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音楽雑文集


by yyra87gata

ジェファーソン・エアプレーンの鳴り響いた部屋

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僕が渋谷道玄坂のコミューンに出入りしていた時期は、高校2年の冬から高校を卒業して半年くらいした残暑の残る初秋の頃までだ。だから時間にしたらたった2年弱の出来事だったが、この時期は僕にとって非常に衝撃的で、生きていく上での考え方など形づけられ、大変重要なものであった。このことはあれから40年近く経った今だからこそ、そう思えるのだろうとも思っている。

その日も僕は中古レコード店「ハンター」で掘り出し物を物色していた。ジミヘンのアルバムを探すためJの棚にあるレコードをめくっていると、両隣に男と女の影。僕がいるJの棚を見たいのかと思い、その場を譲ろうと体を棚から離そうとしたとき、隣に立つタバコ臭い長髪の男が、

「いいの、いいの。一緒にジェファーソン探してよ。あったら、かして」と言う。

「えっ?」と驚くと、もう片方の隣に立つ女が「ごめんねぇ、わがまま言っちゃて。おにいさん、レコードめくるの上手ね。店員さん?」

「えっ?ち、違いますけど・・・ジェファーソンってエアプレーンですか?スターシップですか?」と恐る恐る男の方に聞くと、男は「エアプレーンだよ。スターシップって何?」と返してきた。すると女が「ごめんねぇ、この人スターシップなんて認めてないのよ、あんなのヒップの風上にも置けないって・・・」

僕はなんだかわからないが、2人に挟まれてレコードを探す羽目となった。

 

僕はハンターを出て、出来たばかりの真っ黄色のタワーレコードの看板を正面に見ながら手前の「CISCOレコード」に入った。先ほどの「ハンター」には目当てのアルバムが探せなかったので、再びJの棚でジミヘンを探していると先ほどの2人がにっこり笑いながら、近寄って来る。「奇遇ねぇ~。エアプレーンある?」と女。

僕も参ったなぁなんて思いながら、またもやジェファーソン・エアプレーンを探すお手伝いを始める始末。

結局僕はジミヘンの『AXISBOLD AS LOVE』(1967)を購入。2人は金を出し合いながらジェファーソン・エアプレーンの『SURREALSTIC PILLOW』(1967)を購入していた。

店を出ると女が声を掛けてきた。

「家がすぐそばにあるのよ。一緒にレコード聴かない?あなたのジミヘンも聴きたいし・・・」

男も「俺もジェファーソン早く聴きてぇなぁ、早く行こうよ!」なんて言っている。

結局20分も歩いて(すぐそば、なんて嘘じゃない・・・)、古びたマンションに入った。

指さされた鉄の扉はほかの扉とは違い、黄色やオレンジ色のペンキが塗られていて、ちょっと異様な雰囲気だ。

部屋に入るとインド雑貨店にでも入ったような装飾とお香の匂いが立ち込めており、部屋の奥に腰まで伸びた長い髪の男がビールを飲みながら本を読んでいた。

レコード店で会った2人はビールを飲んでいる男の事をタケオと呼んでいた。

女はヨシ姐、ヨシ姐と一緒にいた男はトンと言った。簡単な自己紹介を済ませると、トンはジェファーソン・エアプレーンのレコードをターンテーブルに乗せ、妙なリズムを取りながら体を揺らし始めた。

タケオはボソッとした声で「シュール・リアリスティック・ピローじゃん。エアプレーン・・・良かったなぁ。フィルモアのライトショー・・・」

「ジェファーソン・エアプレーン、観たんですか?えっ?すごい、どこで?」と僕。

「サンフランシスコのフィルモアで観たよ。69年だったかな・・・ヴォランティアーズとかやってた・・・」とタケオ。

トンは頭を揺らしながら大きなスピーカーから流れ出るグレイス・スリックの歌声に酔っていた。そして40分弱のアルバムを一気に聴き終えると、ターンテーブルには僕のジミヘンのレコードが乗せられた。

ファーストアルバムの派手派手しさは無いが、落ち着いた中にも狂気が潜むアルバム。メロディアスな楽曲も多く、「リトル・ウィング」は代表曲。

いつの間にかヨシ姐が飲み物を出してくれた。当たり前のようにビールだった。

帰り際にヨシ姐は言った。

「いつでも来ていいから。ホント、終電が無くなったら寄ってけばいいよ。その代わり、奥の扉にバンダナが下がっていたらその部屋には入らないでね。アタシが寝てるか、タケオとアタシが寝ているか・・・だから・・・。」

「ああ・・・」

そういう大人な会話をしたのが初めてだったので、目も合わさず帰ろうとしたら、奥からトンが出てきてカセットテープを手渡してくれた。

「これ、今日のジェファーソンね。録音したからあげるよ」

「あ、ありがとう・・・僕のジミヘン、貸そうか?」

すると笑いながら「いいよ、いいよ。もうカセットに録ったから」・・・・あー、ちゃっかり録音していたのね。

 それから僕はどっぷりと彼らの世界にハマっていった。高校3年になると受験のためか自由登校になり、僕はそのマンションに通う日々。

それまでの学校で勉強したものとは違う知識。宗教観。生活。何をとっても新しいものばかりだった。それは、どんな形であっても幸せの方法は幾通りもあって、最終的に型にはまることを良しとした学歴社会が蔓延していた当時の社会に相反するものであったが、17歳の若造にはそんなことはよくわからなかった。

