣れてしまっている若者は、多分じっくりとステレオの前で音楽に没頭するなんてことはできないのではないか。
 レコードジャケットや歌詞カード、ライナーノーツなどの限られた情報の中で音楽を聴き、歌の世界観だけにとどまらず、作り手の気持ちにまで想いを巡らせ、無限の妄想を膨らます。そんな聴き方をしてくると、今の子供たちの音楽との接し方がいかにドライか、と思う。さて、そんな中で、松山千春。ファーストアルバム『君のために作った歌』(1977)を新品購入した時、当時私は、結構無理をして買った記憶がある。だから何度も何度も聴き込んだ。そして松山千春は、いろいろな音楽を聴き始めた当時、何故か私の中に強引に入ってきたミュージシャンの一人だったのだ。


まずは、深夜放送。私は彼のオールナイトニッポン(水曜2部)を好んで聴いていた。北海道のいかれた兄ちゃんと言う感じが当時中学生の私の心に響いた。北海道弁丸出しで、同郷の中島みゆきのことを茶化したりしながら、根拠も無い自信と大風呂敷を広げたトークが面白かった。そして、尊敬する岡林信康に触発されて歌の世界に入ったことも私の心に引っかかった。

なにせ当時の私は吉田拓郎一辺倒だったので、拓郎がライバル視していた岡林信康というミュージシャンに興味を持ち、初期のプロテストソングからはっぴいえんどとのコラボレーション、果ては美空ひばりとの演歌に至るまで岡林を聴きこんでいた。そんな岡林に傾倒した北海道弁丸出しの男のラジオで笑っていたので、そんな松山千春のアルバムを通して聴いてみたくなったのだ。しかし、彼のレコードが行きつけの中古レコード屋に無い。

中々流通していない松山千春のアルバムは、新品でしか手に入らなかったのだ。中学生の2,400円は痛かった。

さて、アルバムはというと、これが北海道そのもの。どの曲も北海道の大らかさや厳しさ、のびのびとした松山千春のヴォーカルが冴え渡る叙情フォークアルバムで、新人のアルバム制作にしては、選りすぐりのスタジオミュージシャンが名を連ねていた。

ドラム:渡嘉敷祐一、宗台春男

フォークギター:石川鷹彦、金城良悟

エレキギター:芳野藤丸

ベース:長岡道夫、後藤次利、高水健司

キーボード:大谷和夫、栗林稔、大原繁仁

 アレンジャー:青木望、松井忠重
このアルバムは、1977年当時のトップスタジオミュージシャンとアレンジャーを揃えており(芳野、長岡、大谷はこの翌年にSHOGUNを結成している)、レコード会社の意気込みも感じられた。

 富澤一誠が書いた松山千春の本「松山千春:さすらいの青春」(1979)の中に松山千春の印象的なインタビューが載っている。

松山千春は北海道の中央に位置する足寄町に当時住んでおり、毎週定期的に札幌の放送局まで車を飛ばして通っていた。山を幾つも越え、吹雪に遭遇するときも珍しくない環境の中で彼は涼しい顔でランドクルーザーを片手ハンドルで運転していたという。富澤はそんな彼を見て、質問する。こんな吹雪の中、怖くないのかと。すると松山千春はあの口調で答えたと言う。

「北海道はね、吹雪があっても止まってはいけないのよ。立ち向かっていくのよ。そうしないと春も来ないのよ」

 

 TBSの音楽番組「ザ・ベストテン」で異例の8分間のMCを行い、二度とテレビでは歌わないと言った放送は、1978年のこと。テレビに出ないミュージシャンがテレビに出演することが、大ニュースになる時代であったが、いつもとは違う神妙な口調で訥々と語り、ヒット曲「季節の中で」を弾き語っていたとき、ラジオのキャラではない彼に驚き、北海道のスターが全国区になった瞬間から私の中では彼の変化を読み取り始めていた。

 その後、松山千春は「窓」「恋」「長い夜」などのヒット曲を量産する。特に「長い夜」ではフォーク調だったリズムをスタジオミュージシャンの松原正樹がハードな8ビートをギターで刻むアイデアを出し、それが功を奏した。今までに無い松山千春の新しい魅力になった。

「売れたから」とか「昔の方が」とか言う理由ではなく、明らかに歌の内容が一般的になっていき、北海道らしさが薄れて来たところで私は追いかけなくなっていった。

ちょうど3枚目のアルバム『歩き続ける時』(1978)くらいか。

 1977年は、ニューミュージックというジャンルが花開いた年である。さだまさし、アリス、矢沢永吉、南こうせつ、中島みゆき・・・。テレビCMと上手くコラボレートできたミュージシャン、テレビと共存できるミュージシャンが重用されていく時代の魁となった。

フォークやロックと言われる日本の軽音楽は1980年ごろまでは常にサブカルチャーで、歌謡曲中心のテレビが崩壊するまではまだあと10年はあった。

そんな頃によく聴いたアルバムは時代が変わっても、忘れない。

2019/9/11
花形


by yyra87gata | 2019-09-11 17:37 | アルバムレビュー | Comments(0)