1970年代の音楽までが純粋なライヴだった気がする。そのライヴは単純で、楽器を持ち寄り、PAシステムででかい音を解き放つだけ。ライヴで再現できない音は代替の音を作るか、曲調やアレンジを変え、その場を凌ぐ。昔のライヴってそんなものだった。だから、ライヴは面白かった。レコードの音をそのまま再現するのであれば、ライヴ会場でレコードを流せばいい。極論すればカラオケで歌えばいい。(実際に今、ライヴハウスでカラオケを使って歌うシンガーが結構いることに驚く)
1980年代に入り、音楽にコンピューターが大々的に導入されるようになると、打ち込みが主流となりドラマーは失業に追いやられた。しかし、台頭したリズムマシーンは薄っぺらな音で、ハードロックがポップスのように軽くなっていった。だから1980年以降の音は音圧を上げ、全ての音にコンプレッサーをかけまくったぶあつい音になった。はっきりいって気持ち悪いし、本当の音を聴いている気がしない。そんなことを思いつつ、1970年代のライヴアルバムを聞くと非常に感慨深いものがある。音圧は無いが、本物の音がそこにある。
1970年代のライヴで名盤はたくさんあるが、LP3枚組みの超大作を紹介したい。ポール・マッカートニー&ウィングスの『ウィングス・オーバー・アメリカ』(1976)である。ジョンは主夫宣言をし、リンゴは役者稼業、ジョージは目立つことなく淡々とアルバム制作を行なっていた1970年中盤、ポールだけはウィングスを結成し精力的にライヴ活動を行なっていた。その大規模な1976年の全米ツアーを収録。《ロックショー》というタイトルで映画にもなった。LP3枚組、しかもライヴアルバムという形態で全米1位にランクされたという事実は、この時期のウィングスの勢いを伝える大きな手がかりだ。全28曲中ビートルズナンバーはたった5曲。過去の栄光よりも今を生きるポールの前向きな力がウィングスを通じて感じることができる。
僕は映画を見たあとでアルバムを購入したので、入りやすかったのだと思う。いくらポールのアルバムだからといっても、何の予備知識も無く、中学生で3枚組のライヴアルバムを購入することは大変勇気のいる行為だ。しかし、3枚はあっという間に過ぎていく。それだけすばらしい出来だ。針を落とすといきなりヒット曲メドレーが始まる。アコースティックコーナー、エンディングに向けての大きな作品の応酬に僕は何度ウィングスの観客になったことか。下手だ足手まといだと非難されたリンダだってしっかりポールをサポートしているし、デニー・レインは要所要所でポールの影武者になっている。特筆すべきはリードギターのジム・マッカロウがギブソンSGをギンギン弾きまくり、甘いという評判のウィングスサウンドに渇を入れている(このコンサートの数年後に死去・哀)。がっちりとタッグを組んだウィングスの素晴らしい演奏が展開されている。バンドサウンドがしっかり確立されている。技術的に優れているわけではなく、アンサンブルの勝利なのだろう。ポールの天才ぶりがよくわかるバンドである。
ウィングスはその後、数枚のアルバムを発表し、デニー・レインの脱退が一番大きかったと思うが、自然的に解散状態となってしまった。
ウィングスは来日公演の予定もあったが、薬関係で公演は流れていた。そして、例の成田での逮捕劇。ポールは2度と日本の土が踏めないと思った。しかし、その後、性懲りも無く何度も日本に来ている。そのうちの1回は、観に行った。但し、そこにはウィングスという名義はなく、ポールの単独公演である。僕はバンドサウンドに徹したポールが観たかったなぁ。
聴き応えのある熱いライヴアルバムで寒い冬を乗り切ろう!
2005年12月26日
花形