彼らはそのマンションのことをコミューンと呼んでいて、なんか子供の頃に公園や野原に作った秘密基地のような感じがした。

 コミューンにはいつも誰かがいた。知らない人も多く出入りしていて、音楽か映画の話をすれば、たいていは時が過ごせた。そして、みんな思い思いにタバコやドラッグを吸い、饒舌になっていた。

 晴れた週末は、露天商となりシルバーアクセサリーや手作りの刺しゅうなどをみんなで売る。ヤクザに追いかけられたこともあったが、そんなものは気にしなかった。渋谷も原宿も今のようなガキしかいない街ではなく、それ相応な大人な街だった。

 

高校を卒業し、ぶらぶらと家にいてもしょうがないので、コミューンに行っては時間を潰していた頃、ヨシ姐が2人の女の子を紹介してくれた。ワコとタマキ。ワコは看護学生、タマキはOLと言っていた。

僕はコミューンに行くとコーラを飲みながら、手あたり次第にレコードを聴き、壁いっぱいに並べられた本を読み漁る毎日。今でいうマンガ喫茶のようなものだった。

そんなスペースに人が入れ代わり立ち代わり入ってくるのだ。

部屋の隅でイチャイチャしているカップルもいれば、別の部屋でトリップしている奴もいた。しかし、そんな中でヨシ姐とタケオはいつもニコニコしながら彼らを受け入れていた。

そして、残暑残る初秋のある日。

部屋にはトンをはじめ、数人の男女がいたらしい。ワコもいつものようにキメていたようだ。すると、いつもは花の髪飾りを付けていたタマキが黒いスーツを着込み、数人の男性と共に部屋に入ってきたという。

そこからは、暴れる男女や目の焦点が合わないワコを連れて出ていったという。

タマキは内偵だったのだ。

そんなことがあった数日後に、何も知らない僕はコミューンを訪ねた。

がらんとした部屋の中、爆音でジェファーソン・エアプレーンが鳴り響いていた。

トンはヨシ姐もタケオもみんな行方不明だよ・・・と言ったが、グレイス・スリックの声がヒステリックに窓ガラスを揺らすので、最後は何と言っているかわからなかった。

ただし、トンが泣いていることと、嵐の後のような部屋の散らかりようで普通ではないことだけはわかった。

 そして、そんなコミューンはいつの間にか無くなった。

押し付けられた自由は、不自由なもので、世の中の仕組みは法治国家であれば大抵が不自由なものなのだ。そんな世界にいるからこそ「利他主義」「正直さ」「非暴力」なんて声をあげてベトナム戦争反対を旗印にヒッピーという文化が生まれた。しかし、今思い返してみると、人を許すことはあっても、法を犯してまですることではないし、ドラッグで解放されていると勘違いしていただけで、そこにあるのは結果的に「利己主義」でしかない。

しかし、僕のあのヒップ生活は貴重な時間だったし、それまで書物や映画でしか触れてこなかった大人の世界だって経験したからこそわかることでもあった。

当時の僕は目先のことを楽しむだけのただの刹那主義だったかもしれないが、がらんとした部屋を見たショックと爆音で鳴り響くジェファーソン・エアプレーンが目を覚まさせてくれたのだと思うし、それがリセットの良い機会になった。

家に帰ると母親が絞り染めTシャツを着ていた。明るい声で「あなた、こういうの好きよね、また渋谷で遊んできたの?」なんて言う。

「ヒッピーってのはファッションだけに留めておいた方がいいんだよ、本当は重たい話だよ」なんて僕が言ったもんだから、母親は「な~に?“イージーライダー”でも観たの?」なんて言ってきた。

 その時、僕はジェファーソン・エアプレーンの『シュール・リアリスティック・ピロー』に収録されている彼らの代表曲「Somebody To Love」の歌詞を思い浮かべた。

When the truth is found to be lies

And all the joy within you dies

Don’t you want somebody to love

Don’t you need somebody to love

Wouldn’t you love somebody to love

You better find somebody to love love love

When the garden flowers

Baby are dead, yes and

Your mind, your mind is so full of red

Don’t you want somebody to love

Don’t you need somebody to love

Wouldn’t you love somebody to love

You better find somebody to love

この歌を大まかに訳すと

愛する人がいないと、人生が味気ないものになるから、早く愛する人を探して・・・

いつ地球が終わってしまってもおかしくない世の中。真実だと信じていていたものが嘘だとわかったりするから、何も信じられなくなる。だから、早く愛する人を探しなさい、と言う歌。

言い換えれば、今、信じている国や体制や社会なんて全部嘘かもしれない。だから愛だけだよ、信じられるのは!だから愛し合いなさいよ、ってグレイス姐さんが叫ぶ。

1967年のアメリカの社会情勢を表した秀作だけど、ヒッピーカルチャーを表現した非常に深い歌だ。

僕が、サビの部分のDon’t you want somebody to loveを口ずさむと、母親は、「あ、それ知ってる」と笑った。

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2021年6月1日

花形


by yyra87gata | 2021-06-01 09:40 | 音楽コラム | Comments(0)