あの時のようにコンサート会場で大声を出したい
2021年 03月 26日
2009年2月25日日本武道館。
私は最前列でその瞬間を待っていた。
突き刺すような寒さの外気を纏いながらしかめ面で入場してくる観客も、会場内に入るとこれから始まるコンサートへの期待と共に表情は輝き始める。
こんなに近くで見る舞台。ギターアンプのメモリも目を凝らせば見えるくらいだ。
64歳になったエリック・クラプトンはサラリーマンで言えば定年を過ぎた壮年期に差し掛かっていたが、まだまだ「現役」であり、体力的にも余裕を見せ、盟友ジェフ・ベックと2人で精力的にツアーを行っていた。歴史的にみてもこの2人が同じステージに立つことはヤードバーズの時ですら無かったことなので、これはこれで大事件だった。そんなコンサートをさいたまスーパーアリーナで大成功させた2日後・・・この日はソロとして日本武道館公演。
そのコンサートで運よくアリーナ1列目を手に入れた私は、とにかくずっと近くで見たかった偉人に対し、そわそわしていた。
スローなブルースのSEにリラックスする観客。すると突然暗転。
怒号のような声援が沸き起こった。
ギターアンプの赤いライトが妙に光っている。そんな暗闇を歩くバンドメンバーたち。
来た!あー!こんなに真近に!
隣で家内は「エリーック!」と声援を送る(家内はクラプトンが好きで、レコードもよくジャケ買いをしていた。だからうちには『バックレス』(1978)なんて3枚もある)。
私はエリックの後ろから歩いてきた男が目当てなのだ。
その瞬間が来た!
「Hi!Willie!」
とにかく馬鹿でかい声で叫んだ。
その瞬間ベースを肩に掛けようとしたウィリー・ウィークスが驚いてちょっとずっこけるふりをして笑ってくれた。
クラプトンも手を叩いて笑っていた。
ウィリー・ウィークスに手を振る。ウィリーはちょっと照れながらお辞儀をしてくれた。
その日の私はずっと目の前でウィリーのプレイばかり見ていた。
ドラムのエイブラハム・ラボリエル・Jr.のドラムの横に寄り添うように立ち、ナチュラルのプレシジョン・ベースを落ち着いたフィンガープレイでリズムを刻む。
目立つフレーズよりもタイム感やドラムとのグルーヴでエリックの歌やギターをひきたてていく。
私は本当に上手いプレイヤーというのはウィリー・ウィークスのためにあるのではないかと思う。
歌を引き立たせながら、躍動的なリズムを刻む天才プレイヤーである。
ウィリー・ウィークスの音楽遍歴やレコーディング作品など書けばキリがないので割愛するが、有名なところではダニー・ハザウェイの『ライブ』(1972)のプレイや1970年代のジョージ・ハリスンのアルバム、デビッド・ボウイやランディ・ニューマン、ストーンズやチャカ・カーン・・・一時はドゥービー・ブラザースにも加入していたこともあり、その実力は折り紙付き。
日本のミュージシャンとも交流は深く、加藤和彦や矢沢永吉・・・高中正義とはウィリーが軽井沢に居を構えたことでご近所となり、音楽の交流もあるようだ(Youtubeに高中正義のステージにゲスト出演しているコンサートが上がっていた。後藤次利が手を叩いて喜んでいるシーンが映っている)。
こういうマルチなベーシストというとリーランド・スカラーとかウィル・リーとかピノ・パラディーノとか名前があがるのだろうが、私はウィリー・ウィークスの静かだけどちゃんと主張するプレイが好き。
ウィリー・ウィークスは70歳も超え、ゆっくりと自分のペースで仕事をしたいということで日本に来たようだが、時には気持ち良いグルーヴをみんなに聴かせて欲しいものだね。
そのためにはコロナが終息しないとコンサートもまともに開けない・・・音楽の神様・・・みんなが自由にコンサート会場で大声が出せるような世界に戻してください!
ウィリーさん。それまでは死なないでね。
2021年3月26日
花形